異世界のチートスキルが毎朝ガチャで変わる件
目が覚めると、右腕が光っていた。
いつものことだ。この世界に転生してから三ヶ月、毎朝これが繰り返される。光が収まると、腕の内側に文字が浮かぶ。今日の俺のスキル。いわば神様ガチャの結果発表だ。
前世では総務部で備品の在庫管理をしていた男が、異世界で毎朝チートスキルを引く。ただし日没までの期間限定。シンデレラのガラスの靴より条件が厳しい。あっちは午前零時だが、こっちは夕方六時で全部パーだ。
「タクヤ、起きた? 今日は何が出た?」
部屋のドアを遠慮なく開けて入ってきたのは、リーネ。王立魔法学院の研究生で、俺の「日替わりスキル」を研究対象にしている少女だ。亜麻色の髪を無造作に束ね、分厚い眼鏡の奥でエメラルドの瞳を輝かせている。毎朝ノックもなしに入ってくるのはどうかと思うが、本人いわく「学術調査に礼儀は不要」らしい。
「おはよう。せめてノックしてくれ」
「おはよう。で、何が出た?」
完全に無視された。
俺は腕をリーネに見せた。浮かんだ文字を二人で覗き込む。
【全属性魔法 Lv99】
「……おお」
リーネの目が眼鏡の奥で丸くなった。ノートを取り出し、猛然と書き始める。
「全属性Lv99。最高ランクね。三ヶ月で初めての引きよ。確率にして〇・三パーセント以下……いえ、もっと低いかも」
「つまり今日の俺は最強ってことか?」
「日没までは、ね」
リーネが釘を刺すように言った。この一言がなければ、俺の人生はもう少し平穏だったかもしれない。
## Day 1 ── 全属性魔法Lv99
朝食を食べ終わる頃には、腕の文字の噂が冒険者ギルドに広まっていた。この町は娯楽が少ない。俺の「今日のスキル」は、もはや住民の日課になっている。競馬の予想みたいなものだ。
「タクヤさん! 今日は全属性!? 西の森の魔獣、退治してくれませんか!」
ギルドの受付嬢が目を潤ませて頼んできた。西の森には最近、Aランク相当の魔獣が巣を作ったらしい。普段の俺では逆立ちしても無理だが、今日の俺は別だ。
「任せろ」
そう言って胸を張った俺を、リーネが冷ややかに見ていた。
「ねえタクヤ、日没は六時十二分よ。今は午前十時。八時間あるけど、余裕とは言えないわ」
「八時間もあれば楽勝だろ。全属性Lv99だぞ?」
「……記録しておくわ。『対象は根拠なき楽観を示す。スキルランクと自己認識の相関について要追加調査』」
「人を実験体みたいに言うな」
西の森に着いた俺は、文字通り無双した。炎の魔法で樹木ごと焼き払い、氷の魔法で魔獣を凍らせ、雷の魔法で木っ端微塵にする。前世で唯一の得意技が「エクセルのVLOOKUP関数」だった男が、今や大魔導師だ。笑いが止まらない。
「はっはっは! これが全属性の力か!」
「典型的な増長パターンね」
リーネが離れた場所でノートに書き込んでいる。うるさい。
調子に乗った俺は、魔獣の巣を壊滅させ、さらに奥へ進んだ。もっと強い敵はいないか。もっと派手に暴れたい。前世で三十年間溜め込んだ地味さの反動が、全属性魔法という形で爆発していた。
気づいたときには、夕焼けが空を染めていた。
「タクヤ。六時」
リーネの声が静かに響いた。
腕の文字が、すうっと消えた。
そして俺は理解した。自分が今、森の最深部にいること。周囲に魔獣の生き残りがうろついていること。そして俺の手には、もう何の力もないこと。
「…………あ」
茂みの奥から、赤い目が六つ光った。
「リーネさん」
「はい」
「逃げよう」
「そうね」
全力で走った。前世の総務部時代、エレベーターが故障して十二階から非常階段を駆け下りたとき以来の全力疾走だった。リーネの手を引きながら、枝に引っかかり、転び、泥だらけになって町に帰り着いた頃には、満天の星空だった。
「……死ぬかと思った」
「記録。『スキル喪失後の逃走能力は一般人水準。ただし生存本能による身体能力の一時的向上を確認』」
「今それ書く!?」
リーネは泥だらけの顔で、それでもペンを止めなかった。その横顔が妙に可愛くて、俺は文句を言う気力を失った。
## Day 2 ── 料理スキルLv99
翌朝。腕に浮かんだ文字を見て、俺は天を仰いだ。
【料理スキル Lv99】
「……はあ」
「あら。面白い引きね」
いつものようにノックなしで入ってきたリーネが、腕を覗き込んで目を輝かせた。
「面白くねえよ。昨日が全属性で今日が料理って。落差がひどい」
「統計的には戦闘系スキルの出現率は二割程度。生活系が出る方がむしろ正常値よ」
「正常値とかの問題じゃなくて」
「あ、そういえば今日は王都の料理大会の日よ」
リーネがさらっと言った。
王都料理大会。年に一度、王国中の料理人が腕を競う祭典だ。優勝者には王宮料理長の称号と、賞金百万ゼル。百万ゼルは俺の半年分の生活費に相当する。
「……出るか」
「出るの?」
「料理Lv99が日没までしか持たないなら、使える日に使わないと損だろ」
リーネが少し驚いた顔をして、それからふっと笑った。
「昨日の失敗で学んだのね。成長記録に追加しておくわ」
「だから人を実験体みたいに」
大会会場は人でごった返していた。参加者は五十名。プロの料理人ばかりだ。俺は場違い感をびしびし感じながらエプロンを巻いた。
しかしスキルは本物だった。
手が勝手に動く。包丁が食材の上を滑り、鍋が完璧なタイミングで火にかかる。前世では卵焼きすらまともに作れなかった男の手が、異世界食材を芸術品に変えていく。
審査員が俺の料理を口にした瞬間、会場が静まった。
「な、なんだこの味は……! 繊細でいて大胆、伝統を守りながら革新的……!」
優勝だった。
観客が沸き、花が投げ込まれ、俺は高々と優勝トロフィーを掲げた。リーネが客席で控えめに拍手していた。
表彰式の後、王宮の晩餐会に招待された。優勝者として特別料理を振る舞う栄誉だ。
時計を見た。午後五時四十五分。
「リーネ」
「うん?」
「晩餐は何時から?」
「七時からよ」
六時十二分。日没。
「……辞退する。体調不良で」
「賢明ね」
夜、宿に帰って賞金の百万ゼルを数えながら、俺はトロフィーの横に並んだ料理の残りを見つめた。大会で余った食材で作った簡単な煮込みだ。スキルがあった頃に作ったものだから、味は保証されている——はずだった。
一口食べた。
「……うまいのか、これ? わからん」
Lv99の味覚が消えた今の俺には、自分の料理の価値がまるで判断できなかった。
「おいしいわよ」
リーネが隣で同じ煮込みを食べていた。いつの間に入ってきたのかは、もう聞かない。
「本当か?」
「私は嘘をつかないの。データの改竄は学者として最大の禁忌だから」
その言い方がおかしくて、俺は思わず笑った。リーネも少しだけ笑った。
## Day 3 ── 言語翻訳Lv99
三日目。腕の文字。
【言語翻訳 Lv99】
「…………」
「あら、珍しいわね。非戦闘・非生活の知識系。出現率五パーセント未満よ」
「いや、レアなのはわかるけどさ。使い道が」
使い道は、その日の午前中にやってきた。
南方の砂漠帝国から使者が到着したのだ。問題は、帝国語を話せる通訳が先週から病に伏せっていること。そして帝国は、今まさに国境付近で軍を展開しており、この外交交渉が決裂すれば戦争になるということ。
「タクヤ! あなた今日のスキルは!?」
領主の使いが血相を変えて飛び込んできた。俺の日替わりスキルは町中の周知事項だ。プライバシーもへったくれもない。
「言語翻訳Lv99だ」
「来てくれ!!」
領主の館に引きずり込まれた俺は、砂漠帝国の使者と向かい合った。褐色の肌に金の装飾、鋭い目つき。明らかに「交渉決裂なら剣を抜く」というタイプだ。
しかし翻訳スキルが発動した瞬間、すべてが変わった。使者の言葉が、ニュアンスの一つまで完璧に理解できる。彼が怒っているのではなく、怯えているのだとわかった。砂漠の水源が枯れかけている。戦争がしたいのではなく、水が欲しいのだ。
俺は領主に進言した。水路の共同整備を提案しろ、と。
三時間の交渉の末、和平協定が結ばれた。使者は涙を浮かべ、俺の手を強く握った。帝国語で何かを言った。感謝の言葉だった。今の俺には完璧にわかる。
今の俺には。
調印式が終わったのは午後四時。領主が晩餐の準備を命じた。使者を歓待し、協定の細部を詰めるためだ。
「タクヤ、晩餐にも同席してくれるね?」
「何時からですか」
「七時だ」
また七時。この世界は晩餐が好きすぎる。
「……すみません、腹痛がひどくて」
「またか」とリーネが呟いた。
翌朝。領主の使いが来て、和平協定の追加条項について質問された。俺は昨日の交渉内容を思い出そうとした。
思い出せなかった。
翻訳スキルと一緒に、帝国語の記憶も綺麗に消えていた。何を訳したのかは覚えている。だが帝国語で何と言ったのか、使者が最後に何を言ったのか、もう一言もわからない。
「リーネ、俺は昨日何を約束した?」
「大丈夫。全部記録してあるわ」
リーネがノートを差し出した。交渉の全内容が、一字一句漏らさず記されていた。
「……お前、いつの間に」
「学者は観察と記録が仕事よ。あなたの隣にいる理由、忘れた?」
忘れてた。というか、研究対象として観察されていたことが、こんな形で役に立つとは思わなかった。
「ありがとう」
「研究対象にお礼を言われる筋合いはないわ」
リーネはそう言って顔を背けた。耳が赤かった。
三日目の夜。宿の屋根に上って、星を眺めていた。
全属性魔法で無双して、魔獣に追いかけられた。料理で優勝して、自分の料理の味がわからなくなった。翻訳で和平を成し遂げて、何を約束したか忘れた。
毎日が最強で、毎日がリセット。
どれだけ凄いことをしても、日没が来ればゼロに戻る。前世の総務部と同じだ。どれだけ在庫管理を完璧にしても、翌月にはまたゼロからカウントが始まる。
「何を考えてるの?」
リーネがいつの間にか隣に座っていた。もう驚かない。この少女は壁をすり抜ける才能がある。
「俺って、結局何もないんだなって」
「うん」
「即答!?」
「事実よ。あなた自身のスキルは何もない。身体能力は平均以下、魔力は測定限界以下、知識は異世界の文房具管理」
「備品管理な。……で、そこまで言っておいてフォローは?」
リーネは眼鏡を押し上げて、少し考えるように星を見上げた。
「毎日違うスキルが来て、毎日違う自分になって、それでも毎朝ちゃんとワクワクしてるでしょう。『今日は何が出るかな』って」
「……まあ、それは」
「それは才能よ。ゼロに戻ることを恐れない才能。たぶんこの世界で一番レアなスキルだわ。出現率——算出不能」
リーネのノートのペンが止まっていた。初めて見る光景だった。
「研究者が記録サボっていいのか?」
「今のは……記録じゃなくて、私の感想だから」
リーネはそう言って、ノートをぱたんと閉じた。
夜風が吹いた。明日の朝にはまた腕が光る。何のスキルが出るかはわからない。最強かもしれないし、最弱かもしれない。でも隣にはノートを持った少女がいて、「今日は何が出た?」と聞いてくれる。
それだけで、たぶん十分だ。
「リーネ」
「何?」
「明日も頼む」
「……当然でしょう。研究は、継続が命なんだから」
耳は、やっぱり赤かった。
明日の俺が何者になるかは、朝にならないとわからない。でもきっと、悪くない一日になる。
——それだけは、スキルがなくてもわかるのだ。




