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ph165 歪みの中で

 黒いマナが充満するアイギス本部。その中を、私たちは出口へ向かい駆けた。


 アオガネさんがカードになった──その話を聞きながら、胸の奥がざわついて仕方がなかった。


 心の奥底にある強い不安が、じわじわと体を侵食するようにせり上がる。


 この感覚は、歪みの影響なのか。それとも、目の前で起こっている事態に対する本能的な拒絶なのか。


 まるで精霊界にいるかのように、異常なまでに濃密なマナがこの場を支配していた。呼吸が楽に感じるほどに満ち溢れ、それ故に私は周囲のマナの流れを過敏に感じ取る。


 ……そして、はっきりと分かる。七大魔王(ヴェンディダード)の気配。


 しかも、一柱ではない。このネオアースに、三柱もの七大魔王(ヴェンディダード)が存在している。


 ──異常だ。


 ただでさえ、この世界に七大魔王(ヴェンディダード)が現れること自体がありえない事態なのに、そこに精霊界並みのマナの濃度が加わる。


 総帥の負担は、計り知れない。


 この異様な気配は、ローズクロス家の当主──ヨハンがあの場に現れた瞬間から感じていた。


 それは偶然ではない。まるで最初から計画されていたかのように、あまりにも絶妙なタイミングだった。


 やはり、ユカリちゃんの未来の情報通り、この時間軸における彼も、最初から仕組んでいたのだ。ネオアースに、七大魔王(ヴェンディダード)をすべて召喚することを……。


 だが、未来とは違い、実際に出現したのは三柱のみ。


 中途半端な数に留まったのは、ヨハン自身の計画が狂った証拠だ。


 考えられる要因は二つ。


 アオガネさんの裏切り、そして……先輩が自らアフリマンとなったこと。


 アオガネさんがその支配から逃れ、先輩がアフリマンとして覚醒する。どちらもヨハンにとっては想定外の出来事だったはずだ。ヨハンはこの状況に、間違いなく焦っている。


 このチャンスを、利用しなければならない。


 全ての七大魔王(ヴェンディダード)がネオアースに召喚される前に討つ。それが、最善の一手だ。


 私はケイ先生の話が終わるタイミングを見計らい、七大魔王(ヴェンディダード)の出現を知らせようと口を開きかけた。


 その瞬間、タイヨウくんの側に感じる歪みの気配。


「タイヨウくん!!」


 何も、考える余裕はなかった。黒いマナが無数の手となり、タイヨウくんを捕らえようとしているのが見えた。


 彼だけは連れていかれるわけにはいかない!!


 そう、判断するよりも先に、体が動いていた。


 私はタイヨウくんの背中を強く押し、庇うように前へ出る。


 目の前で、タイヨウくんが驚いた顔で私を見ていた。


 ──あぁ、良かった。彼がいるなら、ネオアースは大丈夫。


 無数の黒い手に捕らわれながら、私は目を閉じる。


 ……別に、私はここで死ぬつもりはない。クロガネ先輩を助けると誓ったんだ。こんなところで、終わるわけにはいかない。


 けれど、タイヨウくんが歪みに取り込まれたら? 彼が歪みの中から戻るまでに、どれだけの時間がかかる?


 それまでネオアースが持ちこたえられる保証はない。だったら──


 マナコントロールに長け、自力で歪みの中から帰還できた実績のある私が捕まった方がいい。ついでに、当初の予定通り地下世界へ転移するのも悪くない。


 なぜなら、まだ精霊界から召喚されていない七大魔王(ヴェンディダード)がいる。それなら、ネオアースに影響を与える前に転移して、叩いた方が効率がいいというもの。


 先輩と循環できた私なら、七大魔王(ヴェンディダード)ともマナを循環させることが可能なはずだ。そうすれば、マナ保有量を気にせず一人でも戦える……。


 だから、このまま私が取り込まれた方が──。


「バカ女ァッ!!」


 指先に、熱い何かが触れた。


 それは、私の手を力強く握りしめ、絶対に離さないと言わんばかりに掴み取る。


 反射的に目を開く。


 視界に映ったのは、焦りと怒りに満ちた顔の渡守くんだった。


「……なん、で……?」


 思わず漏れる声。


「クソがっ!!」


 渡守くんは、私の問いには応えなかった。ただ、強引に腕を引き、グイッと私を抱え込む。


 密着するほどの距離。


 歪みの中、私を捕らえようとする黒いマナの手は、なおも絡みついてくる。


 しかし、渡守くんはそれを振り払うように、私を抱きしめる腕にさらに力を込めた。


「っ、渡守くん……何しっ!!」


 そう言いかけた瞬間、耳元で低い声が響く。


「……勝手なこと、してんじゃねェ」


 その声は、怒っていた。


 怒っていたのに、どこか震えていた。


「……っ」


 彼の腕が、私を押さえつけるようにさらに強くなる。私を飲み込もうとしていた黒いマナの波が、渡守くんの周囲に集まり始めた。


 何が起こっているのか分からない。


 けど、渡守くんの体温だけは、はっきりと感じられた。


「テメェを殺んのは! 俺っつったろォが!!」


 荒い息の合間に、渡守くんは吐き捨てるように言った。


「……ンなとこで、死ぬのは許さねェ」


 そこで、言葉が途切れた。


 彼の拳が、私の背中を掴む指先が、わずかに震えているのが分かる。


 渡守くんが、こんなふうに取り乱すなんて──。


 私は言葉を失ったまま、彼を見つめることしかできなかった。その沈黙の中、渡守くんの喉が小さく震える。


「……死なせてたまるかよ」


 囁くような低い声が、耳元で落ちる。


 その瞬間、私の体を包んでいた黒いマナが、渡守くんの右腕に纏わりつき始める。


「っ、渡守くん!!」


 どうやら、この黒いマナは、同じように黒いマナを持つ渡守くんを新たな標的に定めたらしい。


 彼の制御装置を壊し、取り込もうとしている。


「……ハッ、上等だ」


 渡守くんが自嘲するように笑う。


 でも、その笑みはどこか、苦しげだった。


 唇を噛み、歯を食いしばりながら、彼はそれでも私を掴んで離さない。


「……渡守くん、お願い! 一旦離し──」

「ウルセェっつってんだろ!!」


 黒いマナがさらに渡守くんの腕を這い上がる。それでも、彼は手を離そうとしない。


 いや、それどころか……より強く、私を抱きしめた。


「絶対ェ離さねェ……離してたまるか!!」


 私は息を呑んだ。


 渡守くんの声は、怒りに満ちている。けれど、その奥には、別の何かが潜んでいる気がした。


 それが何なのかは分からない。だけど、確かに感じる──強く、熱いものを。


「……いいから、テメェは動くな」


 低く、命令するような声。


 直後、渡守くんの腕に絡みついていた黒いマナが、波打つように蠢き始めた。


「っ!!」

「渡守くん!!」


 黒いマナが這うように広がり、彼の右腕が異形のように歪んでいく。


 皮膚の上を黒いマナが這いまわり、脈打つように形を変えていく。


 まるで、何か別の存在へと変えようとしているかのように。


 黒いマナの暴走だ。このままでは、渡守くんが危ない。


「クソっ……ッ!」


 渡守くんは、抵抗するように歯を食いしばりながら耐えている。だが、黒いマナは止まるどころか、ますますその侵食を強めていく。


 彼の身体が変異してしまう前に、何か手を打たなければ──。


 私は目を見開いた。


 そうだ、まだ方法はある。


「渡守くん!!」


 迷う暇はない。私は強く彼を抱きしめ返した。


「ア゛ァ゛!? テメっ、動くなっつったろォが!!」

「渡守くん! 循環です!」


 渡守くんの体が一瞬強張る。


「だからって、抱きつくんじゃねェ!!」


 叫びながらも、彼の体は私を拒絶しない。ならば問題ないだろうと、私は抗議する彼の声を無視し、しっかりと目線を合わせた。


「今から君のマナを浄化します!」

「はァ!? ンな簡単に出来てたらとっくに──」


 渡守くんの叫びを遮るように、私は必死に訴える。


「君も分かってるでしょう!? このままじゃ、取り込まれる!!」


 一瞬の沈黙。


 渡守くんの眉が強く寄せられ、歯を食いしばる音が聞こえた。


「……私たち(・・)が生き延びるためには、それしか方法がないんです!」


 私の小さな囁きに、彼は僅かに目を見開いた。


 何かを迷うように、唇を噛む渡守くん。そして──


「……っあぁ! クソが!!」


 苛立ちと、降参したような声が響いた。


 私は渡守くんの暴れる黒いマナを感じながら、全神経を研ぎ澄ませる。


 ──今度こそ、彼のマナを浄化してみせる。


 私は渡守くんにマナを送り込む。


 渡守くんも、苦しげな表情をしながらも、それに応じてくれていた。


 お互いのマナが繋がり、流れが生まれる。


 よし、ここまではいつも通り。でも、問題はここから。


 マナの循環速度を速め、彼のマナを受け入れる。そのまま私のマナと同調させながら返すが、やはりいつもの場所で躓く。


 見えない壁。


 私を拒むように立ち塞がるそれが、渡守くんの内側に確かに存在していた。


 無意識の防壁。頑なな意志。疑い、恐れ、そして……拒絶。


 この壁のせいで、彼のマナは私のマナと完全に馴染まない。


「……渡守くん」


 私は彼の服をぎゅっと握る。


「お願い……今だけでいい……」


 この瞬間だけでいい。たった今だけでいいから……。


「私を、……信じて……」


 静寂。


 渡守くんの表情が歪む。迷い、葛藤、疑念が渦巻いているのが分かった。


 だけど、それでも。


 私はただ、見つめた。


「……チィッ!!」


 刹那、空気が弾けるように変わる。盛大な舌打ちが響いた瞬間、立ち塞がっていた壁が崩れた。


 あぁ、この感覚……! このままいけば……いける!!


 私はマナの循環の速度をさらに上げた。


 膨れ上がるマナ。渡守くんの中にあった黒いマナの気配が、どんどん薄れていく……。


 やがて、黒の濁流は細い線となり、白の光に呑み込まれていった。


 渡守くんの体に絡みついていた黒いマナが、まるで霧散するように弾ける。彼の腕を覆っていた黒い脈動が、ゆっくりと静まり、薄れていく。


 そして──純白の光が、彼の体の中心から溢れ出した。


「……っ!!」


 私は息を呑んだ。


 渡守くんのマナが……完全に、白くなっている。黒の気配は、どこにもない。


「渡守くん……」


 彼のマナが透き通るように輝いている。


 まるで、最初から汚れなど知らなかったかのように、清浄で、純粋な光の粒となって流れていた。


 渡守くん自身も驚いたように、自分の腕を見つめる。黒いマナが消え、白いマナの粒子がふわりと漂いながら、彼の体の周囲を包み込んでいる。


「……マジかよ」


 かすれた声で、渡守くんが呟く。彼の瞳には、困惑と、僅かな安堵が混じっていた。


「……喜ぶには、まだ早いですよ」


 思わず、私は小さく笑った。もう、大丈夫。渡守くんは、黒に呑まれることはない──。


「この歪みを利用して、地下世界に向かいます」


 私の言葉に、渡守くんは驚いていた。けれど、すぐに「そォいうことかよ」と呆れたように呟く。


「……テメェ、最初(ハナ)からそのつもりだったな」

「当然です。タイヨウくんみたいに、無謀な賭けをするほど馬鹿じゃないので」


 私の意図を察したのか、渡守くんは呆れたように口を開く。


「……そォだな、テメェはそォいう奴だったわ」

「はい。ですので、勝手に死んだりしないので安心してください」


 さらりと言い放つと、渡守くんの眉がピクリと動いた。


「……っ、言っとくが俺ァ!!」

「はいはい。分かってますよ。深い意味が無いことも、君が意外と義理堅いってこともね」


 軽く流すと、渡守くんは 歯を食いしばり、ギリッと音を立てた。


「チッ……クソが」


 しかし、この状況をちゃんと理解しているためか、特に反論の言葉は出さず、大人しく循環に集中してくれていた。


「まず情報共有を。現在、ネオアースに現れている七大魔王(ヴェンディダード)は三柱です」


 周囲には黒いマナが漂っている。それを退けるために循環を維持しつつ、冷静に情報を整理する。今は無駄な混乱を避け、簡潔に伝えることが最優先だ。


「あの現場にドゥルジが現れたと同時に、タローマティとザリチュのマナを確認しました。けれど、私たちの討伐対象であるマナフはまだ確認できませんでした」


 その言葉に、渡守くんがわずかに目を細める。


「っつゥことはだ……」


 唇の端を歪め、ニヤリと笑った。


「こっちに呼ばれる前に、叩き潰しゃいいってワケだな」


 まるで獣が獲物を狙うような鋭い目つき。


 その表情には、先ほどまでの焦りも迷いもなかった。ただ、シンプルに目の前の脅威を粉砕しようという意思だけが宿っている。


「その通りです」


 私も微かに口角を上げる。


 目標は明確。私たちはただ、それを達成するだけだ。


 私は目を閉じ、地下世界──マナフの気配を探る。


「……見つけました」


 ゆっくりと目を開き、確信を持って言う。


「リードは任せてください」


 渡守くんが口の端を持ち上げる。


「ハッ、ンならお手並み拝見といくかァ」


 黒の呪縛は、完全に断たれた。


 もう、迷う理由はない。ただ、一つの目標に向かって進むだけだ。



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