ph80 飛ばされた場所
「オラッ」
「うわっ!」
転移が完了した途端、渡守くんに投げ飛ばされ無造作に地面に転がされる。起き上がろうにもいつの間にかエンちゃんによって拘束されていた鎖のせいで身動きが取れない。
大事なサタンの生け贄なんだろ? 扱いが雑すぎないか? もっと丁寧に扱えよコノヤロー。
そう心の中で悪態をつきつつ、目の前にある祭壇へと視線を向けた。
氷に覆われたソレは、見覚えのある祭壇だった。
火山エリアでタッグマッチをした後に、ヒョウガくんと一緒に迷い込んだ場所に鎮座していた、サタンを実体化させる為の祭壇だ。ついに供物にされる時がきてしまったのかと乾いた笑いがこぼれる。
「ボス~! サチコちゃん連れてきたよぉ~」
エンちゃんにボスと呼ばれた男性は祭壇の前に立っていた。
エンちゃんが飛び跳ねながら祭壇に近づくと、男性は勿体ぶるようにゆっくりと振り返る。
あの人が氷川ヒョウケツ……ヒョウガくんのお父さん……。
紺色の髪に、冷たい、氷を連想させるような青い瞳をしていた。
実父という事もあり、確かに容姿はヒョウガくんと似ていた。けど、それは容姿だけだ。ヒョウガくんはあんな、人としての温かみを感じないような冷酷な表情はしない。
「ソレが例の贄か?」
氷川ヒョウケツが蔑んだ目で私を見る。
「そうだよぉ~! 影薄サチコちゃん! 僕の言った通り、とってもかっわいいでしょ~?」
「さっさと運べ」
「ちょっとは興味もってよぉ! ぶぅ~!」
「渡守」
「ヘイヘイ」
エンちゃんじゃ話にならないと判断したのか、氷川ヒョウケツは渡守くんの名前を呼ぶ。渡守くんは面倒臭そうに頭をかきながら1度投げ捨てた私を俵担ぎで持ち上げた。
「ひっ!? ちょっ、怖っ!? ……すみません、もうちょっと丁寧に扱って貰っていいですか? なんか不安定だし、お腹痛いし、担ぎ方下手すぎません?」
「うっせェな! 贄の癖に一丁前に文句言ってんじゃねェよ!!」
「別になりたくてなった訳じゃありません。不本意です。今すぐお家に帰して下さい。あ、パンケーキご馳走しますよ」
「それではいそーですかって帰すわきゃねェだろ! 舐めとんのか!」
「……しょうがないですね。サモナティーヌの紅茶もお付けしてあげます。特別ですよ」
「そういう問題じゃねェんだよ! ブッ飛ばすぞテメェ!!」
ちっ、駄目か。影法師だったら直ぐに飛び付くのに。
本当に帰してもらえるとは思ってなかったけど、多少の時間稼ぎぐらいにはなるかなって期待して話し掛けたのに、渡守くん真面目に運ぶじゃん……ちょっとぐらい立ち止まってよ。
何だよ、その見た目に反して根は真面目なのか? もっと不真面目に生きた方が人生楽しいよ。だから命令に従うのやめて私とお話しませんか?
「そらっ」
「ぶっ!」
今度は氷川ヒョウケツの前に投げ捨てられた。後頭部を強打し、あまりの痛みに悶絶するように体を丸くする。
いっっつた! 頭打った! めっちゃ痛い!! これ絶対さっきからかった分の恨み入ってるよ!
両手が縛られているせいで使えないので、ぷるぷると体を振るわせながら必死に痛みに耐えていると、氷川ヒョウケツらしき影が私の顔にかかった。
「アレッサンドロ」
氷川ヒョウケツが呼んだ見知らぬ名前に、また新たな登場人物かと顔を確認する為に頭を上げる。もしかして、自分の知らない精霊狩りのメンバーかと視線だけで周囲を見渡し、アレッサンドロと思わしき人物を探す。
「そんな他人行儀に呼ばないで下さいよ」
「!」
現れたのは、SSSC運営である筈のアレスだった。アレスは水色の長い髪をたなびかせながら歩み寄ってくる。
「親しみを込めてアレスとお呼びくださいと言ったではないですか。ヒョウケツ博士」
「ふん……ローズクロスの犬と馴れ合うつもりはない」
「つれないですねぇ。それは昔の話だと言ったじゃあないですか。私は貴方の研究、思想、その全てに感銘を受けたのです。今は貴方の忠実な僕……MDの技術を献上致しましたのに、まだ信用して下さらないのですか?」
「……どうだか」
二人の会話から、アレスは元々ローズクロス家の者であった事は分かった。けれど、氷川ヒョウケツの考えに賛同し、裏切ったみたいだが、氷川ヒョウケツは利用はしても、信用は全くしていないようだ。
なるほど。精霊狩りという組織は一枚岩ではなさそうだ。
MDという簡易バトルフィールドが展開できる画期的な小型デバイスの情報を提供しても、氷川ヒョウケツが完全にアレスを信用していないということは、信用できない程の何かしらの裏があると見ているという事だろう。
ソレがどういったモノであるかは分からないが、2人の関係性をみるに、精霊狩りとローズクロス家が完全に繋がっている訳ではなさそうだ。
よくて利害関係といった所か。
2つの組織がどういった目的をもってサタンを実体化させようとしているかは分からないが、先輩達と合流出来た時の事を考えて少しでも多くの情報が欲しい。
先輩がどのくらい情報を持っているか分からないけど、通信から聞いた内容を考慮しても、憶測の域を出ていない部分が多そうだった。せめて、明確なサタン実体化のやり方とかが分かれば策を講じやすくなるのに。
……冥土の土産に教えてくれ的な事言ったら教えてくれないかな? そうしたら時間稼ぎにもなるし、一石二鳥じゃん。まぁ、そう簡単にはいかないだろうけど。
「このサタンの封印を解く為の贄の祭壇も! サタン実体化の為のダビデル島の開発も! 全て私がローズクロスから盗んだ技術による結晶じゃあないですか!」
あれ?
「本来ならば精霊界に赴かなければならない封印も! この祭壇があれば、空間にほんの少し歪みを与えるだけで遠隔操作により解除が行える!!」
めっちゃ喋るんだけどこの人。
「精霊界と人間界の両門を開かなければならない問題も! このダビデル島の五つのエリアに設置したマナ石に加護持ちのマナを注ぎ込む事で両門の役割を果たすサタンのカードを生成し、容易に実体化が行えるようになった!! そしてサタン実体化の為に捕らえた精霊のマナを効率よく注げるシステムの開発にも貢献致しました!!」
聞いてもいないのに、私に説明してんのかってくらい丁寧に教えてくれるんだけどこの人。
「ここまで献身的に尽くしているのに、いつになったら認めて下さ──」
「話しすぎだ」
遅ぇよ! 止めるの遅すぎるよ! ほぼ全部喋っちゃってるよ!!
私としてはありがたいんですけどね!? これ絶対もっと速いタイミングで止めれただろ!!
「……まぁ、そんな疑い深いヒョウケツ博士も尊敬しておりま──」
「儀式の準備を始める」
もうアレスの話に付き合う気がないのだろう。氷川ヒョウケツは拒絶するようにくるりとアレスに背を向けると、渡守くんとエンちゃんとは別の、黒いコートを着ている2人の人物に話し掛けた。
「ステュクス、コキュートス」
氷川ヒョウケツが言葉を発すると共にステュクスとコキュートスが現れ、レベルアップする。そして、レベルアップの余波で2人のコートが揺らぎ、パサリと外れるフード。
ステュクスを操っているのはシロガネくんだった。
何故シロガネくんがステュクスを? どうやって加護持ちになった? そもそもミカエルはどうしたんだ?
まさか操られる際に奪われてしまったのか? ならば、シロガネくんを正気に戻したらミカエルも助けにいかないとな。そのままサタン実体化の為のマナ供給源にする訳にはいかない。
シロガネくんがステュクスを従えているのは予想外だった。
じゃあヒョウガくんからコキュートスを奪って操っているのは誰だ? また知ってる人物とかじゃないだろうな。それだけは勘弁してくれよと視線を隣に向けると、紺色の髪を持つ綺麗な女性がいた。初めて見る顔であったが、その見覚えのある髪色に感じる既視感。
この人はまさか──。
「神罰の刻印と断罪の刻印だ」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
しかし、私の思考は激痛により阻まれた。2つの刻印を同時に刻まれ、全身の皮膚が焼きただれるような、包丁で全身をめった刺しにされるような、そんな通常じゃありえないような苦痛に襲われる。
痛い
痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたい!!
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
全身が痛い……もう、何も……考えら、れ……な……。
どのくらいの時間が経ったのだろうか? 正確には分からない。実際には数分ぐらいしか経っていないのだろうが、体感的には何時間にも思えた。あの地獄のような激痛から解放され、ぐったりと全身の力が抜ける。
持っていかれそうになる意識を必死に堪え、何とか力を振り絞って重い目蓋を開くと、いつの間に運ばれたのか、不気味な例の祭壇で横になっていた。視界に映ったのはレベルアップした冥界川シリーズの精霊とその加護を持つ精霊狩りのメンバー。
「時は満ちた。所定の行動にかかれ」
氷川ヒョウケツは精霊狩りに命令を下す。渡守くん達はその指示に従い、颯爽と立ち去った。しかし、エンちゃんだけは私に近寄ったかと思うと、耳元に顔を寄せて小さな声で呟いた。
「サチコちゃん。またね」
またね? またねとはどういう意味だ?
エンちゃんに聞き返そうにも声が出ない。呻き声のような、意味を持たない音しか発する事しか出来なかった。
「まだ意識があるのか」
呻き声を出す私に対し、氷川ヒョウケツはそう呟くと私の頭を鷲掴んだ。
「案ずるな。すぐ楽になる」
そうして込められるマナの力に、嫌な予感がする。
ちょっ! 待て待て待て待て! え!? 何っ!? せっかく痛みがなくなったのにまさかもう一回あんの!? そんな、嘘でしょ!?
しかも楽になるって何!? まさか私死ぬの!? は!? ここで死んじゃうの!? そんなの聞いてないんですけど!? ちょっ! マジで止めて!!
「う、……あ……」
駄目だ……全然声がでない! このままだと本当に!
ズンッと響くようなどす黒いマナが体を侵食する感覚がする。もしかして、これがサタンのマナ!?
この感覚はマナを循環させてる時と同じ感覚だ……ということは何か? 私はサタンとマナを循環させられてんのか? 何の為に? まさかサタンの封印を解く為に必要なのがマナの循環だったのか?
原理はよく分からんが、兎に角不味い事は分かる。このままだと自分が自分でなくなってしまう。
サタンのマナによって込み上げる負の感情のようなもの。恐怖、苦痛、憎悪。そんな感情が敷き詰められたような息苦しいモノが私を蝕んでいく。
不味い不味い不味い!! このままだと本当に意識が持っていかれ────。
あれ? 何かこれいけんぞ?
いや、気持ち悪いし、不快な事にはかわりないんだけど、なんか思ってたよりも普通というか何というか……本当だったら精神崩壊しても可笑しくないものだってのも分かるんだけど、何でだ?
不思議に思い、思考しようした瞬間に脳裏に過るクロガネ先輩の顔。そして、レベルアップ訓練の光景。
あああああ! アレかああああ!! あの先輩のマナ!! そうだよあのマナだよ! アッチのがヤバかった!
え? てことは何か? 先輩ってサタンより危ないマナ持ってんの?
何それ怖い。今度から先輩は怒らせないよう気を付けよう。
というか納得したわ。だから五金総帥も先輩のマナに対して色々言っていたのか。
先輩に対する扱いは気にくわないけど、そりゃ少しぐらいは言うわな。こんな危険な精霊より危ないマナ持ってんだもの。色々と警戒してしまうのも仕方がないだろう。
今になって痛感する先輩の異常さ。でも、今回は助かった。
先輩のマナを循環させた事があるからサタンのマナとも上手いことやれそうだ。出来れば封印を解かないように手を加えたい所だけど、それはちょっと無理そうだ。
それならばと、せめて少しでも時間が稼げるようにマナを操作しながら、意識が持っていかれたように見せるために瞳を閉じた。