閑話3 確かにあったひとつの未来ーsideセンー
※ph150の内容に関するネタバレあります。
……一体俺ァ……どっから間違えたんだろォな……。
別に、惚れた腫れたとかそォいうんじゃねェ。ただ、アイツには借りがあった。ソレを返せねェままっつゥのが癪で……そんで、アイツの側は楽だったから……だから一緒にいることが多かった。そんだけの関係だった。
アイツも俺と似たような事を思ってたのか、任務がある時は俺に声を掛ける事が多かった。特に断る理由もねェし、俺も二つ返事で受けていた。
あん時だって……夜中に珍しいなと思いつつも、いつものアイギス関連の任務だと思って行ったんだ。
なのに……蓋を開けりゃァ、自分がネオアースになるから、あのクソチビを足止めして欲しいなんつゥワケ分かんねェ話をされて、すげェムカついた。
「バカな事ァやめろ」
「センくん……」
「そりゃ、テメェの役目じゃねェだろ。既に決まった事だ。今更グダグダ言ってんじゃねェよ」
「でもこのままじゃあユカリちゃんが!!」
「でももクソもねェだろが!!」
俺はアイツの言葉を遮るように声を荒げた。
「あのチビの代わりになるゥ!? そんでェソレを俺に手伝えってェ!? ふざけてんのかテメェは!!」
事の発端は、黒いマナによる汚染だった。
元々、5年前のアフリマンの襲撃から、ネオアースはジワジワと侵食されていて、とうとう限界が訪れたらしい。このままじゃあネオアースが持たねェからと、新たにネオアースとなる存在が必要になり、その白羽の矢が当たったのが天眼ユカリだった。
コイツはソレをどォしても止めたいらしい。
財閥の決定を覆すため、人の迷惑も考えず、わざわざこんな遅い時間に呼び出してまで頼み込むなんざ……ホント、あまりにお熱い友情で反吐が出る。
「財閥と敵対するなんざごめんだね……つゥか、元々あのチビはそォなる運命だったんだ……わざわざテメェがネオアースになる必要は微塵もねェ」
「でも、ユカリちゃんよりも私の方が適任なのに……私がネオアースになればこれ以上の犠牲も……っ!!」
俺はこのバカの胸ぐらを掴んで壁に押し付けた。
紫色の瞳に映る自分の顔は、見た事ないぐらいに怒りで歪んでいて、自分じゃねェみたいだった。
この感情がどんな物か、自分でも分からない。ただ、コイツがンな馬鹿な事を言い出した事が腹立たしくて、許せなくて……その剥き出しになった感情のまま叫んだ。
「そんでェ? テメェが犠牲になんのかァ? あのチビの代わりによォ! 一生マナ循環器として苦しむってェのかァ!? いつからテメェはンな被虐趣味に目覚めたんだ!? あ゛ァ゛!?」
「……っ!」
バカ女の手は震えていた。
怖ェ癖に、本当は嫌な癖に見え張ってんじゃねェよと更に怒りが湧いてくる。
「テメェの偽善にゃ付き合いきれねェ、どォしてもっつゥなら他を当たれや……まァ? お優しいィ愉快なお仲間達がァ? テメェの考えに賛同するとは思え──」
「私は大気のマナを操れる!!」
「…………」
……あぁ、そォだな……テメェは大気のマナを扱える。
「私がネオアースになれば、誰も犠牲にならなくていい……これ以上三大財閥の人達が苦しまなくて良いんだよ……私が……私さえネオアースになれば!!」
「じゃあテメェはどォなんだよ!!」
そォだ。コイツの言う通りだ。コイツは先祖返り。マナコントロールが上手いだけじゃねェ、大気のマナを操る力を有している。
コイツがネオアースになれば、この先一生……誰もネオアースにならなくて済む。それだけの力がコイツの中には眠ってる。
でもそりゃァ、裏を返せば──
「テメェはネオアースとして生き続けてェのか!? 代替わりなんぞいねェ! 一生もねェ! 永遠に! 大気のマナを操る激痛に耐えながら生き続けるってェ事だぞ!」
それなら、終わりがある方がまだ救いがある。
そんな役目をコイツに押し付けたくはなかった。コイツがあんな物になるなんて、考えるのも嫌だった。
「あのチビだって納得してる……テメェが苦しむぐれェなら自分がやるって言ってただろォが……それで良いだろ……」
どうかこれで終わってくれと願った。こんな、苦しいだけの……終わりの見えねェ不毛な議論はしたくねェと思った。
「明日も任務だ。くだらねェ事言ってねェでとっとと寝ろ」
死刑を待つ囚人っつゥのはこんな気持ちなんだろォか……アイツが言葉を発する度に、怖くて、心が冷えていく……そんな、全身が恐怖に包まれるような感覚に、震えそうになる体を必死に堪えた。
「センく──」
「頼むから!」
あァ、ンな情けねェ面……見せたくなかったのによォ……。
「頼むから……ネオアースだけにはなるな……」
声が震えていた。
こんな情けねェ自分、見せたくなかったのに……抑えきれなかった。
今にも壊れそうな感情を、何とか言葉にして紡ぎ出す。
頼むから、コイツだけは──
「俺ァまだ……テメェに借りを返してねェんだ……だから……」
コイツが笑って頷くまで、息をすることすらできなかった。心の中の叫びが、どうか伝わってくれと願うばかりだった。
「それまでは……ならねェでくれ……」
壊れそうになる涙腺を、歯を食いしばって耐えた。
なんで自分が泣きそうになっているのか分からねェぐれェに、感情がクチャグチャだった。
「センくん……うん。……そう、だね……そうだったね……ごめん、私、変な事言った……」
だから、コイツの肯定するような言葉を聞いて心底安心した。
「止めてくれてありがとう……センくん……」
綺麗に笑うコイツの顔を見て、もう大丈夫だって安心したってェのに……。
「なんでだよ……! どォしてテメェが!! なんで、なんでだ……っ!」
叫びながら、俺の胸は押し潰されそうだった。怒りと悲しみが混ざり合い、感情が暴走する。
どうしても、この現実を認められなかった。
絶対に、認めたくなかった。
「センくん! 落ち着いて!!」
「離せや! クソがっ! フザけんなよ……フザけんじゃねェぞ!!」
俺は必死にガラスケースに向かって手を伸ばす。
「まだ借りを返してねェって言っただろォが! 変な事言ってごめんって……止めてくれてありがとうって……そう、言った癖に!!」
ガラスケース越しに見える、一枚のカードに向かって必死に手を伸ばした。
「なんでだよ……どォしてテメェが! なん、で……っクソがァアァァァッ!!」
急激に膨れ上がった怒りが、俺の中で爆発する。抑えようとしても、どうしようもなかった。
俺の声は自分の意思とは裏腹に、勝手に叫んでいた。
あんなにも安心したはずだったのに、一瞬でその安堵は崩れ去り、俺の中にはただ怒りと悲しみが渦巻いていた。
メガネの制止を振り払い、ガラスケースを叩き割る。
変わり果てた姿のアイツを拾い上げ、必死に声をかけるが反応はない。
当たり前だ。アイツはカードになったから。ネオアースを存続させるために、ネオアースと精霊界のマナを循環させるカード“ネオアース”になったのだから……。
見知った奴らが俺を止めようとしていたが、構わず叫んだ。
醜態なんぞ糞食らえだと、歪んでいく視界もそのままに、バカ女を必死に抱き締める。
そォだよ……コイツはそォいう奴だったと、自分の考えの甘さに吐き気がした。
何でもっと強く止めなかったのかと、何で側で見張らなかったのだと……あの時もっとあァしてればと、たらればの話を夢想する。
けど、考えれば考える程、物言わぬカードとなったバカ女の姿が、現実である事を突き付けられる。
あの表情筋が死んだような顔も、憎たらしい軽口も、くだらねェ応酬も……風に揺れる綺麗な髪も、ふとした時に柔らかくなる眼差しも、心地のいい声も……全部、全部……俺の、記憶の中だけの存在になってしまったことに、深く絶望した。
もう何も考えられなかった。
目の前が真っ暗になって、ただ、ひたすらに……みっともなく咽び泣くことしかできなかった。
あの後俺は、バカ女の守人となった。
周囲の奴等は先祖返りには必要ねェやら、ンな事してもアイツは返ってこねェやらとゴチャゴチャうるさかったが、全部無視した。
クソチビの胸ぐらを掴み、守人にしやがれと怒鳴りゃァ、バカ女に対する自責の念からか、簡単に守人になれた。
痛みが軽減されりゃァ、カードになったバカ女も俺が守人になったことに勘付くだろう。勝手にンなモンになった罰だと、せいぜい罪悪感に苛まれればいいザマァみろと、少しだけスッキリした。
そっから俺は……ずっとバカ女の側にいた。
五金アオガネの許可を得て、カードの前でデカい独り言を呟く日々。
任務での愚痴や、バカ女が知りたそォな事……晴後タイヨウと打上ハナビが結婚したことだったり、氷川コユキが目覚めたことだったり……そんな、何ともない話を1人で喋っていた。
……俺の声が聞こえてるかなんざ分からねェし、全部俺の自己満だったが……きっと、俺ァ五金コガネみてェに、死ぬまでこんなバカみてェな事をするんだろォなと思っていた。
けど、それもアフリマンの再来で全てが消え去った。
奴の強大な力に為す術はなく、みんな死んでいった……俺も戦ったが、全く歯が立たずやられちまった。
朦朧とする意識の中、奴がバカ女に触れるのが見えて激しい怒りを覚えた。
ボタボタと体の外に流れていく血。少しでも動かすと悲鳴をあげる骨。自分でも立ち上がれたのが不思議だった。
けど、そんなのは関係なかった。
汚ねェ手でソイツに触れんなと、肋骨がブッ刺さった肺で声にならない叫びを上げながら殴りかかったが……俺の手が届く前に、バカ女のカードは崩れていった。
もう用は済んだと言わんばかりに去っていくアフリマン。
俺は血塗れの手でバカ女の切れ端を必死にかき集め、抱きしめた。
そして、力尽きるように倒れると、世界が激しく揺れていることに気づいた。
恐らく、ネオアースの崩壊が始まったのだろう……この世界を維持していたバカ女が、ただの紙切れになったんだから当然だなとクリアになった思考で冷静に考えていた。
これで人類の負けは確定。これから、七大魔王が支配する世界が始まるのだろう。最悪な結末だった。
でも、何故か俺の心は晴々としていた。
世界は滅ぶ寸前だっつうのに、これで苦しみから解放されると安堵して、俺はこんなにも薄情だったのかと嘲笑したが……苦しみが終わると思い浮かべた顔は、俺じゃなかった。
ネオアースが滅べば、アイツはこれ以上苦しまない。
永遠の苦痛を味合うことなく、ここで終わることができるのだと穏やかな気分になって……やっと、バカ女に対する自分の感情に気づいた。
いや、気づいちまった。
「ハッ……ンだよ……本物のバカは俺じゃねェか……」
今更になって自覚するなんて、とんだ大馬鹿者だと逆に笑えてくる。
「……なァ、バカ女……」
俺ァ今まで、神になんざ祈った事はねェし、これからもするつもりはなかった。
……こんなのは柄じゃねェっつゥのは分かってんだ……だけど、もし……もしも一つだけ願いが叶うのならよォ……。
「俺の人生、良いことなんざ微塵もなかったけどよォ……」
来世っつゥもんがあんなら……次こそはコイツを幸せにしてやってくれ……。
「テメェといる時だけァ……存外、悪くなかったぜ……」
側にいるのは俺じゃなくていい。コイツを幸せにすんのは俺じゃなくて良いから……。
「……これで全部終わりだってェのに、まだお前のことが頭から離れねェ俺も、大したもんだよなァ……」
ただ、コイツが……笑って過ごせる世界を心から願う。
「サチコ……結局、俺ァ……お前がいりゃァ何だってよかったんだろうな……俺は、そういう奴なんだよ……」
コイツからの返事は永遠に来ない……そんなのは分かっている。
けど、最悪な人生だったし最後くらいいいよなと、紙屑となったサチコに唇を落とした。
……あの世で会ったら、どォしてやろォかと、お前と同じ場所に行ける訳ねェのに、お前が待ってんなら、どんな地獄でも悪くねェって思っちまう俺は、本当にどォかしてんな。
けど、もし……もしもお前と再び会えるなら……せめて、あの世にいる間くらいは、お前の隣を独占してェなァ。
……なんて、柄にもねェ思いを抱きながら、穏やかな気持ちで瞳を閉じ……俺の世界は終わった。
「……ん! ……わ…もり…ん! ……」
誰かの声が聞こえる。
心が落ち着くような声だった。
俺は微睡みに沈んていた意識がだんだんと覚醒していくのを感じながら、ゆっくりと目を開けた。
「渡守くん!!」
「どわっ!?」
すると、目の前に表情筋が死んでいる女がいる事に驚き、情けなくビクつく肩に内心で舌打ちをする。
「テメッ……バカ女、か?」
「違います。影薄サチコです」
バカ女は「バカはやめて下さい」と、呆れたようにため息をついた。
「五金総帥から連絡がありました。また歪みが発生したそうです。場所はネオ東京サモンアリーナ……歪みといっても小規模の物のようで危険性は低いと判断された為、私と君の2人で向かえとの事です」
「準備ができたら連絡して下さい」と言いながら、去ろうとするバカ女の腕を咄嗟に掴む。
「何か?」
「いや……何、でもねェ……」
「……まだ寝ぼけてるんですか?」
自分でも、何で掴んだのか分からなかった。
ただ、このままコイツが離れていく事に謎の喪失感を覚え、反射的に掴んでしまったのだ。
「そォだな……そォ、かもしんねェな……」
俺はコイツの腕を掴んだまま、少しだけ力を緩めた。
放せばいいのに、どうしてもこの温もりを離したくなかった。
わけが分からねぇ。何でこんなもん、掴んでるんだ俺は。
だが、その考えが頭をよぎるたび、急に自分が情けなくなってきて、イライラが募ってくる。
腹が立って仕方ねェ。こんな弱っちい感情を抱いてる自分が許せねェ。
バカ女に気づかれる前に、俺はわざと荒々しく手を離した。
「……もしかして、調子が悪いんですか? 今なら総帥に言って別の人に代えてもらう事も可能で──」
「必要ねェ」
俺は吐き捨てるように言いながら、コイツの言葉を遮りつつ立ち上がった。
この、訳が分からねェ感情を振り払うように。
「場所はネオ東京サモンアリーナだったな……とっとと行って終わらせんぞ」
「ちょっ! 待って下さいよ!」
俺がスタスタと歩き始めると、慌てて付いてくるバカ女。
必死に足を動かして、俺の後ろを追いかける姿が滑稽で、笑いが込み上げそうになる。
「なァ、バカ女……」
言葉が喉の奥で詰まる。何を聞きたいのか、自分でもよく分からなかった。
ただ、このままでは何かが足りない気がして……。
「だから、バカ女はやめて下さいって何度も言ってるじゃないですか。まだ影女とかの方がマシで──」
「今、幸せか?」
口をついて出た言葉は、思っていたよりも弱々しかった。何を期待していたのか分からない。ただ、コイツの答えを知りたかった。それだけだった。
「…………は?」
俺の突拍子もない質問に、コイツは口をポカンと開けて間抜け面を晒した。
「そんな、藪から棒に……急にどうしたんですか? 本当にらしくないですよ」
「いィから答えろよ」
「……」
怪訝そうに眉を潜めるアイツ。
俺だって、何でこんな質問をしたか分からねェ。特に理由なんざねェけど、何となく気になったんだよ。
バカ女は俺の顔をじっと見つめたかと思うと、考え込むように視線を逸らし、「そうですね」と呟いた。
「可もなく不可も無くな日々でしたが、タイヨウくん達と関わってからは散々ですね。マナ使いなんて者にはなるわ、サタン復活を阻止する羽目になるわ、挙句の果てには七大魔王なんて訳分からん精霊が出てくるわで正直うんざりしてますが……」
バカ女は一旦言葉を止めて、俺の方を見る。
「……まぁ、悪くはないです」
「そォかよ……」
その答えが聞けただけで満足だった。俺はヴェルグを実体化させてからその背に乗り、バカ女に向かって手を差し出す。
「終わったらいつもの洋菓子店な」
「奢りですか?」
「バカ言え、割り勘に決まってんだろ」
「ケチな男はモテませんよ」
「そりゃァいい、面倒に巻き込まれずに済む」
いつも通りの軽口を叩きながら、笑い合う。その笑顔を見て、俺はふと、安心している自分に気づいた。
理由は分からない。ただ、何かが少しだけ変わったような、そんな気がした。