王弟
アクヤーク家がまた暗躍している。
それだけであれば気に留める必要もない。暗躍している事実が、周知の事実となっているのも含めて、彼らの仕事である。ある種の抑止力だ。
しかし、いつになく声高な噂がたったのは、その中心にいるのがアクヤーク家の当主や優秀と名高い子息でなく、幼い娘であったからに他ならない。
レイラ・アクヤーク。
社交界デビューもしていない幼子が、いったいなにをしたというのか。
耳を澄まして聞こえてくるのは、信じられないほど鮮やかな実績だった。
「あのクラン博士を見いだしたのは彼女との噂がある」
「そういえば、孤児の支援にもやけに熱心だそうだな。もしかして貴族社会の外側にいる優秀な人材の確保を狙っているのか?」
「それが実は、我が国の貧困層が労働力として秘密裏に他国に売り渡されようとしていたらしい。それを防いだとか」
「それどころか事件に関わっていた他国の商人相手に商売を持ちかけたと聞いたぞ。北方で見つかった技術の再興にも資金援助をしだした。他の貴族も追随している。かくいう私もな。新たな金脈だ」
「ゴーツクバリー家のお家騒動にも一枚噛んでいたのではなかったか。あの隠し子が見つかったとかいう」
「その騒動自体、アクヤークの罠だよ。新種の病原体をいち早く発見し、その特効薬となる薬草が多く生えているのがゴーツクバリー家の領地だったというじゃないか」
「ああ。あそこの当主は金に目がないからな。お家騒動で弱みを握り脅しでもしなければ、薬草を出し惜しみして病がさらに蔓延したに違いない」
「……私の妻もその病に罹患していたのだ。ただの季節病だと思って見過ごしかけていた。彼女の働きがなければ、今頃……」
愉快なほどに出てくる実績たち。
それらすべてが、すでに片がついたことばかりであるのにも舌を巻く。暗躍の進行中には気取られず、明るみになった時には終わっている。
「なかなか興味深いじゃないか。成し遂げたのはお前と同い年の女の子だぞ、アルマ」
熱心に読んでいた紙面から顔を上げた甥は、王子らしからぬ小生意気さで唇を尖らせた。
「聞き飽きております。だから私もこうして奮発しているのではないですか」
確かに、好奇心旺盛だったこの甥が、今は虫取や木登りをしたいがための脱走もせずに日々の鍛練や勉学に励んでいるという。
今も訪ねてきた叔父をそっちのけにして、ソファに埋もれながらせっせと本を読み、書き取りをして、まとめたものは午後までに教師に提出せねばならないらしい。
なんとも勤勉なことだ。
未来の王にその心を植えつけただけでも、レイラ・アクヤークは十分な国益を生んでいると言える。
「私は多少、遊ばせておいたほうが後々に有益になるとも思うがな」
「こう見えて遊んでもいます。他者からの監視がどこまで及んでいるのかを把握し掻い潜り、いかに遊べるかも学びだと陛下が」
「遊べてないじゃないか。もっと気ままに放蕩せよ、アルマ」
「叔父上だけですよ、そのようなことを言うのは」
甥はけらけらと笑って、幼いながらに真剣な眼差しを放った。
「叔父上の前だと思ってふてくされてもみましたが、実のところ良い手本を得たと思っています。実績を出している彼女と勉学中の私では開きがありますし、彼女は私のことなど気に止めてないでしょうが、ライバルのような存在です。彼女の活躍は、私の活力ですよ」
兄に似て真面目で血気盛んな甥に、私は安心と反発を覚えた。
同年代の思わぬ台頭に、さまざまな人間からの値踏みを受けてひねくれてやしないかと、勝手に期待していたのだ。
私なんかはそうだったから。
優秀で出来の良い兄と比べられ、しかし、長子として国を背負わなくて良いことに変な安心もして、ふらふらとこんな風体になってしまった私の目下の興味は、この甥っ子の行く末だった。
あれが父だとは、時に重荷ではないかと思うのに、なかなかどうしてこの子はまっすぐにそれを受け止める強靭さを持っている。
「やれやれ、つまらんな」
つまらなさすぎて笑ってしまう。
「ここで私が足を止めれば、ひねくれ者の叔父上はその場では喜んだふりをして後で必ず文句を言ってくるでしょう。そうなるのは悔しいですからね。私は、良き王になるのです」
甥はニッコリと微笑み返してくる。
兄に似ていて腹立たしい。
「心配してやったのにひどい言いぐさだ。たまたまレイラ・アクヤークと会う機会を得たから、おまえが彼女を疎んでいるのなら腹いせの手伝いをしてやろうと思ったのにな」
「え!?」
アルマは目に見えて興奮し、ソファから飛び上がった。
「叔父上はレイラと会うのですか! いいな、母経由で僕が交流に誘った時は体調が良くなかったらしく断られたのです」
いいな、いいな、と無邪気な羨望を浴びるのは気分が良い。
甘いそれをたっぷりと味わいながら、紅茶を嗜む。
興奮が落ち着いてアルマが席についたところで、これ見よがしに肩をすくめた。
「しかしおまえ、アクヤーク家の姫と交流を持とうとしたのか? 私がいうのもなんだが、王子としてはどうなのだ、それは」
「アクヤーク家と王家が付かず離れずなのは承知してます。ですが、気になるのだから仕方ありません。好敵手がどのような人物であるか、知りたいではありませんか」
「なんだ。色気のない。それこそ国益のために彼女を早々に抱き込むとか考えないのか」
甥は子どもの癖にじっとりと私を睨んできた。
「それは王家のために尽くしてきてくれたアクヤーク家の誇りを踏みにじる思考ですし、なにより彼女に失礼ですよ。私は彼女の能力を尊敬しているつもりです。私が男で、彼女が女の子だからって、そのような言い方はやめてください」
「そうか。では彼女がどんな人物だったかはお前には秘することにしよう。淑女の仕草の噂話を男が交わすのは、下品だからな」
「そ、そんな! いえ、でも、まだ社交界にも足を踏み入れてない女の子が噂話をされるのは怖くもあるでしょう。ましてや僕は地位もある……。わかりました。決して彼女のことを叔父上にお聞きしたりはしません!」
「真面目め。からかっただけだ。客観的な印象だけなら、伝えても彼女の不利にはなるまい」
しかし好敵手だといいつつ、この口達者な甥が、まるで物語の英雄のようにレイラ・アクヤークを慕っている様子なのは、愉快だ。
子どもらしい愛らしさがある。
それと同時に危うさも感じる。
この子はこう言うが、レイラ・アクヤークの鮮やかな手腕を敵視する者も皆無ではない。アクヤーク家とはいえ、否、アクヤーク家だからこそ、節度を保つ必要がある。あの家の役割は影なのだ。血筋が良いために、活躍しすぎては無用な疑念を抱かれやすい。たとえば、現王への反抗心がないか、だとか。
私が彼女と会う目的は、王弟として、彼女に二心ないと宣誓させることにある。
我ながら、大いに力を発揮する子どもに対して、なんと大人げない。
この子が慕う英雄を、大人たちの政治で潰してしまうかもしれない。
王とは、そうなることを免れた身内からみれば、ずいぶんと窮屈そうに見える。
その役割を理解していながら、幼子を王子と呼ぶのは一種の洗脳だとも思う。私たちは彼らに、他の生き方を許さないのだから。
そう思えば、この子には、レイラ・アクヤークが必要であるように思えてくる。無邪気にライバルだと慕える相手。すこしでも、彼個人の心の支えになるような相手。
「叔父上」
しかし彼ら王という生き物の魂は気高い。
「レイラ・アクヤークにどうかよろしくとお伝えください。アルマとしてではなく、この国の王子として、お願いします」
「ああ、わかっているよ」
私はそこまで気高くはなれない。
ゆえに、時おりの失態は許してほしいと思う。
のだが、しかし。
アクヤーク家訪問の後日、いそいそと期待を込めた眼差しを向けてくる甥に対し、私の口は重かった。
「実際のレイラはいかがでしたか? やはり噂通りの高潔な傑物であったでしょうか」
「そうだな。傑物ではあった。大人にも物怖じせず、受け答えもしっかりしていた。十歳になったばかりと聞いたが、二十歳そこそこの娘を相手にしているようだったよ」
「おお。さすがだ」
頬を染める甥に、私は言うか言わまいかを迷いつつ、深く息をつく。
いや、しかし、まあ。うーん。
「どうなさいましたか、叔父上」
「一応きくのだが、レイラ嬢との面識はないのだよな」
「ありませんよ。会えれば嬉しく思いますが」
きょとんとした甥に、私は心を決めた。
このままでは下手な火傷を負いかねない。
「おまえ、すっっっっっごく避けられているぞ」
「………………?」
甥は瞬き、首をかしげ、私の言葉を飲み込むと、ぐにゃっと顔をしかめた。
「え、なぜ? え!? おじうえ!?」
「いや。なんというか、同年代だしな。それとなくおまえの話題をふったのだが、名を耳にした瞬間に彼女が金属像のように固まってな。同席した彼女の兄が素早く話題を変えてもしばらくは口を開けなかったようで」
なんとも居心地が悪かった。
幼子をいじめた気分だったし、実際のところ彼女にしてみればそうだっただろう。
その後の談話の始終、彼女の手を握ってやっていたレイラの兄ライアン・アクヤークは笑顔を崩さなかったが、その目は一切笑っていなかった。正直、怖かった。
「ぼ、僕、レイラに嫌われてるのですか……王子だから? それとも、気づかぬうちになにかしてしまった?」
「嫌いというのも違うかもしれないな。とにかくおまえのことはわずかにでも考えたくないようだった、というか」
「なおひどい……」
がっくりと肩をおとした甥に、私も脱力してしまう。
「王家への恨みでもなさそうだぞ……なにがあったんだ、おまえたち」
「わかりません……」
萎れた甥は、静かに顔を上げた。
「でもなにかしてしまったのなら、誠意を伝えなくては。事情が聞ける雰囲気……でもなかったのですよね……。父に相談して、アクヤーク当主か同席していた兄のライアンに手紙を出してみます」
「そうだなぁ。まあ、やってみなさい。この叔父もすこし探ってきてやる」
「よろしくお願いします」
アクヤーク家を脅威に思う貴族たちは安心だろうが、しかし、私にしてみれば甥が不憫に思える。
気になる子にあからさまな無関心を貫かれるほど嫌われているのだから。
「だがまあ、こう言うのはな、結局は相手の心次第だ。おまえが気に病みすぎても良くない。おまえは素晴らしき子だよ。この叔父が保証する」
「……叔父上」
「なんだ、アルマ」
「私への態度を差し引いて、レイラはどのような子でしたか?」
「自分の生まれや育ちに誇りを持ち、周囲の人間に感謝し、他者のために尽力する高潔な傑物だったよ。滅私奉公の手本だな。恐ろしいまでに誰かのことばかりを考えていた」
「そうですか。……すごいなぁ」
アルマは瞳に輝きを取り戻す。
「たとえ彼女が私をどう思っていても、彼女の功績と素晴らしさは損なわれません。今も私は彼女のことを尊敬しています。それがわかっただけでも、私には大きな学びです」
「あまり良い子過ぎるなよ。鳥肌が立ってくる」
しかし、それでこそ兄の子だ。
私は眩しくて目を細めた。
それは、自分は人に恩を返すために生きているだけと断言したレイラ・アクヤークにも感じた光だった。