誠実すぎる彼氏たちの、不器用な愛し方 ~先へ進めないのは、君を大切にしたいから~
『カンパ~イ!!』
歓声と共に、私たちのグラスがカチンと鳴った。今日は、私と親友の彩音の、ふたりの飲み会だ。まあ、女子会と言ってもいいかな? ちょっと……いや、すごくお洒落なダイニングバー。一人掛けソファーが、テーブルを挟んで二脚置いてある、白を基調とした明るい半個室だ。私が奥に、彩音が入り口側に腰掛け、ふたり揃って一気にグラスを空にした。私たちふたりで飲む時は、なぜか最初の一杯が一瞬で空になる。とはいえ、ずっとこのペースで飲むわけではなくて、本当に最初の一杯だけだ。彩音は次の飲み物をオーダーするために、タブレットを手に取った。
「葵衣は何を頼む? 私はもう一杯、生搾りグレープフルーツ酎ハイ。」
「それじゃあ私は、生ビールにする。さすがにさっきのカルーアミルクは甘すぎたから。」
そして間もなく、店員さんが料理と追加のドリンクを運んできてくれた。
「お待たせいたしました。『生搾りグレープフルーツ酎ハイ』、『生ビール』、『グリーンサラダ、ポテトサラダ、マカロニサラダの盛り合わせ』、『ガーリックシュリンプ』をお持ちいたしました。それでは、ごゆっくりどうぞ。」
そして店員さんは、手際よくドリンクと料理を並べ、空いたグラスを回収し、一礼して去っていった。
「しかし、すごいお洒落なお店だね。どうやって探したの?」
「実はここ、広輝が働いているお店なんだ。」
「広輝さんって、彼氏さんだったよね? そこで彼女が女子会開いても大丈夫なの? 広輝さんに聞かれてもいいの?」
「大丈夫だよ。今日はシフト入ってないって言ってたから。」
「なるほど。それなら羽目を外しておしゃべりできるね。」
「……で、今回の律人さんとのお泊まり旅行、どうだった?」
「すごく楽しかったよ。あ、そうそう…… はい、旅行のお土産。」
「わぁ、ありが……重っ!?」
私が渡したずっしりと重い羊羹の包みを、洋菓子か何かだと思って片手で受け取ろうとした彩音が、驚きの声を上げた。
「紅姫温泉郷名物の羊羹だよ。ホテルのお茶請けに一口サイズの個包装のが出てきて、美味しかったから一棹買っちゃった。箱が大きくないからかさばらないし、日持ちもするし。彩音、和菓子には目がないでしょ?」
「ありがとう。大事にいただくね。でも、私が欲しいのは、葵衣と律人さんの進展具合っていう名の『恋の土産話』なんだけどな?」
「やっぱりそこ? 彩音、本当にそういう話に目がないんだから。」
「当たり前でしょ。恋バナは女子会のメインイベントなんだから!」
彩音は入口に背を向けている形になるのだが、その後ろの通路を、店員さんが注文や配膳のために動き回っている。その店員さんのうちの一人が、何か気になるのか、やたらとこちらをチラチラ見てくる。彩音は気づいていないみたいだけど、一体何なんだろう?
「それで、エッチな大進展あったんでしょ? 葵衣、吹っ切れたっていうか、すごく明るくなった感じがするよ。」
「まあ、ね。ただ、夜はエッチなことは皆無だったよ。律人ったら凄く誠実で臆病で恥ずかしがり屋で、一切手を出してくれなかったの。」
「ええっ? せっかくのお泊まり旅行なのに?」
「部屋はダブルじゃなくてツインだったし、着替えを覗き見ようともしないし、大浴場だから一緒に入れないし、会場食だったから人前であんまりイチャイチャできなかったし、夜はあっさり眠っちゃうし、私がどんなに悶々とした気持ちを胸に眠りについたか……」
「えーっ? あんなに楽しみにしてたのに、結局お預けだったってこと?」
「ちゃんと翌朝に進展したよ。ハグとキスとプロポーズまでね。」
「ブッ!? 進展しすぎ! 何をどうやったらそこからそこまで進展するの?」
「まずは朝起きた後、夜に進展がなかったことで、私が拗ねちゃったの。そうしたら、律人が手を出さなかった理由を説明してくれてね。律人はまだ未経験で、ダブルの部屋を取ったりエッチを持ちかけたりしたら、『エッチ目的だったんじゃないか』って、私に引かれたり嫌われたりすることを恐れていたみたいなの。」
「なるほど~ 今時珍しく純粋な人だね。恋人ふたりでお泊まり旅行なら『エッチのため』みたいな感じはあるのにね。」
「私も、『ここまで優しくて純粋で誠実で気遣いができて不器用で臆病な人、存在したんだ』って、愛しさと嬉しさと呆れが混ざって複雑な気持ちだったよ。」
「それじゃあ、律人さんは初めからエッチは全くしない前提だったの?」
「一応、もしも私が求めたら応じる覚悟はあって、万全以上の準備はしてくれていたよ。」
「万全以上の準備って?」
彩音の問いに、私は思い出すだけで少し顔が熱くなるのを感じた。あの時、律人がバッグの中から取り出した『それら』を……
「避妊の為のコンドームとか、痛み対策の潤滑ゼリーとか、衛生対策のアルコールフリーの染みないウェットティッシュとか、もしも初めてだった場合の出血対策の厚手の濃い茶色のバスタオルとか、温泉ホテルなのに内風呂付きの客室とか。」
「……その彼氏さん、実在するよね? エア彼氏じゃないよね? でも、その準備って、律人さんの性欲の為じゃなくて、全部葵衣を気遣ったものだよね。」
呆れを通り越して感心したような彩音の声に、私は深く頷いた。
「そうだよね。正直『ここまで準備していて何もしないなんて、これは筋金入りだわ……』って呆れた思いはあったけど、その心遣いだけで、普通にエッチな進展があった場合よりも満たされたよ。」
「むしろ、そこまで準備しておいて、何で手を出さなかったんだろう?」
「律人は、初エッチは結婚してからにしたいんだって。」
「えっ? それって……」
彩音の顔が曇る。彩音は、私が元彼から受けた心の傷を打ち明けた、唯一の相手だ。
「……さすがに全部は話してはいないけど、私が初めてじゃない事だけは伝えたよ。律人は、『それも今の私の一部』だって言って、受け入れてくれたの。私も、『あの心の傷がなければ、律人との出会いすらなかった。あの心の傷は、律人と愛し合うために必要な要素だった』って思えるようになったの。」
「よかった…… 葵衣達の今回の旅行、心の傷のことが心配だったんだ……」
彩音が心底安心した笑みを浮かべる。私も感謝の笑みを浮かべ、頷いた。
「その後、そこまでの覚悟と準備があったら、『初エッチは入籍した日の夜にお願いね。もしもの時は責任取ってくれるつもりでいたってことでしょ?』って想いを確認したの。律人は『確かにそう思っていたけど、これってプロポーズしたも同然だ』って。その後無理やりハグして、正式にプロポーズされて受け入れて、私から律人のファーストキス、奪っちゃったんだ。」
あれ? また、さっきの店員さんがこっちをチラチラ見ている。店内を頻繁にちゃんと見回して、よっぽど教育が行き届いているのかな?
「えっと、そろそろ次の注文入れる?」
そう言って今度は私がタブレットを取り上げた。
「それじゃあ、私は梅酒ハイボールにする。あと、カプレーゼなんてどう?」
「いいね~ あと、タコの唐揚げも入れて良い?」
そうして私は、自分用に生搾りレモン酎ハイも追加で入れて、オーダーを通した。
「……でも、羨ましいな~ 私たちは半年以上もハグ止まりだもん。」
「半年以上!?」
まあ、お付き合いを始めてからずっとプラトニックな関係(これは私の心の傷にも原因があるが)で、今回の旅行まで半年以上掛かった私が言うのも何だけど、触れ合ってから半年以上はさすがに長いと思う。
「広輝はしっかりと、それこそ私が動けないくらい力強くハグしてくれるけど、その先に全然進んでくれないの。私としては、そろそろキス位はしたいって思っているのに。まだ心の距離を置かれているのかな? って思っちゃって。」
私はその彩音の言葉に、少し呆れながら答えた。
「あのね…… ハグって、女性の出っ張った部分も、男性の出っ張った部分も、お互いに相手に当たって、服越しとはいえ体温まで交換し合う行為なんだよ。しかも、そんなに力強いハグだったら、押し付け合いって言っても良い位に。男女間だったら、本当に心を開いた相手じゃないと、そんな事出来ないよ。私だったら、彼氏でもないただの男友達となら、ハグなんて絶対に出来ない。律人もハグした時に、『当たってる!』って大慌てだったんだから。」
「……確かに。お互いにしっかり当たっちゃってるわ。」
何が当たっているのかを想像したのか、彩音の顔が少し赤くなった。
「彩音だったら、恋人じゃない男性に、全部を押し当て合ってハグされたら、耐えられる?」
彩音は私の言葉に、一瞬嫌悪感に震えて、首を横に振った。
「でしょ? つまり、ハグしている時点で、心の距離はすごく近いんだよ。彼氏がそこから先に進まないのは、恋愛感情とは別に、先に進んだ時の不安とか責任感とかがあるんじゃないかな?」
その時、店員さんが追加注文を運んできた。
「お待たせいたしました。『梅酒ハイボール』、『生搾りレモン酎ハイ』、『タコの唐揚げ』、『カプレーゼ』と…… それから、『俺の本心』をお持ちいたしました。」
追加注文を運んできたのは、さっきまでこちらをチラチラ見ていた店員さんだった。しかも、なぜか顔が赤い。まあそれはいいんだけど、『俺の本心』って何? そんな変わったメニュー頼んだっけ? いや、そもそも存在したっけ?
「え…… ひ、広輝!?」
彩音は、その店員さんを見て、一瞬固まったあと、飛び上がらんばかりに驚いていた。
「えっと、知り合い? いや、広輝って……」
ま、まさか、彩音の彼氏さん!? 今日はいないはずじゃなかったの!?
「初めまして。彩音の彼氏の大原広輝です。」
「え…… ええっと? 彩音の友達の和泉葵衣、です?」
突然すぎる彩音の彼氏の登場に、私の頭の中は混乱してしまっていて、語尾が上がった、妙な返事しかできなかった。
「な、何でここにいるの!? 今日シフトじゃないはずでしょ!?」
「風邪で休んだ人がいてヘルプ要請が来たから、急遽入ったんだよ。まさか彩音が来てるとは思わなかったよ。」
広輝さんのその言葉で、ようやくパズルのピースが繋がった。よりによって、私たちが『彼氏の不甲斐なさ』や『エッチの準備』なんて赤裸々な話をしていた、まさにその場所に本人が登場したっていうわけ?
「それじゃあ、さっきまで何回もこの個室の前を通ってチラチラ見ていたのは、彩音が気になっていたから?」
私が恐る恐る尋ねると、彩音が顔を真っ赤にして私を振り返った。
「え…… ええっ!? 気付いていたなら教えてよ!」
「いや、まさか広輝さんだったとは思わなくて。名前は聞いていたけど、今が初対面だし、顔は分からないって。」
「そりゃあ、自分の彼女が来ていれば気になるよ。本当はもっと早く来たかったけど、仕事中だし、オーダーのタイミングが合わなくてね。」
「そ、それじゃあ、さっきまでの会話……」
彩音が消え入りそうな声で核心を突く。お願い、『聞こえてなかった』と言って。しかし、私たちの祈りも虚しく、彼は少しだけ視線を泳がせた。
「前を通りかかった時に聞こえたよ。他の個室には聞こえてないと思うけど。」
広輝さんは、追加注文の品をテーブルに置き、空いたグラスや食器を片付けながら、そう答えた。
終わった…… 私の『律人との惚気』も、彩音の『キス位はしたい』という切実な悩みも。全部、一番聞かれたくない本人の耳に、バッチリ届いてしまっていたらしい……
そして広輝さんは、一瞬私の方を見て、少し気まずそうな顔をした。これは、彩音と何か話したいことがあるな。そういえば、『俺の本心』って言っていたし。そう悟った私は、口チャックのジェスチャーをして、両目を瞑って両耳を手で塞いだ。まあ、実際にはそうしていても聞こえてしまうが…… 私のその合図を受け取った広輝さんは、早口で『俺の本心』を差し出した。
「答えを先延ばしにすると不安にさせちゃうのは分かるけど、仕事中だから、手短に説明するね。キスに進まなかったのは、そこまでしたら最後まで歯止めが利かなくなりそうだからだったんだ。ただ、最後まで進むのはまだ早いかなと思って、ハグまでしか出来なかったんだ。その事が彩音を不安にさせてるとは思ってもいなかった。本当にごめん。この事は、後でふたりでちゃんと話し合おう。それじゃあ、仕事中だから、また後でね……」
そして、立ち去っていく足音が遠ざかるのを確認して、私は耳から手を離し、目を開いた。
「ど、どうしよう……」
彩音は両手で顔を覆っていた。その上からでも、これ以上ないくらいに真っ赤な顔になっているのが分かる。
「これ以上は、私からは何も言えないよ。進むにしろ留まるにしろ、あとは貴方達ふたりが話し合って、答えを出さなくちゃいけない問題。ただひとつ言えるとしたら……」
「な、何?」
「『ふたりで頑張って』。応援はしているからね。」
私はそう言って、彩音にウインクを送った。
From:秋山 彩音
To :和泉 葵衣
件名:ありがとう! 大進展!
本文:
昨日はありがとう! 葵衣の「ハグは心の距離が近い証拠」っていう言葉が、本当に広輝の気持ちを信じる勇気になったの。そうしたら大進展したよ!
昨日の帰り際にレジで広輝から渡されたメモ、「シフトが終わったら会いたい」って内容で、広輝は賄いをキャンセルしてまで私と話す時間を優先して作ってくれたんだ。
彼がキスを躊躇っていたのは、キスだけで止まれずにエッチまでいっちゃいそうになることと、私がキスより先(エッチまで)を望んでいるのかが不安だったからなんだって。私を気遣ってくれていたからだって分かって、嬉しすぎて泣いちゃった。
私は少し悩んだけど、広輝に全てを委ねる事を承諾したの。そうしたら、「今日は酔ってるから、ちゃんと思い出に残るように、明日にしよう。」って、いつもよりも長く強くしっかりとハグしてくれたの。
そして、今日のデートでキスする前のハグで、「エッチしたから責任を取るんじゃなくて、責任を持ってエッチしたい。だから先に、プロポーズさせて欲しい。」って言ってくれたの! 私、彼の胸に顔をうずめて嬉し泣きしながらOKしたよ! そしてその後、最後までいっちゃった(……照れて死にそう)。
葵衣の彼氏の律人さんは誠実で優しいと思うけど、広輝も負けず劣らず誠実で優しいと思うよ。
今度また飲みに行って、惚気大会しよう! それとも、ダブルデートで指輪選びがいいかな?
葵衣と話せていなかったら、まだハグ止まりだったかも。葵衣のおかげで、私たちの関係も一気に加速したよ。本当にありがとう!
それじゃあ、改めて近いうちに日程調整させてね!
幸せいっぱいの彩音より
「まったく…… ダブルデートで指輪選びなんかしていたら、ブライダルショップの温度計壊れちゃうよ。まあ、幸せだから、いいか。」
~Fin~
本作をお読みいただきありがとうございます!
このお話の前日譚となる、律人と葵衣の温泉旅行編は「ムーンライトノベルズ」にて公開中です。
本作で語られた、律人の「万全以上の準備」の詳細や、葵衣の心の傷が癒えていく過程を、より詳しく(性的同意やケアを重視した描写を含めて)描いています。
もし二人の「始まりの朝」に興味を持っていただけましたら、ぜひこちらも覗いてみてください。
■前日譚:何も無かった、初めてのお泊り旅行の夜 ~そして、すべてが始まった朝~
https://novel18.syosetu.com/n0102lm/
(リンク先は「ムーンライトノベルズ」となります。18歳未満の方は閲覧できませんのでご注意ください。)




