ph163 VSドゥルジーsideコガネー
「……愉快だね」
小さな子供の姿をしたクリス・ローズクロスが、嘲笑うように嫌な笑みを浮かべる。
「ネオアース最強と謳われた君が! 泥を舐めるように膝をつくとはね! 見ていて清々しいよ!!」
クリスは両腕を広げ、高らかに笑った。
「どうだい? 散々見下していた俺に、今度は見下される気分は! 最強を気取っていた君には、さぞ屈辱的な──」
「くだらんな」
馬鹿馬鹿しい……否定することさえ億劫だな。
「他人がどう謳おうが微塵も興味はない」
俺はゆっくりと立ち上がりながら、眉をひそめたクリスの顔を正面から捉える。
「私にとっては、ただの雑音だ」
一瞬の沈黙。クリスの唇がわずかに引きつる。しかし、すぐに何事もなかったかの如く鼻を鳴らした。
「……ほんと、昔っから君のそういうところが気に食わないよ」
「結構なことだ。貴公に好かれたいと思ったことなど、一度もないのでね」
「……ムカつくなぁ……」
クリスの顔が歪む。怒りと苛立ちがない交ぜになったような表情だった。
「ネオアースのフィードバックでまともに戦えもしないくせに……まぁいいさ。このまま君を──!」
突如、クリスの顔色が変わる。目を見開き、視線が宙を彷徨った。
……気づいたか。
「何かあったのかね?」
「…………」
返事はない。しかし、その沈黙こそが答えだった。
「さっきまでの勢いはどうした?」
体の重さが消える。フィードバックが軽減されている。
ネオアースに影響を与えていた七大魔王を、あの子たちが倒したのだろう。
「無能な部下を持つと苦労するな」
「……チッ」
クリスが後ずさる。が、逃がさない。
カードに指先が触れると同時に光の輪が広がり、エネルギーが弾けた。
フィールドが形成され、周囲の景色が歪む。
クリスの足元に影が伸び、無数の魔法陣が浮かび上がる。奴の退路は、これで断たれた。
「貴公は変わらないな。強者の影に隠れ、吠えることしかできぬ凡愚か」
「そういう君は変わりすぎだね。昔のほうが、まだ可愛げがあったよ」
クリスが苦笑するが、焦りを隠しきれていない。
俺はMDを起動し、マナを込める。マナの奔流が爆ぜ、空間全体が戦場へと変貌した。
「雷霆よ、我が敵を貫け」
宣言と同時に、俺のMDが震え、カードが弾かれるように宙を舞った。
「コーリング、ユピテル」
雷鳴が轟く。金色の閃光が天を裂き、俺の前に降臨する影があった。
封じられていた力が解放され、戦場に満ちる。
「貴公ごときが扱うには過ぎた七大魔王だ。始末させてもらう」
クリスのMDも応じるように光を放つ。
「……はっ、やれるものならやってみなよ」
クリスが不敵に笑い、手をかざす。
「さあ、偽りの幕が開く──全ては欺き、全ては虚構! 真実に縛られる愚か者よ、甘美なる欺瞞の果実に溺れろ! 降臨せよ、虚偽の魔王ドゥルジ!」
瞬間、クリスの身体から闇が噴き出す。 影が捻じれ、形を成し、虚ろな眼がいくつも開いた。
フィールド全体に欺瞞が満ちる。
どこに立っているのかすら曖昧になるほどの歪みが広がる。無数の幻影が立ち込め、足元から深淵の気配が滲む。
バトルフィールドが形成され、戦場が完全に整った。
サモンマッチ開戦。
「俺のフェイズだね! ドロー!」
クリスが不敵に笑い、カードを引く。手札を操る指先には自信が滲んでいた。
「さて、最強の称号を持つ君の戦いを見せてもらおうか」
クリスは手札からカードを場に叩きつける。
「サークル魔法、虚構の帳を発動!」
フィールド全体が歪み、空間が軋むような音を立てる。
「このカードの効果で、フィールド上のモンスターのスキル発動コストは1増加。さらに、MPが3以下なら魔法カードすら使えなくなる。ま、俺の場には魔王属性のドゥルジがいるから関係ないけどねぇ?」
嘲るような笑みとともに、偽りの霧が立ち込める。フィールドに薄暗い靄が広がり、ユピテルの輝きが鈍る。
「さらに……手札から道具カード、堕落の書を使用するよ」
クリスは薄く笑いながら、手札のカードを滑らせるように場に置いた。
「君の手札を1枚ダストゾーン送り。おまけに、俺はMPを2回復させてもらう」
俺の手札のカードが弾け飛び、虚無へと飲み込まれる。
「……まだまだいくよ。MP2を消費して魔法カード、堕落の波動を発動!」
クリスが指を鳴らすと、ドゥルジが黒い靄を纏い、両の腕を広げる。
「このカードの効果で相手モンスター1体の体力を即時4減少。さらに相手のMPを即時2減少させてもらうよ。さぁ、ユピテルの体力を削らせてもらおうか!」
ドゥルジが静かに指を差すと、闇色の波動が奔る。ユピテルの周囲に雷光が弾けたが、霧に呑まれるように薄れていく。
重々しい雷鳴が響く中、ユピテルの体が揺らいだ。
「それだけか?」
俺の問いかけに、クリスはクツクツと笑う。
「まだだよ」
次の瞬間、クリスはドゥルジのスキル、偽りの裁定を発動した。
「MP5を消費して……君のモンスターのスキルを、次のフェイズ終了時まで封印! さらにMPを2減少させてもらう。あぁ、それと相手のMPが3以下だった場合、俺のMPは2回復するからね?」
ドゥルジの仮面の瞳が輝き、ユピテルのスキルが封印された。
「さて、動きにくくなっただろう? さぁ! ドゥルジ、攻撃だ!」
ドゥルジが霧の中を滑るように動き、影の手を伸ばす。ユピテルの体が僅かに震え、体力が削られた。
「ダブルアタック!」
再び闇の拳がユピテルを叩きつける。雷の帝王はそれでも膝を折らず、鋭い目でドゥルジを睨みつけた。
「これで俺のフェイズは終了だよ!」
クリスが腕を組み、嘲笑いながら皮肉を放つ。
「モンスタースキルも使えず、MPが3以下になった時点で君は魔法カードの使用すら許されないけどねぇ? さぁ、どうする、最強の五金総帥サマ?」
言葉の端々に滲む優越感。だが、俺は応じる気すら起きなかった。
「私のフェイズか、ドロー」
淡々と告げ、カードを引く。それだけで、奴の笑みが一瞬揺らぐのが分かった。
「……どうした? もう何も言えなくなったのかい?」
クリスの声に、僅かな苛立ちが混じる。
「それとも、恐怖で動けなくなった? いや、まさかねぇ?」
余裕たっぷりに肩をすくめ、鼻で笑った。
「まぁ、今すぐ泣いて縋るなら、せめて楽にはしてあげるけど?」
あぁ、耳障りだ。
「貴公は」
俺は手札から目を離し、真っ直ぐ奴を見据えた。
「息をするように、無駄口を叩くな」
「っ……!!」
クリスの表情が険しく歪む。
「その態度……いつまで続くか見ものだね!!」
吐き捨てるように言うが、その声には先ほどまでの余裕はない。
対して、俺は冷静にカードに触れた。
「MP2を消費し装備カード、雷帝の双刃盾を自身に装備する」
雷を纏った双刃の盾が俺の手元に出現する。俺はその刃を掴み、ユピテルへと向けた。
「効果を発動。自身のモンスター1体の攻撃は、相手の回避行動を無効化する。無論、指定するのはユピテルだ」
盾が雷光を放ち、ユピテルの全身に稲妻の加護が纏う。フィールドに漂う歪んだ霧が、雷の閃光に弾かれるように薄れていく。
「さらに、手札から道具カード、雷帝の神威を使用する」
相手フィールドに、レベル0の雷の使徒が2体召喚される変わりに、俺のMPは7まで回復した。
「これでMPの問題は解決だ。貴公の虚構の帳を気にする必要もない」
「……くっ」
クリスの顔が僅かに引きつる。
「続けよう。MP3を消費し魔法カード、雷帝の権能を発動」
ユピテルが高く槍を掲げ、雷の奔流が周囲を覆う。
「このフェイズ中、この魔法カードは自身のフィールドにいる雷属性モンスターのスキルを一つを選択し、そのスキルと同じ効果を得る……貴公のスキル封印はモンスタースキルのみ適応だったな?」
「……っ!」
クリスが歯噛みする。
「俺はユピテルのスキル、天帝の雷槍を選択する」
ユピテルの周囲に巨大な雷の輪が展開される。
「このスキルの効果で攻撃力を3増加。さらに、相手モンスターに攻撃を行った際、ダメージを2倍にする。もし相手モンスターの破壊に成功すれば、攻撃力がさらに3増加し、再度攻撃が可能になる」
俺はユピテルを見やる。
「狙いはわかるな」
ユピテルは待っていたと言わんばかりに、雷の使徒へと狙いを定める。
「ようやく反撃か?」
「あぁ。思い切りやれ」
轟音とともに、ユピテルの雷撃が雷の使徒を貫く。雷の使徒が破壊された。
「天帝の雷槍、効果発動」
ユピテルの雷光がさらに激しくなり、その攻撃力が跳ね上がる。
「次のターゲットは当然……もう一体の雷の使徒だ」
次の瞬間、雷が爆ぜ、もう一体の雷の使徒が消し飛ぶ。
「……ぐっ!!」
クリスが顔をしかめる姿を横目に、ユピテルの攻撃力は15まで上昇する。
「これで終わりだな」
ユピテルがドゥルジへと槍を向ける。天帝の雷槍発動中の攻撃は、ダメージ計算が2倍になる。ドゥルジの体力は25。決まれば俺の勝利だ。
「俺は! MP2を消費し手札から魔法カード、欺瞞の幕を発動!」
クリスが叫び、フィールドに暗黒の靄が広がる。
「このフェイズ中、相手モンスター1体の攻撃力が10以上 だった場合、その攻撃を無効化! さらに、無効化に成功すればMPを3回復する! そして、それだけじゃない!」
ドゥルジの瞳が輝く。
「場に虚偽の魔王ドゥルジがいる場合、次のフェイズ開始時に進化条件を満たすものとして扱う!」
雷光が虚無の霧に吸い込まれるように消えていく。
「は、ははは! 君は頑張って攻撃力を上げたみたいだけど……その力、利用させてもらったよ!」
クリスは高らかに笑う。
「次の俺のフェイズになれば、確実にドゥルジをレベルアップさせ──」
「私は雷帝の双刃盾の効果を発動する」
俺はクリスの言葉を遮るよう装備カードの効果を発動させた。
「自身のフェイズ終了時、フィールド上にいる相手モンスター1体の攻撃力を、相手のフェイズ終了時まで2減少。さらにMPを1減少させる」
ドゥルジの周囲に走る雷撃。攻撃力が低下し、クリスのMPが3から2となった。
「すまない、何か言ったかね?」
俺は淡々と問いかける。
「このっ!!」
クリスが拳を握りしめ、歯を食いしばる。指の関節が白くなるほどに、力が込められていた。
「私のフェイズは終了だ。早くドローしたまえ」
静かに告げるが、クリスは動かない。
「……分からない!!」
カードを引く気配すらなく、ただ俺を睨みつける。
「俺には君が分からないよ!」
声が震えている。怒りか、焦燥か、それとも……別の何かか。
「君だって、リンネちゃんを失ったくせに……! なんで……こんな、クソみたいな世界を守ろうとするんだ! 理解できない!!」
クリスの叫びが、フィールドに響く。俺はその言葉に微かに目を細めた。
「……あぁ」
俺は視線を落とす。
クリスの息子として連れてこられた少年、ヨハン。その名前には聞き覚えがあった。
ネオアースは代替わりしている。リンがネオアースになる前にも、前任者がいた。そして、その名は──
「だからか」
ようやく、全てが繋がる。
俺はゆっくりとクリスを見やり、呟いた。
「だから、ヨハンと名付けたのか。その体に」
途端に、クリスの肩が揺らぐ。唇を噛みしめ、鋭い視線を向けてきた。
「……そうだよ」
静かな声。しかし、その奥底に渦巻くものは、明らかな憤怒だった。
「俺はヨハン叔父さんの無念を晴らすんだ」
握りしめた拳が震える。
「精霊が地球を奪わなければ……ネオアースシステムなんて物が存在しなければ……!!」
クリスの視線が宙を彷徨う。
それは、追い求めても決して届かない過去に手を伸ばすかのような仕草だった。
「リンネちゃんも、叔父さんも、ネオアースにならずに済んだのに!!」
拳を強く握りしめる。爪が掌に食い込み、血が滲んでもなお、その手は開かれなかった。
「…………」
俺は何も言わず、ただ静かにその言葉を受け止める。クリスは虚空を見つめ、唇を震わせながら、ゆっくりと空を仰いだ。
「……ねぇ、どうして俺たちばかりが辛い目に遭わなきゃならないの?」
喉の奥から絞り出すような声だった。
「俺たちが一体、何をしたっていうんだよ……!!」
ふっと、苦笑が漏れる。だが、それは決して楽しげなものではなかった。
「弱者ってのは、楽でいいよね?」
静かな、だが鋭く胸を抉るような言葉。
「ノブレス・オブリージュ……なんて都合のいい綺麗事だ」
クリスはゆっくりと目を閉じ、深く息を吐く。
「弱ければ、何を言っても許される。強者が傷ついても、それが当然だと決めつけられる」
唇の端が歪む。苦笑とも、怒りともつかない、曖昧な表情。
「……たった10年だよ?」
低く搾り出すような声。
「長くてもせいぜい15年。それくらいしか、ネオアースとして存在できないために──」
指が震える。
「俺たち財閥の人間は、都合よく生み出され、使い潰される」
クリスの声が僅かに震えた。
「結局、俺たちはその10年か15年のために、生まれた瞬間から“犠牲にする側”として決めつけられているんだ」
目を閉じたまま、息を呑むように言葉を紡ぐ。
「……そんな理不尽な世界を、いつまで甘んじて受け入れなきゃいけない?」
ゆっくりと目を開き、俺を見据えた。
「俺はね、そんな世界を変えたいんだよ」
その瞳に、迷いはなかった。
「もう俺たちが苦しむ必要はない。世界を、本来の姿に戻す。正しい理に立ち返らせる」
クリスは拳を握りしめ、俺に向かって一歩踏み出した。
「俺は──!!」
「だとしても」
俺はクリスの言葉を遮り、真っ直ぐに見据える。
「貴公のやり口は、システムの暴虐をも凌ぐ」
「うるさい!!」
クリスの怒声が響く。
「お前に何が分かる!?」
顔を歪め、血走った目で俺を睨みつける。
「リンネちゃんを易々と犠牲にした君に、俺の気持ちが分かるものか!!」
「…………そうだな」
俺は、ゆっくりと瞳を閉じる。
脳裏に焼き付いた、あの日の光景。
──ベッドに横たわる彼女。
白いシーツに沈む、あまりにも細い体。指先に触れた肌は、儚く、冷たかった。
俺はただ、その手を握ることしかできなかった。
何もできなかった。「やめてくれ」とさえ、言えなかった。
世界のために死ねと、言わざるを得なかった。
何度思い出しても、反吐が出そうになる。
『……ねぇ、コガネくん』
けれど──彼女は、笑っていた。
『……約束、してくれる?』
耳の奥に残る声が、淡く、しかし確かにこだまする。
『私たちの愛する子供たちを、この世界を……どうか、守って』
俺は瞼を開いた。
「貴公の気持ちなど、分からんよ」
静かに、しかし断固たる口調で言い放つ。
忘れられない。忘れられるはずがない。
「私にとって重要なのは、リンとの約束だ」
それだけだ。
彼女と交わした約束を果たすためなら──
俺は、心底反吐が出るほど嫌悪していた「五金総帥」を演じることすら厭わない。
彼女と、家族を守るためなら──
「俺は、誰にどう思われようが構わねぇ。たとえ、それが──愛する息子たちだろうと!!」
これは、総帥の言葉ではない。
これは、ただの「俺」の声だ。
「復讐なんざ、くだらねぇモンに囚われるてめぇのことなんざ、一生分かるわけねぇんだよ!!」
鋭く、冷たく、言い放つ。
俺はクリスを真っ直ぐに見据えたまま、一切の迷いなく立っていた。
「──っ!!」
クリスの顔が歪む、次の瞬間。
「黙れェェェェェェ!!」
雷鳴のような怒号が、フィールド全体に響き渡った。
「くだらないのは、お前の方だろ!!」
クリスの体から迸る黒のエネルギーが、フィールド全体を飲み込む。
「約束なんて、そんな……! 大切な人を失った俺の気持ちが! それを……それをっ……!!」
怒りに突き動かされるように、クリスはデバイスに手をかざす。
「俺のフェイズだ! ドロー! ──ドゥルジ、レベルアップ!!!」
黒い霧がフィールド全体を覆い尽くし、空間が歪む。視界が揺らぎ、邪悪な囁きが響く。
「堕ちろ、狂え、絶望せよ! 嘘も欺きも、この俺の前では甘美なる真実!!」
フィールドに広がる霧の中、無数の眼が開き、不吉な光を放つ。
「お前の理想など、泥のように崩れ去るだけさ……!」
黒い霧がフィールド全体を覆い尽くし、視界が歪む。
耳鳴りのような、不気味なノイズが空間を揺るがせる。
「絶望の宴を開こう──不浄の魔王ドゥルジ!!!」
雷鳴のような轟音。
霧の中から、巨大な影 が現れる。
その姿は、もはや魔王という言葉では足りなかった。
ドゥルジが「虚偽の魔王」から「不浄の魔王」へと変貌を遂げる。フィールドの歪みは極限まで広がり、邪悪な靄が蠢くように漂う。
クリスの顔が歓喜に歪む。
「ふふ……はははははは!!」
狂気と興奮が入り混じる、抑えきれない笑い。
「どうする? 君の理想とやらで、このドゥルジを止められるかなぁ!?」