ph158 天眼家までの道中ーsideユカリー
ヒョウガくんたちと別れ、本部の外へ足を踏み出す。外の空気は冷たく、本部内よりもさらに悲惨な光景が広がっていた。
七大魔王が3柱もネオアースに降り立った影響だろう。
空中には無数の歪みが広がり、そこから黒いマナを纏った精霊が次々と湧き出して、人々を襲っている。
アイギスやユニオンの人達が懸命に精霊や歪みに立ち向かっているが、明らかに戦力が足りていない。それどころか、押し返されている様子すら見て取れる。
そんな光景に視線を向けていたら、視界の端でタイヨウくんが突然動いたのを捉えた。
彼は助けを求める人々の方へ駆け出そうとしている。僕は咄嗟に腕を掴み、その場で彼を引き止めた。
「ユカリ!? なんでっ」
「ケイさんに言われたこと、もう忘れたのぉ?」
「けどっ!」
「けどじゃない。ネオアースが壊れてもいいなら話は別だけどぉ?」
きつめに言ったら、タイヨウくんは辛そうに唇を噛んだ。
その表情は見るからに悔しそうで、ちょっと責めるのは気が引けた。
でも、ここで止めなきゃ本当に終わる。僕はその気まずさをごまかすように視線をそらし、ケイさんの方へ顔を向けた。
「母様のところまで一気に飛ばしたいんだけどぉ、黒いマナが蔓延しすぎて簡易転送できないんだよねぇ。ケイさんは? 何かいい方法ある?」
軽い調子で尋ねてみたけれど、答えは予想通り芳しくない。ケイさんは困ったように眉を寄せながら、横に首を振った。
「残念ながら、今の状況では難しいね」
予想していたとはいえ、その一言にはがっかりする。僕は肩を落として、大きく息をついた。
「じゃあ精霊で行くしかないね」と言いかけた瞬間、上空から激しい光が降り注ぎ、僕らの会話は強制的に中断された。
「総員! 回避!」
ケイさんの冷静な指示が飛び、僕たちは慌ててその場から飛び退いた。同時に武器を実体化させ、上を見上げる。
そこには、黒いフードを目深に被った5人の人物が浮かんでいて、僕らを見下ろしている。
タイヨウくんが驚きながら武器を構える横で、僕はその光景に目を奪われていた。信じがたいほど異様な気配に、体が硬直してしまう。
「何、あれ……」
「ユカリ……?」
タイヨウくんが心配そうに僕に声をかける。でも、僕には応える余裕はなかった。
視線を横に移すと、エンラも5人を凝視し、険しい顔で眉を顰めている。どうやら彼も異常さに気づいているらしい。
あの5人──全員が全く同じマナを持っている。五つ子だとしても、ここまで一致するなんてあり得ない。
人間である限り、マナには個体差があるはずなのに、なぜこんなことが起きているのか。
疑問が頭を渦巻く中、敵は待ってはくれない。5人から放たれるマナの気配は尋常ではなく、この場で全員がぶつかれば壊滅するのは目に見えていた。
誰かが足止めをしなければならない。
僕はデッキに触れ、隣のエンラくんを見た。
「エンラ! 僕が残るから君はみんなを──」
「ヒーッヒッヒッヒッ! アンタ達、伏せな!!」
突然の声に反応する間もなく、反射的に地面に伏せた。
その直後、激しい爆発音が轟き、地面が揺れる。
耳鳴りが静まり、ゆっくりと顔を上げると、そこには薙刀を担いだアカガネ教官の姿があった。片腕にはぐったりとしたハナビちゃんを抱えている。
「ハナビ!?」
「アカガネ様!?」
タイヨウくんとケイさんが同時に声を上げる。タイヨウくんは荒い息をつきながら、抱えられているハナビちゃんに駆け寄った。
「ハナビ!? どうしたんだよ!!」
タイヨウくんの問いかけにも、教官は耳を貸さない。淡々とした調子で言葉を発する。
「影薄サチコはいないのかい?」
ケイさんが冷静に答える。
「サチコちゃんは歪みに巻き込まれました。恐らく、精霊界にいるかと思います」
「チッ、タイミングが悪いね……天眼ユカリ!!」
教官は苛立ちを滲ませながら声を張り、ハナビちゃんをケイさんに投げ渡した。
タイヨウくんが怒りを込めた視線を向けるが、教官は意にも介さず僕の方を指差した。
「黒いマナによる回路の損傷が酷い。早急にマナを循環させ、マナ使いにさせなきゃまずい状態だよ。影薄サチコがいないなら、天眼ユカリ。アンタが打上ハナビのマナを循環させな」
教官はそう言い放つと、鋭い目つきで上空を見据えた。
そこには黒フードを被った5人の姿。教官の先ほどの一撃で、全員のフードが破れ、その素顔が露わになっていた。
露になった顔は、全員同じ顔だった。しかも、ローズクロス家の当主、クリス・ローズクロスそのものだったのだ。
「そんな、まさか……アレの制作は中止されたはずですのに!!」
アスカちゃんは何かを知ってるかのように驚き、実体化させた鉄扇を握りしめている。
「なるほど。ローズクロス家の当主が『お人形遊び』にご執心だって噂、どうやら本当だったようだね」
アカガネ教官は何かを悟ったのか、嘲りとも怒りとも取れる声で呟いた。そして振り返り、僕たちを鋭い目で睨みつける。
「コイツらはアタシが片付けるさね。アンタ等はとっとと目的地に向かいな」
「なっ! そんな……いくら貴方でも危険です!」
ケイさんは教官の言葉に抗うように叫ぶ。その声には焦りと困惑が入り混じっていた。
「コピーとはいえ、あの人形にはクリス・ローズクロスの意思が宿っています! 一人で5人も相手にするなんて、無謀すぎます!」
「黙りな!!」
教官の鋭い一喝が響き、場の空気が一瞬で凍りついた。ゆっくりと薙刀を構え直した教官は、上空の5人を睨みつける。
「愚息が当主になるまで、ネオアースを守ってたのは誰だと思ってんだい? ……このアタシだよ!!」
その言葉には、誰にも何も言わせないような自信と、覚悟が滲んでいた。僕たちは言葉を失い、ただその背中を見つめるしかない。
「ローズクロスの坊主なんて、何人かかってこようが、負けない自信があるさね」
教官がそう言い放つと、上空に浮かぶ5人のうち1人が口を開いた。
「……随分な物言いだね。老いぼれは老いぼれらしく、大人しく隠居してればいいものを」
その言葉には明らかな挑発が込められている。しかし、教官は少しも動じず、逆に嘲笑を浮かべて返した。
「お人形遊びに夢中な坊やが、何を偉そうに言うんだか」
二人の間で火花が散るような緊張が走り、その場が一気に殺気立つ。直後、バトルフィールドが展開され、僕たちはその激戦に巻き込まれないよう後退を始めた。
すると、その殺気を切り裂くように、セバスちゃんが一歩前に進み出た。手に持つカードを高々と掲げ、強い声で唱える。
「エアロセタス!!」
彼女がカードにマナを込めると、光が形を成し始めた。その光の中から現れたのは彼女の精霊である飛行船だった。
一見すると普通の飛行船に見えるが、よく見るとその船体はクジラを思わせる滑らかな曲線を描いており、金属のような光沢を帯びた表面には、生命の鼓動を感じさせる神秘的な輝きがあった。
翼のように広がる帆は、風を受けてわずかに揺れ、深海を漂うクジラのような優雅さを醸し出している。
「私のエアロセタスであれば、ハナビ様を治療しながら全員を運べます! みなさま、急いでお乗りください!!」
セバスちゃんの真剣な声に、僕たちは迷うことなく彼女の指示に従った。
エアロセタスの中に乗り込み、天眼家に向かうさながら、僕はハナビちゃんとのマナ循環に全神経を注いでいた。
黒いマナに侵されて損傷した回路にマナを循環させるのは、想像以上に骨が折れる。
サチコちゃんはまるで日常の延長のようにやっていたけど、実際はそんなに簡単なものではない。
僕は天眼家の中でも「マナコントロールの天才」と言われていたけれど、それでも一瞬たりとも気を抜けなかった。わずかなミスが致命的な結果を招く。成功できるかどうかは五分五分といったところだ。
……サチコちゃん……。
タイヨウくんを庇って、歪みの中へと消えていった彼女の姿が脳裏をよぎる。
咄嗟に、サチコちゃんの腕を掴んで一緒に飲み込まれたセンくんのことも思い出す。
全く心配していないなんて言えない。彼女を追いかけるように、精霊界へ向かったヒョウガくんが羨ましかった。
僕もサチコちゃんを迎えに行きたい。助けに来たよって、笑顔で彼女に伝えたかった。
五金クロガネと相対するその瞬間まで、彼女の一番近くにいるのは僕でありかった。でも──。
「僕も、僕のやるべきことをやらなきゃ……」
この中で、サチコちゃんに次いでマナコントロールが上手いのは僕だ。彼女がいない間、その役割を担えるのは僕しかいない。
彼女の思いに応え、彼女が残していった穴を埋める。それが僕の役目だ。
そう自分を奮い立たせ、サチコちゃんが繋いだ可能性を断つわけにはいかないと、ハナビちゃんとのマナの循環にさらに意識を集中させた。
タイヨウくんを庇ったあの行動は、間違いなくファインプレーだった。もしあのとき、タイヨウくんが歪みに引き摺り込まれて精霊界に行ってしまっていたら、大幅な時間ロスとなり、ネオアースの終焉は避けられなかっただろう。
サチコちゃんほどのマナコントロール力があれば、僕よりも早く、ネオアースに七大魔王が3柱も来ていることを察していたはずだ。
そして、自分とタイヨウくんの存在を冷静に天秤にかけて、被害を最小限に抑えるため、自分が犠牲になる道を選んだのだ。
ふと、未来視で見た光景が頭をよぎる。
ネオアースそのものとなってしまったサチコちゃん。彼女のそばで一人語りかけるセンくん。そして、アフリマンによって蹂躙され、崩れ去る世界の姿……。
そんな未来、絶対に訪れさせてはならない。
そのためにも、僕はやるべきことをやる。母様の元までタイヨウくんとアオガネくんを無事に送り届ける。そして、アオガネくんのカード化を解き、タイヨウくんのマナを強化する。
それが今、僕に課せられた使命だ。
自分に言い聞かせるように何度も心の中で呟き、深く息を吸い込んだ。その一瞬で胸の中に湧き上がる迷いを振り払い、改めて覚悟を決める。
そんな僕の隣では、ハナビちゃんの手を握りながら優しく声をかけるタイヨウくんの姿があった。彼の表情には不安と決意が入り混じっている。
今、操縦室ではセバスちゃんが飛行船を動かし、その隣でエンラくんがナビゲートを担当している。ケイさんとアスカちゃんの二人は外の警戒に当たっている。この場に残っているのはタイヨウくんだけだった。
最初は、タイヨウくんも外の警戒に加わろうとした。けれど、アスカちゃんがそれを制し、「ハナビさんの側にいて」と頼んだのだ。
黒いマナの影響を抑えるには、信頼できる相手がそばにいるのが効果的だから、と。
彼女の言葉に間違いはない。黒いマナは精神を蝕む。だからこそ、信頼できる相手が側にいることで、その影響を抑える効果があるのは事実だ。そして、そうした方がマナの循環もうまくいく。
でも、僕は知っていた。アスカちゃんが、タイヨウくんのことが好きな事を。
だからこそ、こうしてタイヨウくんがハナビちゃんのそばにいる状況を、心のどこかで複雑に思っているはずだ。それでも、ハナビちゃんを守るため、何より、大切なタイヨウくんの気持ちを優先して、彼女はあえてそう言ったのだろう。
「君の思いも、無駄にしないから……」
マナの循環が最終段階に入る。ハナビちゃんの手を祈るように両手で握ると、彼女の顔色に生気が戻った。
彼女がマナ使いになるために積み重ねてきた努力の成果もあり、なんとか無事に終わらせることができたみたいだ。
「もう、大丈夫だよぉ」
僕がそう伝えると、タイヨウくんがすぐにハナビちゃんの顔を覗き込んだ。
しっかりと彼女の様子を確認し、安堵したように「良かった」と呟く。そして、僕に向き直り、真剣な表情でお礼を言った。
「ありがとな、ユカリ」
「別に、これぐらい朝飯前だよぉ。エンラくんの索敵だけだと不安だしぃ、僕も外の警戒に行ってくるねぇ」
「それなら俺も……」
「君はハナビちゃんの側にいて」
タイヨウくんの申し出をすぐに遮り、そう返すと彼は不満そうな顔をした。でも、続けて僕が説明を付け加える。
「循環には成功したけどぉ、外は黒いマナに侵された精霊がいっぱいいるんだよぉ? 彼女を一人にする訳にはいかないでしょ」
少し間を置き、さらに念押しする。
「天眼家に着けば、一般人用の避難シェルターがあるよ。そこにハナビちゃんを送り届けるまでは、君が彼女を守ってあげて。君の本当の出番は、その後だから」
僕が真剣にそう言うと、タイヨウくんはしばらく黙ってから力強く頷いた。
「わかった。……ありがとう」
その返事に、僕も小さく頷き返す。タイヨウくんの決意を見て、少しだけ肩の力を抜いた。
「一応ケイさんにも見てもら──っ! この気配は!?」
一難去ってまた一難と言わんばかりに感じる禍々しいマナの気配。
この間違えようのない圧迫感は、七大魔王の気配だった。
『皆さん! 衝撃に備えてください!!』
飛行船内に響き渡るアラート音。セバスちゃんの声が続けて警告を発する。
僕は壁に手をつき、タイヨウくんはしっかりとハナビちゃんを抱きしめた。
飛行船内が激しく揺れる。七大魔王の攻撃を受けたのだろう。濃密な黒いマナの気配が、船内にまで入り込んでいた。
「……ゆっくりしている暇はなさそうだねぇ。タイヨウくん、動ける?」
「え、あ。おう!」
タイヨウくんは、腕の中で気を失っているハナビちゃんをしっかりと抱え直した。
揺れる船内でバランスを取りながら立ち上がる彼の姿には、わずかに緊張が滲んでいた。
『んんっ、皆様、聞こえますか?』
突然聞こえたアスカちゃんの声。通信機越しに聞こえる彼女の声は、いつものお嬢様然とした調子だけれど、緊張が滲んでいた。
『先ほどの攻撃は、タローマティによるものですわ』
タローマティ……確か、アレスの姿をしている七大魔王の一柱だ。僕が記憶を呼び起こしている間も、アスカちゃんの声は続く。
『タローマティはわたくしとセバスでお相手いたします。皆様は速やかにエアロセタスから脱出し、天眼家へと向かってくださいませ』
その言葉に、タイヨウくんは即座に反応する。
腕の中のハナビちゃんを守るように抱き直しながら、顔をしかめ、まるで爆発するかのように叫んだ。
「ふざけんなよ! お前らだけ残して行くなんて、できるわけねぇだろ!!」
『タイヨウ様』
通信越しの声は驚くほど落ち着いていて、その静けさがタイヨウくんの勢いを削いだ。
『貴方がアフリマンを倒せると信じているように、わたくしも自分を信じていますわ。そして……』
少しだけ間を置き、彼女は決然とした声で続ける。
『貴方が進むべき道を切り開くのが、わたくしの務めですの』
その言葉に、タイヨウくんは息を飲むように黙り込む。
それでも、納得できない気持ちを押し込めようと拳を強く握りしめた。だが、腕の中のハナビちゃんを一瞥すると、その顔がわずかに和らぐ。
『わたくしがここに残るのは、誰よりも貴方を信頼しているからですのよ。だからこそ、どうか……わたくしの事も信じてくださいませ』
タイヨウくんは静かに目を閉じた。
苦々しさが滲む表情のまま、深く息を吐き出すと、抱えたハナビちゃんを守るように腕に力を込めた。
そして、次の瞬間には顔を上げ、彼特有の力強い声が響く。
「わかった。お前がそう言うなら……」
一瞬の間があった。彼の拳が微かに震え、それでもその瞳には決意が宿っていた。
「絶対に、タローマティをぶっ飛ばしてこいよ!」
『当然ですわ。この宝船アスカが全力を出せば、天も地もひっくり返りますのよ!!』
通信が切れると、タイヨウくんは小さく息を整えた。
腕の中でぐったりしているハナビちゃんを一瞥し、その小さな顔に視線を落とす。
その目には、迷いの影は見えない。代わりに、守り抜くという揺るぎない決意が浮かんでいた。
そのまま、低く囁くように呟く。
「……信じてるぜ、アスカ」
その言葉に、アスカちゃんがどんな顔をしているのか、通信越しではわからない。それでも、その短い一言が、彼女にとってどれだけの価値を持つか、僕にはわかる気がした。