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ウラジミール

レイラ・アクヤークほどイカれた女はいない。断言する。あいつは悪魔だ。


そもそも始まりがおかしい。

なんで貴族のお嬢様がご丁寧に町娘の格好をしてうろうろ歩いてんだ。それも一人で。

なにかを探すようにキョロキョロして裏路地なんかを覗き込むから、すぐに性根の腐った連中に手を掴まれる。


それで口にだすのが、俺の名前なのだ。

バジリスはいらっしゃる? なんて、お上品な物言いしやがって。


もちろん本名じゃない、悪さするのに最近あつらえた道具だが、人に使われたんじゃたまったもんじゃない。俺がぐるだと思われる。


仕方ないから死角から水をぶっかけて、その場からその女だけ引きずり出す。


「おまえ、誰だか知らねぇが他所から来てシマを荒らすんじゃねぇよ」


凄む俺に、頭からぽたぽた流れる水も気にせず、そのお子ちゃまは嬉しそうに笑いやがった。


「ウラジミール。やっぱりあなたは髭がないほうが素敵よ」


楽しくなる薬でもやってんのかと思ったね。まだ髭は生えてねぇよ。


ピタリと俺の本名を当てたそいつこそ、レイラ・アクヤーク。

後に死ぬほど嫌いになるその女は、出会った頃から笑顔だけ妙に幼かった。



「未来で大人のあなたに助けて貰ったから、恩返しをしに会いに来たの」


そんなもんを信じたわけじゃねぇが、そいつは俺の根城を知っていた。


慈善活動を銘打ってたら、いつのまにか自力で這い上がれないような奴らばかり集まるようになって寂れた教会は、呻き声と落ち着きのねぇガキの叫び声が絶え間なく聞こえ、膿と糞尿と陰気の臭いが鼻をつく。

正直、お嬢さんは怯んで帰るだろうと思って案内したのに、そいつは冷えた目で惨状を見回し、黙って腕まくりをした。


「食事は後で届くように頼んであるわ。まずはそれを食べるところだけ綺麗にいたしましょう」


手際よく掃除してる間にも、ちょろちょろしてるガキを捕まえて手伝わせて、台風のように周囲を巻き込んでいく。

そのうちにやってきたお嬢さんところの使用人が、どろどろになって働くお嬢さんを見て、目をひんむいていたのには、スカッとした。ちゃんとした大人がびびってる姿ってのは、愉快だ。

そいつらが動かなきゃお嬢さんが動いちまうんで、奴らも必死で働いていた。


おかげで俺はガキやしょうもねぇウチの連中に目を光らせてなきゃならなくなった。


その使用人どもはお嬢さんの言いなりなんだ、俺たちに情なんてねぇ。

なのに俺たちのためになにかしてる風だから、なけなしの自尊心みてぇなもんを刺激してくる。

それでそいつらに対して、貴族になった気で接してみろ。後で痛い目みるのは俺たちだ。

それをこいつらはわかってねぇ。

ちょっと関心を向けられたと思うと自分達が受けてきたことの真似を相手にしようとするし、一気に懐こうとして距離を間違える。


優しさに見えるものは、俺たちの腹に合わせた作りをしてねぇのさ。

そのぜんぶが劇物だ。


「余計な夢みさせんなよ。なんだってこんなことしやがる」


お嬢さん直々に手渡されたスープもパンも湯気が立ってやがる。


「あなたへの恩返しよ」


「未来の俺によほど手酷くされたか、お嬢さん。復讐にしちゃ気が利いてるぜ」


口にしたら最後だ。

明日にはどうせ砂利食う日々に戻るってのに、惨めったらしくて嫌になる。


「あなたがこの先、人を束ねて大きな仕事を成し遂げられる立派な大人になるってことを私は知っているの。確かにお行儀は良くなかったけれど、あなたの情と機転が窮地の私を救うの。それが巡りめぐって今日に繋がったのよ」


あなたは立派な大人になる、そう、お嬢さんは繰り返す。

この先ってのはなんだ。

立派ってのはなんなんだ。

なんだってんだよ。


俺は、自分はいつか路地裏で野垂れ死にするんだって思ってたよ。爺まで生きるなんて、ぞっとするね。ろくな死にかたでなくていいから、自力で動けるうちにそうなりたかった。

でも、そうなる前に、なにかに噛みついて食いちぎってやりてぇと思ってただけなんだ。なんでだか知らねぇけど、そう思ってなきゃもうなんにもわかんなくなっちまいそうだった。


ガキどもの笑い声がする。

いつも疲れてたシスターが、あんなほっとした顔してるのみたのは初めてだ。お嬢さんの使用人に背を撫でられて、子どもみたいに涙ぐんでる。

怪我で動けねぇ奴らも綺麗な包帯を巻いてもらって静かに息してて、ただそこにいるだけだった奴がそいつらの口にスープを流してやったりしてる。


ぼんやりしてくる。

明日はどうやって金を稼ごうとか、そういうの、なんも考えずに、目の前にあるもんぼんやり眺めて、ずっとこうだったらなって、そう思った。


「俺は、なんだってしてやるよ。だけど、あいつらは見逃してやってくれ」


情けねぇな。声が震えてやがる。

でも怖いんだ。わけがわからねぇ。

なんだってこんなことになってんだ、俺たち、表通りだって歩けねぇのに。

どうしたらいい。

どうしろっていうんだ。


「しっかりなさい。彼らの安寧を守るのは私ではないの。あなたよ。そのために私を利用するの。私の真意は伝えたわ、これは恩返しよ。これから、それがどこまで使える手札なのかを慎重に見極めていきなさい」


落ち葉色の目が、金貨を隠してあるみてぇにぎらぎら光ってる。


「あなたならできるわ、ウラジミール。そのために今は食べなさい」


言われるがままに手にしたパンはやわっこくて、口に持ってくだけでいい匂いがした。パン屋の匂いだ。かじる前からよだれが出てくる。舌でつつけばざらっとしてた。でも土の味じゃねぇ。


俺はかぶりついた。

焼き立てのパンってのは、こんなもんか。

なるほどな。


こりゃ毒だ。


隣に座ってパンをちぎって口に運んでるお嬢さんを睨み付ける。

お嬢さんの後ろにそれとなく控えていた女がにらみ返してきたが、お嬢さん自身はパンを置いて黙って見つめ返してくる。


「今わかった。俺はあんたが嫌いだよ。詭弁で弱い奴らに毒を食わせる。この味を知った俺たちは、もう戻れねぇ」


このパンをまた食べるためには盗むしかない。そんなことを考えるような奴らしかいねぇんだ、ここには。そういう阿呆しかいねぇんだ。だけどそいつら、俺の家族なんだ。

考えなしに飛び出そうとする家族どもの首根っこを押さえて、引っ張りあげて、俺は進むしかない。

この先ってやつを。


「やってやるよ、お望み通りな。あんたがどんな醜態さらして俺なんかの助けが必要になんのか、見てやろうじゃねぇか」


お嬢さんは、俺から目をそらさなかった。


「レイラ・アクヤークよ。……ところで今のあなたは文字の読み書きはできるようになってるの?」


「舐めんなよ。腐ってもここは教会なんだ。長くいる奴は聖書で学んでる」


「良かった。依頼したいことがあるのよ。ほら、私は未来を知っているでしょう。これから起きる事件もいくつかは頭に入っているの。どんなことにも学びはあるから下手に干渉したくないけれど、その中には、なかったほうがいいと思うようなこともある。ここまでいえば、あなたならわかるわね」


「深窓のお嬢さんの手足になれっていうんだな。金は?」


「活動資金として前金をいくらかと、成功報酬。ここは厳正にいくわ。あなたの仕事への信頼がある」


「いいぜ。乗ってやる。金は教会への寄付にしとけよ。ついでに他所にもばらまいとけ。金が動けば役人が嗅ぎ付けてくるからな。俺もあんたも痛くねぇ腹を無闇に探られたかねぇだろ」


「寄付はするつもりだったから構わないわ。これからも、よろしくね」


差し出された手を掴む気はねぇ。

細くて白くて、掴めたもんじゃなかった。


かわりに俺はパンをかっくらい、スープを飲み干す。そいつらは明日、血肉に変わる。


そして血の盟約は、なにより重い。

悪魔に魂を引っこ抜かれて、俺の人生が始まった。

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