ph191 レートも空気も重い
先輩の公開プロポーズを上書きするように、インタビューであえて「プロポーズ? 知りません。優勝するのは私なんで」と振り切った発言をしてから、十日が経った。
完全に噂が消えたわけではない。けれど、「先輩の彼女です! 彼が優勝したら婚約します!!」なんていう不名誉な話からは脱却して、「御曹司の求婚を断った、マッチに生きる女」という多少マシな噂にすり替えることができた。作戦としてはひとまず成功と言っていいだろう。
このまま順調にRSGへ突き進める。そう思っていたのに。私は今、新たな壁に直面していた。それは──
順位が、上がらない!!
あれだけインタビューで堂々と優勝宣言したのだから、それなりの成績で本戦出場を決めなければ、示しがつかない。せめて、二桁には入りたい。そう思って、毎日ひたすらマッチに打ち込んできた。なのに、現在のランキングは《218位》。因みに、十日前は《244位》だ。
なんでだよ!! 頑張って連勝したのに、レートはたったの「4」しか上がってないって、どういうことだよ!!
もちろん、順位に差があると、勝ってもレートが上がりづらいのは分かっていた。分かってはいたけど……それにしても渋すぎじゃないか!? そもそもレートって何!? どんな計算式なの!? これならポイント制のが分かりやすかったわ!!
私は本戦出場枠のレート一覧を開きながら、頭を抱えた。
……先輩のレートも、あまり変わっていない。《2354.3》で1位のままだ。十日前からの増加はたった《0.3》。一方、2位の人は──《2249.2》!?
え? なにこの差? どういうこと!? 意味がわからないんですけど!!
そして、私のレートは《1868.0》。二桁順位に入るには、最低でも《1887.4》が必要。つまり、あと《19.4》も上げなきゃいけない。
……というかさ、これ。30位あたりから上、別世界すぎない? 明らかにレートの差が異常なんだけど……。
ため息をつきながら、私は自分より上にいるサモナーたちの名前を確認していく。誰と当たれば効率よくレートを上げられるのか、少しでもヒントを探すために。
クロガネ先輩を除いて、見知った名前の中で一番上にいたのは──シロガネくんの《13位》。さすが「天才」を自称するだけある。ほぼプロ入り確定と噂される中学生たちの中に混ざって、この順位にいるのは、素直にすごいと思う。
画面をさらにスクロールしていくと、目に飛び込んできたのはヒョウガくんの《32位》。
みんな高いなぁ……どうやってそこまで上げてるんだろう。やっぱり、同じくらいの人に地道に勝つより、格上の相手に挑んで、一気にレートを稼いだ方がいいのかも。
……でも、順位が高すぎる人とマッチしても、勝てる気がしないし。そもそも、オンラインでマッチを申し込んでも、みんな考えることは同じなのか、なかなかマッチングすら成立しない。
そう思いながら、ランキングを下へとスクロールしていく。──そして、飛び込んできた名前に、思わず指が止まった。
《48位 渡守セン》
……そっかぁ。渡守くん、私より上なんだぁ……。
「渡守くん! レートください!!」
「ブッ殺すぞ」
アイギス本部の訓練室。その一角でマナの制御訓練に集中していた渡守くんが、ピタリと手を止めて、こちらを振り返った。
額にはわかりやすく浮かんだ青筋一本。……よっしゃ、いい感じにキレてる。
「別にわざと負けろとは言ってません。ただ、普通にレート戦をして欲しいだけです。私が勝つので」
「調子乗ってんじゃねェぞ!! テメェみてェな陰険女に渡すレートなんざ、1レートもねェんだよ!!」
怒鳴り声と同時に、彼の手元に集まったマナがカードに注ぎ込まれ、鋭い槍に変化して私に突きつけられる。天井の高い訓練室に、ピリピリとした殺気が響いた。
──まあ、ここまでは想定の範囲内だ。
「わかりました。では、口で争っても仕方がないので、マッチで決着をつけましょう」
「ふざけんな。ンな見え透いた手に誰がノるかよ」
ちっ、ダメか……。
「そんなこと言わないでくださいよ。こんな失礼な頼み方ができるのも、渡守くんくらいしかいないんです。お願いします。後生の頼みです」
「死ね」
素直な気持ちを伝えたつもりだったけど、むしろ逆効果だった。渡守くんはますます不機嫌そうに顔を背けてしまう。
……これは、困ったな。予想外の反応だ。軽く煽れば、いつもの調子で乗ってきてくれるかと思ってたのに……。
渡守くんは《48位》。レートは《1942.0》。私とのレート差は《74》。この差なら、仮に負けても大きな痛手にはならないし、逆に勝てれば一気にレートを稼げるチャンス。
……あまり褒められた手じゃないけど、今は背に腹はかえられない。
どうにかできないかと考えているうちに、渡守くんがふいに立ち上がった。そして、無言のまま訓練室の出口へ向かって歩き出す。
「……え?」
思わず、声が漏れた。
え、ちょっと待って。帰るの? この流れで? え、本気で怒ってる……?
呼び止めようと口を開く前に、彼は振り返ることもなく、さっさとドアを開けて出ていってしまった。
「……もしかして、結構真面目に怒らせた?」
「渡守くん。……渡守くん!」
呼びかけても返事はない。どんどん遠ざかっていく背中を見ながら、私は少しだけ足を速めた。
「待ってください」
追いついて、彼の腕を軽く掴む。歩みが止まり、わずかにこちらを振り返った渡守くんが、低く呟いた。
「……ンだよ」
やっぱり機嫌は悪そうだ。けれど、返事をしてくれただけでも十分だと判断し、私は言葉を慎重に選ぶ。
「さっきは、すみません。本気で怒らせるつもりはなかったんです。ただ、いつものノリで……つい、ふざけすぎました」
渡守くんなら受け流してくれるだろうという甘えがあったのは否定できない。線引きを間違えたのは、明らかに私のほうだ。
「本当に、ごめんなさい」
素直に頭を下げかけた、そのときだった。
「っ……ああ、クソがっ!!」
荒々しい声とともに、渡守くんが片手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んだ。
「……なんで俺ァ、ンな奴に……」
かすかに漏れたその声は、誰に向けたものなのかよくわからなかった。責めるようにも、呆れるようにも、ただ自分自身に言っているようにも聞こえる。
「渡守くん……?」
戸惑いながら声をかけると、返ってきたのは乾いた舌打ちだった。
「……別に、テメェにキレてるわけじゃねェ」
だったら、さっきの態度は何だったんだろう。問い返したい気持ちを飲み込みながら見ていると、彼はすっと立ち上がった。
「任務だ」
渡守くんは、そう言いながら私にMDの画面を見せる。
「浮遊監視所に精霊が紛れ込んだらしい」
「浮遊監視所に……」
上空に浮かぶ監視施設。サモンマッチ協会の管理下で、飛行型の精霊の行動記録や航空管制を行っている。そこに異常が出たのなら、即時対応も当然だ。
「だから今から行くンだよ。……そんだけだ」
そう言い残し、渡守くんはまた背を向けて歩き出す。完全に「もう話は終わり」とでも言うような態度だった。
「……待ってください」
反射的に声が出る。振り返った彼は、あからさまに面倒くさそうな顔をしていた。
「……あ?」
「さっきのこと、流石にちょっと言いすぎました。なので……せめて、埋め合わせくらいはさせてください」
精霊が潜伏しているのなら、探知能力は戦力になる。私が同行すれば、任務の効率も上がるはずだ。
「私のマナ感知能力の高さは知ってますよね? その任務、私も手伝います」
「キレてねェつってんだろ……別にいらねェよ」
「じ、じゃあ……」
少しだけ息を整えて、まっすぐに提案を告げる。
「その任務を手伝わせてください。そのうえで……もし渡守くんが、私を“役に立った”って思ってくれたら……そのときは、レート戦して欲しいです」
駄目ですか? と彼の顔を覗き込むと、渡守くんはため息をついてぼそりと呟いた。
「……好きにしろ」
どうやら了承してくれたらしい。私は小さく一息ついて、彼の後を追いかけた。
浮遊監視所には、すでに数名のアイギス隊員が到着していた。私の姿を見るなり、彼らの表情がふっと緩む。どうやら歓迎されているらしい。
「……何かあったんですか?」
「それが──」
アイギスの隊員が、現地スタッフからの報告内容を簡潔に説明してくれる。どうやら、施設内に紛れ込んだ精霊は、かなり繁殖力の高いタイプだったようだ。各所に卵を産みつけていったらしく、対応が遅れれば孵化してしまう恐れもあるという。
厄介なのは、卵の段階だとマナの反応が極端に薄く、通常の探知では反応を拾いにくい点。精度の高い感知能力を持つ者が必要になり、ちょうど天眼家への支援要請を出そうとしていた矢先に、偶然、私が現れたという流れらしい。
──なるほど。状況は把握できた。
一通りの説明が終わると、私と渡守くんは、アイギスの隊員と施設職員に案内され、会議室へと向かうことになった。途中、セキュリティゲートのある通路をいくつか抜ける。この施設の移動には、職員用のカードが必要らしい。
会議室に入ると、中央には大型の電子端末が据えられており、施設全体の地図がホログラムで表示されていた。
私は電子端末の前に立ち、息を整えてマナに意識を集中させた。空間に残された痕跡をたどり、微かな気配を一つずつ拾い上げていく。
……なにこれ、めっちゃあるんですけど!?
頭の中に、ぽつぽつと浮かぶ反応の座標。施設全体に、思っていた以上の数が点在している。これって……まさかまた、イニシャルG的な……いや、考えるな。考えたら負けだ。
内心で悲鳴を上げながら、私は一つひとつ、得た座標を画面上の地図に手動でマーカーとして入力していく。指で示すたび、そこに小さな印が打ち込まれた。
作業を進めるにつれ、隊員たちの間から驚きと賞賛の声が上がり始める。
「すごい……もう二十ヶ所近いぞ」
「探知速度も精度も桁違いだ……さすが先祖返り……」
ざわつく隊員たちの声が、背後から聞こえてくる。あまり持ち上げられると困るけど、役に立てている実感は悪くない。
私はひとつ息を整え、集中を保ったまま再び感知を続けていた。すると、背後の空気が微かに変わる。静かで、けれど肌の奥をじわじわと撫でてくるような──どこか、生温い視線。
振り返った瞬間、寒気が走った。
スーツ姿の男が、こちらを見ていた。記憶の中に残っている顔。ローズクロス家で出会った、あの分家の男だ。
隊員たちに紛れるようにして立ち、にこやかな笑みを浮かべている。その笑みは、まるで歓迎でも尊重でもなく、得体の知れない期待のようなものを帯びていた。
よく見ると、首から社員証らしきものが下がっている。
まさか、この男……監視所の関係者だったのか……?
場違いな再会に、思考がわずかに鈍る。なぜか言葉が出てこない。話しかけられたわけでもないのに、呼吸が浅くなっていく。
視線が、刺さる。
もっと正確に言えば……値踏みするような、それでいて何かに確信を抱いているような、そんな眼差し。
意味なんて分からない。ただ、本能的に不快だった。気を逸らすように、ひたすら作業に集中しようとした。
何もしてこないと、頭では理解している。それでも、背中に貼りつくような視線は、じわじわと神経を削ってくる。
呼吸が浅くなっていくのを自覚しながら、心の中で繰り返す。お願いだから、どこかへ行ってほしい。早く、この圧から解放されたい。
そう思っていたとき、視界の端に気配が差した。
横を見ると、いつの間にか渡守くんが立っていた。無言のまま、私の隣に立ち、あの男の視線を遮るような位置にいる。
「何サボってんだ。はよやれや」
相変わらず口は悪い。でも、その立ち位置だけで意図は伝わる。あの男から私を守るように、無言で立ちはだかってくれているのだ。たとえ本人が絶対に認めないとしても。
……ありがとう、渡守くん。
言葉にしたら怒られそうだから、心の中だけでそっと感謝した。
彼の気遣いに背中を押されて、私は再びマナの感知に集中した。痕跡を拾い、座標を記録し、正確に地図へと落とし込んでいく。
すべての卵の位置を特定し終えると、座標データがすぐに隊員たちのMDへ送信された。それを確認した彼らは、慣れた手つきで次々に捜索ルートを確認し、それぞれの持ち場へと散っていく。
その様子を少し離れた位置から見ていると、渡守くんの声が飛んだ。
「おい」
一瞬、捜索班に向けて言ったのかと思ったが、視線はまっすぐこちらに向けられていた。
「テメェはもう帰れ」
ぶっきらぼうな言い方のまま、今度は隊員に向き直って言葉を継ぐ。
「こいつは任務免除の身だ。用が済んだんなら、ここに置いといても邪魔なだけだろ」
突き放すような口ぶりではあったけど、それが気遣いから来ているのは明らかだった。あの男の視線を遮ってくれたうえで、今度は私をここから遠ざけようとしてくれている。
……まったく、そういうところが、渡守くんらしい。
「……そうだね」
指揮を執っていた隊員がうなずき、私へと向き直る。
「協力ありがとう。君のおかげで助かった。あとは我々で対応するから、本部に戻ってくれて構わない」
「はい。わかりました」
私は隊員に軽く頭を下げる。任務は終わった。なのに、背後にはまだ、まとわりつくような気配が残っている気がして……自然と、足が出口へと向いた。
会議室を出て、廊下を歩き始めたそのとき。
すれ違いざま、肩先にほんのわずかな気配を感じた。すっと空気が揺れ、すぐそばから低い声が落ちる。
「鳴らせばわかる」
「え?」
思わず振り返ったが、彼はすでに背を向け、何事もなかったように歩き出していた。
──なるほど。そういうことか。
レート戦がしたくなったら、電話しろ。鳴らせば気づく……つまり、今回の働きは合格ってことなんだろう。
私は小さく息を吐いた。そしてほんの少しだけ、足取りが軽くなった気がしていた。