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私の無駄知識。

作者: えりきゃん

あなたたちの夢はなんですか?

私は世界の人達と話をするの。自閉症なのに?ADHDなのに?話したら止まらないマシンガントーク。だけどオチのない話ばかり。

そんな私にだって夢はある。

それをぶつけただけ。

私の家族はいわゆるスポーツ一家。

父親は体育大学出身の野球を幼い頃からの専攻。

母親は専門学校卒だが、鍼灸師の資格を持ち、今は陸上のマスターズに出場してメダルをこっそり持っている。

私は水遊びが好きだったことから幼い頃から競泳をして、部活も弱小チームながら水泳部主将。仕事もここまで来たらとインストラクターをしている。


部活の時に選手同士でマッサージや、ストレッチをしていた事を覚えていたり、母親が鍼灸師という事でツボを教えてくれたり、いわゆる解剖学の本がたくさんあって、私もネガティブな性格や幼少期から「変わってる」と言われたことから心理を学ぶようになった。

相手の行動に対してどう思ってるのか、判断する基準はどうなのか、何気ない仕草は一体なんの意味があるのか。そう思うように人を観察していた。

そんな中彼氏や、旦那という存在に出会い、仕事で疲れたということからマッサージをする事が少しあった。

母親の解剖学に書いてあった雑学と、スポーツで学んだ禁忌をしないように細心の注意を払いながらのマッサージとストレッチをしてなるべく栄養もそれに合わせたものを食事として取り入れた。

彼氏は「マッサージ屋さん開けるよ。主婦としては最強にうまい飯だよ」とたくさん褒めてくれるが、私にとっては今まで学んできたことや、食べたいもの、心理においての応用を日常でおくっているだけであって、資格もあるわけではないし、それを仕事にしたいとも思わない。

私は中学1年の時に出会った顧問の先生が忘れられず、体育教師ながらその人にあった的確すぎるアドバイスをしたり、本来無給と言われる部活動にこれだけ熱心にぶつかり合ってくれる人が他にいるだろうかと思い、私も水泳部の顧問になりたいと思いながら勉強をした。

ただ、部活動をするには教員免許も必要だし、教科に特化したものがないといけない。

私の強みはなんだろう。いわゆる副教科は得意ではあったが、「学校」という区分を考えるとかなり狭き門だと当時教えてもらい、五教科の中で選ぶことにした。

実験や化学、元素記号が好きだから理科…だけど物理や電気の分野が壊滅的に苦手だった。

かといって他の教科に目を向けることもできなかった。

その時出会ったのが高校の時に始まった短期留学だった。学校自体も初めてのことでお試しの1週間のまるで旅行のような企画だった。

学力テストをしてから留学先のクラス分けに入りほとんどマンツーマンでの授業だったが、なんとかコミュニケーションをとった。

英語しか伝わらないこのスクールの中で、単語もままならない中私なりのコミュニケーションをとったり、少しの自由時間に行ったショッピングモールでテレビでしか見たことないトゥクトゥクのような乗り物や日本にはいない肌の色の人達がのんびりと過ごしていた。

私にとって沖縄や北海道のような世界観かと思っていた分、全く違う世界で、「私の知っている世界はこんなにも小さいのか」と、半分ショックに思いながらももっと世界を知りたいと思った。

そこから英語に対してかなり積極的き学ぶようになった。友人に中国人がいることから中国語も学びたいと思った。日本語に近く、学びやすいと聞いた韓国語も学びたい。

何気なく行くインドカレー屋さんの言葉ですら理解したい。そう思うようになり、言語の勉強を始めた。

インストラクターをしていると、中華学校の生徒がかなり多く、レッスン中も中国語が飛び交うことが多かった。

彼らは中国人国籍だとしても、一人の子どもである。

大人にしか分からない世界があるように子供たちの世界もある。だからこそ、子供たちの事を理解してやりたい。そう思うようになった。

もちろん仕事で英語は必要だと思うが、それぞれの国のニュアンスが違うように、ビジネスと日常では話すトーンが違う。

だからこそ、異文化を理解してもっと色んな人たちの家庭や、環境をわかってやりたい。

言語にも資格があるのはわかる。だが、その前にその人たちにしかできないコミュニケーションがある事をわかってほしい。それは資格で囚われるのではなく、その人その人を大切にしたいと私が思うからこそ勉強したいと思う。

「誰かの役に立ちたい。」そんな事を将来の夢として描く人は山のようにいるが、その形が今の私の思うことである。

異国の人が懸命に日本語を勉強して、やっとの思いで住んで、話して、仕事にて。

そんな人たちを私は受け入れてやりたい。悩みの1つでも理解してやりたい。

子供たちが抱えている表現も同じくらい何気ない会話を理解してやりたい。

彼らの国の言葉では言えるのに日本語という小さくも大きな壁に彼らはぶち当たり、悩んでいるのかもしれない。

そう思うと私だけでも理解してやりたい。

どれだけインストラクターで上手に教えられたとしても、ジェスチャーでなんとか伝えられるかもしれないが、言葉という優しさと、理解したいと思う気持ちがその人たちにとってどれだけありがたいことかと思うと勉強して、少しでも通訳にならないとしても通じる何かがあるのではないかと思ってしまう。

そんな熱意を彼氏は全てを理解せず、ただ目標を立て、資格を取ることに執着しているように思える。

確かにそれも必要だが、私には上記のように、もっと資格ではない彼らの苦労や生活の難しさ、子育ての違い、教育の理論をもっとわかってやりたい。

その思いで勉強をしている。彼氏には趣味と扱われてしまうが、私にとっては赤ちゃんの時から日本語で育ってきたように、コミュニケーションをとりたいと思っているだけなんだ。

いつか世界の言葉を理解できるようになって、たくさんの人達の助けになりたいと日々思う。

中国人の友達が幼少期からいたおかげで偏見が全くない。

異文化を知ることが楽しみでしかない。

それを触れながら料理を楽しんだり、店員さんとのコミュニケーションをとったりそれだけでも充実したものになる。

なんでもないことだろうけど、私の事をあまり理解してくれる人はいない。

だからこそ、こんな事ばかりぶつけてしまう。

それでもこの思いが同じ日本人に伝われと思っている。

戦争がない未来。そんなことができるのはそう言った「理解」が必要なのだろうと私は思う。

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