ph177 もう迷わないーsideタイヨウー
ユカリたちが部屋を出ていく。俺は、シロガネの兄ちゃんに言われた通りに座った。
兄ちゃんは俺の目の前に座ると、ユカリたちを振り返って「外で待ってて」と言い、俺の肩にそっと手を置いた。
「それじゃあ、今からマナを送るけど……循環しないように気をつけてね」
「ああ!」
兄ちゃんが息を吐くと、マナがゆっくり流れてきた。俺は言われた通り、循環させないように頑張って受け止める。けど──
「っ……!」
いきなり、ドバッと流れ込んできたマナに、思わず反射で跳ね返しそうになったけど、なんとかこらえた。
……なんだこれ。おなかの奥がぐるぐるして、気を抜いたら吐きそうだ。
思わず手で口を押さえる。理由はよくわからないけど、そうせずにはいられなかった。兄ちゃんがこっちを見て、ちょっとだけ困ったように眉をひそめる。
「……ごめんね。……苦しいよね」
それでも兄ちゃんは、言いにくそうに続けた。
「本当は、もっとゆっくり送りたかったんだけど……既に三柱も倒されてるなら、時間がないんだ。だから……」
全部聞く前に、俺は無理やり笑って、親指を立てた。兄ちゃんはちょっときょとんとして、それから「ありがとう」って笑った。
「……今からさらに出力を上げる。辛かったら、すぐ言ってね」
俺は口を押さえたまま、うなずいた。兄ちゃんの顔つきが変わる。やさしさが消えて、本気の目になっていた。
次の瞬間、兄ちゃんの両手から、怒涛のようにマナが流れ込んでくる。熱くて、澄んでて、それでいて……重かった。
俺は目を閉じて、その力を全身で受け止める。吐き気が強くなる。少しでも気を抜けば、弾かれてしまいそうだった。けど、それでも……逃げるつもりはなかった。
この力は、みんなが繋いでくれた想いの結晶だ。ヒョウガ、シロガネ、サチコ、アスカ、セバス、ユカリ、セン、エンラ、アボウ、ラセツ。みんなが、俺に託してくれた。
だから、絶対に受け止めてみせる。全てを──未来を、守るために!!
「っ……!」
全身に電撃みたいな感覚が走って、何かが俺の中で弾けた。
目を開けた瞬間、世界がまるで別物みたいに変わって見えた。色がすごくハッキリして、音も匂いも、マナの流れまでもが、痛いくらいにはっきり伝わってくる。
「っ……ぐっ……!」
クラクラして、視界がぐにゃりと歪む。頭の奥で、鐘みたいな音が響いた。
──見える。黒い根っこみたいな何かが、ネオアースの大地に絡みついている。
──聞こえる。人々の悲鳴。黒いマナに侵された精霊に追われて、逃げ惑う声が響いてくる。
『……やめて……やだ……ママ……たすけて……!』
幼い声が、頭の中に響いた。どこかの街にいる子供の声だ。姿なんて見えないのに、耳元で囁かれたみたいに、はっきり聞こえる。
「っ……なんだ、これ……っ!!」
感覚が暴走する。俺の中のマナが、世界と無理やり繋がろうとしてる。そんな、変な感覚になる。
そのときだった。
「っ……いま、シロガネの気配が……?」
感じた。“何か”が、消えた。いや、シロガネだけじゃない。知っている気配を感じない。ひとつ、ふたつ、みっつ……四つ。
確かにあるはずの気配が、ぽっかり穴でも開いたみたいに、跡形もなく消えていた。まるで、灯った明かりが一斉に吹き消されたみたいに。
「……ウソ、だろ……? なんで……なんで、こんな……」
セバス。アスカ。ヒョウガ。シロガネ。そして、今……センの気配が消えた。
心臓をギュッと握られたみたいに、苦しい。息が、うまくできない。
俺の知らないところで、みんなが戦って……消えていく……。
ユカリも、エンラも、何も言わなかった。……きっと、俺に気を使ってたんだ。
「ふざけんなよ……!」
拳を床に叩きつける。
なんでだよ! なんで、俺だけ……守られて、助けられて、何もできなくて。……なのに、みんなはっ……!
「……あああああああああっ!!」
叫ぶ。喉が裂けるほど叫んだ。
「っ、タイヨウくん!? 落ち着いて!!」
兄ちゃんが俺に何か言ってる。でも、聞こえない。頭が、胸が、苦しくて、何も考えられない。
痛い。全身が、ずきずきと痛む。手も足も重くて、指先の感覚さえぼやけてる。けど、それ以上に……心が、裂けそうなくらい痛かった。
なんで、サチコに庇われた? 俺がもっと注意してたら、避けられたかもしれないのに。
なんで、ヒョウガたちと離れた? 別行動なんてしなければ、二人は消えなかった。
なんでアスカやセバスを、あんな危険な場所に置いてきちまったんだよ!!
なんで、俺は……どうして、もっと考えなかったんだ!!!
全部、後悔ばっかだ。全部、俺のせいだ。
俺、本当にバカだ。何も変われてない。流されてばっかで、自分で考えられてない。あんなに「強くなる」って言ったのに、弱いまま。全部、全部口だけだった。結局、守られてばっかで、何ひとつ……誰ひとり、救えてない。
このままだと……また、失う。……ドライグのときみたいに。
あのとき、何もできなくて、ただ受け入れるしかなかった。サタンと一緒に封印される姿を、俺は……見ていることしかできなかった。
今度は、みんなを失うのか? ハナビも、サチコも、ユカリも……みんな守れなくて、全部、消えちまうのか……?
そんなの、嫌だ! 絶対に嫌だ!!
でも…………アフリマンを倒す、なんて……こんな俺にできるのか?
せっかく、兄ちゃんから力をもらったのに……俺の力ならシステムを変えられるとか、特別なマナだとか……そんなふうに言われて、俺も……できるって、思ってた。でも本当にそうか? こんな、間違ってばっかの俺に、できるのか?
怖い……また間違って、これ以上誰かを死なせちまうんじゃねぇかと思うと、怖い……俺が負けて、母ちゃんも父ちゃんもみんな死んじまったら、なんて思うと怖くてたまらない!!
俺は……俺は、どうしたら──っ!!
──タイヨウくん。
「!」
頭の中に直接響いたような声。その瞬間、まわりの音もぜんぶ消えた。
気づくと、景色が変わっていた。真っ白で、どこまでが地面で、どこからが空なのかもわからない。まるで、自分の体のはしっこもぼやけてるみたいだった。
そんな中で、たったひとり、誰かが立っていた。
「タイヨウくん!」
その声に顔を上げると、ハナビがこっちを見ていた。
「ハ、ナビ……?」
どうしてここに。そう問いかけるよりも早く、ハナビが駆け寄って、俺の胸に飛び込んできた。
「なっ……!」
「……ごめん、っごめんね! ……全部、背負わせちゃって……一人で、戦わせて……」
震える声。強く抱きしめられて、俺の中の何かが、一瞬だけ止まった。
「もう、一人にしない。今度は……私も一緒に戦うから……悲しみに、恐怖に流されないで」
ハナビが心配してくれてる。でも、俺は……。
「……ごめん、ハナビ……俺、もう……自分が信じられねぇんだ……また誰かがいなくなるのが、怖くて……っ。 俺なんかに……本当に、できるのかって、不安で……!!」
「大丈夫」
すぐに返ってきた声。思ったよりも強くて、でも、震えていた。
「私、知ってるよ。どんなにピンチでも、タイヨウくん……いつも最後まで、あきらめなかった。みんながもうダメだって思ったときも……タイヨウくんだけは、ちゃんと前を向いてた。そんなタイヨウくんの姿に、私は何度も励まされてきた」
ハナビが、俺の手を握る。その手は、あったかくて、真っ直ぐだった。
「今度だって、大丈夫。あきらめなければ、ゼロじゃない。最後まで立ち向かえば、絶対に上手くいくって……そう、教えてくれたのは、タイヨウくんじゃない」
「でも……でも、もう……わかんねぇんだよ……」
涙も、怒りも、後悔も、全部ぐちゃぐちゃで。こんな自分、ほんとにイヤだ。情けなくて、たまらない。
「……俺、ずっと……間違ってた。結局なにもできなくて、守られてばっかで……そのせいで、また、友達を失って……っ!」
「失ってない!!」
ハナビの声が、鋭く響いた。
「タイヨウくん、本当に……全部、消えたって思ってるの? 何も残ってないって、心からそう思える?」
……そうだ。俺は、確かに消えたって感じた。気配が、明らかに途切れた。だから……。
「でも……あれが、本当に消えたってことなのか?」
心の奥がざわつく。もう一度、確かめなきゃいけない気がした。
目を閉じて、意識を研ぎ澄ます。マナの流れに集中して、あの時感じた気配をもう一度──
……あった。
完全に消えたと思った。でも、確かに、小さく、微かなものだったけど、ヒョウガの。シロガネの。アスカの。セバスの。センの……それぞれの灯りが、まだそこに残ってる。
「……生きてる……! みんな、まだ……!」
その灯りに、胸が熱くなった。
「そう。だから、信じて。誰も、失ってなんかない。まだ、間に合う。今も、みんなが未来を繋ぐために、必死に戦ってるんだから!」
その声が、まっすぐ胸に突き刺さってくる。
「怖くたっていい。不安だって、間違えたって、失敗したっていい。そんなの、誰だってそうだよ……そのために、みんながいる。だから……」
ハナビの瞳が、真っ直ぐに俺を見ていた。
「タイヨウくんが自分を信じられないなら、その分、私が信じる。何度だって信じる。もし間違えたとしても、そのときはちゃんと叱ってあげる。そして、こうして手を握って、支えるから……」
あぁ、やっぱハナビって凄ぇや。
「だから、大丈夫だよ。タイヨウくんは、ひとりじゃない。私が、そばにいるよ……一緒に、未来を取り戻そう」
ハナビの言葉は、いつも俺に力を与えてくれる。
「……ハナビ」
その存在が、俺を支えてくれる。ハナビの言葉なら、信じられる。
「ありがとな」
ゆっくりと、震える手でハナビの手を握り返す。指先から、あたたかさが伝わってきた。
「……そうだよな。こんなの、俺らしくなかったな」
繋いだ手の先から、胸の奥にぽっと小さな光が灯った気がした。
「ハナビ、あのさ……」
恐怖も、迷いも、全部が消えたわけじゃない。でも、それでも、今の俺は──
「アフリマンを倒したらさ、その時は……みんなで、約束の花火やろうな」
一歩ずつでいい。未来に向かって歩いていけるような、そんな約束が欲しかった。
「うん!」
ハナビが笑った。その笑顔を見て、俺も自然と笑みを返していた。
その瞬間、真っ白だった空間に、光が満ちていく。
──ありがとう、ハナビ。
気づけば、目の前の景色が現実のものに戻っていた。
「タイヨウくん!? ……大丈夫かい!?」
兄ちゃんの声が耳に入る。俺は、地面を踏みしめて立ち上がった。
まだ少しフラつくけど、もう……迷ってなんかいない。
目を閉じて、胸の中に残るあたたかさを確かめる。
「おう! なんともないぜ! 心配させて悪かったな。俺はもう、大丈夫だ!」
そう言うと、兄ちゃんがホッとしたように目を細めた。
「……みたいだね。じゃあ後は……サチコさんがクロガネを倒すのを、信じて待つだけだ」
「…………」
その言葉に、俺は拳を強く握りしめる。
「クロガネのマナが浄化されたタイミングで、君をアフリマンの元まで送るよ。それまでは……辛いだろうけど、待機してくれ」
「ああ、分かった」
俺はサチコの気配がする方へと、静かに目を閉じ、心の中で願った。
サチコなら、きっと、勝てる。五金先輩を乗り越えられる。……俺は、信じてる。