ph20 医務室にて
私は先輩に運ばれるままに、医務室にたどり着いた。
医務室には白衣を着た男性が1人いたが、声をかけようにも、男性は備え付けられているスクリーンに夢中で此方に気付かない。
「おい! 急患だ!!」
クロガネ先輩が大きな声を出すと、男の肩が痙攣するように動き、慌てて振り向いた。
「え、あぁ! ごめんね!」
男はガタンッと音を立てながら椅子から立ち上がると、躓きながら此方に向かって来る。
なんか、ドンくさそうな人だな。
「いやぁ、今僕の応援してるチームタイヨウが出てて、しかも先鋒がリーダーのタイヨウくんに変わってるし、つい夢中になっちゃってねぇ……この子が怪我人かい?」
男は申し訳なさそうに頭を掻くと、丸メガネのピントを合わせるようにクイッと上げながら私の顔を覗き込んできた。
「……って、チームタイヨウのサチコちゃんじゃないか!? どどどどどうしたの!? 試合では怪我してなかったよね!?」
「おっさん近すぎだ。離れろ」
男が至近距離で興奮したように両腕をバタバタと揺らすと、クロガネ先輩が私と男を引き離すように、ひょいと腕を横に反らした。
……さっきから思ってたのだが、クロガネ先輩の腕力凄いな。私を抱えているのに、全く重さを感じさせないような軽快な動きをしている。シロガネくんも握力凄かったし、五金家では筋トレでも義務付けられているのだろうか。
「ごめん、ごめん。ついビックリしちゃって。それで、サチコちゃんは何処を怪我したんだい?」
「背中です」
「背中ね、座っても問題ないかい?」
「はい」
「じゃあ、そこの椅子に座って待っててね」
男が医務室の机の近くにある2脚の椅子のうち、片方を指差したので、降ろして貰おうと先輩の服を引っ張る。
「先輩、運んでくれてありがとうございます。もう大丈夫ですよ」
「…………」
先輩は無言で私を見つめたまま動かない。
「…………先輩?」
「! ……わ、悪い」
先輩はハッと目を見開くと、男に指示された椅子の近くまで歩き、そっと私を椅子の上に降ろした。
「じゃあ診察するけど、背中を見せて貰ってもいいかな?」
「はい、大丈夫です」
パーカーのワンピースを着ているが、下にタンクトップとレギンスを穿いているし問題ないだろう。
そう思い、男に背中を向けてからパーカーの裾を両手で掴んだ。そして、少し痛むが耐えられない訳ではないので、ゆっくりと服を上げていくと、横から熱い視線を感じた。私は服を脱ぐのを途中でやめ、此方をガン見している先輩の方を向いた。
「……あの、先輩。壁の方を向いてて貰えません?」
「え!? あ、わ、悪い!!」
先輩は慌てながら後ろ向いた。そして、落ち着かなさそうにソワソワしている。
……思春期か。まぁ、先輩中学生だもんね。しょうがないね。
気を取り直してパーカーを脱ぐと、男がタンクトップを少し上げてもいいかと確認してきたので了承するように頷いた。
「……これは、精霊から直接攻撃された痕だね。何があったんだい?」
「あー、ちょっとした事故に巻き込まれまして……」
男が怪訝そうな声で聞いてきたので、少し言葉を濁した。
大会の医務室を任されているということは、大会の関係者だ。運営に報告されて失格になったらたまったものではない。
「事故にしては痕が明確すぎるな……」
男が黙り込むと同時に冷たい汗が流れる。
え? もしかしてヤバイのか? 私死んだりしないよな?
「これはスキルでの攻撃だろう? なんて名前の精霊だったか分かるかい?」
「確かアケローンと言ってた気が──」
「アケローンだって!? じゃあこれは嘆きの刻印か!!」
男は精霊の名前を聞いて飛び上がった。その拍子に、彼が座っていた椅子が音を立てて倒れる。
嘆きの刻印!? 何だその物騒な名前のスキルは!! 不安しかないぞ!!
「嘆きの刻印で出来た外傷の傷は、暫くしたら痛みは引くし、死ぬことはないんだけど……問題なのは対象者に悪夢を見せ続ける精神干渉の方だ。最悪の場合、心が壊れてしまう」
「何だと!?」
話を聞いていた先輩が勢いよく振り向く。
「悪夢を見るってどんなのだ!? それは治せんのか!? サチコは大丈夫なのか!?」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ! そんなに一度に聞かれても答えられない!」
先輩は男の胸ぐらを掴む勢いで迫る。このまま診察を中断されたら困るので、先輩を止めるために声を掛けた。
「そうですよ、先輩。少し落ち着いて下さい」
「んな事言われても冷静になんざ……っ!! 悪ぃ!!」
先輩は私を視界にいれると、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
ここまであからさまに反応されると面白いな。
私は、先輩をからかってやろうかと思ったが、そんな場合ではないと気持ちを抑え、男と向き合った。
「それで……えっと、先生でいいんですかね?」
「あぁ、自己紹介がまだだったね。僕は刺刀ケイ。精霊科医の医者で、精霊からの外傷は専門分野だから不安にならなくても大丈夫だよ。気軽にケイ先生って呼んでくれたら嬉しいな」
「精霊科医、ですか……」
「そうだよ!」
へぇー、精霊科医とかあったのかぁ知らなかったなぁ……って、そんな科あったのか!?
どんどん普通のカードゲームから離れているじゃないか!! いやでも、精霊のスキルって色んなものがあるからな……あっても可笑しくは……いや可笑しいだろ!! 納得するな私!! ダメだ、私は長くここに居すぎた。この世界の常識に毒されかけている。
ケイ先生はニコニコと人のいい笑みでちょっと待っててねと言いながら倒れた椅子を戻すと、机の側にある棚を物色し始めた。
「確かここに……あった!」
ケイ先生が棚から手のひらサイズの小瓶を取り出すと、私の前に持ってきた。
「これは守護のスキルを持った精霊の鱗粉から作られていてるんだ。この軟膏を、朝夕の1日2回背中に塗ってね。そうすると、悪夢は軽減するはずだから。心が壊れる程の悪夢に襲われることはないよ」
「軽減?」
軽減という言葉に引っ掛かり、思わず聞き返すと、ケイ先生は困ったように眉をハの字にした。
「ごめん。アケローンの嘆きの刻印は、まだ治療法が見つかっていないんだ。スキルを受けた直後なら、スキル無効効果を持つ精霊の力があれば治せたんだけど……サチコちゃんの刻印は時間が経過しすぎて症状が深刻化しているんだ」
「え? じゃあ治らないんですか?」
「いや、本来ならスキルを使った精霊が効果を解けば直ぐに治るんだけど……」
ケイ先生は、続きを言いにくそうに口ごもる。
なるほど、だからケイ先生は事故にしてはと、傷に対して違和感を持ったのか。
意図しない事故であれば、加害者側は直ぐに謝り、スキルを解いてこんな痕を残さないだろう。なのに残っているという事は、加害者側が故意でやった行動となる。
それは事故ではなく、事件だ。
「他に方法はないんですか?」
「そうだね……相手がスキルを解いてくれないのならば、マッチして倒すしかないよ。そうすればスキルの効果はなくなるし、傷跡も消えるはずさ」
へぇ、マッチして倒せば治るのかぁ。なぁんて分かりやすくて完璧な説明なんだろう! 納得出来ない事を除けばなぁ!!
いい加減にしろよ! 何でもかんでもマッチマッチ言いやがって! 何の為の専門医だよ! ファンタジー感溢れる専攻してる癖に、ファンタジーならファンタジーらしく、そんな物理的な方法じゃなくてもっと魔法っぽいやつやってくれよ!! どんなスキルも治せる精霊持ってますとかないのかよ!!
と、文句を言いたくなるが、ケイ先生は悪くはないので心の中に留めておいた。
「……あの野郎……殺しておけばよかった」
クロガネ先輩が恐ろしい事を呟いているが、聞かなかった事にしよう。
「とりあえず、今塗っておくね。そうしたら痛みも早めに治まるはずだから」
ケイ先生は、取り出した軟膏の方は袋に入れると、別の大きな瓶を取り出した。そして、瓶を開けてゴム手袋を装着すると、軟膏を少量手に取る。
「前を向いて貰ってもいい?」
「あ、はい」
私はケイ先生に言われるがまま背中を向け、薬が塗り終わるまでじっと座っていた。
「はい、もう大丈夫だよ」
ケイ先生の言う通り、薬を塗られて直ぐに大分痛みが引いた。
「ありがとうございます」
「いやいや、これが仕事だから気にしないで」
ケイ先生は、はいどうぞと薬の入った袋を渡してきたので、素直に受け取る。
「今日はマッチは控えて安静にしててね。……とは言っても、君たちの試合は終わったみたいだけど」
ケイ先生が始めに夢中になって観ていたスクリーンには、中堅としてシロガネくんが出場していた。そして、ミカエルの攻撃で、相手の体力がなくなっている瞬間が映っている。どうやら予選は無事に通過したようだ。良かった良かった。
「言いたくないみたいだから詳しくは聞かないけど、本当に危ないことなら親御さんやユニオンに相談するんだよ」
「はい」
私はコクりと頷き、パーカーを頭からすっぽりと被った。
「先輩、終わりましたよ」
「あ、あぁ」
先輩はぎこちない動きで此方を向く。
「本当に大丈夫か? 痛いところはねぇのか?」
「はい、ケイ先生のお蔭で痛みは治まりました。もう大丈夫です」
「……そうか」
クロガネ先輩は、ケイ先生に邪魔したなと声をかけると、私を抱き上げようとしてきた。
先輩の腕を避けて運ぶ必要はないと言うと、何故か肩を落としながらしょんぼりとしていたので、また痛くなったらお願いしますと伝えると嬉しそうにあぁ! と答えた。
最後にもう一度、ケイ先生にお礼を伝えて医務室から出ると、クロガネ先輩が声をかけてきた。
「もう試合ねぇのなら送る」
「あ、それも大丈夫です」
「……親が迎えに来んのか?」
「いえ、そうではなく……」
私は言っても良いものかと言葉にするのを躊躇うが、後でバレた方が面倒な事になりそうなので正直に話すことにした。
「実はこの大会、予選通過者はホテルが用意されているんです」
「……は?」
そうなのだ。私も最初に聞いた時はビックリしたが、予選通過チームには会場近くの宿泊施設が用意されている。しかも、宿泊施設のアメニティは身一つあれば泊まれる程に充実していて、更にコインランドリーや、マッサージ等のサービスも無料で受ける事ができるのだ。
いやぁ、この大会に参加して良かった。予選も思ったより早めに終わったし、この後はゆっくり温泉に浸かってマッサージをしてもらおう。あ、岩盤浴もあるから先にそっちに行こうかな。
「…………部屋割りは? 勿論一人部屋だよな?」
「…………」
先輩の問いに思わず明後日の方向を向くと、先輩に両肩を掴まれた。
「ふざけんなよ!! 運営に文句言ってやる!!」
「ぎゃあぁぁ! ちょっ、やめて下さい!!」
先輩の腰に抱きついて止めようとするが、引きずられるのみで意味をなさなかった。
マジでやめろ! 腐ってもアンタ五金家の坊っちゃんだろ!! そんな御曹司の息子から文句言われちゃあ大会の運営だって動かざるを得ないだろう!!
1人だけ特別扱い受けて目立つのは嫌なんだ!!
「本当に大丈夫ですってば!! むしろ無料で色んなサービス使えて満足してますから!! 四人部屋とか全然気にしてませんから!!」
「俺が嫌なんだよ!!」
先輩は脚を止めると、私の方へと顔を向けた。
「俺が! ……サチコが他の野郎と、一緒の部屋にいるのが嫌なんだ……」
先輩の声がどんどん小さくなる。
「……チームを組むのも、一緒に泊まったりすんのも……サチコの1番は俺がいい……」
先輩は泣きそうな顔で唇を噛む。
五金兄弟の独占欲、本当に凄いな。相手が私じゃなかったら絶対に勘違いするぞこれ。
私は軽くため息をついて、先輩の頭を撫でた。
「……分かりました。じゃあ、今度先輩の家でお泊まり会をしましょう。私、二人きりでお泊まり会するのは始めてなんです。それでいいですか?」
先輩は、私の方に向き直すと、ぎゅうっと抱きついてきた。
「……やっぱり、サチコが俺以外の奴と仲良くすんのは嫌だ……サチコの親友は俺だけがいい」
絶対に離れないと言わんばかりに締め付けてきたので、安心させるように背中をポンポンと叩いた。
「分かりました。分かりました。じゃあ、チームを組んだりするのはこれっきりにしますので、今回は許してくれませんか?」
先輩は暫く考えるように動かなかったが、やがてコクりと頷いた。
「これからは俺だけだからな」
「はいはい」
なんだか影法師がもう1人増えた気分だった。私は、影法師が拗ねた時と同じように、先輩が満足するまで付き合ってあげようと、じっとする事にした。
しかし、数十分待っても離れなかったので流石にしつこいなと無理やり引き剥がした。