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レイラ・アクヤーク

大衆の熱と喝采に揉まれながら見上げる王城の真っ白なバルコニーでは、私の好きな人と、私の好きな人が選んだ人が、仲睦まじく寄り添って手を振っている。


「アルマ殿下、万歳! ヒーウェン妃殿下、万歳!」

「御成婚おめでとうございます!」


地響きのような熱狂。

誰かが、私より前で彼らを見ようとして肩を押してくる。

私はそれに抗うこともできず、よろめく。

支えてくれる人なんて私にはいない。

たたらを踏んで、別の人にぶつかって、でもその人も私なんか気にしない。

衝撃を振り払うように体をひいて、またバルコニーの二人に夢中で手を振り返している。


私だけ、ここから切り取られたみたい。


思わず、空を仰いだ。


目に染みる青空。

奥に一筋の光が見える。雷鳴はきっと、熱狂にかきけされた。のたうち回る蛇のようなそれを見つめて、私は目を閉じた。

両頬が、すうっと一直線に冷えていく。


万歳、万歳の言葉もだんだんと響きがあいまいになって耳遠くなる。


このまま、透明になりたい。

透明になって消えたい。

もうなにも見たくないし、聞きたくないし、話したくない。

動きたくない。

動かされたくない。

もう誰かに恋したりなんかしない。


そうして私は、くだけ散った。



柔らかなリネンに包まれている。

後頭部から背中、かかとに向かって私を支えるベッドの感触に、違和を覚える。

なんだか短いのだ。私の体が。


おそるおそる手足がちゃんと動くのかを確かめる。指の先まで感覚はある、けれど、やはり記憶にあるより短いような……。


そっとまぶたをおしあげた。


薄暗がりに、ぼんやりと月と太陽の絵が浮かぶ。

懐かしいな。

子どもの頃に使っていたベッドの天蓋に描かれていたものだ。


……子ども?


閃きを得て、自分の手を布団から抜き出し、目の前に掲げる。


「……ちいさい」


呟く言葉も舌足らず。

私は身に起こった異変をようやく認識することができた。

ぺたぺたと顔を触りながら、這うようにしてベッドから起き出す。

ベッドを囲うカーテンをひくと、光が満ち溢れた世界が飛び出してきて目が眩む。

腕で影を作ろうと持ち上げ、そして、姿勢が崩れた。

だめ、と思った時には、小さな体はすべてベッドから滑り落ちている。左目の下あたりに衝撃を受け、どすん、と鈍い音を聞くと共に痛みが走る。


頭は冷静なのに、心が激しく動揺して波打ち、その飛沫は目から飛び出た。


「う、ううう」


敷物に体を擦り付けるように、ベッド脇に丸まりながら呻き声をあげていると、振動が伝わってきた。

誰か来る。

扉の開く音と共に、女性の声がした。


「レイラ様、いかがなさいましたか」


飛び込んできたらしき彼女はすぐに天蓋ベッドのカーテンが開いているのに気づいたのか、駆け足が起こす揺れと音がみるみる近づいてくる。


「レイラ様!?」


叫喚と共に肩に触れられる。

私は彼女の姿を見て、確信した。

たおやかな黒髪、ヘーゼルナッツの瞳。見た目が記憶にあるより若くとも、その眼差しは変わらない。


「ジジョー。あなた、ジジョーね?」

「ええ、ジジョーです。……もしかして見えていらっしゃらないのですか?」

「見えているわ。私は平気」


ただ、意識が子どもの頃に戻ってきただけ。


彼女の手を借りて身を起こし、私は流れる涙を自分で拭いた。

ジジョーがすぐに自分のハンカチを取り出して、頬に当ててくれる。


「服の袖はそのように使うものではありません。はしたない行いです。由緒正しきアクヤーク家の姫がすることではありませんよ」


ぴしゃりとした物言いが、ただただ懐かしくて、私は笑ってしまう。

そしてジジョーを抱き締めた。私の世話役ジジョー。

私を振り返ってくれないアルマ様のことをすこし憎らしげにして、私の心を最後まで守ろうとしてくれた人。


「レイラ様?」


困ったように呟きながら抱き締め返してくれる彼女の体温に触れていると、心の奥から涙が溢れだす。


「いつもいつも、ごめんね」


懺悔は嗚咽にまみれた。


ジジョー。

誇り高きあなたがたくさんのことに目を瞑って、献身的な協力をしてくれたのに、私、アルマ様に選ばれなかった。


選ばれなかったの。


「うわぁぁぁぁん!!」


「まあまあまあ、レイラ様。あられもなく泣くものではございません。あなたはアクヤーク家の娘なのです。いついかなる時であっても、気高さを忘れてはなりません」


そういいながら私の背を撫でる彼女にすがりつき、私はしばらく泣き続けた。



遡ること四百年。我がアクヤーク家の初代当主は、初代国王の実弟だった。

建国時のあれやそれやを経て、貴族の一人として兄を支えることに決めた彼の意思は脈々と受け継がれ、我が家の理念を一言で言い表すのならば「裏方」である。


王が生み出す栄光の影となるべく、ひっそりと息を潜め、こつこつと実利を求め、時には国の暗部を引き受けて、アクヤーク家は誇りを守ってきた。


そのため、王家との距離感の基本スタンスは「付かず離れず」


だから私が王子であるアルマ様をお慕いして恋仲になりたいだなんて、もっての他だったのに、私の恋路はそれなりに応援されていた。


それはなぜか。


「レイラ。今朝のお転婆はずいぶんと痛かったようだな。お顔を見せてごらん。可愛いレイラに怪我がないかどうかをこの目で確認できるまでは、おまえの父は気が気でないのだから」

「お父様にお見せするのが恥ずかしいのならば、母はどうでしょうか。どちらでも、レイラの良いように決めなさい」


わざわざ朝食の前に部屋に来てくれた両親を、私は完璧な淑女の礼で出迎えた。


「お父様、お母様。おはようございます。今朝はお騒がせいたしました。少々、寝ぼけてしまいましたの。レイラは無事ですわ」


顔をあげて、にこりと笑えば、父が感心したように唸る。

オリーブ色の瞳を細めた。


「良い所作を身に付けたな。顔も明るそうで、ひとまず安心した」


母は私の前でかがみこみ、そろりと私の頬に指を這わせる。


「痛みはどうですか。後から出ることもありますよ」


「ジジョーがすぐに冷たい水を含ませたタオルで冷やしてくれましたから、痛みもとれてしまいましたわ。ですが、もしまた痛みだしたら、すぐに誰かに相談します」


夫婦はさっと目配せを交わし、母はすこしだけ表情を厳しく改める。


「良い心がけです。レイラ、あなたはこの屋敷にいる大人たち皆の関心を得ています。寝ぼけてしまうことを否定はしませんが、そういう時はきちんと目が覚めてから動き出すのですよ。慌てた行動をしては、今回のように怪我をしてしまう。まずあなたが辛くなるし、私たち大人も悲しみますからね」


「はい。お母様」


「では朝食に向かいましょう。今朝のことを聞いたシェフが、レイラの食事に特別な一品を足してくれたそうです。そうした厚意には感謝なさいませね。当たり前のことではないのです」


父母に挟まれる形で私は自室を出た。

心配げな眼差しの名残を受けながら、私はむず痒くなる。

この両親、どころかこの屋敷の人間たちはみんな私に甘いのだ。

王子様に恋しちゃったと私がいいだした時、みんなそれぞれに思うところがあっただろうに、最後には私が王妃になることを後押ししてくれた。


わかっていたつもりだったけれど、その重みまで感じきれていなかった。

こうしてアルマ様と結ばれなかった今、改めて向き合うと、人の厚意は当たり前のことではない、という母の言葉がずしりと胸にのしかかる。


私が選ばれなかったのは、彼らの思いまでもを裏切ったことになる気がする。


食堂の席に着き、温かな食事を前にして、私はずっと考えていた。


アクヤーク家の娘が王妃になることを周囲に認めさせるために暗躍した父。

王妃教育を施すべくあらゆる人脈を駆使して最高の家庭教師をつけてくれた母。

同世代の目線から、アルマ様と相対する機会には、それとなくフォローをいれてくれた兄。

アルマ様を恨めしげにしつつ、私が挫けそうなときには叱咤激励して寄り添ってくれたジジョー。

私の恋が実ることを祈り続けてくれた使用人たち。

他にも巻き込んだ人はたくさんいる。


焼きたてのパンや美味しいスープ、サラダに卵に燻製ベーコン。ひとつひとつを味わいながら、一人一人の顔を思い浮かべていく。

そうして特別デザートの三色ベリーのコンポートを食べ終わった時、私の心はある場所に落ち着いていた。


私が過去に戻ってきたことに意味があるとするならば、それは、彼らの思いに報いるためなのかもしれない。


そうでありたい。

そうでなければ、今世になにを望もう。


アルマ王子の顔が一瞬だけ脳裏を過るけれど、私は目をかたく瞑った。

深く息をして、自分の注意をそらす。

(……あの失望をもう一度経験するのは、無理よ)

貴族として恥をさらすのに堪えきれず、変装し民草にまぎれてようやく見上げることができた、あの光景。

好きな人が自分ではない人と人生を分かつ誓いを立てた、あの光景。


想像するだけで、ぞっとする。


「やり直せるのなら、私のことなどもうどうでも良いわ。前回、私がやりたいことを支えてくれた皆に感謝を伝えたい」


そうと決めれば、あとはやるべきことをなすだけだ。

私はさっそく父と母のもとを順にたずねた。


「お願いしたいことがあります」

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