勇者の顔を見て思い出した。私はこの後死ぬ魔王軍の幹部じゃない?〜魔王様の我々への裏切りは阻止します〜
太陽光を反射する光に思わず目を細め、光から距離を取るべく一歩二歩と後に下がった。その瞬間鼻先に風が吹き抜け、視線を目の前の者に向ける。
太陽の光を反射しているように煌めく金髪に澄み渡る夏の空を思わせる吸い込まれそうな青い瞳が私を捉えている。その者の手には大剣が両手で握られており、振り切った様に地面に向けられていた。
「よく、避けたな」
見た目は好青年だけど、口調は平民出身であることがわかるように砕けている。
この顔を知っている。いいえ、もちろん彼が勇者であることは知っている。だけど、そういうことではなく、もっと別の知識。
そう、この私の現状です。魔王軍幹部であるサキュバスのリリーベルはこのあと目の前の勇者に殺されるということを。
「しかし、俺は今までの俺ではない!聖剣を手に入れた俺に敵う者など存在しない!」
この後の私は聖剣の試し斬りのように斬られ死んでいく。そして、私を倒していい気になった勇者は次の相手にこっぴどくやられてしまうのです。
しかし、私はこのまま勇者に突っ込んでいくことはしない。私は右手に持っていた棘があるムチを腰に戻し、背中にしまっていたコウモリの様な翼を広げる。
「その金ピカの成金が好みそうな剣が聖剣なの?趣味悪いわー。そんな物の相手する気が無くなったから私は帰るわね」
私は翼をはためかせて、青く澄み渡った大空へ飛び立った。
「待て!逃げるな!」
地上で騒いでいる勇者を振り返り、首を傾げて笑みを浮かべる。私はサキュバスだからそんな脳筋の戦い方は本来向いていないのよという意味合いの笑みを。
騒いでいる勇者の隣に駆け寄っていく銀髪の聖女。
空を飛ぶ私に魔術を放とうとするエルフ。
剣を抜くこともせずに私を仰ぎ見るフルプレートアーマーをまとった騎士。
魔王を討伐すべく旅を続けている勇者の仲間。私の愛しい魔王様の邪魔をする愚かな者たち。
その者たちに背を向け私は空高く舞い上がった。そして、魔王様が支配する暗黒大陸の方向を見て視界が滲む。
私は思い出してしまった。
私は知ってしまった。
前世を。
この世界の結末を。
私はこの世界を知っている。聖女アリアが勇者と共に苦難を乗り越え、愛を育みながら魔王という世界の脅威に立ち向かっていく物語のアニメだった。
魔王は……魔王様は世界を魔族の者たちを日が昇らない暗黒大陸だけでなく、他の大陸にも住むことができるように領土を広げようとされているのです。
そのことが魔族以外の種族の者たちにとって脅威に感じ、魔王様を討ち滅ぼそうと勇者という者を率いて討伐隊を暗黒大陸へと向かわせた。
なんて愚かな種族たちなのだろう。魔王様のお優しさが何もわからない下等なる者たちだと考えていました。
しかし、真実は魔王様は一人の人族に恋をし、その人族を暗黒大陸へ攫ってきたものの一日中夜であり続ける場所では人族は生きてはいけず、元の国へ帰したのです。それからというもの魔王様は心ここにあらずとなられ、側近のヴァンレイド様がその魔王様の想い人がいる国ごと手に入れようと画策し、現状として我々魔王軍があちらこちらで小競り合いを起こしているのです。
そして、私は愛する魔王様に褒めてもらいたく、勇者を倒せばいいと浅はかな考えをもって、何度か勇者を退けるところまでいくも、勇者が行動不能となれば、聖女が勇者をかばい転移で去って行くので、決着がつかないでいたのでした。
本来であれば、今日私は勇者に殺され死ぬはずだったのですが、聖剣を掲げる勇者の顔を見た瞬間、突如として前世という記憶を思い出し、踏み込むはずの足を引いたことで助かったのです。
魔王様。真実を知っても尚、私の愛しい魔王様。
私は魔王様にいつもの報告という名の会いに行くために魔王城に転移をします。
透き通る青い空から一転、暗闇が支配し空には朝も昼も夜も関係なく星々が満たしている闇が支配した魔王様の国。
隊長クラス以上が使用できる二階のテラスに降り立ち、黒く高くそびえ、闇と同化しているため全貌が見ることができない魔王城の中に入っていきます。
青白い光が照らす長い廊下を歩いているけれど、誰も擦れ違うモノなんていやしない。誰もこの魔王城に居ないのかと言えば全く違うのです。
私はリリーベル。サキュバスであり、魔王軍淫魔族を率いる第八将軍の地位を与えられています。私の前に立っていいモノは将軍の地位を与えている13人の将軍と魔王様の側近であるヴァンレイド様。そして、私の愛しい魔王様だけ。
魔王軍は力が全て、私は魔王様に少しでも近づくために第八将軍の地位まで上り詰めたというのに。
私は漆黒の巨大な扉の前に立つ。この先に魔王様がいらっしゃると思うとドキドキします。
大きく深呼吸して、目をカッと見開きます。魔王様の一挙手一投足を見逃さない為に!
「第八将軍リリーベル。ご報告にまいりましたぁ」
扉の前で名を名乗ると、蝶番が重く軋む音と共に扉が両開きで開いていきます。扉の内側は薄暗く玉座の間と言われる部屋の全貌は目視することはできませんが、強く濃厚な魔力が玉座の間の中に満ちており、あまりにも強い力に背中がゾクゾクして高揚してきます。
「魔王さまぁー!ご報告にまいりましたのー」
背中の翼をはためかせて、玉座に鎮座しヴァンレイド様からの報告に耳を傾けている風の魔王様に突撃します。
ええ、突撃です。
「魔王さまぁ。勇者という輩は聖剣なるものを手に入れたようですわぁ」
闇を纏うような髪から天を突き刺す様に捻れた角が二本生えており、鳥のような漆黒の翼を3対折りたたんでいる姿に心が高揚します。私は私の豊満な身体を魔王様のたくましい身体に押し付けるように抱きつき、私が得た情報を報告しました。
え?そのようなことを魔王様にして怒られないのかですって?私に怒るのはヴァンレイド様であって、魔王様は私の行為を咎めることはしません。
「リリーベル!いつも言っていますが、魔王様から離れなさい!」
と言うふうに怒るのはヴァンレイド様です。
「そうか」
いつも通り私の言葉に一言だけ言葉を言われる魔王様。
「魔王さまぁ。リリーベルは必ず魔王様のお役に立ちますわ」
私は頬を赤らめ、そっと手を離し魔王様から距離を取ります。そうして私は入ってきた扉から飛んで出ていくのです。
背後で扉が大きな音を立てて閉まると同時にポロリと涙がこぼれ落ちます。
まだ泣くのは早い。
慌てて城下にある私の家に転移をして、ベッドに倒れ込みます。
「っ──────────────────!!」
枕に顔を押し付けながら私は感情を吐き出します。魔王様の石榴のような瞳は私に向けられることは今まで一度たりともありませんでした。
そして、側近のヴァンレイド様にも。
魔王様の御心は全て一人の人族の女に注がれているのです。
私では魔王様の目にも留まらなかったことが悔しい!
魔王様の赤い瞳に私が映らなかったことが悲しい。
ただの人族でしかない女が憎い。
我々の魔王様の御心を独り占めしている女が恨めしい。
真実を知った今、魔王様に失望しているかと言えば、今も変わらず私の心は魔王様で満たされています。
ただそこに愛情と憎悪が入り混じり、魔王様に尽くす気持ちには変わりありません。
魔王様。貴方様のために私は尽くしましょう。
「リリーベル将軍」
ベッドでうつ伏せていますと私に声をかけてくるモノがいます。この声は私の副官であるインキュバスのガリウスです。
「何かしら?」
私はうつ伏せのまま応えます。
「何かございましたか?」
何も無かった。ただ、私が変わってしまっただけ。私は身を起こし、見た目は金髪に甘いマスクの優男に見えるガリウスに笑みを向けます。魔王様と比べればその辺の小石程度のモノ。いいえ、魔王様と比べれば全てのモノが雑草にすぎません。
「何もなかったわ。それで、報告をしてくれるかしら?」
これでも私は淫魔をまとめる第八将軍。自分の責務は忘れてはいません。
「はっ!第一から第十部隊まで順調に各国の要人に接触し、籠絡していっています」
「そう、魔王様が世界を支配する日も近いわね」
「ただ、リリーベル将軍の命令で一番優先事項の勇者への接触が中々できないでいます。人材を代えて送り込んではいますが……」
ああ、そう言えばそのような命令も出していたわ。勇者を骨抜きにしてしまえばいいという私の浅はかな考えでした。
「その命令は取り下げるわ。勇者一行には私が直々に手を下します」
「リリーベル将軍が御自らですか!流石でございます」
別に流石というほどのことではないですわね。
「二、三日休んでから、人族の領域に飛ぶから他のモノたちへの指示はガリウス副官にまかせるわ。全ては魔王様の手に世界を捧げるために」
「了解いたしました!全ては魔王様の手に世界を捧げるために!」
そう言ってガリウスは消えるように去っていきました。そして、再びベッドに倒れ込みます。
物語には続きがあるのです。魔王様は愛した人族の女が、もうこの世にはいないことを知り、魔王城で姿が見えなくなります。そして、魔王様がどこで何をしていたかといえば、人族の姿に扮して勇者一行と行動を共にして聖女に恋心を抱くのです。
あの魔王様がただの人族にすぎず、勇者に恋をしている聖女を好きになるだなんて!絶対にこれは阻止しなければなりません!我々魔族を裏切るような行為は例え魔王様だとしても許されざること。
最終的には次期魔王と噂高い第一将軍の堕天使サイザール様によって殺されるのです。
絶対に!あのいけ好かないサイザール様に魔王様が殺されるなんて許しません!
しかし、私が逆立ちをしてもサイザール様に敵いませんので、この未来を別の方から代えていかなければなりません。
私はサキュバスのリリーベル。脳筋の様に正面から戦いを挑むのではなく、サキュバスとして人の心を堕とせばいいのです。
その対象人物は勿論勇者!……ではなく、フルプレートアーマーをまとっていた騎士の方です。勇者が私になどになびかないのは、前世の記憶から理解しましたので、お付きの騎士を堕とすのです。
大体の方針は決まりました。いつまでもメソメソしていれば、魔王様が愛した人族の女が死んでいるという情報を得てしまいます。それまでに、私は勇者一行の一角である騎士を堕とし、勇者達の力を削ぐ。これが私が魔王様に捧げる最後の“愛”であり“憎”であります。
そうと決まれば、ベッドから起き上がり姿鏡の前に立ちます。
ふわふわとした薄紫の長い髪に、バラのような鮮やかなピンクの瞳がうるうると私を見てきます。豊満な胸に引き締まった腰からふくよかなお尻ラインに沿うような濃紺ドレスが真っ白な肌を際立たせています。そして、太ももから入ったスリットからは引き締まった足が見え隠れしています。
黒色は魔王様の色であるため、将軍の地位に付くものは黒に近い濃紺の色を纏うことが許されているのです。
なんて破廉恥なドレスなのでしょう。胸がこぼれ落ちそうなのですが?今までの私は何故この姿を何も思わずにいられたのでしょう。
クローゼットを開いてみますが、同じ様な身体のラインを強調した衣服ばかり。まぁ、私はサキュバスなので、その様にある存在ですから、仕方がありません。
ベッドの側にある呼び鈴を鳴らします。
“リン”の“R”の時点で扉がノックされました。いつも思いますが、扉の前で手を構えたまま待機をしているのでしょうか?
「入ってきて」
私の寝室の扉をノックしてきた使用人に入る許可を与えます。え?先程副官ガリウスは勝手に入っていたではないかと?あれは父親が違う弟なので、昔から私の部屋に勝手に入ってくるのはかわりません。
「失礼します」
「人族の領土に潜伏したいのだけど、目立たない服装はないかしら?貴女が着ているようなメイド服でもいいわ」
私がここにある以外の服は無いのかと使用人に聞いてみると、固まったように動かなくなってしまいました。無いのかしら?予備のメイド服。
「ご主人様。仕える身で意見を口にするのはおこがましいと思いますが」
「良いわ。何か問題かしら?」
「はい。ご主人様はどの様な服装でも目立ってしまうと思われます」
確かに人族ではピンクの瞳の者なんて見かけなかったわね。
「では、貴女が着ているようなメイド服でいいわ」
「それは卑猥な感じに……いえ、もしかしてご主人様は敢えてそのような感じを狙っている?」
何をボソボソ話しているのでしょう。小声過ぎて聞こえません。
「かしこまりました。ご用意してまいります」
そう言って使用人は下がっていきました。
あと二、三日後に恐らく勇者一行と第九将軍である人狼ヴォルフとの戦闘があるはず。人狼ヴォルフを倒すものの勇者も瀕死の怪我を負い、聖女とエルフが看病するシーンがあった。
ということは騎士は一人でいるはず。私はそこから接触をもてばいい。それまでタイミングを測るために、何処かに潜伏しておかなければならないのです。
ここは王都と辺境を繋ぐとある国のとある街。それなりに大きな街ですので、人々の往来が多く、我々のような人の姿に近い魔族が潜伏するにはよいところです。
「リリーベル将……様。どうやら、あの宿場に勇者一行が滞在しているようです。昨日、ヴォルフ様の命がけの攻撃にかなりの深手を負ったようです」
私の配下であるサキュバスの情報によると、思っていたより早くヴォルフとの交戦があったようです。私との戦いが無かったために、進む速度があがった所為でしょうか。
「しかし、その御姿はなんて卑……いいえ、見せつけるよりも、隠されることで放たれる色気。これで手負いの勇者もイチコロですね」
配下のサキュバスは何故かクネクネしながら、私を見てきます。
私の格好は普通の町娘の格好です。使用人の服装は着てみたものの、他の使用人からダメ出しをされたので、今は詰め襟のワンピースに腰をベルトで押さえ、ふわりと広がる裾の長いスカートにショートブーツを合わせたその辺りにどこでもいるような町娘の格好にしたのです。これで目立つことはないでしょう。
それから私の狙いは勇者ではありませんよ。
月明りに照らされた一軒の宿場を見つめます。一つだけ深夜にも関わらず明かりがともった部屋があります。恐らくあそこが勇者が担ぎ込まれた部屋でしょう。
「では、今回は挨拶に行ってきますわ」
「いってらっしゃいませ」
頭を下げて見送っている配下を背に私は暗闇の中を進んでいきます。宿場の入り口の前に立ち月の光で作られた影の中に入り、建物の中に影を伝って入っていきます。サキュバスとしてはこのような侵入は息をするようにできること。
建物の中に入ると息をふぅーと吐き出します。眠りを誘う吐息ですわね。そこからしばし待ってコウモリの様な翼を出して浮遊しながら目的の人物を探し出します。
え?夜中にわざわざ眠りに誘う必要はないだろうって思っています?
あの騎士が勇者が使い物にならない状態で眠るとは思いませんので、強制的に眠ってもらいましたの。
そう、外から見て明かりが付いていた部屋の扉の前で置物のように直立不動で立っているフルプレートアーマーのようにですね。
この様な状態で寝ているなんて信じられないですわね。そして危険なため腰の剣は預かっておきましょう。なるべく触れないようにそっと剣を柄から抜き取ります。
さて、夢の中にお邪魔いたしましょうか。
ざわざわと人々が歓談に楽しんでいる声が耳に入ってきて意識を集中させると、きらびやかな大きな空間に人々が集まり、その者たちは一様に着飾った姿をしている会場に私は立っていました。貴族のパーティー会場のようです。このような夢をみているとは意外でした。
そこには言葉遊びを楽しんでいる者たち。中央でダンスを踊っている者たち。この場の雰囲気を楽しんでいる者たち。
その中でも一際人々が集まっている場所がありました。キラキラの金髪が垣間見えることからあの辺りに勇者がいるのでしょう。
私は浮いている町娘の格好から、一度だけ着た使用人の格好になり、会場の中に溶け込みます。勇者の近くにいるだろうと思ってみると何故かフルプレートアーマーは壁際から勇者と聖女とエルフを眺めているようでした。
自分はあのきらびやかな世界には入ってはいけないということでしょうか?
私は背後の壁の中からフルプレートアーマーに近づきます。夢ですからね。壁を通り抜けることぐらいできます。
「良いパーティーですわね。貴方はあそこに行かなくて良いのかしら?」
私が声をかけるとフルプレートアーマーは手を腰に掛けて勢いよく振り向きました。
「貴方の剣は私が預かっていますわ。今日はお話に来ましたのよ?」
そう言って私は胸に挟むように抱えた剣を見せつけます。そう、現実で取り上げた騎士の剣です。
「うっ……なんのつもりだ」
「ですから、お話に来たのです」
「俺はお前と話すことはない」
確かに敵である私に騎士から話すことはないでしょう。ですが、私にはあるのです。
「騎士アベル。私は貴方を魔王軍にお誘いしにきましたの」
すると途轍も無い殺気を放ってきましたが、魔王様のお力に比べれば赤子同然。
「ねぇ、騎士アベル。貴方はここに居場所を感じていないから、この様な壁際に立っているのでしょう?」
「黙れ」
「居場所なら私が作って差し上げてもいいわよ?」
「黙れ」
「魔王軍は実力主義ですから自分で居場所を作ることも可能ですわ」
「黙れ!」
「ですから、私と共にまいりませんか?魔王軍に」
「黙れと言っている!」
まぁ、このような言葉如きでは彼が納得しないことは理解しています。
ですから、もう一歩踏み込みます。
「貴方はこの先このままいけば、貴方の父親の手で殺されます。貴方はあの方には敵わない」
「お前、何を言っている」
「貴方は魔族の血を引いている。巧妙に隠していますが、私にはわかっていますよ」
押し黙ってしまいました。私の言葉の意図を探っているのでしょう。
「人の世界では生きにくいでしょ?人は脆く弱い生き物。貴方は魔物や異形な姿をした魔族であれば剣を抜いていましたが、人の姿をした私には一度たりとも剣は抜きませんでした。勇者は嬉々として私に剣を向けていたにも関わらずです」
そう言って、ふわりとした笑みを騎士アベルに向けます。騎士アベルは人の姿にコウモリの様な翼と細く長い尻尾がある私に対して一度たりとも剣を抜いたことはありませんでした。それは私が単独で戦いを挑んでいたということもありますが、魔族と人族の力の差は歴然。普通であれば1対多数で攻めるのが定石です。それを騎士アベルは避けていました。
「俺に魔族の血が混じっていようが俺の剣は魔族を斬ることのみに準じる。それが騎士だ」
やはり一回での説得は厳しいようです。私は未だにキラキラと輝いている騎士アベルの夢の中の中心に視線を向けます。このキラキラとした夢はアベルの望みが込められているのかもしれません。
「今回はお誘いの話をしにきただけですので、また来ますね」
「来なくていい」
「お誘いにまた来ますよ。そうですね。勇者の怪我が治って大雨で足止めをされた日に」
「大雨?」
「そうです大雨です。これが当たれば貴方の死の信憑性も出てくるのではないのでしょうか?」
そう言って私は騎士アベルの夢から抜け出し、剣を直立不動で立っているフルプレートアーマーの横に立てかけ、影の中に沈み込みます。またお会いいたしましょう。
あれから5日後にバケツを引っくり返したような大雨が降り出し、その大雨が3日間続いています。この季節にこの地域ではよくある気象のようです。
「リリーベル様。勇者たち一行はこの長雨で足止めされているようです」
配下のサキュバスが報告してくれます。
「3日間も外に出られないとなりますと、勇者も大断になってきましたね。聖女とエルフと部屋に籠もって仲良くしているみたいですね。英雄色を好むといいますが、あの聖女とエルフのどこがいいのか私には全く理解できません」
このサキュバスは勇者を誘惑して失敗したのでしょう。私も以前であれば同じ感想をもちましたが、今では勇者を堕とそうだなんて爪の先程も思いません。
「さて、私も仕事に行きましょうか」
「え?リリーベル様。あの中に交じるおつもりですか?まさかの4○」
何を言っているのですかね。私が堕とすのは騎士の方です。
私は影の中に潜ります。先日騎士の剣に私の魔力の痕跡を残しているため、それを頼りに影の中から身を出します。
「こんばんは。騎士アベル」
今日は眠りには誘わずに、そのままで騎士アベルの前に出ていきます。今日は部屋の中にいるようですが、部屋の中の窓に寄り掛かるように立っているフルプレートアーマーがいました。ある意味怖いですわね。
「よい雨の夜ですわね。私のお誘いの話を受けてくれる気になりましたか?」
「長雨をわざわざ作り出していう言葉か」
あら?私がわざわざこの雨を作り出したと思われてしまっているのですか?
「ねぇ。私はサキュバスだからこういう天候の操作は苦手なのよ。それにこの街の人から話を聞けば、この様な嵐はこの時期によくあることとわかるはずだけれど?」
無言ということは、街の人とコミュニケーションをとっていなかったということですね。
「理解していただけました?私は今回行ったことは貴方の魔王軍へのお誘いのみ。それ以外は何もしていませんわよ。隣の部屋の盛っている猫も勝手に盛り上がっているだけなので、私は何もしていませんわよ」
そう隣ではニャーニャーと盛っている猫の声が聞こえてきますが、思いっきり二股を掛けている勇者がやらかしていることです。私は何もしていないと両手をひらひらさせて、冤罪を掛けないで欲しいアピールをします。
「そこは別に疑っていない。勇者カインにけしかけるのであれば、今まで通り配下の者を送ってきただろう」
あら?気づかれていたのですか。あの子たちは何かヘマでもしたのでしょうか?
「わかってくれて嬉しいわ。それで、私のお誘いを受けてくれる気になりました?」
私は首を傾げて問いかけます。
「何故、俺が殺されると確定している」
それは疑問にも思いますよね。私は猫が鳴いている隣の部屋を指し示します。
「聖女とは恐ろしい存在ですわね。サキュバスである私よりも強い魅了の力を持っています。だから、勇者は私の配下にはなびかなかった。そして、この先貴方の父親が聖女と出会い、居場所を得るために貴方を殺す。例え血が繋がった存在であろうと、あの方には何も意味をなさないのです」
「居場所を奪うため?意味がわからない」
隣を差していた指を騎士アベルに向けます。
「それは騎士アベル。貴方の姿かたちがあの方にそっくりですから」
「そっくり?この恐ろしい姿がか?」
騎士アベルはそう言ってフルフェイスを脱ぎ去りました。そこには雨が上がり雲の隙間から月明りが室内に差し込んできて、その姿がいっそ顕になります。漆黒の髪に私を睨みつけるような柘榴のような瞳。私の姿が柘榴の瞳に映ったことに打ち震えます。
「ええ、よく似ていますよ。騎士アベル」
ただ、魔王様とは違い圧倒的な力は感じませんし、漆黒の髪から出ている角は見えるか見えないかぐらいの大きさしかない。まだ、力が十分育っていない証拠です。
「あの方は血のつながる貴方を探そうとするきっかけがこれから起こります。そして、貴方と共に旅をする聖女に心を奪われ、全身を鎧で隠した貴方と入れ替わろうとし、貴方を殺しあの方は騎士アベルとなり勇者と共に旅をするのです」
「そのような話をされても根拠もない未来の話をされても信じるに値しない」
確かに根拠も何もありはしません。私にあるのは前世の記憶しかないのですから。クスクスと自笑する笑みが溢れます。これは一種の掛けです。
「貴方のお母様は、あの聖女のような方ではなかったですか?」
「は?聖女アリアのよう?」
「そうあの絶壁と言っていい体つき。あ、失礼しました心の声が漏れました。儚げな容姿でありますが、心が強く周りの人々に手を差し伸べる人という感じです」
「絶壁」
「そこは拾わなくていいですわ」
しかし、この魅惑的な私が押し迫って、魔王様の目に留まらないということは、どう見ても勇者と同じく幼児体型が好みだということではないですか!あの聖女もあのエルフも絶壁!悔しいですわ!
「言われてみれば、その通りだが……」
「あの方に会えば全てわかります。あの方は貴方のお母様だけを愛していると、ただ国に帰った貴方のお母様は幸せでしたか?」
これも私の予想ですが、魔王様が愛した女は騎士アベルを産み落としたことで、人としては扱われなかった可能性が高い。
「貴方は父親に貴方達が受けた理不尽をぶつけるべきではないでしょうか?貴方はその理不尽を黙って受け入れてきた。それは吐き出すところがなかったからです」
騎士アベルは赤い瞳を動揺しているかのようにゆらゆらと揺らめかせています。もう一声でしょうか。
「貴方の居場所は私が作って差し上げましょう。貴方はまだまだ強くなれます。人の世界では今が限界でしょうが、魔族と共に居れば、貴方の力は飛躍的に伸びます。貴方の父親に今までの鬱憤を叩きつける機会も与えましょう。ここで勇者のおもりをしているより、貴方本来の姿で過ごす未来が楽しい日々であることを私は約束しましょう。騎士アベル。いいえ、魔人アベル。貴方は勇者の手を取りますか?それとも私の手を取りますか?」
隣で盛っている猫の手を取るか。悪魔的に甘い言葉をささやく私の手を取るか。
アベルが出した答えは、私の手を取るでした。これも私の策略でした。勇者が聖女とエルフに手を出すことは知っていました。アニメでは朝チュンで終わっていましたが、現実はかなり生々しかったです。そのような状況の勇者に仲間として命を預けられるかと私は問うたのです。
それはもう、甘い言葉をささやきながら、魅了を使う私になびくでしょう。
「これから父親に会うのか?」
フルプレートアーマーを抜いで軍服のような灰色の衣服を身に着けたアベルは最高です。これが漆黒であれば何も言うことはないですが、魔王様の色を纏うわけにはいきません。
「ええ、そうですよ。ああ、それにしてもよく似合いますね」
「サキュバスは俺の父親の事が好きなのだろう」
あら?少しすねたような感じで問われてしまいました。着々と私の魅了が効いているようです。このまま私が居なけれが生きていけないぐらいにグズグズにしてあげましょう。
「私のことはリリーベルと呼びなさい。これでも第八将軍の地位を得ているのですよ」
「わかった。リリーベル」
「ふふふっ。アベルはアベルとして好きですよ。あの方はそうですね。絶対的な存在であるあの方は人で言うところの“神”ですわ。全てを捧げても苦ではない尊き存在。けれど、アベルは私だけのアベルですわ」
そう、この柘榴の瞳に映るのは私だけでいいのです。そのアベルにフード付きの外套を被せ、魔王城の中を歩きます。
「ここ数日過ごしているが、本当に夜しかないのだな」
「ええ、それが暗黒大陸ですもの」
「リリーベル。なんだか段々と気が重くなってきたのだが」
「あっ。あの方の力に耐性がありませんでしたね。私の魔力で包んであげましょう」
私はアベルの周りを私の魔力で覆います。魔王様の謁見で部下を連れて行く時によく使います。
「楽になった。リリーベル感謝する」
アベルは礼を言ってきます。そのフードの中の柘榴の瞳は私に向けられていました。彼の姿はアニメでは過去のシーンで魔王に殺されるところしか映像化されていませんでした。前世の私は死に際のシーンを見て思ったのです。魔王は碌でなしだと。
私はその魔王がいる玉座の間の扉の前にアベルと共にたどり着きました。
「第八将軍リリーベル。ご報告にまいりました」
すると蝶番の軋む音が響きながら扉が開いていきます。
漆黒の闇の中に浮かび上がる私の最愛の魔王様。愛しく憎らしい姿を私の瞳に映し一歩踏み出します。
「魔王様!リリーベルは魔王様のお役に立つ者を連れてきましたの。この者の話を聞いていただけますか?」
私の言葉に答えたのは魔王様ではなく、側近のヴァンレイド様です。
「こちらに連れてきなさい」
魔王の姿を見て固まってしまっているアベルの腕を掴んで、私は玉座の前に進んでいきます。そして、いつもはしない床に跪いて魔王の言葉を待ちます。この姿にヴァンレイド様は眉を上げ私の行動に違和感を感じているようです。
「姿を見せなさい」
ヴァンレイド様の言葉にアベルはフードをとります。
「っ!」
ヴァンレイド様は口に手を当てて声を出すのを押さえているようです。そして、魔王は柘榴の瞳でアベルを捉えます。その姿に私は笑みを浮かべます。
「この者は私の元で魔王軍として働いてもらうことにした魔人アベルですわ。アベル。魔王様に言いたいことを言いなさい」
「リリーベル!何を勝手な……」
私の勝手な行動を諌めようとするヴァンレイド様を睨みつけ、黙るように促します。この場に外野は必要ありません。
「母は運命に翻弄されたとよく言っていました」
アベルが感情がない機械のように淡々と話しだしました。
「俺を産んだ母は牢の中で一生を終えました。魔族を産んだ魔女として蔑まれて数年間を生きました。母は必ず父親が迎えに来てくれるからと夢物語を語るように言っていました。何故、俺の父親は母を迎えに来なかったのでしょうか?」
感情が浮かんでいない問いに対して、魔王の柘榴の瞳に炎が灯りました。私はその瞳をみて増々笑みを深めます。
「ヴァンレイド」
大地を揺るがすような低い声が玉座の間に響き渡りました。名を呼ばれたヴァンレイド様は恍惚した表情をして魔王に向かって跪きます。
「はっ!」
「お前たちは今まで何をしていたのだ?ローズが居ない世界に何の意味がある?ないだろう?」
ああ、なんて勝手な言い分なのでしょう。
「人類を駆逐しろ!人という種族など必要ない」
なんて傲慢な考えなのでしょう。ただ一人の女の死に対して言う言葉ではありません。
ですが、魔王様?これが私が捧げる“愛情”であり“憎”です。私を見ない柘榴の瞳など憎しみに囚われてしまえばいいのです。
後日。
「リリーベル。あれは何をしているんだ?」
日々、他の魔族たちに魔王のご子息ということで、色々もまれた結果、淫魔部隊の隊長クラスまで昇進したアベルが目の前の光景を指して言いました。
「堕天使サイザール様に命乞いをしている勇者ですわね。醜いですわ。やはり聖女が居ないと勇者など虫けら同然ですわね」
「しかし、リリーベル。良かったのか?」
「何がです?」
「聖女アリアを魔王に献上して」
そう騎士アベルを失った勇者一行は進むペースがぐぐっと遅くなり、何度も魔族から返り討ちされる回数が多くなったのです。人として逸脱した力を持ったアベルは実は勇者一行の要だったのです。そこで騎士アベルと魔王が入れ替わっても騎士アベルの強さは勿論変わることはなく、何も問題はなかったのです。ですが、アベルを失った勇者一行は剣を失ったように攻撃力が落ちていったのです。
そして、次に攻めるとなれば、聖女アリアです。
堕落の涙という聖属性を失わせる水を飲ませれば、ただの人族の女となり下がり、魅了も結界も回復の魔術が使えなくなり、何も恐れることなくなるのです。
そんな女など、あの魔王の慰み程度には役には立つでしょう。人の身でしか無い女など儚い生き物に過ぎません。
「ええ、魔王様も大変お喜びいただいて、私とアベルの婚姻を認めてくださいました。私とアベルの役に立って聖女も喜んでいることでしょう」
「あ、いや、食べ物が食べられないとか水があわないとか、家に帰りたいとか嘆いていると噂に聞くが?」
「あら?聖女のお陰で魔王様は人類を滅ぼすという計画をお止めになったのですよ。魔王様に紹介した私とアベルに感謝すべきですわ」
「あ……うん。それでこれはどこまでリリーベルの計画の内だったのだ?」
アベルの言葉に私は笑みを向けます。私を見下ろす柘榴の瞳はこの世界で一番美しい赤色。
前世の記憶を思い出した時点で私は手に入れようと思っていた。あの場で死ぬはずだった私がアベルの命を手に入れようと。
「全てよ。愛しい私のアベル」
_________________
「まだ続くそうよ」
「なんの話だ?リリーベル」
「何故か読まれているそうだから、別のサイトで文字数合わせのために書いた話を投稿するそうよ」
「文字数合わせって、どうなんだ?」
「後日談的な感じの、中途半端な話だそうよ」
_________________
「あら?そうなの?」
私は日が昇らず朝なのか夜なのか判断がつかない薄暗い寝室で副官のガリウスからの報告をベッドの上で耳にしました。
「はい。そういうことですので、本日“天月の刻”に会議が開かれますので、リリーベル将軍に招集がかかっています」
「わかったわ。今日は満月だったかしら?」
「はい。ですのでお時間はまだございます」
報告してきた副官ガリウスに手を振って退出していいという合図をしますと、頭を下げて寝室を出ていきました。
会議。面倒ですわね。
「リリーベル。“天月の刻”というのと満月は関係するのか」
アベルが後ろから抱きしめて来ました。私は身を捩り、アベルに視線を向け、柘榴の色をした瞳を見つめ笑みを浮かべます。
「日は昇らないけれど、三つある月の内、一つは暗黒大陸の上に昇ってきますから、時刻を決めるには月の満ち欠けと位置で決まっているのよ」
「ん?それだと毎日の時刻が変わってくることになるが?」
「いいのよ、それで。ここに来て時間に縛られることなんてなかったでしょう?」
「確かに」
アベルは納得したようにつぶやきます。この暗黒大陸に時刻というものは基本的には存在しません。しかし、各種族のトップである将軍が集合しなければならない時がでてきますので、その時は月の位置で決めているのです。
まぁ、適当ということですね。
「そもそも種族ごとに活動する時間が違うから、時刻なんて決めても仕方がないのよ。人族のように太陽と共に生きているわけではないのだから」
そう言って私はアベルに口づけをします。人として生きていたアベルにとってこの国に来てよかったかどうかは未だに聞けないでいます。
しかし、アベルがこの暗黒大陸に来て半年経ちました。その半年の間にアベルの身体は魔王様と同じぐらいにひと回り大きくなり、二本の角も幾分か伸びています。魔の者として成長している証拠です。
ただ、この私の手を取ることを選んだのはアベル自身ですので、後悔するのであれば、己を責め恨むことでしょう。
「しかし、また勇者なのか」
アベルは私の首筋を甘噛しながら聞いてきました。こそばゆく思わず笑い声が漏れてしまいました。
「ふふふっ。今度の勇者はどのような者なのかしらね」
以前の勇者は第一将軍の堕天使サイザール様に命乞いをしたものの、始末されてしまいました。
物語であれば、あの勇者はサイザール様を相手にすることなく世界を平和に導きましたけれど、魔王様からの我々のやり方がヌルいとのお言葉の所為で人類側への攻撃が一気に過激になったことで、世界を平和に導くはずだった勇者は命を落とすことになったのです。
全て私が行ったことがきっかけではありますが、なんとも皮肉なものです。あの時死ぬはずだった私が生きており、世界を救うはずだった勇者が死んだ。
ですが、たった半年で勇者と呼ばれる者が現れたということは、恐らくこれは世界の修正力が働いたのかもしれません。
魔王様はこの暗黒大陸を統べる王として存在しています。それを世界が“良し”としなかったとすれば、この短期間に勇者が現れたことにも納得がいきます。
世界が相手となりますとこの強敵に敵う存在などいるわけはありませんので、潔く負けを認めるしかなさそうですわね。
今日の会議でどのような話が出てくるのか楽しみです。
“コンコンコンコン”と寝室の扉がノックされる音が室内に響いてきました。
「ご主人さま。そろそろお着替えをされませんと、会議のお時間に間に合いません」
あら?もうそんな時間になるのかしら?アベルと遊んでいますと時間が経つのが早いですわね。
「入ってきていいわ」
私が入室の許可を出しますと5人の使用人が入ってきました。
「ご主人さま。本日のお召し物は如何いたしましょうか?」
「このアーザイという民族衣装はいかがですか?」
「東の島国のこの神を祀る者が着るという衣装はいかがですか?」
「この布地の刺繍が美しいチョーサンはいかがですか?」
「今日は会議とういうことですのでゴシック調のドレスはいかがでしょう?」
私が身体のラインを強調した衣服以外を求めてからというもの、使用人たちは世界中に散っている淫魔族の情報網を駆使して、色々な衣服を集めてくるようになり、今では個人個人の今日のお勧めを持ってくるようになりました。
一番目の衣装はベトナムのアオザイに似た涼し気な衣装です。二番目は赤い袴が印象的な巫女の衣装です。三番目は総刺繍が美しいチャイナ服です。四番目は紺色をベースにしたゴスロリのドレスです。
私からすれば、これはコスプレとしか言いようがありません。私が遠い目をしていますとアベルが真剣に衣装を選んでいます。
「これがいい」
決まったようです。アベルが私の着る衣装を決めるのがここ最近の日課となっていました。
薄暗く青い光に照らされた魔王城の廊下を進んでいきます。毛足の長い絨毯が先の見通せない廊下を満たしていますが、その先に人影は誰ひとりとしてありません。
そう将軍の地位にいる私の行く手を阻む者は居ないということです。
その私の背後には副官のガリウスとアベルが並んで付いてきています。アベルはなんと半年足らずでガリウスと並ぶまでになったのです。なんだか何れ私が追い越されそうですわ。
「リリーベル将軍、今日は普通でありますね」
副官ガリウスの今日の衣装に対する感想です。普通……今日私が着ているものは、詰め襟の上着は分厚い生地で堅苦しい感じはあるものの、袖に向かうに連れ広がり袖口はレースで覆われ、胸元も同じくレースでふわりと覆われ腰のラインから太ももの辺りまで広がるようなスカートの裾も幾重にもレースが施されています。色調としては全体的に濃紺の生地ですが、レースは私の髪に合わせたかの様に紫の色を取り入れていました。そして足元はニーハイにパンプス。頭にはヘッドドレスに覆われ、薄い紫の髪は緩やかな縦巻きロールに仕上がっています。
完璧にゴスロリファッションです。これのどこが普通なのでしょうか?ガリウスの目が腐っているしか思えません。
しかし、使用人が用意して、アベルが選んでくれた衣装に文句はありません。
「あら?似合っていないのかしら?」
「いいえ。似合っていらっしゃいますが、最近は部下の者たちがこぞって将軍に似合う衣装探しに奔走していますので、今日はドレス姿なのですねと思っただけです」
確かにフードにうさみみが付いていたり、一枚の長い布地を巻き付けただけのものを見せられたときはどうしましょうかと思ったときもあります。今日はゴスロリですが、ドレスではありますね。
そんなどうでもいい話をしていますと、薄暗い廊下の前方に人影が見え、その人物が近づいて来ていることがわかりました。今日は会議があることが事前に報告されているでしょうから、この会議室に繋がる廊下を歩いている人物は決まってきます。
「相変わらずお早いお着きですね。第三将軍淫魔のリリーベル殿」
胡散臭い笑顔を浮かべて私の前に立ち塞がりましたのは、この薄暗い廊下でもキラキラと光りをまとっているかのように煌めいている長い銀髪を背中に流し、月のような琥珀色の瞳を私に向けてきている、第一将軍堕天使のサイザール様です。
濃紺の軍服のような衣服の背後には一対の鴉のような黒い翼を背負い、頭上には漆黒のトゲトゲしい輪を掲げた、正に堕天使そのものの姿をしています。
そして私を第三将軍と呼んでいますが、私が勇者一行を切り崩すきっかけを作り、魔王様に贈り者を贈ったことが評価され、第三将軍の地位を賜りました。因みに勇者に破れた人狼族は将軍の席から外され、代わりに魔猿族が将軍の席を賜りました。
魔王軍は力が全て、この辺りはとても厳しいのが現実です。
私は私の行く手を阻んできました堕天使サイザール様に微笑みを浮かべ頭を下げます。序列的にはサイザール様の方が上ですから。
「第一将軍堕天使のサイザール様。今宵は良い月の夜ですわね」
これはただ単に、こんにちはという挨拶のようなものです。
「ええ、月を遮る雲がない空も珍しいことです」
どうでもいい挨拶は良いので、私の前に現れた理由を言って欲しいですわ。いつも思いますが、この胡散臭い笑顔はムカつきます。
「それにしてもいつも遅れてこられる第一将軍堕天使のサイザール様がこのような早い時間に如何いたしましたの?」
記憶を取り戻す以前の私が会議室に一番乗りをしていたのは、万全な体制で魔王様を迎えるためでありましたが、今は社会人としての癖が出ており、5分前行動を心がけているので、月が中天に差し掛かる前に会議室に入るようにしているのです。
「ものは相談なのですが」
サイザール様の笑みが口が裂けるように深みを増しました。これは碌な相談ではなさそうですね。
「貴女は魔王陛下に人間を献上していましたね」
「そうですわね」
「その献上ブツがそろそろ弱ってきたというのはご存知でしょうか?」
聖女はこの暗黒大陸に来てから食が細くなり、気が触れているかのように叫んでいるというのは聞いていましたし、この日が昇らない魔王様の国で人が生きることが出来ないこともわかっていましたし、そもそも魔王様の膨大な魔力に普通の人は耐えきれません。
聖女はよく保った方だと思っています。
「ええ、知っていますよ」
「また、献上ブツでも考えているのでしょうか?」
この問いにはどういう意図があるのでしょうか? さて、どう答えるのが正解でしょうか?
「それは魔王様の御心次第ではないでしょうか? 我々は魔王様の配下であります。魔王様がお望みとあらば、私はそのようにいたしましょう」
「くっ……ははははははははっ! 貴女がそのような事を言うのですか? 魔王陛下に対して行った不敬を私が知らないとでも?」
「不敬ですか?」
私は心外だと言うふうに、不満そうな表情を浮かべます。
「不服そうですね。では言い換えましょう。魔王陛下の身体を傷つけずに、精神攻撃を行い魔王陛下の意思の操作を行った大罪です」
「あら? 私は敬愛する魔王様に攻撃など一切行っておりませんわ」
私は魔王様に対して攻撃は一切行っておりません。ただ現実を突きつけただけです。貴方の愛した人族の女は同じ人族に迫害され殺されたと。
「そうです。貴女は攻撃はしていない。ですが、魔王陛下が受けた傷はとても深いものとなっています。あんな鶏ガラのような下等生物を愛でるぐらいに」
鶏ガラ。確かに食べ物が食べられず、魔王様の命令で人族領にある食べ物をこちらに運んでいるものの、“魔”がはびこる領域では新鮮な物は直に腐り果て、硬い殻に覆われた木の実などのごく一部のものしか、聖女の口に合わなかったのです。それは増々やせ細ってしまいますわね。
「ここで相談なのですが、私と手を組みませんか?」
何故私がいけ好かないサイザール様と手を組まなければならないのでしょう?
「意味がわからないという感じですか? 少なからず貴女は魔王陛下の事を良くは思ってはいない。そうですよね。私はあのような魔王陛下に支配されたくはありません。ならば、私が魔王に成ればいいと思いませんか?」
全く思いません。私は今でも魔王様に対する愛は変わりありません。
物語と同じ様に聖女に執心しているようですが、どちらかというとアデルの母親の代わりのような感じです。魔王様にとって今の聖女は、聖女という女の人となりを知らずに私が送り付けただけですので、愛でる者のような扱いに近いです。
聖女を失ったとき魔王様はどうされるのでしょうか? 再び心をどこかにとばされるでしょうか? それとも魔族を率いる王に戻られますか? それとも恋を追いかけるただの男と成り下がりますか?
それでも魔王様が魔王であることには変わりはないでしょう。
「第一将軍堕天使のサイザール様。魔王が魔王である所以は何でしょうか?」
「魔王が魔王である所以?」
私が言いたい意図がわからないようにサイザール様の美しい顔の眉間に深々とシワが寄ります。
「魔王様の前の魔王様をご存知でしょうか? ……そう誰も知らないのです。唯一ご存知であろうと思われるのが、魔王様ただお一人。何故でしょう? 不思議だと思われませんでしたか?」
サイザール様はそのようなことは考えもしなかったと言わんばかりに目を見開き私を見てきます。
「では、例えば第一将軍堕天使のサイザール様が魔王様を弑逆されたとしましょう。それで貴方が魔王になったと何が証明してくれるのでしょう。我々は魔王様を前にして魔王という存在に疑問を抱くこと無く膝を折りました。違いますか?」
「違わない」
「魔王とは唯一無二の存在です。魔王様がこの魔王城にいらっしゃる。それが重要だと思いませんか?」
それがどのような形であれ、魔王様が魔王として、この魔王城にいる。これが世界が定めた調和なのでしょう。
「淫魔族の始祖を母とするリリーベル殿。貴女は何を知っているのですか?」
淫魔族の始祖。私が淫魔族を率いている大きな理由です。私は始祖の母から淫魔族をまとめ上げるモノとして産まれ育てられました。ですから、淫魔族の中でも飛び抜けて強くあるのです。
そして、母から何を聞いているかと言えば魔王様の事に関しては何も聞いていません。
「何も。ただ……」
ただ。別の知識がこの事に関しては警鐘を鳴らしています。なぜ、勇者というものが存在するのか。なぜ、魔王という者が存在しているのか。
「ただ?」
「第一将軍堕天使のサイザール様が半年前に勇者を倒され、たった半年で新たな勇者が現れた。この事に疑問を持ちませんでしたか? 今まで数百年に一度の割合でしか、勇者という者が存在しなかったというのにです」
「疑問?」
「そして、我々は魔王さまに従う存在であるにも関わらず、貴方は魔王さまに刃を向ける意を示しました。ただ人族という下等生物と戯れているだけの魔王さまにです」
そう、魔王様を前にすると反抗の意思など持つことのほうが愚か者だと、肌で直に感じるものです。
我々魔族を率いる魔王様が我々を裏切る行為をなさっているのであれば、それは魔王様の命を断ち切り、新たな魔王を迎え入れることを皆が納得するのでしょう。
それに私は魔王様が魔王で無くなる事を阻止するために動いたに過ぎません。私の愛する魔王様が魔王で無くなることは、我々の死と同意義だということを私は知っているだけなのです。
そして、何も魔王様が魔王として在る現在。サイザール様はその魔王様に刃を向けようとしているのです。
これはおかしなことではないでしょうか? まるでこれは……私は思わずため息を吐きます。
「おかしな事が起こっていると疑問に思わないことが異常だということです。我々の始祖はどのようにして魔王様にお仕えすることになったのか。それは貴方も聞いているのではないのですか? 第一将軍堕天使サイザール様」
さて後ろからやって来る気配を複数感じますので、そろそろ会議が始まる時間ですわね。
「今回集まってもらったのは事前に通達した通り、再び勇者なる者が現れたという情報を掴んだということです」
進行役は魔王様の側近であるヴァンレイド様です。我々将軍の地位にあるモノは円卓を囲むように席に付いており、各副官は背後に控えている状況です。
そして、一際大きな席の隣に側近ヴァンレイド様が立っておられますが、魔王様が座るはずの席は空席です。きっとそろそろ限界だと言われている聖女に付き添っているのでしょう。
「第十三将軍イオ。報告しなさい」
「わかったよー」
ヴァンレイド様に名を呼ばれて、かるい口調で立ち上がったのは魔鼠のイオです。
見た目は人の大きさのドブネズミです。どっしりとした身体に灰色のふかふかの毛並みをまとい、白目がないつぶらな瞳で周りを見渡しながら、よっこいせと掛け声と共に立ち上がったのです。その姿をカワイイという配下の者もいますが、私はどちらかというとデカすぎでキモいというのが正直な感想です。
「配下のモノたちの報告によるとねー」
魔鼠は世界各国に散っており情報収集を行うことが仕事として充てがわれています。鼠はどこでもいますから、人は誰も不審がることはありません。ただ戦闘能力としては皆無ですので、第十三の地位を与えられています。私が思うにイオ自身にやる気が無いだけで、何億という魔鼠を配下にしているイオはある意味最強ではないかと内心考えています。
「勇者たちは突然現れたらしいよー」
勇者たち?複数の勇者がいるということですか?
「これが見てきたヤツねー」
イオの体の割に小さな手の上には一匹の小さな魔鼠がいます。その魔鼠をイオは円卓の中央に投げ、『えい』という掛け声と共に魔鼠が爆ぜました。その魔鼠が爆ぜた場所には薄ぼんやりとした大きな球体が浮かび、何かの映像を映しています。
広い室内を斜め上から見た映像のようです。そこには円状に人が並び、何やら儀式を行っているようです。いつも思いますが何故音声が付いていないのでしょう。
そして、映像が光に満たされたと思えば、次の瞬間に複数の人影が画面中央に現れたのです。それも皆同じ服装をまとって。
その映像に私は思わず立ち上がって、映し出された者たちをガン見します。
「まさか集団召喚」
うわ言のように映像の状況を口にしました。やられた。本来の未来から外れたことで世界は修正調整を行ってきたのでしょう。
一人ひと人が何かしらのチート属性を与えられた集団。クラスという一個の集まりはある種の団結力を生み出し、一人では敵わない敵でも討ち滅ぼす力があります。
ここまでの事をしますか?魔王様が魔王でいる世界が気に入らないのですか?
違いますね。一つは異界の知識を持つ私に対抗するために異界から呼び寄せ、魔王の血と力を持つアベルは恐らく世界としては世界の調和を乱すものを滅ぼす為に複数用意したという感じでしょうか?
「第三将軍淫魔のリリーベル。これが何を意味するのか知っているのですか?」
側近のヴァンレイド様が私に聞いてきました。恐らくこの現象は誰も見たことが無く、意味がわからず、ただ人族が勇者だと騒いでいるから勇者が現れたと言っているのでしょう。
「これですか?」
私は異界に召喚されて喜んでいるもの、不安を顕にしているもの、正義感を振りまいて皆を統制しようとしているものが映された映像を見ます……これが勇者でしょうね。
「異界から我々魔族を討ち滅ぼす為に召喚された者たちです」
「異界?召喚?子供にしか見えないが?」
ヴァンレイド様が困惑の色を顕にしています。確かに今は脅威ではないでしょうが、テンプレとしてはこれからチート級に強くなっていくのでしょう。
「今はただの子供でしょうが、中二病が抜けきらない者たちにとって、ここは遊び場のようなところです。直に強くなりますよ」
私の言葉に笑いが起こります。こんな子供に何が出来るというのかという笑いでしょう。
「あの者たちを見て何も思いませんか?ほとんどの者たちが魔王さまと同じ黒髪です。一つの島国で、千年以上も小競り合いを繰り返してきた戦闘民族の末裔を侮らないことです」
とは脅しているものの私が生きていた時代よりもゲーム脳が進んでいるでしょうから、彼らは驚異的に成長していくことでしょう。
「第三将軍淫魔のリリーベル殿。そう言われてもなぁ」
「あんなひょろちい奴らが強いだなんて笑わせてくれる」
「真に同意」
「第三に上ったからいい気になってんじゃねぇよ」
次々に上がってくる私の言葉の否定。魔族は個の主張が強すぎてまとまらないことは百も承知です。
ここはやはり魔王様が居てくださらないと、話になりません。どうにかして魔王様に我々をまとめていただかないと……。
流れ続ける映像の中で一人の人物に目をつけました。
良いでしょう。世界が私に喧嘩を売ってきたというのであれば、買って差し上げます。私は笑みを深め私をあざ笑っている者たちに視線を向けます。あなた達には大いに働いてもらいましょう。
そして……
愛する魔王様にはさらなる、“愛”と“憎”を捧げましょう。
______________
「リリーベル。凄く中途で終わったぞ」
「あら?アベル。事前に中途半端って言ったわよ。それにほら、あそこに続きが気になる終わり方にするようにって」
「そんなことは何処にも書いていないだろ?」
「だって、ほら……読まれないところに投稿しておくよりも、読まれるところで投稿しておく方が……」
「にしても、これはないだろう」
「……人気が出れば書くそうよ」
「いや、無理だろう」
( ゜∀゜)・∵. グハッ!!
「アベル。クリティカルヒットが入ったわね。回復には時間がかかりそうだわ。これは当分の間は書けなさそうね」
数多く在る小説の中からこの作品を読んでいただきましてありがとうございます。
今回は正義側ではなく、悪側の物語でした。いかがでしたでしょうか?
少しでも面白かったと評価をいただければ、下にある☆☆☆☆☆を押していただいて評価をしていただければ嬉しく思います。
ご意見ご感想等がありましたら、下の感想欄から入力してください。よろしくお願いします。
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
追記
1週間で沢山の読者様に読んでいただきましてありがとうございます。
“いいね”で応援ありがとうございます。
ブックマークをしてくださりましてありがとうございます。
★評価していただきましてありがとうございます。
とても嬉しく思います。
2023/04/19日間総合164位
日間異世界転生恋愛部門20位
評価していただきまして、この様な順位となりましたことを嬉しく思っております。ありがとうございます。
追記2
後書きに書いていたその後の話を追加投稿しました。中途半端なのは、別のサイトのコンテスト用に文字数合わせをしたからです。すみません。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました
(。>﹏<。)