【日常】クロガネの受難
サチコがスピリット学園中等部に上がった。
初等部と中等部で分かれていた頃より、学園内で遭遇する機会は圧倒的に増えた。廊下ですれ違えたら運命って感じがして一日がハッピーになる。グラウンドで体育してる姿なんざ、眼福どころか世界平和の一端を担ってるレベルだ。
これは嬉しい。いや、マジでめちゃくちゃ嬉しい。人生の幸福度グラフが右肩上がりで天井ぶち抜いた感じだ。青髪がサチコにちょっかい出してる現場を直で潰せるようにもなったのもいい。……けど、その代わりに新たな悩みが発生してしまった。それは──
「……なぁ、一個下の影薄さんって可愛くね?」
「えー、俺は打上さん派だな。あのほんわかした感じがいい……守りたい……」
「俺は影薄さんに一票! あのクールな感じがいい……叱られたい……」
こ れ だ !!
サチコの可愛さが有象無象どもにバレてしまった!!
「チィッ!!」
「!? やべ、クロガネだ」
俺が睨むと、蜘蛛の子を散らすように逃げていく雑魚ども。
でも、こんなのは一時の凌ぎにしかならない事を知っている。
どんなに牽制しても、サチコの魅力に群がるくそ共が後をたたねぇ!!
ただ、学園の奴らはまだマシだ。俺が睨めばサチコに近づけねぇし、これからも絶対にサチコを視界に入れることすら許さねぇつもりだからそこは心配してねぇ。
問題は財閥関係者の奴らだ! サチコの力に目をつけた財閥関係者共も、RSGの全国放送で俺のだって宣言したにも関わらず婚約話を持ち込んできやがる!
しかも中には「本気で惚れた」とか抜かすバカまで現れやがった!! ふざけんじゃねぇぞ! 俺のがサチコに惚れてんだよ!! ぽっと出の野郎に奪われてたまるか!!
サチコには十年待ってほしいとは言われたが、それはあくまでも結婚することに対してだ。その前にサチコが俺に惚れるのは何も問題がねぇはずだ!
だから俺は、一刻も早くサチコを惚れさせるために努力してる。毎日「好きだ」って気持ちは伝えてるし、サチコの好きなお菓子作りにも余念はねぇ。顔色を見て引き際も分かるようになった。前みたいに感情の押し付けにはなってない、はず……多分……。
いや、でもサチコもそこまで嫌がってねぇし……。本気で嫌ならちゃんと言ってくれるはずだし、そしたら俺だって止めてるし……。
それに最近は、前よりも近づいても平気そうだ。甘えりゃなんやかんや受け入れてくれるし……昨日なんて抱きしめたら、呆れながらも頭を撫でてくれたし……。
……正直、キスくらいならいける気がする。どさくさに紛れてやったって、案外許してくれそうな気もする。
問題は場所だ。口は絶対アウトだろう。そこは分かってる。だから、サチコが怒らない場所の選定が重要だ。
……無難につむじから攻めてみるか?
それで気づかれなかったら、次はこめかみ。そこでサチコが顔を赤くして「も、もう! 先輩!」なんて照れながら言ってくれたら……や、やべぇ……しぬ。
そのあと「ばか」って小声で呟きながら俺に寄りかかってきて、俺の服をちょっと握って、そっと肩に頭を乗せてあああああ!
なんだよその最強コンボは!! かわいい!!! 尊い!!! 好きいいいいいい!!!
……って、は!? 違う違う! 話がそれた!!
最終的にそういう関係になる予定だが、今はまだその時じゃねぇ。俺とサチコの関係を進める前に、どうしても邪魔になりそうな野郎がいる。しかも二人もだ。
一人は言うまでもねぇ。俺がアフリマンになった未来で、サチコの隣でふんぞり返っていた白髪野郎だ。
最初は、俺が近づけば尻尾を巻いて逃げてたくせに、最近はやけに対抗してくる。……いや、違うな。あの目は完全に奪いにきてる目だった。
隙を見せれば掻っ攫う気満々の憎たらしい目だ。しかも、いつの間にかサチコから絶大な信頼を得やがって……サチコが困った時、一番に頼るのが何故かあいつなんだよ!!
修行も、マッチも、相談事も、あまつさえ男女一組限定スイーツなんぞあれば奴と食いに行く!
なんっっっでだよ! そこは俺だろ!? 俺を誘ってくれよ!! サチコと二人きりでデートしやがって、マジで許さんぞ白髪あああああ!!
つぅか、サチコのピンチの時にいつも奴が近くにいんのも納得いかねぇ!! 俺より弱ぇ癖に! 俺より弱い癖に!! 颯爽とサチコを助けてんじゃねぇよ死ね!! いや、サチコが傷つかないことはいいことだ。サチコが傷つくなんてあっちゃいけねぇことだ。そこはいい。でも、なんで俺じゃねぇんだよおおおおお!!
くっそ! これが運命力って奴なのか!?
アフリマンに見せられた枝分かれした未来。あそこで、奴は常にサチコとイチャついてやがった……許せねぇ……許さねぇぞ、くそ白髪ぁ……この世界線じゃ絶対にサチコは奪わせねぇからな。サチコと幸せになるのは俺なんだよ!!
この未来だけは絶対に阻止する。運命なんざくそ喰らえだ。俺とサチコが一緒になれねぇ未来はすべてぶっ壊す。これは決定事項だ。
だから俺は、奴だけは徹底的に潰すつもりだった。奴さえ潰せばサチコの隣にいられると思ってたのに!! ……まさか、あんな誤算が出てくるとは……。
それに気づいたのは、サチコが定期検査を受けに来た時だった。
サチコの検査帰りを狙ってデートに誘おうと、俺はアイギス本部で待ち伏せしていた。
サチコの姿を見つけて駆け寄ろうとした、その瞬間──サチコは、ガラス越しに映る自分の姿を見て、そっと身だしなみを整えていた。
まるで、これから好きな人に会う前に、身なりが気になったみたいな雰囲気を醸し出して。
なんだあれ、ものすごくかわいいんですけど? まさか俺か!? 俺に会うために気にしてんのか!?
そう期待してドキドキしていたその時。サチコの表情がぱっと明るくなり、駆け寄った相手は……俺じゃなかった。
サチコが向かった先にいたのは──まさかの氷川ヒョウケツ。
そう、サチコはあの野郎に会うために、あんな可愛いことをしていたのだ。
そして、思い出すのはサチコの好みのタイプの話。
──「一回り以上年上の落ち着いた男性が好みです」──
嘘だろ……誰か……誰か嘘だと言ってくれよ! そんな……サチコが、サチコがあんなおっさんが好みだなんて!!
これは由々しき事態だと頭を抱える。
なんとか自分に振り向かせるため、サチコが奴のどこを気に入ったのか探るべく尾行を開始した。
そして手に入れた情報は──
「……あまり、見つめられると困るのだが」
「すみません。本当にドストライクなんです。顔が」
「……今はマナに集中してくれ。写真なら後で好きに撮ればいい」
「ありがとうございます。集中します」
顔、だと……!?
会話を最後まで聞いていると、お互いに恋愛感情はなさそうで安心した。安心はしたが、最悪な事実に気づいてしまった。
氷川ヒョウケツと青髪は似ている。細胞分裂して生まれたんじゃねえかってレベルで似ている。つまりだ。
青髪が成長したら、サチコの好みの顔になっちまうんじゃねえのか?
これは不味い! 不味すぎる!!
恋愛において、顔が好みってのは最大のアドバンテージだ。マッチで言えば、こっちの初期手札が一枚なのに対し、相手は十枚もあるようなもんだ。
あんな自覚のない野郎なんざ脅威だと思ってなかった俺の見立てが甘かった。まさかこんな伏兵に化ける可能性があるなんて思いもしなかった。
サチコを落とすのに時間が掛かればかかるほど不利になる。サチコの「私に好きな人がいない」っていう条件に頷いてしまった以上、なんとしても阻止しなければならない。早急に対処すべき案件だった。
そ れ だ と い う の に !!
俺は今、くそ親父に呼び出されて、アイギス本部の執務室にいた。
くそどうでもいい任務の話を延々されて、せっかくサチコと放課後デートしようと思ってたのに……貴重なアピールチャンスを邪魔されたことでイライラが募る。
「……クロガネ、聞いているのか?」
俺の態度に気づいたくそ親父が、眉をひそめてこちらを見た。面倒だなと思いながら睨み返した時、ふと思ってしまった。
……認めたくねぇが、俺はこのくそ親父に似ているらしい。そして、サチコの好みは一回り以上年上の男だ。
それに一つの望みをかけて口を開く。
「くそ親父」
「…………なんだ」
「てめぇは……」
本当にそうだったら、それはそれで胸糞だなと思いながらも続ける。
「サチコに、顔を凝視されたことはあんのか?」
「…………は?」
「〜っ、だから! サチコに顔が好みだって言われた事はあんのかって聞いてんだよ!!」
くそ親父は怪訝そうな顔をしていたが、やがて合点がいったかのように頷いた。
「まさか、実の親にまで嫉妬しているのか? 安心しろ。影薄サチコは私に興味はないようだ」
「ちっ、使えねぇ」
「なんでだ」
俺の反応が気に入らないのか、くそ親父は顔を顰めている。
「しょうもねぇ顔に産みやがって、ふざけんなよ死ね」
「……田中。これは、どう解釈すればいい? どうするのが正解か?」
「ほっほっほっ。そういうお年頃でございます。放っておくのが一番でございますな」
「そうか……」
「因みに、旦那様も似たような者でございましたよ」
「…………そうか」
そのまま任務の説明が終わり、俺は執務室を後にした。
残念なことに、俺の顔はサチコの好みにはならなさそうだ。
けど、生まれ持ったモンにケチをつけても始まらねぇ。初期手札に差があったとしても、それでマッチの勝敗が決まるわけじゃねぇんだ。
たとえ手札がなくても、勝つ手段はいくらでもある。手札はどうにもならなくても、デッキ構成を見直すことはできるのだから。
この勝負だけは、誰にも負けるわけにはいかねぇ。
「サチコ……」
俺は左手の薬指にはめている指輪を見つめる。
「絶対ぇ振り向かせてみせるからな」
そんな決意を抱きながら、そっと指輪にキスをした。