アルマ
レイラ・アクヤークは、すこし体の弱そうな女の子だった。
なにせ、談話室のなか立ち上がり待っていた時の顔が、真っ青だったのだ。
私が駆け寄り、思わず、大丈夫なのかと声をかけると、彼女はオリーブ色の目を瞬かせ、私の名を確かめるように呼んだ。
「そうだ。私がアルマだ。しかし、そのようなことはどうでも良い。今はあなたの体調が心配だよ」
すると彼女は、憑き物が落ちたかのように健やかな顔つきになって、美しく微笑んだ。
「お目通り叶いまして光栄にございます、殿下。レイラ・アクヤークです」
私よりすこし高いくらいの背丈を優雅に折り曲げる彼女に、私は見とれた。
心配になるほどだった顔色をすぐさま払拭し、彼女は堂々と姿勢を正して優美な仕草をみせた。その器に、惹かれた。
話してみると彼女は本当に同い年とは思えないほど大人びていた。
感覚として、城に上がりたての貴族の子息くらいのように思える。
それは彼女が携えてきた話題が、私の暗殺計画についてだったこともあっただろう。
ましてや、彼女はその計画の最中、叔父上が私を庇い先に命を落とす可能性すら示唆したのだから、なおのこと私の背を正させた。
「アクヤーク家は王家の影。私たちがお命を必ずやお守りいたします」
「確認しておくが、それは私や叔父上の身代わりにあなたやあなたの家族がなるということではないだろうな?」
「あら。雑草の駆除は根からが基本ですのよ、殿下」
幼子をあやすように笑う彼女は、女の子が年上の女性に憧れて真似る仕草とはまた違うようだ。本当に私が幼子に見えているようだった。
それは、彼女が成し遂げてきたことを考えれば当然かもしれない。
現に、彼女は私に暗殺計画の存在を説明しいくつかの指示を出した後、アクヤーク家の名代として鮮やかな手腕を示し、王家に迫る暗雲を追い払ってみせたのだから。
私は全身を雷に打たれた。
同い年だからとか、仕草が可憐な女の子だったからとか、それだけでない彼女の鮮烈な存在感に圧倒された。
それから、朝起きるにも食事するにも勉強するにも体を動かすにも、なにをするにしたって彼女の影を感じた。常にレイラを意識し、目の前のことに対して彼女ならどう感じるか考えるかをふと思い悩み、自分のとろうとしている行動が彼女にどう評価されるのかが気がかりだった。
ゆくはては、私を子どものようにあしらう彼女の目をこちらに振り向かせたいという、あられもない願望。
私の心は春の嵐を飲み込んだかのように乱れた。
「ぼ、ぼくはどうしてしまったのでしょう」
泣きながら相談すると、これもまた彼女に命を救われた叔父上は、すこぶる気の毒そうに顔を歪めた。
「アルマよ。それは、恋だな」
「恋……」
名付けられて、胸がときめく。
これが恋。建設的な思考もままならず自尊がぐしゃぐしゃにシワをつけられる、これが恋。
僕は、レイラに恋をした。
「それも不毛な恋だぞ」
「実りませんでしょうか?」
「だっておまえ、完全に子ども扱いされている自覚があるだろう」
図星だ。レイラにとって同い年の男など子ども同然。
そもそもアクヤーク家と王家との歴史をかんがみ、会うのをやんわりと断られ、私が手紙で真剣に思いを伝えると、彼女は儀礼的な返事の端に気のせいでしょうと書き添えてくるだけ。
それでも諦められず、私はとうとう卑怯な真似をした。
立場を使って、彼女を城に呼んだのだ。
その非礼をまず詫びる私も、彼女は幼子のいたずらを許すかのような気軽さで許容した。
「私も、王子からの誘いに対してあまりに不躾でしたわ。謝罪いたします。これで相子といたしましょう」
初めて会ったのと同じ談話室に腰かける彼女に、私は改めて思いを伝えた。
彼女は、困った顔をしていた。
「あなたに不必要に言い寄って、困らせているのはわかる。すべては私のわがままだ。あなたに……認知されたかった。すこしでいいから、あなたの心に私を移していてほしかった」
レイラは、軽く息をのみ、目にあわれみを浮かべた。あるいは、同情。
「好きな方への思いというのは放っておいても積もるものです。理解しております」
それは私を絶望させた。
「……レイラにも、そのような相手がいるのか」
恋慕う、私以外の、誰か。
なぜだかレイラは悲しそうな恥じるような、遠くを眺めるような、そんな目をして首を横にふった。
「すでに失くしましたわ。私、選ばれませんでしたの」
「誰だ、そいつは!」
僕は思わず席を立って叫んでいた。全身の血が沸き立つ。
けれどすぐに彼女が驚いているのに気付き、咳払いをしながら元におさまった。
「その者の気にそぐわなかったからといって、あなたの価値が損なわれるいわれはなにもない。……すまない、始めにこう言うべきだった。不愉快をすぐに怒りと結びつけるなんて普段はしないように気を付けているのだが、いや、言い訳だ……すまない」
「あなたの誠実さは心得てます」
レイラは、ころころと笑って、目を細めたままゆったりと構えた。
「今にしてみれば、私の独りよがりだったのでしょう」
「……耳がいたい」
「あ、いえ。今の殿下がどうというわけではなくて……私、努力の方向性を間違えましたの。自分がよりよい存在になるように研鑽を積めば、その痕跡を見た相手がきっと私に報いてくれると思うのは、慢心ですのね」
この間に十一歳になったばかりの私たちがするには、すこし難解であるようなのに、彼女があまりにすらすらと話すので、私は理解できないながらも必死に耳を澄ませた。
「自分を、相手にふさわしい身形に整えるのも大事ですけれど、それと同じくらい、相手を知ってその心に寄り添う努力が必要でしたの。好きな相手が悲しい時には、なにができるわけでなくともすぐに駆け寄るべきだったのに、私は状況を改善させる方法を調べるのが最善だと思っていた。……私が初めてお会いしたとき、殿下は礼儀作法よりも私の体調を優先してくださったわ。私はその方に、そのようには振る舞えなかった。それだけです」
そう語りながら、彼女は深く息をついた。
柔らかく、はにかみながら。
「ふふ。こんな話、両親にも侍女にもお友だちにもしてませんのよ。話せて、ほっとしています」
「私があなたの役に立てたのなら良かった。……もし良ければ、相手のどのようなところが好きだったのか、聞いてもいいか? 思い出したくなければ、断ってもいいが」
レイラはあか抜けた表情で、膝上の手をさすり合わせた。
オリーブ色の瞳が、私をとらえる。
「たまに子どものように笑うところ。気になることがあったら、いても立ってもいられずにすこし強引になさるところ。あと、書く文字にね、特徴的な跳ねがありましたの。それも可愛らしく思ってますわ」
自慢するようにあげ連ね、それから、と彼女はより一層、慈しむような光を瞳に浮かべた。
「ほんのすこし、怖いところ」
「怖い? 好きな人が怖かったのか?」
「勝手に怖がってましたの。私の好きな方はね、崖の上に立っているように見えるときがありましたの。目を離したら、どこまでも落ちてしまうのではないかと、怖くて……目が離せなくて……」
レイラはその心にいまだ存在する誰かを優しく撫でてやるようだった。
「……その方は、大切な人を亡くされていて、その人の想いに報いるため、その人が望んだ自分になろうと必死でした。それを私は引き止めようとしていた……傲慢でしょう」
「あなたにはその人が傷つきながら進んでいるように見えたのでしょうね」
「そう……そうだったのかもしれません。もう傷つかないでって言いたくて……私がなんでも出きるようになれば、その方の盾になれると思ったの。…………だけどその方が選んだのは、自分が傷つかないための盾ではなくて、負った傷に栄誉を与え癒してくれる人だった……そういうことだったのだわ」
ぽつりと、レイラの右目から流れた一滴を私はみないふりをした。その小さな一滴は、彼女も気づいてないようだった。
レイラは最後に、無邪気な子どものように笑った。
「ですがきっと、もう大丈夫ですのよ。大切な方はもう失われたりしませんもの。別の未来が待ってますわ」
私に、語りかけてくる。
「アルマ様。あなたは、これから運命の人と出会いますのよ。可愛らしくて、優しくって、人の心に寄り添える素晴らしい方と恋をなさるの。……それは私ではないけれど、あなたは幸福になります。必ず」
「まるで見てきたかのように話すのだな」
はっとして口を噤む彼女に、私は深呼吸して構える。
「あなたが好きになったその者に別の未来が訪れるのなら、あなたにも想定にない未来が訪れる可能性はあるだろう。……私はそれに賭けることにする」
「アルマ様、ですから、あなたには私ではない運命のお相手が」
「運命でなくて良い。今の私はあなたを尊敬しているし、あなたが好きだ」
オリーブ色の瞳が揺れている。
それが、私には好機に思える。
「レイラ。あなたを振り向かせる努力をさせてもらえないだろうか。私はまだ、あなたにそうできるだけの情をかけてもらっていると思うのだが、どうだろう」
「…………あまりお辛くならない程度にお願いしますわね。あなたにはすぐに立派な相手がいらっしゃるのですから」
きっとそれは、レイラの心のなかにもいるのだろう。
しかし私は笑ってみせた。
「気にするな。それすら乗り越え、証明して見せるよ。私は忍耐強いのだ」
そういうと、なぜだかレイラは怯えたように、存じておりますとそう言った。