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ph187 日常は戻ってきたけれど

 二月一日。七大魔王(ヴェンディダード)との戦いから約一ヶ月が経ち、ようやく学校が再開された。


 街にはまだ爪痕が残っているけれど、それでも止まっていた時間は、少しずつ動き出している。


 カバンの中身を確認しながら、私は小さく息を吐いた。


 さて、学校に行くか。





 家を出て、通い慣れた道を歩いていると、前方にある電柱に、見慣れた人影があった。


「サチコ!! おはよう!! 偶然だな!!」


 クロガネ先輩だ。


 いつものように故意に作られた偶然を演出して、嬉しそうに私の隣に並ぶ。


「学校か?」

「はい、そうです。先輩は?」


 私はアイギス関連で忙しかったのでは? というニュアンスを込めて尋ねると、先輩は特に気にした様子もなく返してくる。


「今はひと段落したからな! お前と登校しても全然問題ねぇよ! つぅことで一緒に行こうぜ!!」


 先輩は中学生だが、私の通うスピリット学園は初等部から高等部まであるマンモス校だ。そして、先輩も同じ学校に通っている。つまり、登校ルートは同じ。


「……別に、構いませんけど」


 特に断る理由もないので了承する。というか、断ってもどうせ先回りしてくるのだ。だったら素直に同行を受け入れた方が、精神的ダメージは少ない。


 すると、先輩は一歩分だけ距離を詰めて、私の顔を覗き込んできた。


「久しぶりだな、こうして一緒に歩くの」

「……そうですね」


 私は何気なく返しながら、少しだけ歩幅を緩める。


 あの非日常の嵐が全部夢だったかのように、今はただ静かで、穏やかだった。壊れてしまった世界が、少しずつ元に戻っていく。そんな実感が、胸の奥にゆっくりと広がっていった。


 ……が、それはそれとしてだ。


 隣を歩くクロガネ先輩の手には、会った時からずっと“何か”が握られている。私はあえてその存在をスルーしていた。


 けれど、先輩はちらちらと私を見てくるし、どう考えても渡す気は満々だ。たぶん今、ずっとタイミングを計ってる。もう、ずっと。しつこいくらいに。


 め、面倒臭ぇ!!


「……先輩」

「ん? どうした」


 私はついに我慢できず、彼の手元をそっと指さした。


「その……ずっと持ってる、それ。なんですか?」

「ああ、これか?」


 先輩はちょっと照れくさそうに笑って、それを私に差し出した。


「俺の気持ちだ。受け取ってくれ」

「………………」


 差し出されたのは、綺麗にラッピングされた一本の薔薇。赤というよりは、少し明るくて鮮やかな色をしている。……多分紅色ってやつだ。いや色とかはどうでもいい。


 問題は、なぜそれを今ここで、私に渡すのかということだ。


「……あの、なんで急に薔薇なんですか?」

「どうしてもサチコに渡したくなったんだ……本当は1001本用意したかったんだけどよ。……さすがに、迷惑かなって」

「……せ、成長している……だと……!?」


 あまりの衝撃に、思わず口から心の声が漏れてしまった。私は、今までの空気を読まずに突っ走っていた先輩のことを思い出す。


 これまでのクロガネ先輩の行動を考えれば、1001本の花束を何のためらいもなく抱えてきて、花屋を一軒潰す勢いで渡してきたっておかしくはなかった。


 プレゼントだとか言って、GPS付きのイヤーカフを贈ってきたり、左手の薬指に指輪をはめてきたことすらあるのに!! そんな、常識を置き去りにするのが当たり前だったあの先輩が──


 人の迷惑を、考慮した……だと!? 黒いマナを浄化した効果か!?


 ついにクロガネ先輩にも、一般常識という物が芽生えたのかもしれない。


「……それで、どういう意味ですか?」


 今なら、まともな返答が返ってくるかもしれない。そう期待して聞いてみる。すると、先輩は真面目な顔で言った。


「結婚してくれ」

「無理です」


 私は即答した。


「何でだ! ちゃんと、俺たちの庭に1001本植えるから!!」

「ええい! 本数の問題じゃないんですよ!! っていうか俺たちの庭ってなんですか!!」


 結婚した前提で話すな。前言撤回、成長しているようでしてねぇよこいつ。常識が家出したまんまじゃねぇか。


「サチコぉ、お願いだ! サチコしか考えらんねぇんだ! 頼む、結婚してくれ!! 一緒の墓に入って、来世も再来世も結婚してくれええええ!!」

「余計酷くなってるじゃないですか! ていうか、離れてください! 先輩、腐っても三大財閥の御曹司でしょうが! もうちょっと恥とか世間体とか気にしてください!!」

「だって、サチコが言ったじゃねぇか!」

「は?」

 

 私にへばりついたまま、先輩はしれっと爆弾を落とす。


「生きて、なりふり構わず口説きに来いって……そしたら、少しは考えてくれるって……」

「いや、何の話──」


 先輩に言われて、次元の狭間でのあの一戦が脳裏をよぎる。私が、先輩を助けるためにマッチを挑み、そして勝った。あの瞬間のことだ。



 ──『私を本気で負かしたい(惚れさせたい)なら……生きて、なりふり構わず勝ち(口説き)に来いよ』


 視線だけで影法師に指示を送る。影法師は黙ってうなずき、錫杖を振り上げた。


 『……そしたら、少しは考えてあげなくもないです』


 その言葉と同時に、影法師の一撃がヘルハウンドに直撃する。凄まじい衝撃と共に、黒い獣の姿が煙に溶けるように消えた。 ──



 い、言ったわあああああ! ノリと勢いとテンションに任せて言ってたわあああ!!


「違うんです! あれは、えっと、その……一時の気の迷いというか、テンションが変な方向に行っただけで……!」

「もう遅ぇよ」


 私は無表情を保ったまま、背中をつうっと冷や汗が伝うのを感じていた。


 できることなら今すぐ、この場からフェードアウトしたい。そう思っても、すでにへばりついてる先輩に物理的にも精神的にも動きを封じられていた。


「言質、とったからな」


 まるで、逃げ場を塞いだ獲物にとどめを刺す、捕食者のような目だった。


 ……もしかして、私は詰んだのかもしれない。そんな考えが、ふと頭をよぎってしまった。













 波乱の登校を終えて、ようやく席に着く。モエギちゃんに薔薇のことをしつこく聞かれたけど、適当にごまかした。


 先生が教室に入ってきて、いつも通りに出席確認が始まる。その当たり前すぎる光景に、思わず肩の力が抜ける。ああ、やっといつもの日常が戻ってきたんだなって。


 静かで、穏やかで、何も起きない日々。


 ……そう。できれば、今日はこのまま、何事もなく終わってほしかった。


 でも、そんな願いはたいてい叶わない。特にこの世界においては。




 始業式が終わったあと、私はタイヨウくんに呼ばれて屋上へ向かった。すると、そこにはヒョウガくん、シロガネくん、ハナビちゃんが勢ぞろい。


 その顔ぶれを見た瞬間、胸の中にイヤな予感がふつふつと湧いてくる。これは……どう考えても、ただの雑談って空気じゃない。そんな中で、タイヨウくんが口を開いた。


「アグリッドの様子が、変なんだ」


 はい、来た。案の定だよ。


 アグリッドはドライグがサタンと共に封印されていた間、タイヨウくんと共に戦っていた精霊だ。


 実は未来から来た存在で、破滅する十年後の世界を変えるため、時を超えてやってきた……なんて壮大なバックボーンを持っている。そのアグリッドの力があったからこそ、私たちはアフリマンを倒すことができた、んだけど……。


「具体的にどんな感じなの?」

「なんていうか……元気がないんだ」

「元気が……」


 私はふむ、と考え込む。もうアフリマンの脅威は去った。世界も平和になったし、懸念すべきことなんて、ないはず。


「アグリッドには、直接聞いてみたの?」

「それが……『何でもないんだゾ』って言って、教えてくれないんだよ」

「なるほど。じゃあ、心当たりは?」


 タイヨウくんは少し困ったような顔で、黙って首を横に振った。手がかりはない。どうやら本当に、何もわかっていないらしい。


「……世界が書き換わった影響かもしれん」


 ヒョウガくんが、何か思いついたように言った。


「環境の変化で、体調を崩した可能性がある……食欲が落ちたりしてないか?」

「いや、今日も普通にご飯三杯おかわりしてた」

「…………そうか」


 元気爆発じゃねぇか。


 体調が原因って線は消えた。いや、元気ならいいっちゃいいんだけど……手がかりがまた一つ消えて、お手上げ状態が深まった。


「……もしかしたら、マスターのことじゃないかい?」


 すると、今度はシロガネくんがふと口にした。


「ほら、僕らと初めて会ったときに言ってただろ? マスターと会うために、タイヨウくんを子分にするとかって」


 言われてみれば、そんなこともあった。歪みだの七大魔王(ヴェンディダード)だのに気を取られて忘れていたけど、アグリッドはもともと、マスターに会うためにタイヨウくんに加護を与えたんだった。


 それ以来、マスターの話なんてまったく出なかったし、私はてっきり加護を与えるための口実か何かだと思っていたけど……そうじゃなかったのかもしれない。


「それだ!!」


 タイヨウくんがぱっと顔を明るくする。まるで名探偵の推理に確信を持った助手みたいなテンションだった。


「じゃあ、早くアグリッドのマスターを探しに行こうぜ!」

「でもそれって……」


 その勢いのまま駆け出そうとするタイヨウくんに、ハナビちゃんが待ったをかける。


「……アオガネさんのこと、だったんじゃないかな」


 ハナビちゃんが小さく呟いた瞬間、場の空気がぴたりと止まった。私は咄嗟に、シロガネくんとタイヨウくんの顔を見てしまう。


 ──アオガネさん。


 彼は、アグリッドと同じく未来からやって来た人で、シロガネくんの兄でもあった。何度も世界を救うためにループを繰り返し、最後には……誰にも知られず、自らを犠牲にして消えていった人。


 家族を失ったシロガネくんはもちろん、その最期に立ち会ったタイヨウくんにとっても、アオガネさんは簡単に名前を口にできる存在じゃなかった。


 でも、ハナビちゃんの言うことには、一理どころじゃないくらいの説得力がある。アグリッドとアオガネさんは、一緒に未来から来た。それに、あの懐きっぷりだ。あれはもう、どう見ても特別だった。


 ……そう考えると、あの子が落ち込む理由も、なんとなくわかる気がした。


 今ここで名前を出してくれて、本当に助かった。あのまま話が進んでいたら、タイヨウくんが無邪気に地雷を踏み抜いていたかもしれない。


 もちろん、場の空気はちょっと気まずくなった。でも、それでもハナビちゃんは、みんなが言いづらいことをあえて自分の口で言った。


 気まずさごと引き受けてでも、大事なことをちゃんと伝えた。その優しさは、間違いなく本物だと思う。


 でも、そうか……自分の本来のマスターが消えたのなら、アグリッドが落ち込んでいる理由にも納得がいく。


 そう思ったら、胸の奥が少しだけ苦しくなった。


「……だからね、元気づけてあげようよ」


 ぽつりと、ハナビちゃんが言った。静かな声だけど、迷いはなかった。


「たとえマスターがいなくても、アグリッドくんには今、タイヨウくんがいるんだから」


 私は頷く。そうだ、アグリッドは未来を変えるために、わざわざ過去まで来てくれた。それなら、今この変わった未来の中で、少しでも幸せにいてくれた方がいい。


「うん……放っとくわけにはいかないよね。お世話になったし、なにより……」


 私はふと空を見上げて、苦笑いする。


「未来から来た子が、世界を救って、今を彷徨うなんて……そんなの、悲しすぎる」

「よし、じゃあ作戦会議だ!」


 タイヨウくんが手を叩いて声を上げた。さっきまで落ち込みかけていたのに、切り替えが早いのはさすがだ。


「アグリッドに元気を取り戻してもらう方法を、みんなで考えようぜ!」




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