ph151 苛立ちーsideセンー
あァ、イライラする……。
訓練を終え、ふと視界に入り込んできたのは、窓の向こうをぼんやりと眺める影女の姿。
自然と出る舌打ち。
なんで毎回、こうやって目障りなところに突っ立ってんだ。しかもまた、あのムカつく顔をしてやがる。
マジで癪に障る奴だな。まるで世の終わりみてェな顔しやがって……。
アイツがそんな顔をし始めたのは、例の救援任務から戻ってきた後あたりか。以来、やたらと目に付くようになったが、こっちとしては気分が悪いだけだ。
イラつきが腹の中でどんどん膨れ上がっていくのがわかる。今も窓の外をじっと見て、何かを考え込んでいるらしいが、俺のことなんてまるで見ねェ。
わざと足音を立てて近づいてやるが、影女は俺に気づいた途端、一瞬だけこちらを見て、すぐに窓の方に視線を戻しやがった。
──あァ、そうかよ。俺なんざ眼中にねェってかァ?
「…………チィッ!!」
ンだよ、その態度は……いるだけで人をイラつかせる天才だなコイツは!!
俺はそのまま苛立ちをぶつけるように口を開いた。
「……ンなとこで突っ立ってんじゃねェ。ウザってェ、消えろ」
俺に、その腹立たしい面を晒すんじゃねェ……。
それからしばらくして、影女はあの腹立つ顔をしなくなった。
やっと、鬱陶しいモンを見ずに済むと思って気が緩んだ矢先に、クソみてェな光景が目に入ってきやがった。
「さ、ささささ! サチコぉ!?」
「ええい! うるさいです、先輩。ちょっとは大人しく抱かれてくださいよ」
「無理いいいいい! それだけは無理いいいいい!!」
…………うるせェ。
俺は、イカれ坊ちゃんに抱きつく影女の姿を見て、自然とコップを持つ手に力が入った。
ピシリ、と音を立て、コップにヒビが走るのが分かる。だが、手を緩める気なんざ一切起きねェ。
「せめて俺から! 俺から!」
「ダメです」
クソがっ!!
ここを何処だと思ってんだよ、バカどもが。公共の場でイチャつきやがって、とんだバカップルだなァ? しね。
コイツらがこれ以上視界に入ってくるのは我慢ならねェ。一刻も早くこの場から離れるため、奴らの存在を意識の端に追いやりながら、俺は黙々と飯をかき込む。
味なんざ知ったこっちゃねェ、ただ腹に詰め込むだけの作業だ。
……最近ムカつく顔してたのも、イカれ坊ちゃんのせいだっつゥワケか。恋煩いか何かでしたァってことか? それで無事にくっつけたから、お悩み解決しましたァ、と。
食堂の一角で騒ぎまくるバカ二人を一瞥する度に、腹の底にドス黒いものが渦巻く。
クソ、何なんだよこの気持ち悪ィ感じ……。
……あんだけ興味ねェって面してたくせに、結局そォいう落ちかよ。
荒々しく食い終わった食器をお盆に叩きつけるように置き、雑に持ち上げる。
返却口に乱暴に押し込み、食堂を出ようとしたその時、視界の端にヒョウガの間抜け面が入った。バカ二人を見て、無言で立ち尽くしている。
……ハッ、飛んだ間抜け面だなァ? ショックでも受けてんのか?
呆けたツラして、遠目から食い入るように見てやがる。みっともねェなァ? おい。
ヒョウガが影女に惚れてんのは、隠す気がねェのかってくらいわかりやすい。本人は気づいてねェみてェだが、四六時中影女を目で追って、何かあればすぐ飛んできやがる。
まるで影女の犬みたいによォ……。
今も影女がイカれ坊ちゃんとイチャつく姿を前に、何も出来ずに呆然と突っ立てやがる。
ムカつくクソ野郎が失恋する瞬間を間近で見て、少しだけ気分が良くなる。
残念だったなァ? テメェじゃ、あのバカは手に負えねェよ。とっとと尻尾巻いて消え失せろ、ムッツリ野郎が。
俺はシスコンに野郎に一瞥だけした後、すぐに興味をなくし、視線をそらして食堂を出た。
何だか訳もわからねェ苛立ちが残ってるが、ここで気分を悪くしてんのも馬鹿らしい。さっさと忘れちまいたい気分だなと思いながら、トレーニングルームに向かった。
……最悪だな。
なんの因果か、影女とタッグを組む羽目になった。これから毎日このムカつくクソ女と顔を合わせると想像するだけで、イライラが募ってくる。
これから七大魔王を倒すまでコイツと行動を共にするなんて、クソ喰らえだと思った。
……が、実際に訓練で組んでみると、このムカつくクソ女とのタッグは意外と悪くはなかった。
訓練用に用意された黒いマナのモンスターと戦ってみれば、俺の死角を補うようにサポートしてくる。思った以上に役に立つようだと、少しだけ認識を改める。
メガネが「相性を考えて二人組を決めた」とか言ってたが、なるほど、こういうことか、と訓練で荒くなった呼吸を整えながら、影女をちらりと見た。
「おい、かげお──」
「わたも──」
同時に重なる声。影女が「何か?」と俺に先に話すよう促してくるが、もう話しかける気分じゃなくなって、舌打ちしてから「何でもねェ」と言い返す。
すると、影女は俺に背を向けて「シャワーを浴びてくる」と時間を気にしながら立ち上がった。
……いつもなら、この後に特異なマナの訓練をして、さらに汗をかくからと、わざわざ浴びなかったはずなのに。
ふと、今朝の食堂で見た光景がよみがえる。バカ女が、イカれ坊ちゃんに抱きついてたあの姿だ。
あァ、なるほど……今から愛しい愛しい彼氏様に会いに行くってェワケか……。
「へェ? お熱いこってェ?」
気づいたら、無意識にそんなことを口走っていた。
俺の言葉に戸惑う影女を他所に、何だか分からねェ苛立ちが内から湧き上がって、止まらずに吐き出す。
「まァ? 俺にはどォでもいいけどォ? 人目も憚らずイチャつくたァ、どォいう心境の変化だァ?」
そォだ。俺にはどォでもいい。俺には関係ねェ。コイツがどこで何をしようと、別に何も──
じゃあ、なんで俺はこんなことを聞いてんだ?
湧き上がる疑問。けれど、すぐに浮かんだのは、あのヒョウガの間抜け面。
「ヒョウガくんが可哀想ォだと思わねェのかァ? ……ハッ、見ものだったぜェ? あの間抜け面と言ったら……ヒャハハッ!」
そォだ。ヒョウガを弄るネタが知りたいだけだ。それ以上の理由なんざねェ。
あのスカした野郎を追い詰めるネタになるなら、少しくらい気になったっていいだろ。それだけの話だ。
影女が「別に惚れた晴れたとか、そういう話じゃないですよ?」と宣う。黒いマナの暴走を抑えるための応急処置だとか何とか、真面目くさって説明してくる。
それを聞いた途端、なぜか心の底から安堵が広がった。
……意味が分からなかった。
何でこんな気持ちになるのか、理解できねェ。言い訳みてェに「興味ねェっつってんだろ」と影女の話を遮った。
何で俺ァ安堵なんざ……っ!!!
「……ただ、嫌でもテメェとタッグを組む羽目になってんだ。そんな相手が色ボケてヘマしやがったら、面倒なことになんだろ……」
あァ、そォだ。コイツが恋愛にうつつを抜かして足を引っ張られたら、たまったもんじゃねェ。
それだけだ、だから安堵した。それ以外の理由なんざねェ。
影女は特異なマナの訓練について何か話し出すが、「どォせいつも通りだろ」と返し、聞き流すように歩き出した。
……別に、俺のマナも黒ェのに……とか思ってなんざ、ねェ……。
クソがっ! またかよ!!
最近また、バカ女が見せるようになったムカつく表情に、俺の苛立ちはどんどん募っていく。
しかも今度は、前よりも酷ェ。
より腹立たしいのは、あのバカがその表情をするのは決まって一人の時だけってところだ。
他の奴といる時は何事もねェ顔してやがるくせに、一人になると途端にあのムカつく面を晒しやがる。
何でか知らねェが、俺が行く先々で一人でいるバカ女に出くわす。その度に、わざわざ俺の視界に入り込みやがって。
まるで俺があのバカを追ってるみてェじゃねェか! フザけんなよ!!
今度は一体何があったんだとイライラしながら見ていると、クソチビが仕切りにバカ女のことを気にしているのが目に入った。
……そォいうことかよ。
バカ女のムカつく顔がクソチビと関係してるって気づいた途端、自然と盛大な舌打ちが出た。
よりにもよって、あんなチビと何かあったんかよ。
別に、あのバカ女のためじゃねェ……。俺の平穏のためだ──そう自分に言い聞かせながら、訓練を終えた俺は、足早にクソチビの部屋へ向かった。
「あー、疲れ──」
「おい」
俺は、クソチビが部屋に入ってくると同時に声をかける。
「あれれぇ? センくんどぉしたのぉ? 乙女の部屋に勝手に忍び込んでぇ〜。君、そぉんなに僕に興味があったんだねぇ。知らなかったなぁ……もしかして僕、これから酷いことされちゃう感じ? こっわぁ〜い」
「ふざけたこと抜かしてんじゃねェぞ、クソチビ」
とぼけた調子でニヤつくクソチビの顔を睨みながら、イライラを抑えきれず問いかける。
「あからさまに、俺がいる時だけバカ女を見やがって……言いてェことがあんなら、ハッキリ言えや」
「あれ? バレてた?」
クソチビは舌を出して、おどけるように肩をすくめる。
「テメェが本気で隠すんなら、ンなバカ丸出しの面で表に出すワケがねェ」
「あれ? 僕って意外と高評価?」
「嬉しいなぁ」と宣いながら、クソチビはニヤついたままこちらを見てやがる。
「ンなワケねェだろ。テメェと仲良しこよしするつもりはねェんだ。さっさと要件だけ言え」
「そうだよねぇ。君が仲良くしたいのはサチコちゃんだけだもんね」
「あ゛ァ゛!?」
クソチビの聞き捨てならねェ言葉に、思わず声を荒げる。
「頭湧いてんのかテメェ! 誰があんなバカ女なんざと!!」
「でも、こうしてわざわざ来てるじゃん?」
クソチビはどこまでも飄々とした態度で、面白がるように笑ってやがる。その顔が腹立たしくて何か言い返そうとした瞬間、こいつはさらに言葉を重ねてきやがった。
「本当にどうでも良かったら、無視するじゃん、君」
「違ェわ! 俺は、ただ……ただ! タッグの相手が腑抜けたままだと、任務に支障があるからだ……そんだけだ」
「……ふぅん。ま、そういうことにしてあげるよ」
クソチビは、どこか見透かしたような顔で俺を見てやがる。その薄ら笑いがどうにも腹立たしくて、俺は強く歯を噛み締める。
クソが! コイツのこォいうとこが心底嫌いだ!!
いい加減、このやり取りがバカバカしくなってきた頃、クソチビが急に視線を逸らし、ふっとため息をついた。飄々とした態度から少しだけ真剣な雰囲気に変わる。
「……ま、からかうのはこの辺にしといて。そろそろ本題に入るね」
「あ゛?」
「いいから、聞いてよ。君が知りたい事、ちゃんと教えてあげるからさ……だから、サチコちゃんのこと……お願いね」
俺が警戒して目を細めると、クソチビはいつものふざけた態度を完全に引っ込め、真剣な表情で俺を見据えてきた。
そして次に吐き出された言葉に、俺は思わず口を噤んだ。
俺は、いつも通りバカ女の特異なマナ──大気のマナを操る訓練に付き合っていた。すると、バカ女が突然「渡守くん? 何かあったんですか?」と俺の顔を覗き込んできやがった。
「あ゛? 何言ってんだテメェ」
「なんか、いつもと違うというか何というか……こう、……率直に言うと元気がない感じがします」
そりゃテメェの方だろ。
そう吐き出しかけた言葉を、咄嗟に飲み込む。何を言おうとしてんだ、俺は。
「……ハッ、見当違いもいいとこだ。俺はいつも通りだっつゥの、勘違いすんな」
「いやでも、君のマナもいつもと感じが──」
「うるせェ。だとしても、テメェに心配される筋合いはねェ」
ほっとけと突き放すと、バカ女はわざとらしく大きなため息をついてみせた。これ見よがしに、深々と俺の耳に届くように。
「そうしたいのは山々ですが、私たちはこれから協力して七大魔王を倒さなきゃいけないんですよ? このままほっといて、任務に支障をきたされたら困るんですけど」
勝手なことを言いやがって。そもそも悩みなんざ……ねェよ。
俺がどんな面してたか知らねェが、それも全部、テメェがムカつく顔をするせいだ。
「だいたいテメェもっ! …………」
「?」
また、吐き出しそうになった言葉を、ギリギリで飲み込む。
……何だ、今、俺は何を言おうとしたんだ?
妙に口が勝手に動こうとしやがる。訳の分からねェ感情が頭を掠めて、落ち着かねェ。
俺は自分でもわからねェまま、思わず顔を背けると、バカ女は訝しげに首を傾げて俺をじっと見ている。
「……何があったか知りませんが、溜め込み過ぎはよくありませんよ」
バカ女は、自分のことは棚に上げて、そんなことをのたまいやがる。
「君が人に弱みを見せたくないのは知っています」
うるせェ……。
「でも、君は嫌かもしれませんが、私は君のこと……そんなに嫌いじゃないんですよ」
うるせェ。
「だから、そんな顔をされると、どうしても心配になるんです」
うるせェうるせェうるせェ!!
「私達、タッグを組むんですし、少しぐらい信用してくれても──」
「だったらその腹立つ顔やめろや!!」
バカ女の言葉が耳に入るのも嫌で、思わず声を荒げて遮った。
「これみよがしに俺の視界をチラつきやがって! 構ってちゃんかよテメェ!!」
今までたまっていた鬱憤が一気に溢れ出す。
「勝手に一人でムカつく顔してんじゃねェ! ンな面見せびらかしてんじゃねェ!!」
そうだ、俺はテメェにイラついてんだ!
その顔も! その態度も! 全部が癇に障るんだよ!!
「ウジウジすんなら一人でやれや! なんで俺の前ウロついてんだ! 何で視界に入ってくんだ! いい加減、目障りなんだよ!」
テメェのその澄ましたフリも、余計に視界を汚すその面も、すべてが不愉快で仕方ねェ!!
「テメェのその鬱陶しいツラ、視界にチラつくだけで反吐が出んだよ!!」
俺以外のことでそんな面してんじゃねェよ!!
そこまで吐き出した瞬間、自分の中で燻っていた思いが、どす黒い塊のように浮かび上がる。
あァ、そォか……そうだったのかと、胸の中がスッキリした気がした。
顔を上げると、いつの間にか壁際にまでバカ女を追い詰めていた。バカ女は困惑した表情で、俺をじっと見つめている。
そォだ。それでいい……テメェはそれでいいんだよ。
俺が見てる限り、俺以外の奴に気を向けてんじゃねェ。
俺はバカ女が逃げられないよう、壁に手をついた。バカ女の肩がかすかに震えているのが見えて、内心がざわつき、妙に気分が良くなる。
思い出すのは、コイツと出会った時の光景だ。
情けなんざかけやがって……コイツのせいで、とんだ屈辱を味わった。
それだけじゃねェ、その後も出くわす度に人の神経を逆撫でしてきやがって……支離滅裂な理由で、頼んでもねェのにサタンから俺を助けやがった。
俺より弱ェくせに……格下のくせに、俺の前に立ち続けるコイツが腹立たしくて、どうしようもなかった。
「……俺ァ善人じゃねェからな……誰かの犠牲で自分が助かるなら、その誰かを犠牲にすんのにためらいはねェ」
そォだ。俺は死にたくねェんだ。俺を見下してきたクソ野郎どもを見返してやるためにも、死ぬワケにはいかねェ。
「だが、テメェを……その誰かにするつもりもねェ」
俺の言葉に、バカ女が目を見開く。
「……どうして」と口元が動いているのを見るに、俺がバカ女の事情を知っていることを悟ったんだろう。
だが、俺はコイツの疑問なんざどォでもいい。今、俺が言いてェことをぶつけてやるだけだ。
「テメェを殺すのは……俺だ」
そォだ。コイツを殺すのは俺だ。誰にも殺らせねェ……世界なんぞに奪われてたまるかよ。
「この世界がテメェを殺すってんなら……」
散々人をコケにしやがって、やり逃げなんざ絶対ェ許さねェ。
「その前に、俺がテメェを殺す」
だから覚悟しやがれ。テメェを絶望させんのも、泣きっ面かかせるのも、全部俺だ……この俺なんだよ!
だからもっと俺に恐怖しろ! もっと俺を意識しろ! 他でもねェこの俺を!! 他に気ィやってんじゃねェよ!!
「余所見は許さねェ」
俺だけを見てろ。
鋭く睨みつけると、バカ女はポカンとした間抜けな顔で俺を見上げていた。まるで想定外のことを言われたみてェに、呆然とした表情で。
バカ女の視界いっぱいに映る俺の姿。
それだけで、妙に満足感が込み上げてくる。
しばらくその間抜け面を眺めていると、やがてバカ女の瞳がかすかに揺れて、気色の悪ィ泣きっ面で笑いやがった。
「……そうですね」
バカ女は俺を真っ直ぐに見つめたまま、穏やかに笑う。
「私も……殺されるなら、渡守くんがいいです」
その言葉に、腹の底がムズムズした。
慣れねェ、何とも言えない感覚が胸の中に広がって、落ち着かねェ気分になる。なのに、不思議と嫌な感じじゃなかった。
……あァ、本当に気に食わねェ。……気に食わねェ女だ。