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ph137 蟲の蔓延る地下室にて

 目を閉じ、渡守くんにおんぶされたまま、悍ましい地下への階段を慎重に下りていく。


 耳にはカサカサという嫌な音が絶え間なく響き、周囲には不快な気配が漂っている。


 もう呼吸するのも怖かった。口を少しでも開いたら、奴らが入り込んでくるんじゃないかという最悪な想像が頭をよぎり、ぎゅっと唇を噛んだ。


「おい、影女」


 無言で震えているわたしの耳に、渡守くんの低い声が響く。


 私はビクッと反応するが、恐怖で声を出すことができず、代わりに彼の服を強めに掴む事で応えた。


「この先に親玉がいる。いい加減、覚悟決めろや」


 彼の言う通り、前方から周囲の気配をはるかに上回る強いマナが感じられる。その圧倒的な気配は、この地下に巣食う奴らの親玉のものだろう。


 マナの強さからして、おそらくレベル3ほどだろうか? きっと、その親玉も周囲の精霊と同じような不快な見た目をしているに違いない。


 出来れば会いたくはないが、これは任務だ。これ以上渡守くんに迷惑をかける訳にはいかないと、素直に頷く。


 すると、渡守くんが一瞬だけ体を調整するように、さりげなく姿勢を変えた。


 その動きは、ただの歩調の調整のように細やかなものだったが、彼の背中に抱えられている私は、そのさりげない配慮に気づいた。


「ったく、どんだけダリィんだよ、テメェは……」


 渡守くんは、冷たい口調でぼそっと呟く。


 その声には心底煩わしいという雰囲気が漂っていたが、私を支える彼の背中のわずかな動きが、その言葉とは裏腹な意図を物語っていた。


 彼なりに、私が落ちないようにと気を遣ってくれているのだろう。渡守くんは、私をしっかりと支え直しながら歩いてくれていたのだ。


 わ、渡守くん! 君って奴は!!


 この瞬間、私の中で渡守くんの株が爆上がりした。彼から受けた嫌がらせの数々なんて、気にならなかった。というか全部忘れた。


 何そのさりげない優しさは!? 普段は意気揚々と私が嫌がる事をする癖に、こういう時は優しくするとか……ギャップ萌えでも狙ってんのかよこの野郎! 本当にありがとうございます! そういうの! いいと思います!!


 今まで、君のこと性格の終わっている最低ゲス野郎って思っててごめん。なんでそんな失礼な事を思ってたんだろう。ほんっと、私って馬鹿だわ。このご恩はいつか絶対に返しますんで許してください。


 そんな、ふざけた思考をしつつも、感謝の気持ちは本物で、この気持ちが伝わる事を願いながら、渡守くんの背中にぎゅっとしがみついた。


 そして、一歩一歩、渡守くんの歩調のリズムに合わせて呼吸を行い、この先にいる親玉との戦闘に向けて、少しでも自身の恐怖心を落ち着かせる事に集中した。









 そうして、暗闇に漂う嫌な気配に耐えていると、ふいに渡守くんの足が止まった。地下の冷たい空気の中で、彼の低い声が静かに響く。


「影女、お目覚めの時間だ」


 渡守くんの言葉に、おそるおそる目を開ける。すると、視界に入ってきたのは、思わず血の気が引くような光景だった。


 見渡した広大な地下室の床一面、壁、天井までもが、黒い何かで覆われていた。


 それらは無数の小さな体を持ち、絶え間なく動き回っている。歪みから放たれる光を反射して輝く黒い殻が、まるで生きた絨毯のように地下室全体を覆い尽くしていた。


 その動きは無秩序で、一斉にあちこちへと這い回り、壁を登り、天井にへばりついている。カサカサという音が地下室全体に響き渡り、その音が恐怖を増幅させた。


 そして、その群れの中央には、ひときわ大きな個体がいた。


 巨大な黒い影。無数の小さな者たちの上にそびえ立ち、威圧的にこちらを見下ろしているように見える。


 光を受けて鈍く輝くその表面は硬く、まるでこの地下室全体を支配しているかのような存在感を放っていた。


 その不気味な赤い目が、まるでこちらをじっと見据えているかのように輝いている。


「ひっ…!」


 私は思わず小さな悲鳴をあげてしまった。喉元がきゅっと締まるような感覚に襲われ、恐怖で声が震える。


 巨大な奴はともかく、小さい奴等は渡守くんに近付けないのか、意図的に渡守くんを避けるように徘徊している事だけが、この空間における救いであった。


 何あのデカいの!? あんなに大きいなんて聞いてないんですけど!?


 そう心の中で叫んでいると、そんな私の恐怖に反応するかのように、その巨大な黒い影の触角がゆっくりと動き、周囲の無数の者たちが一斉に動き出す。


 カサカサという音が一層大きく響き渡り、地下室全体が生きているかのように揺れた。


 渡守くんは何も言わず、ただ私をしっかりとおんぶしたまま、その光景を見つめている。彼の無言の冷静さが、かえってこの異常な状況を際立たせているように感じてしまった。


「行く、んですよね?」


 私は渡守くんの背中越しに声をかけた。


 恐怖で頭が真っ白になりそうだったが、ここで引き返すわけにはいかない。任務を遂行するためには、この異様な生物たちの親玉を倒さなければならないのだ。


「たりめェだろ」


 渡守くんの返事は短く、彼の声には揺るぎない決意が感じられた。


 私は深呼吸をし、震える体を必死に落ち着かせようとしたが、心の底から湧き上がる恐怖は簡単には消えてくれない。


 あぁ、今の私、最高にウザいだろうな……。


 総帥から任務を言い渡された時に、彼に言われた事を思い出す。


 面倒事が嫌いな彼にずっとおんぶに抱っこの状態。完全な足手纏いだった。


 このままではいけないと、せめて、何かできる事はないか、動けない体の代わりに必死に脳をフル回転させた。


「落ちたくなきゃァ死ぬ気でしがみついとけよォ!!」


 渡守くんの声が短く響く。


 私はその言葉に応じるように、彼の服をさらにぎゅっと掴んだ。


 彼は無言で地面を蹴り、私を背中に乗せたまま、黒い影の親玉へと一気に突進する。


 渡守くんが、冥界の槍を実体化させて右手に持った。そして、彼の足音が重く響き、黒いマナをまとった槍が空気を切り裂いていく。


 渡守くんの槍が黒い影の硬い甲殻に直撃し、鈍い音が地下室に響き渡った。


「コーリング! フレーズっ! チィッ!!」


 渡守くんはそのままバトルフィールドを展開しようとしたが、巨大な奴が体から放つ衝撃波によって吹き飛ばされた。


 フィールドの展開は強制的に中断され、強い振動が伝わる。私は必死にしがみついていたものの、その勢いに耐えられず、彼の背中から滑り落ちてしまった。


「あっ……」


 私は空中でバランスを失いながらも、必死に手を伸ばす。しかし、伸ばした腕は渡守くんには届かず、そのまま落下していく体。


 足元に待ち受ける無数の小さな影たちが、一斉に動き出し、私を飲み込もうと動きだした。そんな悪夢の光景が目の前に迫り、胸を締め付けるような絶望感に支配される心。


 ちょっ、これは……無理っ! 無理無理むりむりむりむり!! あんなのが全身を這うなんてそんな……本当にそれだけはいっ──!!


「何やってんだテメェ!!」


 突然、渡守くんの怒鳴り声が耳をつんざいた。


 私が黒い波に呑み込まれる前に、強い力が私の腕をぐいっと引っ張る。


 影に埋もれる寸前で引き上げた渡守くんは、しっかりと私を抱え直し、一気にその場から離れるように後退した。


「落ちるなって言っただろォが!」


 彼の声は怒りに満ちているが、その背後には緊張と焦りがはっきりと感じられる。彼の手は力強く、しっかりと私を支えていた。


「次は拾わねェからな!!」


 そう冷たく言い放ちながらも、渡守くんは素早く自分の黒いフード付きコートを脱ぎ、私を包み込むように固定しておんぶし直した。


 その動作は冷たさを装っていても、私を気遣った物である事は明白だった。


 今は切迫した状況で、一瞬の油断も出来ない。そういう状況だとは分かっていても、渡守くんの意外すぎる行動に、先ほどとは違った意味で頭が混乱してしまう。


 な、ん……え? なに? 今、何が起こった?


 え? この人本当に渡守くんか!?


 絶対に拾わないって言ってたじゃん! ダリィなって、落ちても知らないって言ってた癖に!


 てっきりあのまま見捨てられると思ったのに……普段とのギャップがヤバいって! ここでそのツンデレは狡いって!!


 お陰さまで心臓が爆発しそうなぐらい高鳴ってるじゃねぇか! どうしてくれんだよド畜生! ……どうしよう……このままだと惚れる! 小学生に惚れてしまう!!


 私は思わず顔が青ざめた。そんな展開認めてたまるかと、どうにか心臓を正常に戻す術を考える。


「わ、渡守くん、渡守くん」

「あ゛!? ンだよ!!」

「私、吊り橋効果を絶賛体験中なんですけど」

「急に何言ってんだ! ふざけてんのかテメェ!!」

「いや、ワリとガチめにヤバいです。本当に吊り橋が揺れてます。尋常じゃないぐらい揺れてるんです。このままだと落ちそうなんですけど、どうしたらいいですか?」


 冗談めかしてそう言ったが、私の心臓が激しく脈打つている事に気づいたのか、渡守くんの顔が少し引きつった。


「知るか!! 今すぐ引き返して隣の石橋でも叩いてろ!!」


 彼の返事は予想通りのぶっきらぼうなもので、私は思わず笑いそうになった。


 いつものやり取りが、緊張感に満ちたこの場面で、少しだけ私の心を軽くしてくれた。私は頷いて、自分の気持ちを落ち着けようと深呼吸をする。


「分かりました。全力で叩きます」


 私が軽く返すと、彼はちらりとこちらを見て、すぐに前を向き直した。


 彼の背中はまだ緊張していたが、どこかしら安心しているようにも見える。私の心臓も通常稼働に戻り、少しずつ冷静さを取り戻していた。


 うん、よし……もう大丈夫だ。


 奴に対する恐怖心はどうやっても拭えない。けど、このまま渡守くんに任せきりなのも嫌で、自分に渇を入れるように、キッと巨大な個体を睨み付けた。


「渡守くん」


 私は意を決して声を上げる。彼はその声に反応してこちらを向いた。


 目が合うと、そのまま少し不機嫌そうな顔をしながら問いかけてきた。


「今度はなんだ……」


 その問いかけに、私は深呼吸をしてから、はっきりと答えた。


「私がマッチを仕掛けます」


 私の言葉に、渡守くんは一瞬だけ驚いたような表情を見せた。


 いくら渡守くんと言えども、私という重りを背負ったまま、バトルフィールドを展開するのは難しいだろう。


 ならば、渡守くんは奴の隙を作ることに集中してもらって、私が展開した方が効率がいい。そう思って提案したのだが、彼の目には、少しだけ疑いの色が浮かんでいた。


「……やれんのかよ」


 彼の問いかけに、私はしっかりと頷いた。


 いくら恐怖を感じていても、この状況で何もしない訳にはいかない。私はもう一度深呼吸をし、意を決して答えた。


「これ以上迷惑をかけれませんから」


 渡守くんは、私の決意を見定めるようにじっと見つめていたが、やがて鼻で笑って答えた。


「ハッ、自覚はあったんか」


 私はその言葉に少し笑いながらも、真剣な表情で返す。


「えぇ、なので、この辺で名誉挽回させて下さい」

「その格好で挽回もへったくれもねェだろ」


 彼の返事は少しだけ意外なもので、私の胸に少しだけ安心感を与えてくれた。そして、彼が軽く笑ったのを見て、私もつられて笑った。


「ははっ……否定出来ませんね」


 彼の背中に身を任せながら、私は自分の役割を果たす覚悟を決めた。渡守くんの背中越しに感じる緊張感が、私の心を引き締めてくれる。


「……行くぞ」


 彼の声が再び響く。その声に、私は力強く頷いた。


「はい!」


 渡守くんは、無数の黒い影をかき分けながら、巨大な個体に向かって前進を続けていた。地下室全体を支配する異様な雰囲気の中、彼の動きは一瞬の隙もなく、まるで周囲の空間そのものを制するように見えた。


 巨大な個体が鈍重な動きを見せると、その瞬間を見逃さず、渡守くんは一気に間合いを詰める。


 黒い槍を構え、その先端に黒いマナを集中させながら、彼は冷静に相手の動きを見極めていた。


「チィッ、ザコがウジャウジャと!」


 彼の声には苛立ちが混じりつつも、その目には冷静さが宿っている。


 巨大な個体の触角が素早く動き、無数の小さな者たちが再びざわめき始めた。渡守くんは、その動きを見逃さずに回避しつつ、さらに接近する。


「そこだァ!!」


 渡守くんが一瞬の隙を狙い、黒い槍を構えたまま全力で跳躍する。


 巨大な個体がその動きに反応し、硬い触角を振りかざして反撃の体勢に入るが、渡守くんの素早い動きに追いつけず、その攻撃は空を切った。


「やれ! 影女!!」


 渡守くんの叫び声が地下室全体に響き渡る。


 その声を聞いた私は、全身に力を込めて、すぐに行動に移った。胸の鼓動が高鳴る中、私は自分のマナを集め、バトルフィールドを展開するための準備を整える。


「コーリング、影法師! 影猫!」


 私は力強く宣言しながら、両手を前に突き出した。その瞬間、影法師と影猫が現れ、大きな魔方陣が地上に浮かび上がる。


 周囲には透明の結界が張られ、私と私が召喚したモンスターと渡守くん、そして、あの大きな個体以外の小さな個体はこのフィールドの外へと追いやられた。


 バトルフィールドが完全に展開された。マッチが終るまでこの結界は解かれない。あのおぞましい軍団も、邪魔することは出来ない。


 渡守くんの背中から降りた私は、見るだけで虫酸が走るような見た目をした奴と対峙する。


「……何フェイズだ?」

「愚問ですね」


 渡守くんが、上着を羽織りながら挑発するように問うてきたので、私は余裕の表情で振り返り、自信満々で言い放ってやった。


「1フェイズに決まってるじゃないですか」


 巨大な個体──黒忌蟲(こくいむし)の前に、5枚の光るカードが現れる。私の目の前にも同様に現れ、戦いの火蓋が切って落とされた。


「レッツサモン!!」



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