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ph168 クロガネの決意ーsideクロガネー

「クロガネちゃぁんさぁ~あ? いい加減観念してぇ……身体寄越せやぁ!!」

「ざけんな、てめぇが降れ」


 次元の狭間。俺の中でアフリマンが蠢き、黒いマナが骨の髄まで染み込んでくる。


 体の奥底に這いずり込むような感覚がある。血管の一本一本にまで黒いマナが流れ込み、意識を侵食しようとする。それでも俺は、ギリギリのところで踏みとどまっていた。


 この力を利用するために、あえて取り込んだ。けれど、少しでも気を抜けば、すぐにでも乗っ取られる──そんな危うい均衡の上に立っている。


「てめぇに好き勝手させる気はねぇ……俺の身体は、俺のもんだ」


 握り締めた拳に、わずかに黒いマナが揺らぐ。その奥に確かに自分の意志が宿っているのを感じる。


 やっとここまできた。これでサチコを救える。


 そう思いながら、俺は奥歯を噛み締めた。


 だが、黒いマナに侵食されるたび、負の感情が波のように押し寄せてくる。


 絶望、不安、怒り、焦燥……気を抜けば、すぐにでも飲み込まれそうだった。けど俺は、それを振り払うようにサチコとの記憶を辿った。


 サチコと出会った時のこと。何度もマッチを挑み、初めて勝てた時のこと。訓練で共に鍛錬を重ねたことも、サチコを追いかけて精霊界に足を踏み入れたことも。


 そして──初めてサチコへの想いを自覚したあの瞬間も。


 どの記憶も、俺にとっては大切で、愛おしい。思い返すたびに、胸が満たされるような感覚があった。サチコを思うだけで、黒いマナを捩じ伏せられるほどに、俺の心は強くなる。


 ……本当は、サチコに告白するつもりなんてなかった。


 ネオアースシステムをどうにもできないと知った時点で、俺は覚悟を決めていた。サチコの代わりにネオアースになる。その運命を受け入れることで、俺は俺のままで終わるつもりだった。


 だから、この想いも墓場まで持っていくつもりだった。


 なのに──あの日、任務帰りに見たサチコの姿に、俺の決意は簡単に揺らいだ。


 離れたくない。ずっとそばにいたい。


 そんな子供じみた感情が、喉の奥から突き上げてきた。


 もう二度と逢えないなら、せめて俺のことを忘れないでほしい。たった一瞬でもいい、サチコの心の中に俺を刻みつけたかった。


 気づけば、言葉が口をついて出ていた。


「俺さ……お前が好きだ」


 言った瞬間、サチコの顔が真っ白になった。何か言おうとして、けれど言葉が見つからないのか、戸惑いを滲ませたまま俺を見つめていた。


 ……それでいい。


 別に、良い返事なんて期待していなかった。サチコが俺にそういう感情を抱いていないことくらい、わかっていたし、そもそも、俺にはもう時間がなかった。


 なら、サチコが俺を「好き」にならなくても、俺がサチコの中に残れば、それでよかった。


 ただ、それだけだったはずなのに──。


 別れ際、ふとサチコの後ろに見えた白髪の姿が、俺の中にくすぶっていた嫉妬心を一気に燃え上がらせた。


 脳裏に浮かぶのは、未来で起こる出来事。


 あの野郎は、未来でサチコの守人になった。


 なのに俺は……サチコを守るどころか……アフリマンとなり、サチコを殺した……。


 俺がいない世界で、サチコの隣に立つのは……この世界でサチコを幸せにするのは、あいつなのかもしれない。


 そう思った瞬間、気づいた時には体が動いていた。


 衝動的に、サチコの頬に手を添え、口づけた。


 ……唇ではなく口元にしたのは、俺の中に残ったなけなしの理性だった。


 ほんの一瞬の出来事。


 けれど、俺には永遠にも感じられた。


 このまま時が止まってくれたらどれほどいいかと、本気で思った。


 顔を上げると、サチコが驚いたように目を見開いていた。


 赤く染まった頬。俺だけを見つめる目。思考が追いつかないのか、戸惑いが見え隠れする。


 ──あぁ、本当に好きだ。


 誰にも渡したくない。俺だけを見てほしい。俺だけを想って、俺の隣で笑っていてほしい。


 サチコを奪われるのは嫌だ。ずっと側にいたい。……でも、それ以上に……失うのは嫌だから……。


「……愛してんぜ」


 ──お前を思えば、世界の災厄にすらなれるほどに。


 最初は、ネオアースそのものをぶっ壊してやろうと思った。


 こんなシステムがあるから、お前が苦しむ。こんな運命があるから、お前は傷つく。だったら、いっそ全部を滅ぼせばいい。俺が、終わらせればいい。


 お前を奪うものがあるなら、どんな神だろうと焼き尽くしてやる。


 お前が望むなら、天すら落とし、大地すら潰せる。


 ……でも、それじゃダメなんだよな。


 お前は、そんなこと望まない。俺が世界を壊したら、お前は傷つく。


 自分のせいで俺が世界に手を掛けたと、自分のせいで多くの人が死んだと責めるだろう。


 それだけは、絶対にさせたくない。俺は、お前が嫌がることはしたくない。


 お前が泣くなら、この命を捧げてでも笑わせる。


 お前が笑うなら、それだけで俺のすべてが報われる。


 お前が幸せなら、それが俺の生きた証になる。


 たとえ、永遠に届かなくても。

 たとえ、お前が俺を忘れたとしても。


 それでも──お前と過ごした日々の記憶があれば、十分だ。



 俺は、サチコの姿を網膜に焼き付ける。この先、何があっても、この瞬間だけは忘れない。


 それが俺に許された、唯一の救いだった。


 振り返らず、静かに背を向ける。


 サチコがこの言葉の意味を受け入れられなくても構わない。ただ、俺は、お前を想っていたってことだけは、どうしても伝えたかった。


 それが、俺の最後のわがままだった。




「……だから、負けるわけにはいかねぇんだよ」


 俺は奥歯を噛み締めながら、アフリマンのマナを押し返す。全身を駆け巡る黒いマナが暴れ狂うが、それでも俺は意識を手放さない。


「てめぇなんぞに、俺の想いが負けるかよ!!」


 俺が逆にアフリマンを完全に取り込もうとすると、奴が苛立ちをあらわにした。


「あ゛ぁ゛!? 無駄な足掻きしやがって……」


 黒いマナが脈動する。俺の中に染み込もうとする力が、焦燥とともに増していく。


 だが、そんなもんで俺の意志が揺らぐわけがねぇ。


「諦めて楽になれよなぁ。黒いマナをもって生まれて辛かっただろぉ~? 誰にも受け入れられず、傷つけられてきたんだろぉ?」


 アフリマンは、まるで優しく諭すような口調で囁く。


「周りの人間見返したくねぇのか? 散々虐げてきた奴等に復讐してぇだろ?」

「勝手に決めんな」


 俺は鼻で笑い、肩を竦める。


「最高な日々だったわ。毎日エンジョイしてたっての」

「はい嘘乙~。俺ちゃん知ってるからなぁ? お前がどんな目に遭ってきたのか……」


 アフリマンの声が、じわじわと耳の奥に入り込む。


「黒いマナを発現した瞬間に閉じ込められ、避けられ、憎悪を向けられ……今さら手のひら返したようにすり寄られても──」

「うるせぇ」


 喉の奥がひりつくような感覚を覚えながら、俺はアフリマンの言葉をぶった切る。


「てめぇの物差しで計んな。とっとと力だけ寄越して失せろ」

「はいはいはいはい。無理無理無理無理ぃ~」


 アフリマンは愉快そうに笑いながら、嘲るように続ける。


「ちょぉ~っとだけマシなだけのくそざこ虫ちゃんがぁ、俺ちゃんに敵うわきゃねぇだろ」

「はっ、ほざけ」


 俺は冷たく嗤う。


「俺にはあって、てめぇにねぇもんがあんだよ。それがある限り俺は負けねぇ」


 アフリマンは一瞬、怪訝そうに沈黙する。


「……あぁ? てめぇにあって俺ちゃんにはないものだぁ?」

「愛の力だ」

「くそさっぶぅ!!!」


 アフリマンが全身を震わせ、サブイボでも立ったかのように身を引いた。


「アイノチカラだぁ~? んなもんで、俺ちゃんに敵うわきゃねぇだろ!!」

「何言ってやがる」


 俺は奴を追い詰めるように、静かに言い放つ。


「現にてめぇは、俺の身体を奪えてねぇ」

「……」


 アフリマンが口を閉ざした。その沈黙こそが、何よりの答えだった。


「さっきから俺を揺さぶるような事を言うのも、俺に勝てねぇからだろ」


 アフリマンの黒いマナが揺らぐのがわかった。焦ってやがる。


「なんだよ急に黙って……図星か?」


 俺は鼻で笑う。アフリマンは確かに強大な存在だが、こうして必死に揺さぶろうとしている時点で、もう勝負はついてる。俺を完全に支配できるなら、とっくにそうしてるはずだ。


 俺は自身の勝利を確信した。このまま、奴を完全に取り込めると……しかし、空気が変わる。


「……いいぜ? そんなに言うなら……」


 アフリマンが低く笑った。粘りつくような嫌な声だった。


 まるで、これからもっとえげつない何かを見せてやるとでも言いたげな、愉悦に満ちた声音。


「てめぇの言う愛の力てやつがぁ、どんなに陳腐なもんか教えてやるよぉ!!」


 次の瞬間、黒いマナが膨れ上がった。視界が歪み、脳内に直接マナが流れ込んでくる。思考が揺さぶられ、意識がぐらついた。


「てめっ、なにしやが──」

「あー、はいはいはいはい。こいつねぇ」


 アフリマンがくつくつと笑う気配がした。


「……影薄サチコちゃん」

「っ! てめぇ!!」


 アフリマンの口からサチコの名前が出た瞬間、心臓が跳ね上がる。


「サチコに何かしやがったら、ただじゃおかねぇぞ!」

「そぉ焦るなよ。別に手を出そうってワケじゃねぇよ……まだ(・・)な」


 黒いマナがさらに重くのしかかる。嫌な予感がした。


「覚えてるぅ~? ほら、てめぇがだぁい好きなパパに閉じ込められた時ぃ、これまただぁい好きなお兄ちゃんが殺しに来た時あっただろぉ?」


 アフリマンの言葉で、脳裏に嫌な記憶が浮かぶ。


 黒いマナをコントロールできず、何十もの制御装置をつけられ、地下室の檻の中に閉じ込められていたあの頃──。


「あ゛? 好きじゃねぇわ。あんなくそ親父ども」


 苛立ちをぶつけるように言い返すが、アフリマンは気にした様子もなく、嗤った。


「まぁ聞けよ。俺ちゃん、てめぇを守る為にてめぇのお兄ちゃんに乗り移ったんだけどさぁ~……思ったよりあいつ面白かったんだよねぇ~」


 不気味な愉悦がにじむ声。その瞬間、俺の頭に容赦なく流れ込んでくるものがあった。


「その面白ぇもん、オソソワケしてやるよ」


 知らない記憶が押し寄せる。


 猛烈な情報量に、頭が割れそうだった。


「っ! これ、は……!?」


 だが、何よりもその内容に息が詰まる。


 アオ……くそ兄貴の記憶が、まるで俺が経験したかのように脳に刻み込まれる。


 くそ兄貴は、何度もループしていた。何度も何度もアフリマンを倒そうと、たったひとりで戦っていた。


 そして、くそ兄貴の記憶の中での俺が──サチコを、殺した。


 サチコの隣にいたのは、白髪だった。この先の未来で、サチコは必ずネオアースになり……白髪が守人になっていた。


「……やめろ」


 見せつけられる、二人の絆。

 繰り返される、己の所業。


「……やめてくれ」


 くそ兄貴の記憶に映る俺は、何度もサチコを殺し、世界を滅ぼしていた。


 胃の奥が冷たくなる。心が押し潰されそうだった。


 けれど──


「おおっと、絶望するにゃまだ早ぇぜぇ?」


 アフリマンが愉快そうに言った瞬間、流れ込んでくる映像が変わる。


 今度は、くそ兄貴の記憶じゃない。俺が……いや、アフリマンが俺を取り込み、ループ内で経験した全ての記憶だった。


「面白れぇだろぉ? てめぇのお兄ちゃんのお陰だぜぇ?」


 血みどろになった白髪が、憎悪に満ちた目で俺を睨んでいる。


 俺は、その姿を見て──優越感に浸っていた。


 サチコを、この手で殺しながら。


「やめろ!!」


 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!


 何度も、何度も、何度もサチコを殺した。


 その嫌な感覚が、脳に焼き付く。


 まるで、自分自身が実際に手を下したかのように、指先が震える。


「っ、やめろっつってんだろぉが!!」


 振り払っても止まらない。頭を振っても、記憶が消えない。


 いや、だ……もう、殺したくない……。


「サチ、コ……」


 ──大丈夫?


 耳の奥で、優しい声が響く。


 驚いて顔を上げる。


 ──泣いてるの?


 これは……知らない記憶。だけど確かに、俺が経験した記憶だった。


「……サチコ…………」


 俺じゃない俺の記憶。


 黒いマナが暴走し、地下室をぶち壊して逃げ出した俺。


 全身が痛くて、ただ苦しくて……なんで俺がこんな目に遭わなきゃならねぇんだと、ひたすらに世界を呪っていた。


 そんな俺に、そっと伸ばされた手。


 その手が俺の肩に触れた瞬間、焼けつくようだった痛みがすうっと消えていった。


 驚いて顔を上げると、そこには、まっすぐ俺を見つめるサチコがいた。


 初めてだった。


 嫌悪も、侮蔑もなく、ただ"人"として見てくれるやつがいたのは。


 俺を"怪物"じゃなく、"クロガネ"として見てくれたのは、サチコだけだった。


 打算も計算もない。ただ、心配そうに俺を見て、手を差し伸べてくれた唯一の人。


 親父の部下に見つかるまでの短い時間だったが、俺たちは話し続けた。あんなに楽しくて、あんなに笑えたのは、人生で初めてだった。


 ……別れ際に、また会おうと約束した。


 その約束が叶うことはなかった。それでも、俺はあの約束に支えられた。


 アフリマンに完全に取り込まれ、憎悪に呑まれた時も──ずっと、その約束が心の奥底にあった。


 そして、晴後タイヨウに倒され、消滅する瞬間──


 サチコを思い出して、安心した。


 彼女がいる世界を壊さずに済んだことに、安堵したんだ。


 ……けれど、何故か復活した。理由は分からない。


 そして、サチコがネオアースになったと知った瞬間、世界への憎悪が止められなくなった。


 これ以上、彼女が苦しむくらいなら……傷つくくらいなら──


 いっそ俺が、殺してやろうと。


 世界なんてどうでもよかった。彼女が助かるなら、救えるなら、ネオアースなんて消えてしまえ。


 そう思って、壊した。何度も、この手で……。


「……ははっ」


 思わず、渇いた笑いが漏れた。


 やり方は間違っていた。サチコを殺したことには変わらなかった……けれど。


「……なんだ、変わってねぇじゃねぇか……」


 最後に浮かんだのは、この世界の記憶。俺が実際に経験した記憶。


 くそ親父に、自分の主力モンスターを一発で当てろと、たった1パック分の金だけを渡され、放り出された日。そんな俺に声をかけてくれたのは──


「お前だったんだな……サチコ……」


 あぁ、やっぱり俺……お前が好きだよ。


 何度繰り返しても、何度生まれ変わっても……絶対に、お前を好きになる。


 だからもう、間違えねぇ。


 もう、サチコをネオアースになんかさせねぇ……。


「っ、てめぇ!?」


 アフリマンが狼狽する気配がする。


 俺の中で暴れ狂っていた黒いマナが、逆流するように奴を押し返した。


「な、なんでだよ……!? なんで、てめぇが俺を押し返せる!?」


 アフリマンの声に焦りが滲む。


「……残念だったな」


 俺は、奥底から湧き上がる力を感じながら、ゆっくりと口元を歪めた。


「てめぇにゃ一生分かんねぇよ」


 過去のループ。何度も間違え、何度もサチコを傷つけた記憶。


 けれど、この世界では違う。


 ──俺が、この世界の未来を決める。


「今度こそ、俺がお前を守るよ」


 ──この命に変えても。


「……言ったろ? てめぇにゃ負けねぇってな」

「この雑魚虫がぁ!!」


 黒いマナが爆ぜ、空間が軋む。


「覚悟しろよ、こっからは……」


 もう、迷わねぇ。


「俺の独擅場(フェイズ)だ」



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