ph190 話題の中心とかほんと無理
「ねぇ、昨日のあれ……サチコちゃんのことじゃない? うちのクラスのさ……」
「あ、やっぱり? あの怖い先輩、よく私たちの教室に来てたもんね」
「じゃあ、例のプロポーズってまさか……」
「きゃーっ!!」
教室に入る前から、ひそひそ声と視線が突き刺さる。なぜか妙に耳につく、小声の噂話。誰も私に直接は言ってこないくせに、視線だけがやたらと鋭い。……悪意がないだけ、まだマシだけど。
その注目の中をくぐり抜け、席に着いた私は、荷物を置いて机に突っ伏した。
……ゆ、憂鬱だ!!
今朝、先輩は何食わぬ顔で私の前に現れた。
ただでさえ、財閥の御曹司で、マッチも強くて目立つ人なのに……全国放送であんな発言をしてしまえば、いつも以上に注目を集めるのは当然だ。
そんな先輩と一緒に登校していたら、周囲にどう思われるかなんて、考えるまでもない。「公開プロポーズの相手は私です!!」って、わざわざ吹聴して歩くようなものである。
だから私は、あの番組の放送後、しばらくは距離を置きたいとちゃんと言葉で伝えた。感情的にならず、理屈も筋も通して。それなのに!!
当の本人は、いつも通りの満面の笑みで、「サチコ! 一緒に学校行こうぜ!」と宣ってきたのだ。
私は、自分の額に青筋が浮かぶのを感じた。
朝の通学路で響き渡る大声と、あの笑顔。空気を読まないというより、空気という概念が存在しないのでは?
先輩は今日も元気よく何か喋っていたけれど、もはや聞く気もなく、言葉を遮って一言。
「迎えに来るのは優勝した後なんでしょう? どの面下げて現れてんですか。大会が終わるまで、私に近づかないでください」
語尾まで丁寧に、きっぱりと。そう言い捨てて、私はさっさと歩き出した。
先輩は後ろで何か叫んでいたけれど、私は一度も振り返らなかった。もうあんな奴は知らない。無視だ無視。
そんな感じで、先輩に接近禁止令を出したし、少しは誤魔化せるのでは? と期待していたのだが……教室に入って耳に入った話題に、私は絶望した。
なんでこう、他人の色恋ばっかり興味津々なんだよ。ここ、サモンマッチの学校だよね!? もっと健全に、RSGの話題だけ出してくれ!!
……そんな願いが通じるはずもなく、私は寝たふりでこの状況をやり過ごすことにした。現実は、常に非常である。
けれど、私の机に、見覚えのある三人の気配が近づいてくる。
「サチコさん!!」
やっぱり来たか……。
渋々顔を上げると、一番に目に入ったのは、案の定モエギちゃんだった。
「見ましたよ! 昨日の、RSGナビゲーション!!」
目を輝かせたモエギちゃんは、抑えきれない興奮を全身から放っていた。
「あの、素敵なプロポーズ! どうするんですかサチコさん! 五金先輩が優勝したら婚約されるんですか!? いつから付き合ってたんですか!? なぜ私に教えてくれなかったんですかぁ!!」
完全にハイテンションモードである。三度の飯より恋バナが好きな彼女が、この手の話題に食いつかないわけがない。
「…………ちょっと、記憶にありませんね。何の話をしてるの?」
「またまたぁ! 照れないで、私に包み隠さず話してくださいよぉ!」
とぼけて乗り切ろうとしたが、やはり無駄だった。
モエギちゃんは普段は気の利くいい子なのだが……こと恋の話となると、どうにもポンコツになる。それほど夢中になれるものがあるのは素敵だと思うけれど、今だけは勘弁してほしい。
「あああっ! やっぱりお二人は、運命の赤い糸で結ばれてたんですね!? あの冷たそうな五金先輩が! 生放送であんなに叫ぶなんて!! サチコさんの名前を全国に向けて!! もう、あれはプロポーズじゃなくて、魂の叫びでしたよ!? 冷徹だった瞳が、サチコさんの名前を出した瞬間! 目がキラッて!! カメラがズームしたの見ました!? 愛、溢れてましたよ!! そしてサチコさんもきっと、その瞬間──『私も……っ!』とか、画面の前で呟いてたんですよね!? あぁ……私もう無理……尊すぎて、放送中にお茶こぼしました……」
「ごめん、本当に何の話?」
やばい。またモエギちゃんの妄想劇場が始まってしまった。これを止めるのは至難の業だ。このまま、ないことないことを吹聴されたらたまったもんじゃない。
「落ち着きなよ、モエギ。サチコも困ってるでしょ」
どうしたものかと悩んでいると、モエギちゃんの隣にいたアゲハちゃんが、彼女の肩に手を置いてなだめにかかる。とはいえ、その目もどこか好奇心で光っていた。どうやら彼女も気になって仕方がないらしい。
「で、実際はどうなの? 付き合ってんの?」
「全く」
「そ、そんなぁぁぁ!!」
モエギちゃんが膝から崩れ落ちそうな勢いで叫ぶ。けれどすぐに起き上がって、ぐいっと身を乗り出してきた。
「でもでもでもっ、本当はちょっとくらい意識してるとか……ドキッとしたとか……そんな、キュンキュン話は──」
「ないです」
顔が近い。圧がすごい。
「ど、どうしてですか!? 私、今いちばん気になるのは、サチコさんの恋のお相手なんですぅ〜〜! 五金先輩じゃないなら……ま、まさかヒョウ──!!?」
「はい、ストーップ」
今にも鼻血を出しそうなモエギちゃんの額に、アゲハちゃんが手刀を軽く落とす。その隣でハナビちゃんが、困ったように眉をひそめながらも、優しく私に声をかけてくれた。
「……だ、大丈夫? 無理させてたらごめんね……こんなに注目されたら、落ち着かないよね……」
「うん、ありがとう。……モエギちゃんは、今日も通常運転だね」
「だってぇ〜! 恋って素晴らしいじゃないですかぁ〜〜!!」
モエギちゃんの妄想は、すでに新婚旅行のルートに突入していた。
……まぁ、変にコソコソ噂されるよりは、こうして面と向かって聞かれたほうがまだマシだ。そうすれば、ちゃんと否定できるし、冗談で流すこともできる。
でも──
教室の空気は、あきらかに私たちの会話に耳を傾けていた。特に女の子たち。さっきから教卓の前や窓際の席のあたりで、ひそひそと視線を感じる。
このまま教室にいたら、間違いなく今日一日は噂の的だ。……いや、今日だけで済めばいい方かもしれない。正直、居心地が悪すぎる。どうして、朝からこんなに疲れるんだろうか。
こういうときに限って、アイギスでの検査もなければ、呼び出しも来ない。今だけは、免除された任務が恋しく思えてしまった。
もう「体調不良」ってことにして抜け出そうか──そんな邪な考えがよぎった、その時だった。
「……影薄」
教室のドア近くから、小さく名前を呼ばれる。顔を上げると、ヒョウガくんがこちらを見ていた。
「今、いいか? ……アイギスのことで、話がある」
ヒョウガくんは教室のドアの前に立っていた。姿勢はいつも通り静かで落ち着いていて、表情にもほとんど感情は出ていない。けれど、ほんのわずかに視線が泳いでいる気がして、どこか落ち着かない雰囲気をまとっていた。
……ヒョウガくん経由で話がくるなんて、珍しいな。いつもなら、ケイ先生から直接連絡が来るのに。
何かあったのかな。いや、たまたまってだけかもしれないけど……。
私はこの雰囲気から逃げたい気持ちもあり、深く考えずに頷いた。
「……うん、大丈夫だよ」
三人に手を振ってから、私はヒョウガくんのもとへ向かった。彼は、私が近づくのを待ってから、ハナビちゃんたちに小さく一礼して、教室をあとにした。
ヒョウガくんに案内されるまま、私は校舎の階段を上り、屋上までついていった。
風が少し強い。人気のないその場所は、なんだか普段より広く感じた。
……それにしても、アイギスの話ってなんだろう? 先祖返りに関すること? それとも、急遽私の力が必要になったとか?
「それで、アイギスの話って?」
ヒョウガくんの方に顔を向けながら問いかける。けれど、彼は小さく眉を寄せたまま、何も答えなかった。
そのまま、数秒の沈黙。
……どうしよう。思っていたより、深刻な話だったりする……?
そんな不安がじわじわ広がってきた、そのとき。
「すまない。……嘘なんだ」
「え?」
思わず聞き返すと、ヒョウガくんはわずかに視線を逸らしながら、静かに言った。
「アイギスの話なんてない。ただ、お前が困っていたようだったから……」
その声は、いつもの冷静な口調のままなのに、妙に優しくて、真っ直ぐだった。冗談でもなく、気まぐれでもなく、ただ本当に私のことを思って、動いてくれたのだと分かった。
「余計な世話だったのなら、すまない」
そう続ける彼に、私は首を横に振った。
「……いや、そんなことないよ。正直、居づらかったから。助かった。ありがとう」
「気にするな。俺も……ああいう騒がしい雰囲気は、苦手だからな」
そう言いながら、彼は風に揺れる前髪を押さえていた。そのしぐさが、いつになく年相応に見えた。
少しの沈黙のあと、ヒョウガくんがぽつりと口を開く。
「……その、なんだ。昨日のテレビ、俺も見た」
「……ああ、あれね」
「……大変だな」
その言葉には、からかうような色はなかった。ただ、状況を理解している人間の、静かな共感の一言。
私は苦笑して、風に向かって小さくため息をついた。
「ホント、もう……誰か私の代わりに、全部否定して回ってほしいくらいだよ」
「……俺に、手伝えることはないか?」
その声に、ふと顔を向けると、ヒョウガくんは真剣な表情で私を見つめていた。
「俺にできることがあるのなら言って欲しい」
まっすぐな視線に気圧されて、思わずまばたきをする。
「言っただろう? お前に頼られるのは、やぶさかではないと……」
そして、ヒョウガくんは迷いなく一歩、私に近づいた。
「俺は……お前が困っている姿は、見たくない……できることなら、笑っていて欲しい」
その言葉を口にするヒョウガくんは、相変わらず淡々としていたけれど、どこかぎこちない空気が、ほんの少しだけにじんでいた。
そんな、心底気遣ってくれる姿に、思わず真顔になる私。
何だこいつ、イケメンかよ。
颯爽と現れて助け舟を出した上でこのセリフ? もはや少女漫画だろ。相変わらず、ヒョウガくんのド天然セリフは油断ならない。
私が前世の記憶とかない正真正銘の小学生だったら、ヒョウガくんに惚れてた自信があるわ。初恋泥棒されて、告白して「すまない。お前のことは友人以上としてみられない」とか言われて失恋するんだ。
そのまま綺麗な思い出になって、数年後にこんなことあったねって笑い合うんだろ? ヒョウケツさんみたいなイケメンと。……有り寄りの有りだな。
「……影薄?」
「あ、いや……」
心配そうに覗き込むヒョウガくんの顔に、現実に引き戻される。
……変な妄想してる場合じゃない。本気で気にしてくれてる人の前で。
本音を言えば、今いちばん手っ取り早いのは、ヒョウガくんに彼氏のフリでもしてもらうことだ。クロガネ先輩との妙な噂をどうにかするなら、それが一番効果的だって分かってる。
でも、そんなこと頼めるわけがない。
SSSCのとき、私が勝手に好意のある相手としてヒョウガくんを使ったせいで怒らせてしまった。そもそも、ヒョウガくんは恋愛関係の話は苦手なんだ。
そんな相手に妙な役回りを頼むなんて、どう考えても非常識だ。
──けど。
それでもヒョウガくんは、黙って立ち尽くす私を見つめて、何も言わずに待っていてくれていた。
私の力になりたいのだと。そう、言葉にされなくても伝わってくる。
本当は、断るべきかもしれない。けれど、ここまでしてくれる気持ちを、何もせずに流してしまうのは、それこそ失礼な気がした。
……だったら、せめて、ほんの少しだけでも。
「じゃあ、ヒョウガくん。一つ、お願いがあるんだけど……」
「何だ?」
「アイギスの話を、本当のことにしてくれない?」
ヒョウガくんがなぜ? という風に首を傾げる。
「ちょっと、合法的に学校をサボりたいんだよね」
あの後、ヒョウガくんが気を利かせて、アイギスの軽任務を回してくれた。その内容は精霊界の監視任務の補佐で、実際には誰にでもできるような簡単なものだった。
任務はすぐに終わった。けれど、学校に戻る気にはなれなかった。
教室に行けば、どうせまた例の話題でひそひそと騒がれているに決まっている。わざわざそんな空気の中に戻る必要なんて、どこにもない。
ならいっそ、こっちから目立ってしまえばいい。受け身でいれば噂になるだけ。なら、自分の意思で話題になってやる。
私は、街の片隅にある、とある施設へと足を向けた。
《オメガネット・バトルステーション》。
古びたオンライン対戦専用のサモンマッチ施設だ。普段は閑古鳥が鳴いていると言ってもいいほどで、訪れるプレイヤーも稀だった。
というのも、サモンマッチでは実際に精霊と向き合い、自らがフィールドに立つ実戦形式こそが主流。臨場感と迫力こそがこの競技の魅力であり、画面越しの戦いでは、どうしても物足りなさを感じてしまうプレイヤーが多いのだ。
けれど──今日は違った。
全国一万八千人のRSG一次予選通過者たちが、限られた実戦枠に代わる手段として、オンライン対戦に殺到している。この施設もその例外ではなく、今や空きブースを探すのも困難なほどの混雑ぶりを見せていた。
遠く離れた相手とリアルタイムでマッチできるこの形式は、本来なら補助的な手段に過ぎなかった。だが今は、レートを維持し、あるいは上げるための、数少ない選択肢のひとつになっている。
施設内には、普段見かけないような有名なサモナーの姿もあった。地方から遠征してきた猛者、プロチームの育成選手らしき顔ぶれ──そして、彼らを追う取材クルーたち。
そのざわめきと視線の中、私は静かに一歩、施設へと足を踏み入れた。
そして、すぐに集まる視線。明らかに変わる空気。スタッフがこちらを指差し、テレビ局の腕章を巻いた記者があわてて動き出す。
「あれ……影薄サチコじゃないか!?」
「ほんと!? どこ!?」
「今ランキング何位だっけ!? 本戦枠組だよね!?」
──いい。注目されるのは、織り込み済みだ。
私は足を止めた。すると、真っ先にこちらへ駆け寄ってきたのは、若い男性の記者だった。まだスーツの袖が少し余っていて、ネームプレートには「研修中」の札がついている。
勢いのまま私の前に立ったものの、そこから先が続かない。マイクを持つ手が小刻みに揺れ、口を開きかけては躊躇い、視線は原稿と私の間を行ったり来たりしている。完全にテンパってる。
私は、そんな彼を気遣うように小さく微笑んだ。
「もしかして、インタビューですか? 大丈夫ですよ」
その一言に、彼の肩がびくっと跳ねる。「あっ、はいっ……! あ、ありがとうございます!」と、ようやく声を出した彼は、慌ててマイクを構え直した。
すでに施設内のカメラがこちらに向けられ、まわりからも注目が集まり始めていた。
「え、では……あの、サチコ選手。今日はどのような目的でこちらに?」
「もちろん、ランキングを上げるためです。……油断してたら、あっという間に抜かれますから」
私がそう返すと、記者の表情に微かに戸惑いが走る。でも──予想していた通り、すぐ次の質問が飛んできた。
「……それと、先日テレビで話題になった“プロポーズ”についてですが、やはり……」
その単語が出た瞬間、施設の空気がわずかにざわついた。
……はいはい、そう来ると思ってました。
私は小さくため息をつきながらも、視線は逸らさず、淡々と答える。
「プロポーズ……? ああ、あれのことですか」
記者が何か言いかけたのを制して、私は一歩、前に出た。
「そんな未来は起こりえませんよ……なぜなら──RSGで優勝するのは、私だからです」
マイクに向かう私の声が、わずかに強くなる。
「愛だの結婚だの……興味ないんです、私。だから、ランキング1位に伝えるなら一言だけ……」
言い切るように、静かに告げた。
「天狗になってるのは今のうちだ。せいぜい首を洗って待っていろ……以上です」
それだけ言って、私は静かにその場を離れた。