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ph154 消えた先輩


「どういうことですか!!」


 声が震えそうになるのを必死に抑えながら、私は身を乗り出すように総帥へと詰め寄る。


 胸の中を支配するのは、焦りと不安。


 クロガネ先輩が姿を消した──その一言が、何か大切なものが崩れ去っていく感覚をもたらしていた。


「言葉通りだ」


 総帥の言葉は冷たく、無駄のないものだった。


 表情には微塵の動揺もない。まるで事務的な手続きについて話しているかのような態度に、苛立ちと無力感が絡みつく。


 執務室には緊張した空気が満ちていた。七大魔王(ヴェンディダード)討伐作戦に抜擢されている私たちは皆、総帥の指示で集められ、クロガネ先輩が任務中に姿を消したという衝撃的な報告を受けたばかりだった。


「先輩がいなくなったって……そんな……一体何があったんですか!」


 問い詰めるように声を重ねると、総帥の後方に控えていたケイ先生が一歩前に出た。


 その顔には苦しげな表情が浮かび、何かを言いかけては言葉を飲み込む様子があった。


「……僕たちも、すべてを把握しているわけじゃないんだ」


 低く落ち着いた声でケイ先生が答える。その視線が、ふと私を避けるように逸れた。


「クロガネくんは、なぜか本来の任務地ではなく別の場所に向かったんだ。そこで……アフリマンと対峙した」


 アフリマン──その名が告げられると同時に、部屋の温度が一段と下がったように感じた。


「二人の衝突の反応をキャッチして、すぐに現場に向かったんだけど……着いたときには既にマッチは終わっていて、クロガネくんの姿はどこにもなかった」


 ケイ先生の声が続く。けれど、説明の途中で私は言葉の意味を整理することもできず、頭の中で疑問が渦を巻いていた。


「そして、現場には……五金アオガネと思われる人物が倒れていたんだ」

「五金アオガネって……!?」


 耳を疑った。


 アフリマンは五金アオガネの姿をしていた。そして彼が現場に残され、クロガネ先輩が消えた。


 その組み合わせが私に不吉な予感をもたらしていた。


「……じゃあ、五金アオガネは……アフリマンは、どうしたんですか?」


 喉の奥から震える声が漏れる。


 最悪の想像が頭をかすめ、視界が暗くなりそうになる。俯いたまま、拳をぎゅっと握りしめた。


「……ヨハンくんと同じように拘束しているよ。ただ、二人が接触しないように別々の場所に隔離している。とはいえ、意識はまだ戻っていないんだ。そして……どうにも気になる点があるんだよ」


 ケイ先生の声はさらに低く、慎重だった。


 その言葉に、何か重大な事実が含まれていることを直感的に感じた。


「五金アオガネの中に、アフリマンの気配を確認できなかった。それどころか……彼のマナは白いマナに戻っていたんだ」

「……っ、それは……つまり」


 何か言葉を出そうとするも、声が喉の奥で詰まる。理解すればするほど、恐ろしい結論にたどり着きそうになる。


「アフリマンは、本来の器であるクロガネに宿った可能性が高い」


 ケイ先生が発言する前に、総帥の冷徹な声が執務室に響き渡った。


 その低く確かな一言が、部屋全体の空気を一層重く沈ませる。


「今後は、クロガネがアフリマンになったことを前提に作戦を組み立て──」

「待ってください!」


 総帥の言葉を遮るように、私は声を張り上げる。


 執務室が静まり返る。その沈黙が、私の胸に重くのしかかるが、それでも止められない。


 溢れ出す感情が、私の理性を突き崩していった。


「まだ証拠もないのに、先輩がアフリマンだなんて……そんなの……!」


 喉が震える。それでも、必死に声を絞り出す。


「探しもしないで決めつけるなんて……っ、そうです! 私、先輩と対になっている指輪を持っています。この指輪を使えば、先輩の痕跡を辿れるはずです。せめて、先輩を見つけてから──」

「指輪とは、これのことか?」


 総帥の冷徹な声が、私の言葉を切り裂いた。


 私の視線が向いた先、机の上には見覚えのある指輪が静かに置かれていた。


「……な、んで……」


 呆然と呟く私に、総帥は一歩も引かない厳しい視線を向けた。その目が語るのは、ただ一つの冷徹な現実。


「決断は迅速でなければならない」


 その言葉は冷たく鋭く、私の言い分を押し潰すように執務室に響き渡った。


 まるで逃げ場のない現実を突きつけられるような、圧倒的な力がそこにあった。


「想定は常に最悪を考えるべきだ。残された時間も少ない。我々はこの限られた時間で、限られた手札で、最善を尽くさなければならない」


 総帥の声には冷徹ながらも確信が宿っていた。


 その言葉は、無情ながらも的確で、討伐作戦までの猶予が十日を切っているという厳しい現実を突きつけてくる。


「クロガネが抜けた穴はこちらで埋める。貴公らは引き続き訓練に集中せよ」


 総帥の静かで圧倒的な口調が、私たちと彼との間に越えられない壁を作った。


 誰もその指示に異を唱えることはできず、部屋の空気は緊張の糸が張り詰めたままだった。そして、次に総帥の鋭い視線が私を射抜く。


「……そして、影薄サチコ」


 名前を呼ばれ、反射的に顔を上げる。


「貴公にはアオ……元アフリマンの器の意識を回復させる役目を任せる。マナの循環を行い、奴を目覚めさせろ。我々には、奴が持つ情報が必要だ。作戦の成功にも直結するだろう。必ず成果を上げよ」

「…………わかり、ました」


 私は絞り出すような小さな声で答えた。


 反論したい気持ちは喉の奥でつかえていたが、それを飲み込む。


 総帥の言葉が冷たくも正しいことは、ちゃんと理解していた。だからこそ、感情に任せて声を荒げる余地などなかった。


 視界の端で、タイヨウくんたちが部屋を出ていくのが見えた。その背中には、私を気遣う思いがにじんでいるようで、余計に自分の無力さが身に染みた。




 ──これ以上、私のわがままで迷惑をかけるわけにはいかない。


 今はただ、やるべきことをやらなければ……。


 先輩に関する何かを知っているとすれば、五金アオガネだけだ。彼が最後に先輩と会ったのは間違いないのだから。


 私は総帥に一礼してから、机の上に置かれた指輪に目をやった。それを手に取り、そっと握りしめる。


 その冷たい感触が、少しだけ気持ちを落ち着けてくれる。


「……この指輪、私が預かってもいいですか?」


 私は意を決して口を開く。総帥の目が一瞬だけ指輪に向けられたが、彼の表情に変化はなかった。


「構わん。既に調査は終えている」

「……ありがとうございます」


 総帥の許可を得たことで、ほんの少し肩の力が抜けた気がした。


 とにかく、五金アオガネを目覚めさせなければ何も始まらない。今は余計なことを考えるのをやめ、マナの循環に集中しよう。


 これは、私にしかできない仕事なのだから。









 総帥に先輩のことを告げられたその日から、私は五金アオガネとのマナの循環に全力を注いできた。



 そして、作戦の決行日まで、残り三日となった。


 けれど、状況は何一つ進展していない。


 焦燥感が絶え間なく胸を締め付ける。


 この手を止めれば、先輩とのつながりが断たれてしまうような気がして恐怖を抱く。


 それでも、目の前の彼を目覚めさせる以外に道はなかった。それが今の私にできる唯一の仕事だった。


 首元で揺れる二つの指輪が、静かに音を立てる。それが自分に課した責任を思い出させるたび、胸が苦しくなる。


 責任を取ると……先輩のマナを白くすると誓ったのに……っ!!


 私は自分を責めるように歯を食いしばった。


 もし先輩がアフリマンになっているのだとしたら、全ては私の力不足だ。そんな可能性を考えるたび、手が震え、全身から力が抜けていく。


 それでも、ここで諦めるわけにはいかなかった。


 五金アオガネと向き合うたび、彼の中から七大魔王(ヴェンディダード)の気配が完全に消えていることを確認する。


 その事実が、総帥が言った「アフリマンが先輩に宿った可能性」という言葉を現実味のあるものに変えていくのが怖かった。



 訓練の合間も、私はひたすら循環を続けた。


 他のメンバーが休憩を取っているときも、私だけはその場を離れ、隔離された部屋へ向かう。


 訓練が終われば、食事もそこそこにまた隔離部屋へ足を運んだ。目の前に横たわる彼にマナを注ぎ込みながら、ただひたすら願う。


 ──目覚めてほしい。全てを話してほしい。


 先輩の行方を知る鍵を握る五金アオガネを目覚めさせるために、私ができることはこれしかなかった。


 けれど、残り三日という現実が、私の焦りをさらに掻き立てる。


 もう時間がない──その思いが、心の中で警鐘のように鳴り響いていた。


 そんな中、初日から限界まで続けた私を見かねて、ケイ先生が部屋を訪れた。


「サチコちゃん、もう十分だよ。今日はここまでにしなさい」


 静かな声だったが、そこには優しさと同時に断固とした強さが感じられた。


 ケイ先生の言葉を聞いた瞬間、指先がわずかに止まる。その視線が私を諭しているようだった。


 「……わかりました」


 小さく答えながらも、胸の内では焦りが渦を巻く。


 止めたくない……一刻も早く、先輩を探しに行きたい。


 その思いは、私を突き動かす原動力そのものだった。しかし、ケイ先生の言葉が、冷静さを取り戻させる。今の私は限界に近い。


 気づけば、腕が重く感じられ、体が疲れ果てているのが分かった。


 これ以上続ければ倒れてしまうかもしれない。


 そんな懸念が頭をよぎり、私はやっと重く感じる手を止めた。途端に、蓄積していた疲労が一気に押し寄せ、体の芯まで沈んでいくような感覚に襲われる。


 深く息を吐き、五金アオガネの様子を確認する。


 彼の顔にはまだ何の変化もない。


 確かな手応えは感じているのに、ただ静かに眠っていて、目を覚ます気配はない。その穏やかな表情が、かえって私の焦燥感をさらに煽った。


 「……今日は、ここまでにします」


 倒れてしまっては意味がない。自分にそう言い聞かせ、軽く礼をして部屋を後にした。






 廊下に出ると、冷たい空気が頬を撫でた。


 その感触が熱を持った体をわずかに冷まし、ほんの少しだけ心を落ち着けてくれる。


 薄暗い照明の下、廊下には人の気配がなく、静けさが際立っていた。その静寂は、まるで私の胸に広がる孤独そのもののようだった。


 ──明日は……明日こそ、必ず目覚めさせる。


 自分にそう言い聞かせ、歩き出す。


 立ち止まれば、不安や焦燥感が形を成して押し寄せてきそうだった。


 それに飲み込まれないようにするには、動き続けるしかなかった。



 ふと、渡守くんの顔が頭をよぎる。


 五金アオガネとマナを循環させる中でずっと思っていた。


 彼も先輩と同じ黒いマナを持っている。だから、先輩と同じように七大魔王(ヴェンディダード)に襲われ、消えてしまうのではないか──そんな考えが一瞬頭をかすめ、思わず息が詰まった。


 「……渡守くん」


 君まで、いなくなってしまったら……。


 そんな考えが浮かぶたび、胸がざわつく。


 ──いや、余計なことを考えるな。


 頭を軽く振り、気を紛らわせる。


 今は渡守くんのことを気にしている場合じゃない。彼は大丈夫だ。先輩と違って、無茶なんて絶対にしない。ちゃんと自身を勘定にいれて行動できる人だ。だから、そんな心配は不要だ。


 疲れた体を引きずるように歩きながら、深く息を吸い込む。焦燥感を押し殺すように、自分に言葉を反芻する。


 倒れるわけにはいかない。迷惑をかけるわけにはいかない。七大魔王(ヴェンディダード)の討伐作戦も目前だ。作戦前日には起こさなければならない。ならば、リミットは2日。しっかりと睡眠を取って、万全な状態で循環させるんだ。ちゃんと手応えはある。何も心配はない。明日こそ、五金アオガネは目覚める。


 そう繰り返しながら歩みを進めるたび、胸に抱えた不安が少しだけ薄れる気がした。


 「……きっと、大丈夫」


 声に出したその言葉は、薄暗い廊下に溶けて消えていく。その響きが、本当に自分を支えるものになるのかは分からない。ただ、そう信じたいから声にしたのだ。


 ──進め、考えるな。迷っている時間なんてない。


 顔を上げ、疲れた足を無理やり前へ進める。


 歩みを止めれば、不安が足元から這い上がってくる。廊下に響く自分の足音だけが、静寂の中で確かな現実を告げているように感じられた。


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