ph8 仲直り
帰りのホームルームが終わり、帰宅準備をしていると、スマホの通知を知らせる光が点滅していた。クロガネ先輩からSAINEのメッセージが届いているようだ。
アプリを起動し、先輩のトーク画面をタップして内容を確認する。
“今日、お前としたい。……いいか?”
聞 き か た!!
先輩はマッチをする時はこうして連絡するようになり、突然押し掛ける事はなくなったが、毎度毎度見る人によってはあらぬ誤解を受けそうな文章なのだ。
私はどうしてこうなったのだと頭を抱える。
私が先輩を冷たく拒絶した日から、私の言った通り、クロガネ先輩が近づいて来る事はなかったが、近づいて来ないだけで尾行されていた。
始めは気づかなかった。最近妙な視線を感じるなと思っていたが、気のせいだろうと楽観的に考えて放置していた。しかし、下校中にふと後ろを振り向くと、慌てて電柱に隠れる先輩を見て戦慄した。
こいつマジかと。
近づくのがダメなら尾行しようとか、クロガネ先輩の倫理観はどうなってんだとドン引きした。
私に尾行がバレた事に気づいた先輩は、おずおずと電柱の影から出てきたが、此方に来る様子はない。私が一歩近づくと、同じように一歩後ろに下がる。
私は長いため息をつき、クロガネ先輩と呼び掛けると、彼はビクリと肩を揺らした。
「先輩何して──」
「悪い!!」
「!」
先輩は腰を直角に曲げるとそのまま続けた。
「お前に近づくなって言われたがどうしても会いたくて……お前とマッチしたくて……でも、嫌われたくねぇからどうしたらいいか分からなくなっちまって……跡をつけるなんて最低な事をした……本当に……悪ぃ……」
良かった。尾行が良くない事という認識はあったようだ。もしも平然としていたら今後の先輩との付き合い方を考え直していた。
それにしても、私の言葉は想像以上に先輩を傷付けていたようだ。考えすぎてストーカー紛いの行動をさせてしまうほど追い詰めさせるなんて……さすがに申し訳なくなった。先輩なら大丈夫だろうという根拠のない理由で放置してしまった過去の自分の行動を反省した。
「クロガネ先輩、近づいてもいいですか?」
「えっ!? あ、あぁ」
私と先輩の距離が近づく程、彼の体が強張る。そして、私が先輩の目の前で止まると、何を言われるのかと不安になっているのだろう、彼の目は泳ぎ、冷や汗が流れていた。
「サチコ……あの」
「すみませんでした」
「!?」
私は先程の先輩と同じように頭を下げた。
彼に対して感情的に放った言葉を後悔した。先輩は別に悪気があってマッチをしようと言っていた訳ではないのだ。それを分かっていたのに、先輩の行動が煩わしいと私は冷たくあしらってしまった。
「……あの時、少しイライラしてて先輩に当たってしまったんです……それで酷いことを言ってしまいました」
もっと他の言い方があったのに、あえて冷たい言葉を選んで遠ざけたのは私だ。彼よりも精神年齢が上な私が大人の対応をしなくてはいけなかったのに、中学生の男の子にきつく当たってしまうなんて人として最低だった。
「本当にごめんなさい」
「……サチコ」
彼はきっと、今まで友人と呼べる存在がいなかったのだろう。家庭環境は複雑で頼れる人もブラックドック以外にいないようだし、大会で始めて見かけた時も周囲に攻撃的な態度を取っていた。モエギちゃんいわく、孤高の一匹狼と言われていたしね。だから、私という始めてできた友人との距離感が分からなくてあんなにグイグイ来たのではないだろうか?
「いや、サチコは悪くねぇ……俺、始めて対等に話せる奴が出来て浮かれちまってたみてぇで……お前に言われて自分の行動を振り返って後悔した……サチコの都合も考えず押し掛けて悪かった……」
思った通りだった。やはり先輩は距離感が分からなくて暴走していたようだった。
先輩は深く反省しているのか、しゅんと肩を落とし、此方の反応を伺うようにチラチラと見る。
……目の錯覚だろうか? 彼の頭に犬耳が見える。獰猛な犬が耳をペタンと後ろに倒してしょんぼりと落ち込んでいるようだ。さらに罪悪感が押し寄せた。
この人もしかして自分の顔の良さを分かっててやってるのか? だとしたらとんだ策士だな。
本音を言うと、先輩とマッチする回数を少しずつ減らして自然と離れるつもりだったのだが、こんな風に落ち込まれると引け目を感じてしまう。どうやら私は、自分が思っている以上に先輩に対して情が湧いていたようだ。
「……別に、先輩とマッチするのが嫌なわけではないです」
私の言葉に先輩の顔が明るくなる。このまま許してしまいそうになるが、また繰り返されたら嫌なので言うべき事は伝えなければ。
「ですが、私にも都合があるので、今度からは電話やSAINEで一報していただければ大丈夫ですよ」
「電話か……」
何故か電話に反応するクロガネ先輩に、何か問題でもあるのかと聞くと、クロガネ先輩は真顔で此方を向いた。
「声聞いたら会いたくなんだろ?」
「…………」
ちょっと待ってくれ。うん、取りあえず深呼吸だ私。宇宙猫顔になってる場合ではない。
先輩から顔を反らし、息を吸って深く吐いた。心を落ち着かせ頭を働かせ、今の状況を整理する。
こいつ、正気か??
お前、マッチとかで「くたばれぇ!!」とか「雑魚がぁ!!」とか言ってる癖に!
日常においても「今日こそぶっ倒してやる!」とか「首を洗って待ってなぁ!!」とか悪役フルスロットルですみたいな台詞を言う癖に何少女漫画のヒーローみたいな言葉を吐いてんだよ! 急なキャラ変はやめろ! 対応に困るだろうが!! 本当ブレブレだなお前は!!
私は別に鈍感というわけではない。だから、一瞬こいつ私の事好きなの? とか思ってしまったが、この真顔である。少しでも照れたりしていたら好意を疑ったがこの真顔である。
こいつ素かよ。
私は頭が痛くなり、こめかみを押さえた。
そして、視界の隅で爆笑しているブラックドッグは覚えていろ。次のマッチでボコボコにしてやるからな。
先輩に色々と言いたいが、前回の二の舞にならないように言葉を飲み込み、不要なことは言わないよう気を付けた。
「…………じゃあ、今度からはSAINEで通知を送って下さい」
そうして仲直り? して以来、先輩は冒頭のようにSAINEで都合を確認するようになったのだが、いかんせん聞き方がちょっとアレなのだ。
せめて目的語をつけろよ。普通にマッチしようぜと言えばいいのに。前回はお前に会いたいとか送ってきやがった。
先輩にメッセージの内容どうにかなりませんか? と聞いたら「あ? 何か問題あんのか?」って素で返すし、先輩の後ろにいるブラックドッグはニヤニヤしながら此方を見ていた。絶対にブラックドックの入れ知恵である。あのクソ犬マジでしばく。
私は了承の旨を送ると、スマホを鞄に入れ、席を立つ。
「あ、サチコちゃん! 一緒に帰らない?」
立ち上がった私に気がついたハナビちゃんが一緒に帰ろうと声をかける。しかし、今日は予定があることを伝えると、残念そうに眉を下げた。
「……そっか、じゃあまた今度一緒に帰ろうね!」
ハナビちゃんはそう言うと、彼女を待っていたモエギちゃんとアゲハちゃんの方へ戻っていった。その後ろ姿を見送り、私も先輩に合流する為に昇降口へと足を進めた。
クロガネ先輩とのマッチが終わったら何をしようかなと、上履きから靴に履き替えて昇降口の出口に向かうと、見知らぬ声に呼び止められる。
誰かと思い、声のした方へ顔を向けると、白髪に金メッシュの同い年ぐらいの男の子がいた。お前誰だよ。
「影薄サチコさん、だよね?」
どうやらこの男の子は私を知っているらしい。
こんなインパクトある見た目なら一度見たら忘れそうには……いや、ちょっと待て、思い出した。確か私とタイヨウくんがマッチしてた時にレギュラー面でハナビちゃんの横に座ってたやつか。
「少し話せないかな?」
男の子は綺麗な笑みで笑う。有無を言わせない笑みだ。
これはまた厄介な事になりそうだ。