ph193 地雷三択、正解なし
「影薄サチコ。まずは無事で何よりだ」
その言葉に、私はそっと頷いた。
場所は、アイギス本部の執務室。五金総帥の席の前。冷静な声音も、微動だにしない表情も、普段と何ひとつ変わらない。
今朝、玄関に現れたのは、見覚えのあるアイギスの隊員だった。
「サチコ様。本日、本部にて総帥より御下命がございます。恐れ入りますが、同行をお願いいたします」
昨日は、私の心情を汲んで家に帰してくれた。だから今日、呼び出しがあることは、なんとなく予想していた。
「……わかりました。すぐに支度します」
荷物をまとめながら、自分に言い聞かせる。何を言われても冷静に。ちゃんと、受け止められるように。
──そして今、私は総帥の前にいる。
「本来であれば、このような措置は望まぬところだが……昨日の件、事態の性質上、見過ごすわけにはいかんのでな」
そう言って、五金総帥は手元の書類を静かに一枚めくった。
「影薄サチコ。貴公には、当面のあいだ護衛を付けるものとする」
デスクの上には、数枚の身上調書。どれも、アイギスの現役隊員のものらしい。
「日常に支障が出ぬよう配慮はするが、一定の行動監視は避けられん。……この判断に至った経緯を、貴公にも理解してもらえると助かる」
「……はい。心得てます」
私が頷くと、総帥はさらに言葉を継ぐ。
「……護衛に指名する者は、貴公の希望を最優先とする。信頼に足る者がいるのなら、遠慮なく名を挙げたまえ。なければ、此方で選出する」
そこで、彼は机上の書類に一瞥を送り、抑えた声で言葉を添える。
「必要であれば、候補となる隊員の資料を貸与する。判断に資するものがあれば、遠慮なく申し出るがいい」
「心遣い、ありがとうございます」
私が返事をすると、総帥は再び書類へ視線を戻す。
「決定の猶予は、明日正午までとする。それまでに結論が出ぬようであれば、此方で手配する。……以上だ」
事務的で、隙のない口調。けれどその言葉には、私の意思を尊重しようとする配慮が、確かに含まれていた。
「……承知しました。それでは、失礼します」
軽く一礼して背を向ける。重々しい扉が音を立てて開き、静かに閉じられた。
廊下に出た瞬間、緊張がふっと緩んだ。私はひとつ、深く息をつく。
……護衛、か。
私が狙われたのには、明確な理由がある。この特異な力のせいだ。
大気のマナを扱える能力──先祖返り。サモンマッチ協会からも重視されているという自覚はある。だからこそ、本来なら護衛なんて生ぬるい措置で済むはずがなかった。最悪、監視付きの軟禁生活だって覚悟していた。
けれど、実際に下された処分はただの護衛。それも、日常生活に支障が出ない範囲での運用とのことだった。そう考えれば、この対応は破格の温情だ。総帥の配慮には、素直に感謝している。
とはいえ、いざ護衛を選べと言われても、思い浮かぶ相手はいない。このまま総帥に任せてしまったほうが、下手に悩まずに済む気もする。
アイギスの隊員に顔見知りはいるけれど、適任かどうかは素人目には判断がつかない。だったら、最初からプロに任せておいたほうが確実だ。
でも、せっかく気遣って時間をくれんだし、即決するのもなぁ……。
本部内のカフェにでも寄って、考えるだけ考えてみよう。そんなことを思いながら歩いていたところで、前方からヒョウガくんの姿が見えた。
「あれ? ヒョウガくん、今帰り?」
「……まぁ、そんなところだ」
声をかけると、ヒョウガくんは少しだけ表情を曇らせた。何か考えているような目で、私をじっと見つめてくる。
「……どこか、行く途中だったか?」
唐突な問いかけに、一瞬首を傾げるけれど、すぐに答える。
「いや、特には……。ちょっと、カフェにでも寄ろうかと思ってたけど」
その言葉に、ヒョウガくんは静かに頷いた。
「そうか……なら、そこに寄ってからでもいいか。少しだけ時間をもらいたい。話したいことがある」
真剣な目に気圧されつつも、特に断る理由もなかったので、私は素直に頷いた。
「うん、大丈夫だよ」
それを聞いたヒョウガくんは、ふと視線を柔らかくした。
カフェは少し混んでいたので、落ち着いて話せそうになかった。だから私はテイクアウトを提案し、ヒョウガくんと一緒に静かな中庭へ向かった。
カフェラテ片手に、中庭のベンチに腰を下ろす。
飲み物の代金は、ヒョウガくんがすっと払ってくれた。お前の時間をもらうからって。……ほんと義理堅いよなぁと思いながら、私はひと口、ラテを飲んだ。
「それで、話って?」
ヒョウガくんは一呼吸置いて、少しだけ視線を落とした。
「護衛の件、聞いた……その……」
言いにくそうに前置きをしながらも、目はまっすぐこちらを見ている。
「お前が、嫌じゃなければでいい。……その役目、俺に任せてもらえないか?」
「えっ……?」
あまりに予想外な申し出に、私は思わず声を漏らす。
「いや、なんだ……お前には色々と世話になったし……。 それに、知らない大人に見張られるよりは、俺のほうが気楽だろう?」
「ヒ、ヒョウガくん……!!」
な、なんだこいつ……いい奴すぎるだろう!?
正直なところ、ヒョウガくんの申し出は願ってもない話だった。
総帥が選んだ護衛なら、信頼はできる。でも、あまり親しくない相手に見張られるのも気疲れしそうだ。その点、ヒョウガくんなら気心も知れてるし、同じクラスで、席も隣。そばにいても自然だし、周囲の目も気にならない。
ていうか、ヒョウガくんにそんなこと言われるなんて、想像すらしてなかった。面倒な役目なのに……本当に、ヒョウガ様様である。
「じゃあ、お願いし──」
「あっれェ? そこにいんのは、サチコちゃんじゃねェかァ?」
「うわっ! わ、渡守くん!?」
頷く前に、肩にズシンと感じた重みに前のめりになる。横を見ると、ベンチの余ったスペースに無理やり座り、私の肩に腕を乗せている渡守くんの姿があった。
「ンなとこで一人寂しく茶ァしばくとか、テメェ友達いねェのかよ。ヒャハッ! 可哀想な奴だなァ?」
「それ、渡守くんだけには言われたくないです」
なんだこいつ。急に出てきて特大ブーメランかましてくるじゃん。そもそも、私一人じゃないし、ヒョウガくんいるし。
「そォいや、護衛が要るんだってなァ? ……俺がなってやってもいいぜェ? お友達のいねェ、サチコちゃんのためによォ」
「いえ、結構です。大丈夫です。間に合ってます」
「ンなつれねェこと言うなよ。仲良くしようぜ? サ・チ・コ・ちゃ~ん?」
「貴っっっ様ああああああ!!」
渡守くんの言葉に被せるように、ヒョウガくんが声を荒げた。
「影薄から離れろ!!」
「あ? ンだよ。いたのかのよ、ヒョウガくん……小さすぎて気づかなかったわァ」
「なんだと貴様!!」
ヒョウガくんは顔を強張らせ、勢いよく立ち上がった。銃を実体化させ、迷いなく渡守くんに向ける。
「だいたい貴様はなんだ! 急に現れ、護衛になってもいいだと? ……影薄の護衛は俺だ。貴様の出る幕はない」
「はァ? テメェが護衛? 笑わせんなよ。せいぜい、弾除けが関の山だろ。優等生くんは引っ込んでろよ」
「引っ込むのは貴様の方だ! いい加減、影薄にまとわりつくのはやめろ!」
ちょっと待て、なんだこの状況は……。
「だいたい、テメェはコイツとのタッグ相性最悪だっただろォ? 明らかに不適じゃねェか。お呼びじゃねェんだよ」
「う、うるさい! タッグ相性なんて関係ない! 俺は、影薄を守りたいんだ!!」
なんか、アレだ……ものすごくむず痒いぞ! なんだよこの居た堪れない状況は!!
とりあえず冷静を装って、ラテを啜る。
「ヒャハハッ! 必死かよ! 本当にヒョウガくんはサチコちゃんの事が大好きでちゅねェ?」
「貴っ様ぁっ! いい加減にしろおおお!!」
あぁ。なるほど、そういうことが。
渡守くんの発言で、スッと頭が冷えた。
なんだか今日の渡守くん、妙にベタベタしてくるし、らしくない発言するし……一体どうしたのかと思っていたけれど、これ、いつものヒョウガくん弄りだわ。納得した。
気づけば渡守くんの腕もどいていた。どうやら私を出しにするのも飽きたらしく、今はヒョウガくんと向かい合い、槍を構えている。
これは放っておいていい案件だと判断した私は、空になった容器を手に立ち上がり、ゴミ箱を探して周囲を見渡した。そのときだった。
「サチコおおおおおおお!!」
おい、なんでこのタイミングなんだよ。
最悪だ。この状況で一番最悪な奴が乱入してきやがった。
「サチコ! おまっ、襲われたって……俺、精霊界に……ああ! くっそ! もうサチコから離れねぇ!! ずっと一緒にいよう! 結婚してくれ!!」
「勘弁してください」
クロガネ先輩の登場で、場がさらにカオスになりそうな気配を察知する。私はこめかみを押さえながら、静かにため息をついた。
「急な求婚はやめてくださいって言ったじゃないですか。それに、会うのは本戦でって約束でしょう? 全国放送の件、まだ許してませんよ」
「で、でも! だって……」
先輩は絶対に離すまいと言わんばかりに、私の腰に抱きつく。
「……俺も、ちゃんと反省してたんだ。サチコに会いたくなるから、自分から精霊界の任務を増やして……。でも……サチコが襲われたって聞いて……もう、いてもたってもいられなくて……サチコおおおお!!」
「先輩、うるさいです」
先輩は「捨てないでぇ!」と懇願しながら、必死にすがりついてくる。
捨てるも何も、お前を所有した覚えはない。そんなことより、傍から見たら絵面がヤバイので今すぐ離れて欲しい。切実に。
「おい」
私が先輩の頭を必死に押し返していると、ヒョウガくんのいつもより低い声が聞こえた。
「影薄が嫌がってるだろう。離れろ」
「…………あ?」
ヒョウガくんは、実体化させた銃を先輩に向けながら、静かに怒気を滲ませる。
「貴様のそれは、ただの独りよがりだ。そんなもの、好意ではない。迷惑と言うんだ」
「…………うるせぇな。俺とサチコの問題に、部外者が口を出すな」
「部外者ではない。俺は影薄の護衛だ」
「……護衛、だと?」
その言葉を聞いた瞬間、先輩の顔から柔らかな表情がすっと消える。
目が見開かれ、殺気を帯びた視線がヒョウガくんに突き刺さる。まるで今にも飛びかかりそうな勢いだった。
おい、やめろよ。ガチ喧嘩だけはしないでくれ。君たちが本気でバトったら、被害が尋常じゃなくなるだろう。
どんどん悪くなる状況に、頭が痛くなる。
まぁでも、救いはあるな。渡守くんが消えてくれるから……。
先輩来たし、先輩が苦手な渡守くんは退散してくれるだろう。あの人に粘着されたら厄介だって、よく知ってるはずだし。面倒事が嫌いな渡守くんが、わざわざ先輩と正面からぶつかるとは思えない。
とりあえず、一人は片付いたな……。
「おいおい、まだ決まってねェってのに、既に騎士気取りかァ? 独りよがりなのはどっちなんだか」
な ん で だ !!
ふざけんなよ渡守この野郎。お前、いつもこういうタイミングで消えていたじゃないか。なんで口を挟むんだ。なんで参戦してんだ。話がややこしくなりそうだから、君だけでも消えてくれよ!!
「なっ、貴様!!」
「白髪……ってめぇ!!」
あぁ、やばい……先輩が渡守くんを視界に入れただけでめっちゃキレてる。そうだよ、この人例のダイレクトアタックの件ずっと根に持ってたもの。殺す宣言してたし、このままじゃ本気でまずいよ。
「どォしたよ、イカれ坊ちゃん? 随分と余裕のねェ表情じゃねェか……何をそんなにビビってんだァ?」
お願いだから煽らないで!! その人、私に関しては異常に沸点低いから!! あんだけ関わりたくないって言っていたのに、今更どうして──っ!?
そこまで考えてハッと気づく。
そうだよ。渡守くんが先輩に苦手意識持ってたのって、黒いマナのせいだったじゃないか。あれのせいで近づけなかったし、理不尽な目に遭っても黙って耐えてたんだった。
……もしかして、先輩のマナが浄化されて平気になった今、その時の鬱憤を晴らそうとしているのか!? そうか、そうなのか!! 理由は分かったから今はやめてくれ!! 巻き込まれるのは嫌だ! 頼むから私のいないところでやってくれ!!
「くそがっ! やっぱ駄目だ……社会的にマーキングしとかねぇと、サチコに変なのが群がってきやがる!! サチコ、今すぐ結婚しよう!!」
「先輩結婚のこと社会的マーキングって言ってんですか? 正直引きます。そして嫌です」
「ちくしょう!!」
先輩が崩れ落ちるように膝をつく。
「こんなに、好きなのに……!! なんで伝わらねぇ!!」
「いや、伝わってます。伝わってるから、引いてんですよ」
先輩はなんでだ! って叫んでいるが、落ち着け変なの筆頭としか言えない。
「分かった。じゃあ、結婚を前提に護衛をさせてくれ!!」
「嫌だつってんでしょう。まずは結婚から離れてください」
先輩は頭を抱えてるけど、抱えたいのはこっちだ。
「つゥか、護衛ってのは付き添いも仕事なんだろォ? そんじゃあ、スイーツ大好きサチコちゃんはァ、テメェ等みてェな甘いモン嫌いが護衛になっちまったら、気ィ使って好きなモンをロクに食えねェってワケか。かわいそォになァ?」
それは、確かに……。一人だけ好きなものを食べて、相手を待たせるのは気が引ける。付き添いが甘いもの嫌いだと、さすがに遠慮してしまうかもしれない。
「テメェらのだァい好きなサチコちゃんに我慢させるとかよォ……どんな拷問だよ? ひでェ護衛もいたモンだなァ?」
「……確かに俺は、甘いものは苦手だ。けど……」
ヒョウガくんは、少しだけ視線を落としながらも、はっきりとした声音で言った。
「幸せそうに食べる、影薄の姿を見るのは好きだ。問題ない」
……お、おっふ。
とんでもないド天然発言がきたよこれ。
いや、他意はない。他意はないのは知ってるよ? でもビックリするからやめてくれ。反応に困る。
「はあああああああ!? ふざけてんじゃねぇよ! 俺のが好きだわ!! こっちは録画したの毎日観てんだよ!! なめんな!!」
「先輩、気持ち悪いです」
また先輩が沈むのをスルーしながら、現状をどう収拾つけるかを考える。
渡守くんは、まあどうせいつもの軽口だ。除外していい。
でも、ヒョウガくんと先輩は、本気で私の護衛に名乗りを上げてくれている。二人とも気心の知れた相手ではあるけど……。
まず、先輩は却下。テレビの件がある。あんなふうにこっぴどく振っておいて、一緒に行動なんてナンセンスにもほどがある。
かといって、ここでヒョウガくんを選んだら、それはそれで先輩が荒れるのは目に見えてるし、どうしようか……。
「……で? 誰にすんだよ?」
ふと視線を上げると、三人が揃ってこっちを見ていた。
私は──
「わーい! サチコちゃん、僕を選んでくれてありがとう!!」
ユカリちゃんは、嬉しそうにくるくると回りながら、私の前を歩いていく。
「何があっても、僕が守るから、安心してね!」
「うん、ありがとう。頼りにしてる」
私の返答に、ユカリちゃんはますます笑顔を深くした。
あの三人から護衛を選びたくなかった私は、ユカリちゃんにお願いすることにした。彼女が快く引き受けてくれて、本当に助かった。
……まぁ、自分より小さな女の子に護衛を頼むのはどうかとも思ったが、ユカリちゃんの実力は私が一番よく知っている。小さいからと侮るなかれ、彼女は並のマナ使いを軽く捻れるだけの力を持っている。
「じゃあさ、じゃあさ、このあとパフェ屋さんに行かない? 僕、気になってるお店があるんだよねぇ!」
「いいね。私もパフェ好きだから行きたいな。あっ、ハナビちゃんたちも誘う?」
「うんうん! 誘おう! 人数多い方がもっと楽しいよ!!」
護衛がつくと聞かされたときは、正直どうなるのか心配だった。 けれど、こんな護衛生活なら、悪くない。