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ph144 岩塊の中で

 白く輝く鳥を追いかけながら、荒い息が喉を突いた。


 タイヨウくん達の安否は依然として分からない。どれだけ走っても、彼らのマナの気配はまったく感じられない。


「アボウくん!」


 私は息を切らしながらも、足を止めずにアボウくんの名前を呼んだ。


「火車って、飛べます?」

「まぁ、できなくはないじゃん」

「貸してください。実体化させます」

「はぁ!?」


 アボウくんの表情が険しく歪む。私の提案に不満があるようだった。


「俺らがバテてたら意味ねぇじゃんよ!」


 彼のキツめに発せられた言葉に、彼の言い分を悟る。


 精霊が宿っていないカードを実体化させ、それを自分のマナで操作し続けるとなれば、体力の消耗は避けられない。


 短時間ならまだしも、数時間も複雑な動きをさせ続けるなんて、到底持ちこたえられるものじゃない。


 タイヨウくん達のバイタル値に異常が出ているという事は、何か危険な状況に巻き込まれているのは間違いない。そんな中、私たちがバテてしまったら、救援の意味がない。そう言いたいのだろう。彼の主張はもっともだ。


 だけど──


「間に合わなければ、同じです」


 私の声が自然と強くなる。焦燥感が心の奥で膨れ上がり、抑えられない。


 もし遅れたら? もしタイヨウくん達に何かあったら? その考えが頭を支配する。


「それは……そうだけどよ」


 アボウくんも私の言っていることが理解してくれた様子だ。けれど、眉間に皺を寄せて、納得できない気持ちが顔に表れている。


 沈黙が重くのしかかる中、彼は口をモゴモゴと動かしながら言った。


「3人も乗せて飛ばすなんて、お嬢クラスのマナコントロールじゃなきゃ無理じゃんよ」

「私のマナコントロールは天眼家の当主にも劣りません。問題ありません」


 私がきっぱりと言い切ると、アボウくんは一瞬黙り込んだ後、肩をすくめ、諦めたように呟いた。


「……そうだったじゃん。お前、マナコントロールだけは化け物級だったじゃん……」


 そう言いながら、彼は「ほらよ」と言ってモンスターカードを軽く投げてよこす。


 私はすぐにそれを受け取り、カードに視線を落とした。


「お前が倒れたら、俺がお嬢に怒られんじゃん。絶対、無理すんなよ」

「善処します」

「……飛行中のマナ切れだけは勘弁じゃんよ」

「善処します」


 アボウくんが念を押すように言うが、私は適当に流しながらカードにマナを込めた。


 彼が盛大にため息をつくが、私は気づかないフリをして作業を続ける。すると、突然アスカちゃんの高笑いが響いた。


「安心なさって結構ですわ! 貴方がマナ切れした時は、わたくしが代わりに操作いたしますわよ!!」


 そんな、自信満々なアスカちゃんの言葉に、アボウくんは冷めた目で突っ込む。


「変な見栄張んなじゃん。お前、味の再現すらできないド不器用じゃんよ」

「聞き捨てなりませんわよ! ちょっと甘さ控えめなケーキになるくらいですわ!!」

「いや、アレはただの固い消しゴムだったじゃん」

「何ですって!? 貴方こそ! 糸が鋼のように固かったではありませんの!!」

「強度が上がって便利じゃんよ」

「わたくしは! 正確な実体化のお話をしてますのよ!!」


 固い消しゴムみたいなケーキか……逆に気になるな……。


 カードの実体化にも色んな失敗があるんだなと感心しつつ、私は二人のやり取りを横目で見ながら、集中して火車を実体化させた。


「二人とも、乗ってください」


 二人の喧嘩を無理やり中断させ、火車に乗り込んでもらう。


 私も最後に乗り、操作を開始して白く輝く鳥を追いかけた。すると、鳥は上空へと急激に方向転換した。


 やはり火車を実体化させて正解だったと感じながら高度を上げ、教官特製の回復薬をぐいっと飲んだ。


「貴方っ!?」


 その瞬間を見ていたアスカちゃんが、驚いたように目を見開いた。


「……用法容量は、お守りくださいまし」

「善処します」


 教官お手製の回復薬は効果が絶大だが、その分過剰摂取は体に毒になることを私は知っている。


 訓練中は、アカガネ教官が管理を徹底していたから問題なかった。


 でも、今はそんなことを気にしている余裕はない。アボウくんもアスカちゃんも、マナコントロールが得意ではない。鳥が上空に向かっている今、火車の実体化を止めるわけにはいかない。


 私が動かし続けるしかないのだ。迷わず、さらにもう一本回復薬を飲んだ。


 味が不味いとか副作用が怖いなんて言っていられない。マナの保有量が少ない私には、この薬を飲み続ける以外に方法がないのだから。


「……お嬢が心配するわけだ」


 アボウくんはため息混じりに呟きながら立ち上がり、進路とは反対の方向を向く。


「お前は操作に集中するじゃん」


 彼は自身の武器を実体化させた。アスカちゃんもそれに続いて、武器を構える。


 火車の周囲に、天界属性の精霊たちが次々と集まってきた。


 無理もない。自分たちの縄張りに、不審なモンスターが堂々と空を飛んでいるのだから、人間界でも領空侵犯があれば即座に警戒されるだろう。


 すぐに攻撃されてもおかしくはない状況だった。


「周りの敵は……」

「わたくし達が引き受けますわ」


 アスカちゃんとアボウくんは、背中合わせになって精霊を迎撃し始めた。その頼もしい姿に、私は思わず微笑みがこぼれる。


「心強いです」


 そう呟きながら、マナが切れそうになるたびに教官お手製の回復薬を飲み干し、火車を操作することに全神経を注いだ。





 精霊たちの攻撃をかいくぐりながら、火車を操作して鳥を追い続けていると、ついに目的地に辿り着いたのか、鳥がピタリと動きを止めた。


 鳥が止まった先には、巨大な岩塊が浮かんでいた。


 遠くからでも異様な光景だ。どうやってあの巨大な岩が空中に浮かんでいるのか、その力は理解を超えている。


 警戒しつつ、火車を岩塊へとゆっくり近づける。すると、役目を終えたかのように、鳥は静かに姿を消した。


 出入り口に降り立つと、足元に冷たい石畳の感触が広がった。風化し、ひび割れた石畳が広がる先には、巨大な岩塊が頭上を覆うように迫っている。


 無数の暗い穴がその表面にぽっかりと口を開け、不吉な気配を漂わせていた。


 出入り口は洞窟のように大きな穴空いており、中は完全な暗闇。光すら拒むその奥行きは見えず、不気味な風が吹き込んで耳元で唸るような音を立てた。まるで、私達に「入るな」と警告しているかのようだった。


「ここに、いるのですね」


 アスカちゃんがポツリと呟く。


 その顔は不安に歪み、ぎゅっと鉄扇を握りしめる指先が震えていた。


 私は静かに目を閉じ、周囲のマナの気配を探る。すると、よく知った三つの存在を感じ取った。


 一つは、まるで太陽のように燃え上がる、周囲を巻き込むような強く情熱的なマナ。

もう一つは、不規則で歪みを抱えながらも、どこか繊細で、白く優しい光を放つマナ。

そして最後に、冷たさが鋭く刺さる一方で、同時に包み込むような温かさが滲む、不思議な氷のようなマナ。


 三者三様のマナ。その独特な存在感に触れ、私は確信を得た──彼らがここにいる。


「はい、います」


 私がそう言うと、一瞬で緊張が張り詰めた空気が場を支配した。


「他には?」


 アボウくんが問いかける。その声には焦りが滲んでいたが、私はしばらく沈黙した後、静かに首を振った。


「……何も感じません」


 アボウくんが眉を顰め、険しい表情を浮かべる。


 あの時のバイタル値の急激な低下は異常だった。彼らの身に何かが起こったのは間違いない。けれど、ここには彼ら以外の気配が全くない。もし敵に襲われていたのなら、他にも気配があるはずだ。


 じゃあ、既に脅威は去ったのか? タイヨウくん達を生かしたまま? そんな事があり得るのか?


 3人が逃げ切って身を隠してるのならいいのだが……それとも、この場所そのものに危険が潜んでいるのだろうか?


 何も情報はない。けれど、進むしかない。


「……俺が先導するじゃん。影薄サチコは、索敵を頼むじゃんよ」

「えぇ、ナビゲートは任せてください」


 慎重に一歩踏み出すと、足元の石畳が音を立て、足音が迷路のような通路に反響した。


 外にはまだ穏やかな空が広がっているのに、この洞窟に一歩入るだけで、まるで異界に踏み込んだかのような感覚が胸を満たした。











 マナの気配を頼りに、洞窟の中を走る。


 出入り口付近では完全な暗闇に包まれていたはずなのに、中へ進むと、いつの間にかぼんやりとした薄明かりが広がっていた。何が光源なのかは分からないが、かろうじて周囲が見渡せる程度だ。


 錯乱した迷宮のような洞窟は、あちらこちらで複雑に枝分かれし、まるで私たちを迷わせるために意図的に造られたかのようだった。


 足音が洞窟内にこだまし、背後から入り込むかすかな風の音が耳をかすめる。空気は冷たく、まるで洞窟自体が私たちを監視しているかのような圧迫感が肌を刺した。


「まだじゃん!?」

「もう少しです!」


 先頭を走るアボウくんの後を、必死に追いかける。息が切れそうになりながらも、なんとか応えた。


 もう少し……もう少しで、彼らの元に辿り着ける!


「もう目の前です!」


 私がそう叫ぶと同時に、アボウくんとアスカちゃんはさらにスピードを上げた。私は二人の背中を見失わないように、全力で足を動かす。


 狭い通路が徐々に広がり、目の前に開けた空間が現れた。


 天井が高く、広々としたその場所は重い静寂に包まれていた。壁一面には、見たことのない文字がびっしりと刻まれている。


 そして、何故この気配に気づかなかったのか──黒く、悍ましいマナが空間を覆い尽くしている。


 この場所で、タイヨウくん達が対峙した存在が何であるかを、私は悟った。


「タイヨウ様!!」


 異様な空間に圧倒されそうになるが、アスカちゃんの叫び声で現実に引き戻された。


 彼女は部屋の中央に倒れているタイヨウくんのそばに駆け寄り、必死に呼びかけている。


 私もはっとして当初の目的を思い出し、近くに倒れているヒョウガくんの側にしゃがみ込んだ。


「ヒョウガくん! 起きてください、ヒョウガくん!」


 私の声に反応したのか、ヒョウガくんの指先がかすかに動いた。瞼が微かに震え、ゆっくりと目を開ける。


「……っ、影薄、か?」

「ヒョウガくん! ……」


 意識を取り戻したヒョウガくんは、無理やり体を起こそうとするが、私はそれを制止し、急いで回復系の魔法カードを取り出した。


「応急処置にしかならないけど……」


 私はカードにマナを込め、柔らかな光がヒョウガくんの体に降り注ぐのを見守る。


 光が彼の体を包み込み、じわじわと傷が癒えていく様子がわかる。回復の過程はゆっくりだが、確実に傷は消えていた。


「すまない、助かった」


 ヒョウガくんは、感謝の言葉を口にしながら、静かに立ち上がった。ふらつくこともなく、しっかりとした足取りに安堵が広がる。


 彼がこれで動けることにほっと胸をなで下ろした。だが、まだ油断はできない。私は彼の姿をじっと見つめながら、次の言葉を口にした。


「何があったの?」


 彼の顔に一瞬、躊躇が浮かんだ。


 ヒョウガくんは短く息を吐き、少しだけ視線を逸らす。


「それは……帰ってから話そう」


 その言葉には、何か重い意味が含まれている。私はそれ以上問うことなく、ただ頷いた。


 今ここで話すには、あまりにも深刻なことが起きたのだろう。


「ヒョウガ!」


 私がカードを戻していると、後ろから明るい声が響いた。タイヨウくんだ。


 彼の無事な姿に安堵し、私は自然と振り向いた。けれど、感じる異質な気配。


「良かった! お前も無事だったんだな!」

「それはこちらのセリフだ。全く、お前はいつも無茶をする」


 タイヨウくんとヒョウガくんは、お互いに無事を確認し、笑みを浮かべている。


 だが、その様子がいつもと同じであるはずなのに、なぜか違和感が胸を刺した。何か、説明のつかない不安が心の奥に広がる。


 その違和感の正体を探るように、私は周囲を見回した。タイヨウくんに泣きながら抱きつくアスカちゃんの姿、遠くで倒れているシロガネくん、彼を心配して声を掛けるアボウくん──どれも見慣れた仲間の光景だ。だが、その背後に、視線が釘付けになる。


 そこにいたのは、完全に見知らぬ第三者。


 この場にいるはずのない存在。


「サチコも! 助けに来てくれてありがとな!」


 タイヨウくんはいつもの笑みで、いつもの調子で話しかけてくるが、その背後にいる()()が気になってならない。


 私は無言で、冥界の鎌を実体化させた。


「そういや、コイツの紹介をしなきゃだよな! コイツはヨハ──」

「タイヨウくん! ソレから離れて!!」


 私は冷や汗を感じながら、ソレに向かって武器を構える。


 タイヨウくんは驚きながら、ソレを庇うように両手を広げた。


 あぁ、なぜ分からなかったのか……この周囲を満たすこの気配に、その根源たる存在に!!


「なっ!? どうしたんだよ、サチコ!?」

「影薄、落ち着け……奴は敵では──」

「その子、人じゃない! 七大魔王(ヴェンディダード)です!!」


 私の言葉に、タイヨウくんは驚愕で目を見開いた。彼は信じられないという顔で、か細い声で反論する。


「ヨハンが七大魔王(ヴェンディダード)って……そんなこと、あり得るわけが……」

「いいえ、七大魔王(ヴェンディダード)です。この気配、間違えるはずがありません」


 私は、怯える小さな男の子を鋭く睨みつける。


「でもよ! こんなに小せぇ子が……!」

「初めて対処したタルウィも、小さな少女の姿をしていました。それでも七大魔王(ヴェンディダード)だった。この子がそうであっても、何らおかしくない」


 私の言葉に、タイヨウくんは反論しようとするが、言葉が詰まる。だが、それでもなお、ヨハンと名乗る男の子は悪い奴じゃないと、必死に主張する。


「関係ないよ。七大魔王(ヴェンディダード)は私たちの敵でしょう? 悪かろうが善かろうが変わらない」

「そんなっ……でも、俺は! こんな……っ、ヨハンは戦えないんだ! 初めて会った時も、知らない精霊に傷つけられてたんだよ!」


 タイヨウくんの声には焦りが滲んでいた。だが、私はその言葉を冷たく遮る。


「戦えないなら好都合。今ここで倒せる」

「サチコ!!」


 タイヨウくんが懇願するように私の名前を呼ぶ。彼の声には、やめてくれという叫びが全身からにじみ出ていた。


「じゃあ、どうするの? 野放しにしておくの? ローズクロス家に取られてしまう方が、もっと面倒なことになる。今後のことを考えるなら、ここで倒すべきだよ」

「だったら、保護すればいいじゃねぇか! ヨハンが悪いやつに利用されないように、アイギス本部で──」

「は?」


 ああ、ダメだ。感情的になりすぎてしまった。自分を抑えなければ……。


 タイヨウくんの性格は分かっている。


 彼は、善意そのもののような存在だ。目の前で傷ついているものを見過ごせない。無力な存在を一方的に傷つけるなんて、彼にはできないし、そんなことを許すわけがない。


 まるで正義のヒーローみたいだ。だから、私の意見が受け入れられないのは当然と言える。


 ヒョウガくんも、私を落ち着けようとしている。


 本当に七大魔王(ヴェンディダード)なら、連れて帰ってより詳細な情報を手に入れるべきだという、冷静で最もな意見を言っている。


 この場には、誰も私の味方はいない。このままだと、連れ帰る事になる。


 それだけは阻止せねばと、その思いが焦りとなって、つい口をついて出てしまった。


「でも、だって……それじゃあ先輩がっ!! ……」


 思わず漏れた言葉に、私は一瞬で冷静さを取り戻す。


 ここで殺すよりも、生け取りにした方が得られる情報は多い。それは分かっている。でも、どうしてもそれを、認める事ができない──そう思ってしまうのだ。


 これまでの任務での出来事。


 七大魔王(ヴェンディダード)が死人の姿をしていたこと。渡守くんがいた孤児院での過去の事と、器という存在。


 全てのピースが繋がり、頭の中に一つの恐ろしい仮説が浮かび上がる。


 それは、七大魔王(ヴェンディダード)が人間に寄生し、肉体を乗っ取る寄生虫のような存在だという可能性。


 渡守くんはアフリマンの器として育てられた。だからこそ、彼のマナは後天的に黒く染められたんだ。器となるには、黒いマナの持ち主であることが絶対条件だから。


 でも、アレスは言っていた。彼は「なり損ないの器」だと。クロガネくんがいるから、渡守くんは不要だと。


 つまり、先輩は七大魔王(ヴェンディダード)にとって、最高の器なのだ。アフリマンの力にさえ耐えられる、完璧な肉体。


 そんな存在が近くにいたら、狙われないはずがない。


 黒いマナは、精神を蝕む。先輩が今まで耐えられているのは、彼の強靭な精神力があってこそだ。


 けれど、それすらも限界がある。先輩が可視化できるほどの禍々しい黒いマナに包まれ、苦しんでいる姿を私は知っている。


 そのマナは、先輩が強くなるたびに、比例するように増大し、より強く彼の心を侵食していた。


 どんな小さなきっかけで、先輩の心が崩れ去るか分からない。


 私は……黒いマナに侵され、壊れていく先輩を見たくない。少しでもその可能性があるなら、許容することなんて絶対にできない!


「……とにかく、その子を連れ帰るのは容認できません。どうしてもと言うならば……」


 冥界の槍を握る手に自然と力が込められる。内心の焦りが、自身の判断を急がせる。


「私を倒してからにしてください」

「……サチコ」


 タイヨウくんが悲しそうな目で私を見つめる。


 その優しい表情に心を揺さぶられるわけにはいかない。今、ここでヨハンという少年を殺さなければ、必ず後悔する──そう、私は信じている。


「さぁ、MD(マッチデバイス)を構え──」


 覚悟を決めてMD(マッチデバイス)を構えようとした瞬間、腕が鋭く止められた。


 ヒョウガくんだ。


 彼の力で押さえつけられた腕は、まるで岩のようにピクリとも動かない。


「やめろ」


 その言葉は鋭く響いたが、私の心には届かない。


「離してください」


 冷たく言い放つ私に、彼はただ静かに続ける。


「冷静になれ」

「……私は冷静です。邪魔するなら、君でも容赦はしませんよ」

「後悔するぞ」


 その言葉は、一瞬、私の心を揺さぶる。それでも私は迷わず答えた。


「後悔なんて、そんなこと……」

「俺はした」


 ヒョウガくんの静かな声が、その場に重く響いた。次の言葉が胸を打つ。


「俺は、精霊狩り(ワイルドハント)での行いを後悔している」

「っ!」


 その言葉が刺さった。


 くそ……今ここで、その話は狡いよ。


「どんな大義名分があろうと、俺のやったことは犯罪だ。そして、俺はその時の決断を今でも後悔している」


 彼の瞳が、まっすぐ私を見据えている。その瞳は、自分自身の罪を深く背負い続ける人間のものだ。


「もっとやりようはあったのに、感情に飲まれ、最悪な選択をした。そして、その罪は一生消えることはない」


 ヒョウガくんの言葉は重く、鋭く、私の心を刺し続ける。


 感情に飲まれた決断が、どれほど後を引くのか……彼の瞳が、それを語っていた。


「俺は、お前がどんな奴かを知っている。ここでヨハンを殺せば、お前の心も死ぬ……お前は、そんな奴だ」


 胸を貫くような痛みが走る。


 彼の、言う通りだ。


 私は、怖い。人の姿をした少年を殺すことが。怯えて、無抵抗な彼を殺せば、一生の傷となるだろう。


 でも、何が正解か分からない。先輩に何かあったらと思うと、不安になる。


「私、は……」


 真剣な表情で私を見つめるヒョウガくん。信じてほしいという目を向けるタイヨウくん。不安そうにこちらを見ているアスカちゃん。


 みんなの視線が突き刺さる中で、私はどうすべきか分からなくなって、視線を落とした。


 すると、その静寂を切り裂くように、突然、痛々しい叫び声が響いた。


「ああああああああ!!」

「うおっ!? どうしたじゃんよ!?」

「シロガネ!?」


 アボウくんに俵担ぎされたシロガネくんが、苦しそうに暴れている。


 彼の叫びがあまりにも苦痛に満ちていて、一瞬で先ほどのやりとりを忘れ、私は急いで駆け寄った。


 シロガネくんのマナが、黒いマナに侵食されかけている。その異常な光景が目に飛び込んできた。


「シロガネ!? 大丈夫か!? シロガネ!!」


 タイヨウくんが必死に呼びかけるが、シロガネくんの目は焦点が定まらず、全身が痙攣している。このままでは──


「これは……ハナビちゃんの時と同じ!?」


 私の頭に嫌な記憶が蘇る。


 黒いマナに侵されて壊れていく、あの時と同じ光景が目の前に広がっている。


 放っておけば、かなり危険な事は明らかだ。アイギス本部に急いで戻り、治療を受けさせなければ──。


「お前らの精霊飛べたよな!? 急いで本部に戻るじゃんよ!」


 アボウくんが焦りを隠さずに叫んだ。


 タイヨウくんはすぐに反応し、アグリッドを呼び出す。そして、ヒョウガくんはニーズヘグを召喚し、私に手を差し出した。


「問答している暇はない! いくぞ、影薄!」

「あ……」


 彼の言葉に、反論する余裕はなかった。


 シロガネくんの状態が明らかに危険で、時間がない。私は一瞬だけ躊躇したが、すぐにヒョウガくんの手を握り返した。


「話の続きなら、アイギスでもできるだろう!」


 ヒョウガくんの真剣な声に、私は一言も返すことができなかった。


 今、最優先すべきはシロガネくんの命。


 それを守るために、迷っている暇などない。私は、シロガネくんの症状が悪化しなようにマナを循環させながら、この決断が間違いにならないことを祈った。



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