ph148 驚きのランチタイム
午前の訓練を終え、お昼休憩のために食堂へと足を運んだ。注文カウンターで日替わり定食を頼むと、差し出されたお盆を両手でしっかりと受け取る。
今日のメニューは鶏むね肉と彩り野菜の黒酢あんかけが主菜で、見た目も鮮やかで健康的だ。
副菜にはほうれん草とひじきの和え物が添えられ、小鉢にはほくほくのかぼちゃの煮物。あさりとわかめの味噌汁もあり、雑穀米が全体をまとめている。
栄養バランスを考えたこの一膳を目にすると、食堂スタッフの配慮が感じられて少しだけ嬉しくなる。
私は空いている席を探すために周囲を見渡すと、いつもより静かな食堂が目に入った。
少し長引いた訓練のせいで、ピークの時間を過ぎていたようだ。その静けさが妙に耳に残り、どこか寂しさを感じる。
自然と一緒に訓練をしていた渡守くんの姿が頭をよぎったが、彼が私と並んでランチを楽しむような性格ではないことは百も承知だ。
1人で食べるのは忍びないし、影法師を呼び出して一緒に食べようかと考えながら席に向かう。
すると、視界の端に楽しそうに談笑しているタイヨウくんとエンラくんの姿が飛び込んできた。知り合いがいるならこれ幸いと、お盆を手に彼らの席へと向かう。
「二人とも、隣いいかな?」
私が声をかけると、タイヨウくんがぱっとこちらを見て、明るい笑顔を浮かべた。
「サチコか! 勿論いいぜ!」
その勢いに引っ張られるように、エンラくんもにこやかに微笑み、「どうぞ」と歓迎するように空いた席を促してくれた。
「センは一緒じゃねぇのか?」
「渡守くんは、ぼっち飯至上主義だからね」
軽く冗談めかして返すと、タイヨウくんは「そっか!」と特に深く追及せず、朗らかに笑ってくれた。そんな彼の隣に腰を下ろし、お盆を置いてほっと一息つく。
「それにしても、二人とも随分と遅いランチだね。何かあったの?」
「俺ら、ヨハンのとこに寄ってたんだよ。サチコこそ、どうしたんだ?」
「私はちょっと、訓練が長引いてね……」
乾笑いしながら答えると、タイヨウくんは「そうなのか! 頑張ってんだな!」と軽く労いの言葉をかけながら自分の定食を口に運んでいる。
タイヨウくんのいつもの通りの態度に少し和みつつ、前に座っているエンラくんの方に目を向けた。
「そういえば、エンラくんもヨハンくんとの面会許可が下りてるんですか?」
エンラくんは柔らかな笑みを浮かべ、「敬語じゃなくて大丈夫だよ」と穏やかに言い添えてから、軽く頷いた。
「うん、そうだよ。ユカリ様が、七大魔王の研究に関わってるからね。僕の役目は彼女を支えることだから」
「ユカリちゃんを……?」
そういえば、アボウくんがエンラくんは天眼家の本家の人間だと言っていたことを思い出す。もしかしたら、本家の者として何かしら重要な役割があるのかもしれない。
そんなことを考えながら水を飲んでいると、エンラくんがさりげなく続けた「うん。婚約者だからね」という言葉に不意をつかれ、思わず飲み込む手が止まった。
「こっ!? ごっ、ごほっ、ゲホっ……っ、婚約者ぁ!?」
水が変なところに入り、咳き込みなが何とか聞き返すと、エンラくんは「そうだよ」と、のほほんと答える。
まさか……嘘でしょ?
ユカリちゃんの冗談とは分かってはいるけど、恋愛的な好意を示唆するような言動をされている身としては、これは気まずいというか、なんというか……もしかして、これが修羅場ってやつか? いやでも、エンラくん全然気にしてないみたいだし、どうなんだ?
エンラくんのさらりとした一言で頭が真っ白になりかけたところに、さらにもう一つ、信じられない情報が投げ込まれる。
「僕の父様のお姉様に当たるリンネ様がね、五金総帥の奥様だったんだ。リンネ様は類い稀なるマナコントロールの才能を持っていて、その才能が評価されて現五金家当主の伴侶として選ばれたんだ。だから、彼女の血筋にあたる僕も、天眼家の伴侶としてユカリ様に縁づけられたんだよ。天眼家はマナコントロール力を特に重要視してるからね」
私の頭は情報量の多さについていけず、完全に混乱しながらエンラくんを凝視する。けれどエンラくんは気にも留めず、にこやかにご飯を口に運んでいた。
「え? ちょっと、待って……じゃあエンラくんと先輩たちって……」
「従兄弟だよ」
「ウッソぉ!?」
私が口に出す前に、私の心そのものを代弁するような声が隣から飛び出した。
横を見ると、タイヨウくんが目をまんまるく見開きながらエンラくんを見ている。
いや、お前も知らなかったんかい。
「じゃ、じゃあシロガネと親戚ってことなのか?」とタイヨウくんが改めて確認するように尋ねると、エンラくんはのほほんとした表情で「うん」と肯定した。
「ぜ、全然見えねぇ……」
タイヨウくんの言葉に全力で同意する。
どちらかといえば、まだケイ先生と親戚と言われた方がよほど信憑性がある。従兄弟にしては、あまりにも他人行儀すぎる気がするし。
そう思いつつも、ふとあることを思い出した。
始めて精霊界に赴く任務をクロガネ先輩に伝えた時、彼がエンラくんを「見た目」で呼ばなかったことだ。
先輩は、よく知らない相手を見た目で呼ぶことが多い。たとえば青髪とか白髪とか、そんな風に言うのが彼の常だ。
タイヨウくんのことも最初は「赤髪」なんて呼んでいたし。でも、エンラくんのことは「天眼家の呑気野郎」って言っていた。つまり、少なからず性格を知っている程度には認知していたということだ。
さらに言えば、シロガネくんもエンラくんのことをフルネームで呼ぶことはなく、彼と話している時は「エンラくん」と名前で呼んでいる。
だからつまり、そういうことなのだろう。
全く気づかなかった。でも、同時に妙に納得してしまった。
アボウくんが「本家の人間」と言っていたはずなのに、エンラくんが天眼の姓を名乗っていない理由が、こういうカラクリだったのかと思いながら、コップを机の上に置く。
それにしても、奥様か……。
そう考えると、五金総帥という存在が改めて謎めいて感じられる。
そもそも、あの人の頭の中に「結婚」や「恋愛」なんて単語は存在しているのだろうか? 全くもって想像がつかない。
「五金総帥って、奥さんいるんだね……」
しみじみと漏れる言葉。
いやまぁ、子供がいる時点で相手がいるんだろうけど、なんというか……会ったこともないし、そんな存在がいるようには思えないというか、何というか……。
失礼ながら、総帥ってそもそも人類愛せるの? ってくらい朴念仁だし、あの人が恋愛している姿なんて到底想像できない。
「あぁ、でも政略結婚か……」
自分なりに合点がいき、ご飯に箸をつけようとしたその時、エンラくんが「そうでもないよ」とさらっと言う。
「総帥が、リンネ様と結婚できないなら当主にならないって駄々こねた事件、道六家では有名だし」
「…………は?」
総帥が、……駄々……?
えっ、ちょっ……駄々って、あれだよね? あの、子供が親にわがまま言うやつ……。
え? 漢字変換間違ってない? 駄々って漢字、本当にあってる? あれ? 駄々って何だっけ?
「同じ代に道六家から二人も財閥本家に嫁ぐのは色々と問題があったみたいでね……ほら、天眼家がマナコントロールを重要視してるって言ったでしょ? だから、リンネ様の才能を見て、やっぱり父様がセンリ様に婿入りするべきだって話が上がってさ……リンネ様の嫁入りの話が流れかけたんだよ」
私の混乱をよそに、エンラくんは当たり前のように話を続ける。
「センリ様はリンネ様のことが大好きだったから、父様と結婚すればリンネ様が本当のお義姉様になるって大喜びだったらしいんだけど、それに待ったをかけたのが今の五金総帥だったんだ」
その一言に、私は目を見開いた。
冷静沈着、常に感情を押し殺しているかのような五金総帥が、そんな無骨な恋愛感情を抱いていたなんて思いもよらない。
エンラくんの語り口があまりに淡々としているせいか、余計にその衝撃が際立つ。
「五金総帥はサモンマッチ協会の会議に乗り込んで『ふざけんじゃねぇぞくそ親父ぃ!』って、『リンが嫁じゃねぇなら五金なんざ糞食らえだ!!』って大暴れしたんだよ。父様はお二人が相思相愛なのも知ってたし、自分が婿入りを辞退するって言ったらしいんだけど、当時の五金総帥は許さなくてね。盛大な親子喧嘩が勃発したんだ。最終的には今の五金総帥が全員マッチで蹴散らして、リンネ様を迎え入れ──」
「待って」
それ以上はいけない。
あまりにも耳を疑う話に、私は耐えきれずエンラくんの口を無理やり手で押さえた。
五金総帥の厳格で冷酷なイメージが、頭の中でガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
あの朴念仁の総帥が、会議の場で駄々をこねたという絵がどうしても浮かんでこない。普段あれほど冷静で淡々としている人が、そんな感情をむき出しにしたなんて想像もつかなかった。
こんな話を聞いてしまったせいで、今度総帥に会った時、どうしても「駄々」という言葉が頭をよぎりそうで怖い。
タイヨウくんなんて、私以上に驚いているのか、さっきから「だ、だ?……だだ?」と小さな声で呟きながら、完全に固まっていた。
驚きと混乱で処理が追いつかないのか、その顔はどこか遠い宇宙を見つめるスペースキャット状態だ。
「そういえば、最近の協会の会議で、僕とサチコさんを結婚させようって話が出てたんだけど、知ってた?」
「何それ初耳なんだけど……」
思わず低くなる声。本人に知らせもせず、勝手に婚姻の話を持ち出すなんて、一体どういう神経をしているのか。
話が実際に進められていなくても、そんな大事なことを話題にされるだけで、「これだから権力者って奴は……」と苛立ちが込み上げてくる。
「サチコさんのマナコントロールの才能は、財閥内で有名だからね。天眼家に取り入れたいって思惑があったんだよ。だからユカリ様と僕の婚約を取り消して、僕とサチコさんの子供を、次世代の天眼家に取り入れようとしてたらしいんだ。でも、それを止めたのも総帥だったんだよね。『貴公等は怒り狂うクロガネを止められるのか』って、まさに鶴の一声だったんだ。五金総帥の生き写しで、黒いマナ持ちのクロガネくんに暴れられたらたまったもんじゃないってことで、満場一致でお開きになったらしいよ」
エンラくんは最後に「よかったね」とニコニコと笑顔で締めくくった。
その笑顔を見たら、もう何も言い返せなかった。
話が取り消しになったのはありがたいけれど、理由が理由だけに、心の中はなんとも言えない気持ちでいっぱいだ。
……というか、先輩って総帥の生き写しとか言われてるの? どんなところが? 確かに、顔は似てるけるども……今では想像つかないけど、エンラくんが真似したと思われる当時の口の悪さか?
それとも、もしかして、もしかするとだけど……総帥も奥様の前では満面の笑みで甘えて……って、だめだ、これ以上はいけない。これは完全にパンドラの箱だ。絶対に開けてはいけないし、考えてもいけない。
浮かびかけた恐ろしい想像を、慌ててコンクリートで封じ込め、思考の海に沈めた。
一生浮かんでこないように、さらに数トンの重りでがっちり押さえつけ、気持ちを切り替えてから、エンラくんと向き合った。
「……そうなんだー、シラナカッタナー。……そ、それにしても! エンラくんも大変だね。協会の都合でコロコロと婚約者を変えられるなんて……」
「そんなことないよ」
エンラくんはそう言って、さらりと笑ってみせる。
「ユカリ様もサチコさんも、素敵な人だからね。君たちみたいな素晴らしい女性と結婚できるなら、政略結婚も悪くないよ」
「クロガネくんに恨まれるのは、ちょっと怖いけどね」と言いながら、エンラくんは優雅に食事を続けている。その無邪気な顔には、微塵の躊躇も見えない。
こ、こ、この子、天然ジゴロかよ! タイヨウくんとはまた違うタイプの人たらしだ!!
お前ら本当に小学生か!? 前世でどれだけ徳を積んだら、こんなに人間が出来上がるんだよ! この世界の小学生、マジで末恐ろしいんですけど!?
「は、はは……ありがとう……」
エンラくんの大胆発言にビビりつつも、私はなんとか話を切り出す。
「でも、そっか……リンネ様か……」
総帥と天眼家の御当主様に好かれるなんて、一体どんな人なのだろう。興味が湧いて、思わず口を開く。
「リンネ様に、会ってみたいな。そんなに素敵な方なら、きっと──」
ふと視線を上げると、エンラくんの表情がどこか困ったように曇っているのに気づいた。
さっきまでの無邪気な笑みは消え、視線を少し遠くに向けながら、慎重に言葉を選ぶように口を開く。
「ごめん。リンネ様は……もう、10年前に亡くなられたんだ……僕も父様から話を聞いただけでしか知らないんだ」
一瞬、息が止まる。会ってみたいと軽々しく言ったことを後悔し、胸が締めつけられるような思いがこみ上げてくる。
「そ、そうなんだ……ごめん、知らなくて」
エンラくんはゆっくりと微笑み、気まずさを払うように首を横に振った。
「ううん、気にしないで。リンネ様のことを知りたいと思ってくれて、僕は嬉しいよ」
その優しい笑みに、何も言えなくなってしまう。
ふと、エンラくんがリンネ様のことを「奥様だった」と過去形で語っていたことを思い出し、自分の浅はかさを恥じた。
驚きのあまり聞き流してしまっていたが、冷静に考えれば気づけたはずだったのにと……。
「それに、父様から聞いた話ならいくらでも話せるからさ」
エンラくんはふといたずらっ子のように目を輝かせ、「とびっきりの話があるんだ」と笑ってみせる。
その明るい調子に引っ張られて、さっきの気まずさも少しずつ和らいでいくようだった。
それから、宇宙の彼方に飛んでいたタイヨウくんの思考が戻り、三人で穏やかに食事を続けた。少しずつ話が弾み、自然と笑顔もこぼれる。
総帥の意外な一面を知って、なんだか新鮮で面白かった。
普段は真面目で厳格な印象が強いけれど、昔はかなりやんちゃで、周りを困らせることもあったなんて。そんなエピソードを聞くと、驚きながらも、総帥が少し身近に感じられた。
「リンネ様って、本当に素敵な方だったんだね」と感慨深くつぶやくと、エンラくんが優しく頷き、微笑む。
「うん、そうだよ。五金総帥にとっても、僕の父様にとっても、大事な人だったんだ」
そんな話をしながら、静かで穏やかな時間が流れていった。