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ph172 この手で守るためにーsideハナビー

 たくさんの話し声が聞こえる。


 私は深い意識の底からゆっくりと浮かび上がるように目を開けた。ぼやけた視界の先にあったのは、まるで避難所のような風景だった。


 薄い毛布に身を縮こませている家族。泣き疲れた子供を抱きしめながら、小さく何かを呟いている母親。無言で膝を抱えたまま俯いている中年の男性。何が起きたのか理解できていない様子の若い子たち……誰もが言葉を失い、ただこの場所にいることしかできずにいた。


 あちこちから洩れるすすり泣き。足音ひとつにも、皆の神経が過敏に反応しているのが分かる。


 張り詰めた空気の中で、それでも人々は何とか静けさを保とうとしていた。不安と緊張が、目に見えない膜のように空間を包んでいる。


 ここは……どこ? 私、確か……アイギス本部でアカガネさんと一緒に訓練してて、それで──


 体を起こしかけた私の視線が捉えたのは、黒い制服を着た人物たち。アイギスの隊員らしき彼らが持ち場ごとに配置され、避難者一人一人に声をかけていた。


「落ち着いて行動してください。飲料水と毛布は順番にお配りします。お子様連れの方は、右側のスペースへお移りください。アイギスとユニオンで、皆さんの安全を確保しております」


 その声は、感情を抑えながらもはっきりと届く、訓練された口調だった。表情にも不安は見えず、避難者たちの動揺を最小限にとどめようとしているのが伝わってくる。


 外からは、どこか遠くで何かが砕けるような、不穏な音が聞こえてくる。それでも、彼らの存在がわずかな安心感を与えていた。


 私は寝かされていたマットから体を起こし、恐る恐るその隊員のもとへと歩み寄る。


「あ、あの……!」


 声をかけると、隊員の人はすぐにこちらに顔を向けた。冷静な目で私を見ながらも、ほんの少し口元を和らげる。


「大丈夫ですよ。何かご不明ですか?」

「こ、ここは……どこなんですか?」

「天眼家本家敷地内の避難所です。状況はすでに制圧され、危険はありません。我々が責任を持って対応していますので、どうか安心してお待ちください。体調に問題がなければ、他の方と一緒にそのままお待ち願います」


 淡々とした説明だったけれど、不思議とその口調には安心感があった。きっと、そう思わせるために訓練されているのだろう。私は静かに頷いた。


 隊員の人はそれを見て、わずかに安心したような表情を浮かべると、丁寧に一礼し、その場を離れようとする。


「す、すみません……もう一つだけ……!」


 思わず、声が出ていた。立ち去ろうとした隊員の人の背中を、衝動的に引き留めていた。胸の奥にざわつく何かがあって、それが言葉となってこぼれ落ちた。


「タイヨウくんっていう男の子が、いたと思うんです。明るくて、ちょっと騒がしくて……その……彼は今、何処に……っ」


 言いながら、喉が詰まる。私自身、何を聞きたいのかよく分からない。ただ無事かどうか、それだけが知りたかった。


 隊員の人は一瞬だけ視線を落としたけど、すぐに顔を上げ、落ち着いた口調で答えてくれた。


「お名前は確認しています。彼の件については、こちらも把握済みです。現在、別行動を取っており、安全は確保されています」

「……本当ですか?」


 私の問いに、隊員の人は静かに頷いた。


「ええ。少なくとも、今この瞬間において、心配されるような事態は発生していません。我々としても、彼には一定の信頼を置いています。ですからご安心ください」


 その瞳はまっすぐで、どこか強い信念を帯びていた。嘘をついているようには見えない。けれど──きっと全部は、話していない。いや、話せないのだろう。


 きっと、タイヨウくんは──戦っている。今この瞬間も、危険の中にいる。そして私は……また、何もできなかった。


 私が気づいた時には、誰かがもう手を伸ばしてくれていて。私はただ、その手を握って、守られているだけだった。


 ……私は……守られてばかりだ。


 情けなくて、悔しくて。でも、そう思ったところで、私に何ができるのだろうって……考えるのが怖かった。


 私は小さく息を吐く。深く、静かに頭を下げる。震えないように、感情がこぼれないように。


 そしてそのまま、マットの上へ戻ろうと足を向けた──その時だった。


「離すのです!」

「のです!!」


 不意に聞こえた小さな叫び声に、私は思わず足を止めた。


 声の方を振り返ると、黒い制服の男性の隊員に抱えられた二人の子どもが、激しくもがいているのが見えた。年齢は五、六歳くらい。髪も瞳も似ていて、おそらく双子なのだろう。


 必死に腕をばたつかせながら、泣き叫ぶように声を重ねる。


「外は危険だ。今は出ることは許可できない」


 男性が淡々と諭すように言うが、二人は全く聞こうとしない。


「ナナは行くのです! バンシー!!」


 女の子が叫んだ瞬間、腰のデッキが光り、小さな精霊がその場に実体化する。紫がかった半透明の衣をまとい、ふわりと宙に浮いたその存在は、どこか儚く、けれど強い意志を宿していた。


「ナナを助けるのです!!」


 バンシーが淡く光る風をまといながら、抱えていた男性に向かって突進する。


「君、待って──!」


 周囲の大人たちが驚きの声をあげる中、今度は隣の男の子も叫んだ。


「ノノも行くのです! コボルト、出てくるのです!!」


 今度は別の光が弾け、元気そうな犬耳の精霊が飛び出した。短剣を構え、バンシーの後を追うように隊員のもとへと駆け出す。


「やめなさい! 危険な行動だ!」


 隊員の人の制止にも、双子の足は止まらなかった。


「アスカお嬢様を探すのです! ナナが助けるのです! ジャマするなら倒すのです!!」

「ノノもなのです!!」


 二人の目は真剣で、どこまでもまっすぐだった。何か、大切なものを取り戻すために、必死に叫んでいた。


 そして、私はその中に出てきた言葉に、思わず息を呑んだ。


「……アスカちゃん?」


 私はとっさに口を開いた。


「待って!」


 その声に反応した女の子が、鋭くこちらを睨んできた。


「おまえもナナたちのジャマするのですか!?」

「ち、違うの。いま……アスカちゃんって言ったよね? もしかして、金髪の、ドレスを着た二つ結びの女の子……?」

「!! アスカお嬢様を知ってるのですか!?」


 女の子が驚いたように目を見開き、勢いよく私に詰め寄ってくる。


「お嬢様はどこにいるのです!? セバスは!? 二人とも一緒なはずなのです!!」

「お、落ち着いて……っ。二人は多分、タイヨウくんたちと……」


「──タイヨウ……!!?」


 その名前を聞いた瞬間、女の子の表情がみるみるうちに険しくなった。


「そんな奴、信用できないのです!!」

「えっ……え?」


 あまりの剣幕に、私は戸惑いの声を漏らす。


「あんな……ナナたちからお嬢様を奪ったやつ!!」


 震える声で叫ぶナナちゃん。感情の高ぶりが、その小さな身体全体からあふれていた。


「……アスカお嬢様のマナが……急に、感じられなくなったのです……きっと、今……すごく、危ないのです……っ!」

「ナナちゃん……!」


 声をかけようとした瞬間、ナナちゃんの体がふわりと浮いた。バンシーが彼女を抱えるように宙を舞い、隊員の人たちの制止をすり抜けて、避難所の外へと飛び出していく。


「待って、ナナちゃん!」


 私も咄嗟に後を追う。扉の外へ出た、その瞬間だった。


「ノノも行くのです!! ナナを、守るのです!!」


 ノノくんが小さな叫び声と共に、足をバタつかせながら後に続く。


 ──と、その時。


 冷たい風が吹き込んできた。空気が変わる。重く、張りつめるような気配が肌にまとわりつく。


 視線を上げると、外の通路の先──そこに“それ”がいた。


 黒いマナを纏い、獣のようにうごめく影。地を這うような姿勢のまま、ノノくんへ向かって飛びかかろうとしている。


「危ない──!」


 隊員の人たちはまだ中にいた。間に合わない。一番近くにいたのは、私だけだった。


 気づけば、私はカードケースに手を伸ばしていた。指先が震える。でも、迷ってる暇なんてなかった。


「お願い……!」


 私は祈るようにカードを掲げ、震える指先にマナを集中させる。


 ──その瞬間、手の中のカードが淡く白金色に輝いた。


「発動して……天の護封結界!!」


 空間に陣が走り、ノノくんの目の前に柔らかな光の障壁が展開される。


 直後、黒いマナを纏った精霊がノノくんに跳びかかる。その爪が光の結界に触れた瞬間、バチッと音を立てて弾かれた。


 敵は一瞬怯み、後退する。ノノくんは目を丸くして、その光景を見上げていた。


「……私……カードの力を、使えた……?」


 困惑と驚きが入り混じった声が漏れる。だけど確かに、いま私がノノくんを守った。


 でも──それだけじゃ終わらなかった。


 弾かれた精霊が再び体勢を整え、再度襲いかかろうとしている。


 このままじゃ……!


 不安ながらも、もう一度カードの力を使おうとすると、背後から鋭い声が響いた。


「接近を確認! 迎撃に移る! 魔法カード、破邪の光弾──発動! そこの君、伏せて!」


 隊員の人が構えたカードが強く光を放ち、空間に魔力の紋が浮かび上がる。直後、鋭い光弾が一直線に放たれ、黒い精霊の胸を正確に貫いた。


「対象、討伐確認。マナ散布、残留なし」


 訓練された声が冷静に響く。砕けた黒いマナが光の粒となって空気中に溶け、静寂が戻っていった。


 ……よかった。


 私は胸を押さえて小さく息を吐く。ほんのわずかだったけど、ノノくんを守れた。その事実がじんわりと胸に広がった。


「……っ、礼は言わないのです!!」


 振り返ったナナちゃんが、大きな声でそう言い放つ。その瞬間、バンシーがふわりと彼女の背後に現れ、宙に浮いたマナの風が彼女の身体を軽く包み込んだ。


 浮遊するナナちゃんの体を、バンシーが優しく支える。そのまま、光の尾を引きながら、彼女は空中を滑るように飛び出していく。


「ナナちゃん、待って!」


 私は深く息を吸い込み、ノノくんに向き直る。


「ノノくん、大丈夫。ここはもう大丈夫だから……ナナちゃんのことは、私が──!」


 ノノくんは不安そうな表情を浮かべながらも、小さくうなずき、私の手をぎゅっと握りしめてきた。


 そのぬくもりを胸に刻み、私は立ち上がる。


「──絶対に、守るから!」


 駆け出そうとした、その時だった。


「待ちなさい! 君、外へは──!」


 アイギスの隊員が駆け寄ってくる。


 ……けれどその背後で、避難者の一人がふらつき、床に倒れ込むのが見えた。


「倒れてる人がいます! そちらを優先してください!」


 私は即座に叫んだ。その一言に、隊員の人の動きが一瞬止まる。そして私は、さらに声を重ねる。


「私は、ケイ先生の指導を受けてます! タイヨウくん達と同じように!!」


 それは本当のこと。ただし、誤解を誘うように、あえて強く言い放った。


 隊員の人は倒れた人に目を向け、判断を迫られるように逡巡する。


 ──その迷いの一瞬で、私は全力で走り出していた。


 光の結界の余韻がまだ残る通路を、ナナちゃんの背を追って──私は迷いなく駆け抜けた。








「ナナちゃん、待って!!」


 風に髪をなびかせながら、私は声を張り上げた。


「おまえ……ついてくるなです!! ナナは戻らないのです! アスカお嬢様を見つけるまでは……絶対に、絶対絶対戻らないのです!!」

「違う!!」


 思わず叫んでいた。


「私も、アスカちゃんを探す! 一人じゃ危ないよ!」

「! おまえ……」


 ナナちゃんの身体がふっと空中で止まる。目を見開いたまま、こちらを振り返った。


 息が切れる。心臓が痛いほど速く打っている。でも、それでも私は、一歩も引かずにナナちゃんを見つめた。


「……本当は、私だって分かってる。今すぐ避難所に戻るべきなのは」


 声が少し震えていた。でも、それが本心であることに、嘘はなかった。


「だけど……もう嫌なの。誰かに守られてばかりで、何もできない自分が」


 タイヨウくんたちが戦っているあいだ、私はただ待つことしかできなかった。ずっと、ずっとそうだった。


「私……何も返せなかった。ただ、守られるだけで……」


 言葉にするたび、胸の奥がじんと熱くなる。悔しさも、不甲斐なさも、ずっと自分の中に溜まっていた。


「それでも……誰かを守りたいって思ったの。今度こそ、私が誰かの力になりたい。……せめて、友達くらいは、自分の手で守れるようになりたいって、心からそう思ったの!」


 ナナちゃんに追いつくために走ったのは、そのためだ。ただ守られるだけの自分では、もう終わりたくなかった。


 次々に顔が思い浮かぶ。サチコちゃん、アゲハちゃん、モエギちゃん、アスカちゃん、ユカリちゃん、ヒョウガくんたち……そして、最後に浮かんだのはタイヨウくんの顔。


 できるなら、あの人の隣に立ちたかった。心から、そう願ったから。


「だからお願い、ナナちゃん。一緒に行かせて」


 私の声は震えていた。でも、その想いだけは──まっすぐだった。


 ナナちゃんの目が揺れる。拒絶もせず、飛び去りもせず……ただ、私をじっと見つめていた。


 その視線に、胸の奥がじわりと熱くなる。認めてもらえるかどうかなんて分からない。けれど今は、それでもいいと思えた。ただ、諦めたくなかった。


「……おまえ、索敵はできるですか?」


 小さな声。それでも、その言葉が私の決意を試しているように聞こえた。


「えっと、……ごめんなさい。そういうのは……まだ……」


 言葉が詰まる。悔しかった。でも、嘘はつきたくなかった。


「……ふん。できないなら、せいぜい足を引っぱるなです。マナが使えるなら、少しは……役に立つかもしれないのです」


 小さく肩をすくめるように言ったナナちゃんの声は、どこか照れくさそうでもあった。


「! じゃあ……」


 思わず一歩、踏み出していた。


「遅れたら置いていくのです!」

「うん! ありがとう!」


 胸がじんと熱くなる。嬉しさと緊張と、少しの怖さ。──でもそれ以上に、今、自分の足で前に進めているという実感があった。


 守られてばかりの自分じゃ、もういたくない。


 私が小さく頷いた、その時だった。


「ったく……やっと腹が決まったってわけね、マスター?」


 軽やかな声とともに、私の背後に光が灯る。


「ずーっとうじうじしてて、見てるこっちがうっとおしかったんだから!」


 現れたのは、透明な蝶のような羽を広げた可愛らしい少女──私の精霊、ベスタだった。


「……まあ、仕方ないから手伝ってあげるわ。このあたしを失望させたら、承知しないんだからね!」


 そう言って微笑んだベスタが、そっと私の肩に手を置いた。


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