ph164 VSドゥルジとの決着ーsideコガネー
仮面の眼が無数に開き、フィールド全体に影が広がる。黒い霧が這い、あらゆる光を飲み込んでいく。
その中心で、クリスが手札を引き抜いた。
「さて、ここからが本番だよ」
たかがレベルアップしただけで場を支配したつもりか? 滑稽だな。
「俺は手札から道具カード、歪んだ供物を使用する!」
影が渦を巻き、瘴気がクリスの身体を包み込む。奴の周囲に禍々しいオーラが立ち昇る。
「このカードの効果で、俺のMPは即座に3回復……そして」
クリスが指を鳴らすと、ユピテルの足元に闇が滲み出す。
「おまけに、相手モンスターの攻撃力を次のフェイズ終了時まで2減少させる!」
黒い瘴気がユピテルに絡みつく。雷の輝きが鈍り、一瞬、その神威が翳ったように見える。
はっ……んなもんで、帝を縛れるとでも?
「そして、ここで決めるよ」
クリスは楽しげに手をかざした。
「MP6を消費しドゥルジのスキル、堕落の法則を発動!!」
ドゥルジが静かに片手を上げる。影が揺らぎ、黒い波動が場を覆う。
「このスキルの効果で……君の手札を2枚、ダストゾーン送りだ! さらに!!」
クリスの笑みが僅かに深まる。
「君のMPを即座に4減少させてもらう。どうする? 虚構の帳の効果も機能している。これで魔法もスキルも封じられた君に何ができる?」
……何ができる? か。奴は本当に愚かだな。
ユピテルの雷光が、不浄の霧の中でかき消されるように揺らぐ。
だが……奴は肝心なことを理解していない。
「……それで、満足かね?」
低く、冷ややかに問いかける。
クリスの笑みが、揺らぐ。
「……何?」
俺の手札に黒いマナが襲いかかる、その瞬間。
「遅いな」
静かに、俺は手札からカードを場に叩きつけた。
「MP2を消費し魔法カード、神の封印紋を発動する」
フィールドの中心に、黄金の紋章が浮かび上がる。雷鳴が響き渡り、純然たる光が黒い霧を押し返しながら、まるで空間ごと浄化するかのように広がっていく。
「このフェイズ中、全てのモンスターのスキルは封じられる」
クリスの動きが止まる。
「……っ!?」
黒い霧と雷光が激しく衝突し、フィールド全体が大きく揺れる。
封印紋の輝きが、まるでこの場の支配権を奪い返すように、ドゥルジの影を飲み込んでいく。
俺は僅かに目を細め、静かに言い放った。
「貴公の目論見は、ここで終わりだ」
「けど、俺には攻撃が残っている! ドゥルジ、ユピテルを攻撃!!」
クリスが鋭く指を振るうと、不浄の魔王が歪んだ仮面の奥から嗤うように呻いた。
ドゥルジが漆黒の腕を振りかざし、空間そのものを歪ませる。重苦しい圧力がフィールドを包む。
雷帝の双刃盾の効果は、レベルアップによりすでに切れている。攻撃力4のドゥルジの一撃を受け、ユピテルの体力が15から11に減る。
そのまま、ドゥルジがさらに身を沈め、第二の攻撃を放つ。
「ダブルアタック!!」
影が広がり、ユピテルの巨体が僅かに傾ぐ。雷の鎧が軋み、霧散する電撃がフィールドに閃光を走らせた。
ユピテルの体力、残り7。
クリスが余裕の笑みを浮かべながら、ゆっくりと手を下ろす。
「俺のフェイズは、ここで終了だよ」
薄く微笑みながらも、その視線の奥には勝利への確信がある。だが、その油断が命取りだ。
俺はデッキに指をかけ、カードを引く。手札を確認し、場の状況を分析する。
ドゥルジの体力は30。クリスのMPは2。手札は2枚。おそらく、魔法カードだろう。俺が攻撃を仕掛ければ、確実に妨害を狙ってくるはずだ。
「私は手札から道具カード、雷帝の神酒を使用する」
ユピテルの前に黄金の酒杯が浮かび、その中で雷光が蠢く。
「このカードの効果で、自身の場にいる雷属性モンスター1体を選択し、そのモンスターのレベルの数値分だけMPを回復する。さらに、このフェイズ中、自身の場の雷属性モンスター1体の攻撃力を1増加。加えて、フェイズ終了時にデッキから1枚ドローする」
雷帝の神酒が砕けると同時に、ユピテルの体を流れるマナが活性化し、雷光がより鋭く輝いた。
これで俺のMPは10。虚構の帳によるコスト増加を踏まえても、モンスタースキルが発動可能となった。
「私はMP6を消費してユピテルのスキル、雷帝の終焉を発動」
轟音と共に、ユピテルの槍が天を突き破るように振り上げられ、雷の渦がフィールド全体に広がる。
「このフェイズ中、自身の攻撃力を5加算し、MPを1減少させる度に再攻撃が可能。ただし、このスキル発動中は、MPを回復できない」
ユピテルの目が輝き、雷槍が放つ閃光が不浄の霧を焼き払っていく。
「貫け」
雷撃が爆ぜ、ユピテルがドゥルジに向けて突進する。
「そうはさせないよ!」
……やはり、きたか。
「俺はMP2を消費して手札から魔法カード、堕落の供物を発動!」
クリスのデバイスが不気味に輝くと、ドゥルジの影がざわめき、フィールド全体に暗黒の波が広がる。
「このフェイズ中、自身の場にいる魔王属性モンスター1体は、MPの代わりに体力を消費してスキルを発動できる。そして、この効果で体力を5以上消費した場合、自身のMPを即時3回復する!」
ドゥルジの体に黒いひび割れが走り、体力が6減少する。
「さらに、ドゥルジのスキル、幻惑の呪詛を発動!」
瞬間、フィールドが歪む。
「この効果により、相手フィールド上のモンスター全てのスキルを、次のフェイズ終了時まで封印する。その後、相手の場にいるモンスターの攻撃力をすべて3減少させる。さらに、相手がこのフェイズ中にMPを5以上消費していた場合、MPを即時0にし、自身のMPを4回復する!」
不吉な霧が広がり、ユピテルの周囲に黒い鎖が絡みつく。雷光が軋み、徐々に弱まっていく。
「……七大魔王も、大したことないな」
俺は静かに装備カードに指をかけた。
「私は装備カード、雷帝の双刃剣の効果を発動する」
ユピテルの手に握られた雷槍の両端が鋭く輝き、雷の刃が空間を断ち切る。
雷光が爆ぜ、紫電の波動がフィールドを駆け巡った。
「この装備を破壊することで、次のフェイズ終了時まで、相手は手札から魔法カードを発動できない」
ドゥルジの呪詛が広がる寸前、双刃剣が砕け散り、雷の奔流が黒い霧を貫く。
魔法カードによるスキル発動だけがなかったことにされ、ダストゾーンに送られていく。黒い瘴気が一瞬だけ押し返され、空間が震えた。
「貴公の詰めは甘いな」
クリスの表情が強張る。その僅かな焦りが、勝負の流れを決定づけるのだ。
この装備の破壊による効果は、装備したフェイズには使えない。だからこそ、前もって準備していた。
「ユピテル、攻撃だ」
ユピテルが雷槍を構え、一気に地を蹴る。
雷撃が螺旋を描きながら槍に収束し、ドゥルジへと突き刺さる。
「ぐうっ!!」
クリスが歯を食いしばる。
ユピテルの一撃がドゥルジを貫き、その体力が16に減少する。
「私はMPを1消費し、再攻撃だ」
ユピテルが一歩踏み込み、雷光とともに槍を突き出す。
衝撃波がフィールドを揺るがし、ドゥルジの体が軋む。
「これで、残り体力8」
クリスの顔に僅かに焦りが走る。
「再攻撃だ」
三度目の突きがドゥルジの胸を貫き、影のような身体が弾け飛ぶ。
フェイクソウルが破壊され、ドゥルジの体力は1。
俺の残りMPは2。
あと二回、それで終わる。
「……貴公に、この攻撃を止める術はない」
その言葉に、クリスが小さく息を呑む。しかし──
「俺は! 堕落の供物の効果を発動!」
クリスが叫ぶと、ダストゾーンに沈んでいたカードが青黒い光を放つ。
「このカードをゲームからドロップアウトさせることで、自身の体力を5回復し、相手のMPを2減少させる!」
闇の波動がクリスの身体を包み込み、ドゥルジの体が再び禍々しく歪んだ。
ドゥルジの体力6まで回復し、俺のMPは0となった。
「は、ははははははははは!」
クリスが勝利を確信したように笑う。
その笑い声は、虚勢か、それとも本物か……。
「残念だったねぇ! 詰めが甘いのは君のようだ!」
クリスが指を突きつける。
「このタイミングでもレベルアップしないということは、君はレベルアップできないんだろう? 最強が聞いてあきれるよ!」
確かに、俺はレベルアップをしない。だが、それは──
「何を勘違いしている?」
俺は、奴の言葉を遮るように口を開いた。
「レベルアップできないのではない。する必要がないだけだ」
俺は静かにユピテルのスキル、雷帝の終焉の最後の効果を発動する。
フィールド全体に、雷鳴が響き渡る。
クリスの笑みが凍りつく。
「ちょうどいい」
俺は静かに視線を向ける。
「貴公に、何故私が"最強"と称されるのか教えてやろう」
雷鳴が唸り、フィールドを包む黒い霧が揺れる。
「答えはシンプルだ」
俺は迷いなく、フェイズを終了させる。
「私より上がいないからだ」
瞬間、雷帝の終焉が炸裂し、天と地を裂く閃光が全てを飲み込んだ。
フェイズ終了時、自身のMPが0の場合──
「相手フィールド上の全モンスターの攻撃力の2倍のダメージを与える」
轟音が天地を震わせる。
ユピテルの槍が高く掲げられた瞬間、天を裂く雷光が閃き、無数の雷撃がフィールドへと降り注ぐ。
光の奔流が全てを呑み込み、爆発的なエネルギーが空間そのものを歪ませた。
「ぐああああああああ!!」
ドゥルジの仮面が砕け、無数の眼が悲鳴を上げるように歪む。
その巨体は耐えきれず、闇の霧と共に四散し、まるで虚空に飲み込まれるように消滅していった。
「があああああ!!」
クリスの体が弾かれるように揺らぎ、膝が崩れる。
ドゥルジと共鳴するように、その身を蝕んでいた黒いマナが弾け飛び、光の粒となって霧散していった。
それでも、クリスは歯を食いしばり、地面に手を突きながら必死に立ち上がろうとする。
だが、すでに勝負は決していた。
バトルフィールドが消え、雷鳴のような余韻だけが響く。俺の勝利を告げるかのように。
ゆっくりと足を進め、地に伏すクリスを見下ろした。
「くそっ……ちくしょう……!!」
クリスの側に落ちていた七大魔王のカードが霧散する。それと同時に、奴の身体からも光の粒子が溢れ、消え始めていた。
だが、なおも奴は諦めようとしない。
「このまま……終わってたまるか!!」
地面を這い、消えゆく手で俺の足を掴む。
「俺は……変えるんだ……! 俺たち財閥に生まれた者が……傷つかない理想の世界を……!!」
「もうやめろ」
低く、しかし断固とした声で告げる。
「貴公は負けた。潔く消えろ」
「君は……っ!!」
掠れるような声で、クリスが叫ぶ。
「本当に……それでいいのかよ……! このままじゃ……君の息子も……君と同じように!!」
……息子。
その言葉に、俺はほんの一瞬、視線を落とした。
クロガネが影薄サチコに懸想の念を抱いているのは、火を見るよりも明らかだった。
だが、この世界が変わらぬままなら……きっと、クロガネも俺と同じように、愛する者を失う痛みを味わうことになる。
けれど……それでも──
「晴後タイヨウ」
その名を口にした瞬間。クリスの手が、僅かに震えた。
「……ヨハンに似てると思わないか?」
静かに、しかし確かな熱を帯びた声で言う。
「…………うるさい」
「どこまでも真っ直ぐで、諦めることを知らんバカ……奴みたいな人間は、この先、一生現れないと思っていた」
「やめろよ……」
クリスが顔を歪め、苦しげに呻く。
「……私は、晴後タイヨウ。あやつに、賭けてみたいと思う」
「やめろよ!!」
クリスが絶叫する。
掴んでいた俺の足が、光とともに消えかけていく。
「ヨハン叔父さんは、ヨハン叔父さんだけだ!!」
悲鳴のような叫びが、フィールドにこだまする。
「あんな子供が、ヨハン叔父さんの代わりになるものか!! なるはずがない!!」
その声は、怒りにも、苦しみにも聞こえた。
「……本心か?」
俺は静かに問いかける。
クリスの動きが止まる。
「っ!!」
表情が凍りついた。
「……ヨハンとして、接していたのだろう?」
静かに言葉を投げかけると、クリスの指先が微かに震えた。
「…………」
沈黙。だが、その沈黙こそが何より雄弁だった。
俺は当初、この子供を本当にクリスの息子だと思っていた。
それほどまでに、奴の幼少期と似ていたからだ。そして、「ヨハン」という名。
それが、かつてクリスが慕っていた男の名から取られたのだと考えれば、なおさら信憑性が増した。
だからこそ、ヨハンと似た晴後タイヨウと関わることで、奴が変わるかもしれない。そんな淡い期待を抱いていた。
……まぁ、結果は俺の想定とは異なってしまったがな。何せ、奴自身がクリスだったのだから。
本来の意図とは外れてしまったが、それでも、晴後タイヨウと接することで、奴の中に何かしらの変化が生まれたのではないか。
そう、思いたかった。
「否定するか?」
さらに問いを重ねる。
「ヨハンを忘れるための代替品にしかならなかったか? それとも──」
「……黙れ……!」
クリスの声が掠れる。
「ヨハン叔父さんは、ヨハン叔父さんだって言ってるだろう……タイヨウなんかが、代わりになれるわけ──」
「その通りだ」
俺は静かに、だが決定的な言葉で遮る。
「貴公は、最初から気づいていたのだろう?」
クリスの体が、一瞬こわばる。
「晴後タイヨウは、誰の代わりでもない。だからこそ……貴公は認めるのが怖かったのではないか?」
クリスの唇が震えた。
「俺は……!!」
拳を握りしめる。しかし、その先の言葉は出てこない。
「晴後タイヨウはヨハンと違い、太陽のマナを持っている……ネオアースシステムに、唯一干渉できる特別なマナだ」
俺はクリスの表情を見据えながら、静かに続ける。
「ヨハンが最期まで探し続けたマナを、晴後タイヨウは持っているのだよ」
「……っ!」
クリスの瞳が揺らぐ。
「それだけで、賭ける価値がある」
静寂が落ちる。フィールドに漂っていた微かな霧が、風に溶けるように消えていく。
クリスは伏し目がちに、肩を落とした。
「…………ふん、もうどうでもいいさ」
掴んでいた俺の足から、力が抜ける。
「もう俺は消えるからね……この世界がどうなろうが、知ったこっちゃない」
「尻拭いだけさせるつもりか? 貴公のケツは汚すぎて触りたくもないのだがな」
「あーあーあーあー。うるさいうるさい。拭けないようにしたのは君でしょうが」
クリスは仰向けになり、ぼんやりと虚空を見上げた。
俺はその様子を見下ろしながら、しばし言葉を発しなかった。
消滅が迫るその姿は哀れにも見えたが……こいつが散々好き勝手やった結果だ。情けをかける気はない。
「……もしも、タイヨウくんがさ……」
唐突に、クリスが呟く。俺はわずかに眉を寄せた。
「……いや、なんでもない」
言いかけて、やめる。その身体はすでに半分以上が消えていた。
「……君らはさ」
消えかけた指先が、虚空を掴むように動く。
「アフリマンを、ネオアースとして封印するつもりなんでしょ?」
俺は答えなかった。
だが、それは肯定と同じだったのだろう。クリスは薄く笑い、肩をすくめる。
「多分、それ、失敗するよ」
「……」
俺が反射的に眉を寄せると、クリスは穏やかな表情をうかべていた。
「だからさ、俺にいい案があるんだ」
クリスはどこか飄々とした声音で続ける。
「貴公の言葉は信じない」
「まぁ、最期まで聞いてよ」
軽く肩をすくめる。消えかけた指先が、虚空を掴むように動いた。
俺は黙ったまま、その言葉を聞く。
クリスの声は徐々に掠れ、体は光の粒子となって風に溶けていく。
そして──
「……まさか、最初からか?」
俺の問いに、クリスは僅かに口角を上げる。
「さぁね」
曖昧な返答。しかし、その笑みはどこか、静かな諦念を含んでいた。
消えていく身体。もはや、残る時間はほとんどない。
クリスはふっと目を細め、まるで昔話をするかのように、静かに呟いた。
「俺さ……」
言葉を詰まらせながらも、ゆっくりと息を吐き、続けた。
「もし……もし、俺が違う道を選んでいたら──」
そこまで言って、ふっと笑う。
「いや、なんでもないや。くだらないな」
虚空を見上げながら、クリスの表情が和らぐ。クリスらしい、最後の捻くれた言葉だった。
「……じゃあね、コガネくん」
僅かに寂しげな声が、風に溶けるように響く。
「……また、どこかで」
その言葉と共に、クリスの姿は光の粒となり、静かに消えていった。
俺は、消えゆく光を見届けると、雷帝の双刃盾を実体化させ、その柄を強く握る。
ネオアースに現れていた七大魔王をすべて討ち倒したおかげか、身体を蝕んでいた負荷は幾分か和らいでいた。
それでも、この世界が、崩壊の淵にあることに変わりはない。
ネオアースの命が削られ、限界が近づいているのを肌で感じる。
それでも、世界はまだ維持されていた。
──彼女が、耐え続けているのだ。
「……お前も、頑張ってんだな……リン……」
呟きながら、俺は足を踏み出す。
重い体を引きずりながら、それでも歩みを止めない。
彼女だけに、この重荷を背負わせるわけにはいかない。
彼女との約束を守るため、この命が尽きる、その瞬間まで。
俺は、一歩、一歩、確実に前へと進んだ。