1話
更新不定期、駄文文章ですが、よかったら見てやってください。
少年は、疲れていた。クラスメイトとの意味のない付き合いに。両親の毎日のように繰り返される諍いに。毎日、決まった時間に起きて一人で朝食を食べ家を出る。決まった時間に帰ってきて夕食を食べ風呂に入って、寝る。そんな変化の何一つない毎日に。
だから、だろうか。いつのまにか、「こんな世界はなくなってしまえばいい」と思っていたのは。そんな妄想に耽っている間は、なにをしていてもどんな場所でも楽しかった。クラスメイトたちは、怪訝な目で彼を見て、ひそひそと話をしながら通り過ぎていく。両親は恐ろしいようなものを見るような目で見つめてくる。しかし、言葉を投げかけることもなければそんな息子の行いを咎めようともしなかった。「そんなこと」に構っていられるほど余裕はなかったのだ。「どちらが息子を引き取るか」という争いはいつのまにか「どちらに息子を押し付けるか」という話に変わっていた。そんな両親の様子に、少年はまた疲労した。
そんなある日のこと。変化が訪れた。
朝、自室のベッドの上で目が覚めた少年は、代わり映えしない毎日に飽き飽きしながらも無為な一日を送るために制服に着替える。階下に降り、リビングに顔を出す。食パンを焼きマーガリンをつけて食べる。冷蔵庫に卵とハムがあったのでハムエッグにして食べる。それだけの簡易な朝食を済ませ、玄関へ。
いつも父、母、自分の順に規則正しく並んでいた靴が自分の分しかなかった。
「でかけたのか・・・」
なんら疑問には思わなかった。いた所でいないのと何も変わらない。靴を履き、静かに家を出た。
家を出て数分。大きな屋敷が見えてきた。そこには、いつもけたたましく吠える犬がいる。それだけならまだしも、門の前にはいつも「いってらっしゃい」と声を掛けてくる老婆がいる。毎日、精一杯の営業スマイルで「いってきます」と声を返す。それが、少年には苦痛で仕方がなかった。
しかし今日は違った。屋敷の前についても誰もいない。犬の声も聞こえない。感じるのは降り注ぐ日差しと撫でるようにやさしく吹いている風と靴越しにコンクリートを踏みしめる感触だけだ。そういえば、今日は誰とも会っていない。会ったところで挨拶など交わしはしない。会釈ですら稀だが、それでも毎日誰かしらとすれ違うものだ。狭い道を、体すれすれで通り過ぎていく車の姿もない。塀の上を身軽に、優雅に歩く猫の姿もない。
しかし、それぐらいの変化はあるものだろう。少年はそう思った。毎日、寸分違わぬ時間にバスは訪れない。電車だって、新幹線だって。時刻表はあれどタイムラグはあるだろう。なら、こんな偶然もあるに違いない。少年は面倒くさい習慣になってしまった出来事を回避できたことに嬉しくなり、少し上機嫌になりながら学校へと向かった。
さすがに、異常を無視できなくなったのはそれからすぐのことだった。
学校。門は閉ざされ、人気の全くない校舎前。いつもは登校時間ということもあり、カップルや、走りながら下駄箱に走るもの、ゆっくりと談笑しながら歩いている女子、朝部活終わりのジャージ姿の運動部員など、たくさんの人間がいるはずだ。少なくとも、前後10分、その光景は続いているはずだ。予鈴開始まで、まだ15分以上ある。何が起きたのか。
門を飛び越え、玄関扉の前に来た。もしかしたら、なにか張り紙が張ってあるかもしれない。それなら連絡網で回せばいいのにとも思ったが、家に電話が来るわけがないかとも思った。誰とも話したことがない。仕方なく、用事があってということなら何度かあったが、それ以外では、全くない。ガラス張りの扉には一枚の紙が張ってあった。
「外から戻ったら、手洗いとうがいをしましょう」
このような内容だった。少年は張り紙を破り捨てた。今日は何かわからないが休校なのだ。そうだ、そうに違いない。一向に人の姿はない。一人だけ来てしまった自分は馬鹿みたいではないか。家路につこうと引き返す。再び門を飛び越え今来た道を逆に辿る。
少年は今になってようやく到った。「ここ」は、「今」は、自分の望みが叶った世界なのではないか。しかし、と思い直す。「世界がなくなってしまえばいい」と、そう思っていた。それは、自分と言う存在もろとも、という意味だ。いわば、リセット。
なのになぜ自分はいるのか。確かに、なくなってしまったも同意だ。何もない。全て残ってはいるが、「本当に欲しかったもの」が全部なくなってしまった。意味がなくなれば、消えたも同じ。
ちょっと待て。「本当に欲しかったもの」って何だ?自分には何もなかった。欲しいとも思わなかったからだ。いらなかったから。手に入れようともしなかった。なのに、さっきから感じる胸の痛みはなんだろう。何もないのに。空っぽだから、痛みを感じる理由などないはずなのに。
「あなたは、さみしかったんじゃないの?」
後ろから掛けられた声。バッと、すばやく振り返る。そこにいたのは、少女だった。
小さい背丈に、全体的に細いスタイル。150行ってるか行ってないかぐらい。その背丈に不似合いな大きい男物のシャツを着ている。隠れるところは隠れているものの、スッと引き締まった足が見えてしまっている。
「誰だよ、お前・・・なにを言ってるんだ」
少女は、輝きを放っていない瞳を少年に向けている。口調は実に平坦。しかし、その様子は少年になによりも威圧感を与えていた。
「誰がさみしいって? 僕はずっと前から世界がなくなればいいって思ってたんだ。ちょうどいい。僕の望んだ世界だよ、ここはっ!!」
自然と、言葉が増える。それはきっと---
「焦っているの? 本音を付かれて。あなたのせいよ、こんな世界になったのは。この世界を直せるのもあなただ・・・」
「うるさいっっ!!!!」
少年は、力の限り叫んだ。喉が、今までにかかったことのない負荷に耐えられない。しかし、叫ばずにはいられなかった。
「この世界は僕の望んだ世界だ、いいよ、僕のせいでもっ!! 誰が直すか、僕はずっと一人がよかったんだ。一人が・・・二人でも三人でもない、一人が・・・っ・・・・・・」
幼いころの記憶。両親は仲がよかった。家では、毎日朝も夜も一緒に食べた。家に帰ってくるのが遅かったお父さんを、お母さんと一緒に待った。一緒にお風呂に入った。仕事が休みの日は、遊園地に行った。水族館にも行った。でも一番嬉しかったのは少し遠くの公園に車でみんなでピクニックに行ったこと。
お母さんの作ってくれたお弁当をみんなで食べる。タコさんウインナーに、卵焼き。いろんな具が入ったおにぎり。他にもからあげ、ハンバーグとプチトマト。梅干入りのおにぎりを食べて苦しむ僕を見て、お父さんとお母さんは笑っていた。笑わないでとも思ったけど、僕もつられて笑っていた。そして水を差し出してくれたお母さんに、ちょっとだけ怒った顔を向けて。そうするとまた笑う。そんな時間が楽しくて。いつまでも続くと思っていた。そう、ずっと終わることはないと思っていた---
「一人でいいんだ・・・人と挨拶を交わすことが面倒くさい、会話することが面倒くさい、顔色を見るのが面倒くさい、なのに、世界は僕の周りに人間を置いていて。だから、やっと楽になれたよ。もう誰とも係わらなくて済むんだ、清々したよ」
「そう。あなたは、正直者ね。気づいていないの?あなたの顔も、体も、何もかもがこの世界を否定しているのに」
少女は、動じると言うことがない。淡々と、事実を述べるのみ。
「だけど、意地を張ってる。素直じゃないわね、口は。悲しそうな目をしている。目は口ほどにものをいうのよ。あなたのお友達、ご両親、何で消えたのか知りたくない?」
少年は、おとなしくなった。もう、無駄な意地は心の中で氷解していた。それよりも、大事なことがあったから。
「何で? それは、僕が望んだから・・・じゃないのか。だから僕だけが残ってて・・・」
「あなた、自分が何様だと思ってるの? そんなわけないでしょう。でも、なんらかの関係はあるかもね」
「どうすればわかるんだ。父さんと母さんがどこに行ったか。あんたについていけばわかるのか」
「そうね。でも、少し違うわ」
「なにが」
「私に出来るのは元に戻すだけ。だから、全てが元の鞘に戻るの。でもそれだけじゃない、かもしれない。私にも詳しいことはわからない」
なんと言った。元に戻る。でも、それだけじゃない。
いつのまにか、かつての世界を羨んでいた。あれほど、なくなってしまえばいいと思っていた世界を。
「それだけじゃない、ってのは・・・なんらかのリスクがあるってことか?」
「そう。ノーリスク、ハイリターンなんてうまい話はない。もしかしたら、今より酷いことになるかもしれない。それでも、っていうなら私が力になる。今のあなたなら、送ってあげてもいい」
少女が、手を差し出してきた。
僕はどうすればいいのだろう。どうしたいのだろう。世界をやりなおす。それは、大いな危険を孕んでいて。下手すればこの状態よりも酷いことになるという。それでも、この手を取れるのか。
脳の逡巡は一瞬。
あっという間に手を掴んでいた。
少女が満足そうに頷いた。目を閉じて、なにやら呪文を呟く。足元が輝き、少女の体も光りを放つ。世界が、色を変えていく。空間にヒビが入り、強い風が吹く。
「狭間 蒼空」
「え?」
「私の名前。いろいろ不便だと思うから」
「あ・・・僕、西園寺 一人。よろしく・・・でいいのかな?」
「うん。よろしく」
この日。なくなればいいと思っていた世界は終わりを告げた。新しい世界は、きっと同じものだけど、全く違うものになるんだろう。そんな予感がしていた。
彼女の手の温もり。久々に感じた、温かさ。いつかの思い出。
ゆっくりと目を閉じる。懐かしい匂いに、身を委ねながら。