ph136 センとの任務
五金総帥から任務だと連絡があり、朝食後すぐに執務室へと向かった。
総帥のいつも以上に緊迫感の漂う声色に、いったいどんな任務を言い渡されるのだろうと恐る恐る執務室の扉を開ける。
すると、真っ先に渡守くんの姿が視界に飛び込んできた。
今回は彼と一緒の任務なのかと考えていると、渡守くんと目が合った。その瞬間、彼の眉間に深い皺が寄る。
私が現れた事に対して、分かりやすく不満げな様子だった。
「おい、コイツだなんて聞いてねェぞ」
渡守くんは、まるで憤りを抑えきれないかのように、人差し指を私に向けながら、総帥を鋭く睨みつけた。
その姿には、彼がこの状況に納得していないことが如実に表れている。
「そうか。では、改めて言おう。影薄サチコと共に歪み修復任務に赴け」
五金総帥は冷静に、しかしどこか威圧感を伴って言葉を紡いだ。決して感情を見せないその声色には、全てが決定事項であることを感じさせる冷酷さが滲んでいる。
「ざけんな! こんな甘ちゃん、いても足手まといにしかなんねェんだよ!」
渡守くんはさらに声を荒げ、苛立ちを隠そうともしない。その言葉には、私への強い不信感が感じられた。
「不満は受け付けない。見たまえ」
五金総帥は冷静な声で渡守くんを制し、空中に表示されている電子スクリーンを指し示した。
視線を向けると、そこにはネオ日本全土を覆うように無数のピンが打たれている画像が表示されていた。
「これは、規模の大小に関わらず、現在確認できている歪みの位置を示したものだ」
その膨大な数のピンに、私は思わず息を呑んだ。歪みがこれほどまでに広範囲に、しかも大量に発生しているとは──。
背筋が凍りつくような恐怖を感じた。
ネオ日本だけでも、こんなにも多くの歪みが生じていたなんて……。
これほどの異常事態が表面化していないのは、アイギスの人々が背後で必死に対処してくれているからに違いない。アイギスの存在がどれほど重要か、今更ながら痛感した。
私たちに回される任務も、総帥が何度も厳選に厳選を重ねた結果であることが容易に想像できた。
もしこの歪みを全て修復するような命令を出されていたら、私やユカリちゃん、エンラくんに休む暇などないはずだ。それにも関わらず、今まで何とかして負担を軽減してくれていたことに、総帥やアイギスの人々の配慮が感じられた。
本当に凄い人たちだと、改めて尊敬の念を抱きながら、五金総帥の言葉に耳を傾けた。
「マナ使いは慢性的な人手不足だ。七大魔王の存在が世界に深刻な影響を及ぼしている現状、個々の希望を考慮する余裕はない」
その言葉はまるで、冷たい鋼鉄のように私たちに突き刺さった。総帥の冷徹な表情からは、感情のかけらも読み取れない。
「だとしてもだ! 歪みの修復なら、影女である必要はねェだろ……クソチビか天眼家のお坊っちゃんの方がまだマシだ」
渡守くんは苛立ちを隠そうともせず、声を張り上げる。その言葉に込められた不満と反発は、私と組むことへの強い抵抗感を示していた。
嫌われる理由に心当たりがないわけではないが、昨日までは普通に自主練に付き合ってくれていた彼が、急に拒絶するような態度を取ることには戸惑いを隠せなかった。
「……無理に渡守くんでなくともいいのではないでしょうか?」
修復の任務において私は必要かもしれないが、相方は渡守くんじゃなくてもいいのでは?
精霊の情報の取得ならヒョウガくんでもいい筈だし、私もこんな不機嫌丸出しな相手と組むのは避けたいと思い、恐る恐る提案してみる。
しかし、五金総帥は私の提案を冷ややかに却下し、「そういえば、貴公にはまだ歪みの場所を説明していなかったな」と電子スクリーンに映し出された地図をさらに拡大させた。
「此度の任務地は、ネオ北海道北部の山頂にある孤児院跡地だ」
画面に映し出された建物は、見るからに不気味な洋館だった。
陰湿な雰囲気の漂う洋館は、孤児院というよりも、お化け屋敷という表現の方が適切に思える。
「かつて、ローズクロス家が経営していた孤児院だ」
総帥がその名を口にした瞬間、胸の奥で不穏な感覚が強まる。
ローズクロス家──その名前が出てくるという事は、これが単なる修復任務ではないことを悟らざるを得なかった。
「一度調査を行った事はあるが、当時は不審な点が見出だせず、やむを得ず調査を打ち切った。それ以降、調査を進める正当な理由がなく、放置せざるを得なかった……が」
五金総帥はそこで一旦言葉を止め、私たちの反応を確かめるように鋭い視線を向けた。
「今回、歪み修復という大義名分を得た。大規模な調査は難しいが、歪み修復任務としてならば孤児院の調査が可能だ。何より、あの孤児院の出身である渡守セン、貴公がいる。これを利用しない手はない」
「え」
私は思わず渡守くんの方を向く。
「よって渡守センがこの任務に就くのは必然であり、この任務において、貴公の知識と経験が不可欠であることは疑いようがない。そして影薄サチコ、必要最小限の行動で任務を遂行するため、貴公のマナコントロールも欠かせぬ。ゆえに、この任務は貴公ら二人で遂行せよ。異論は一切認めん」
五金総帥から発せられる合理的な言葉に、渡守くんは無言で口を閉ざす。
彼の目は私を強く睨みつけ、その目には怒りと不満がありありと浮かんでいた。
なるほど、渡守くんが嫌がっていたのは、私に過去を知られることを避けたかったからかと理解した。
彼は自身の弱みを他人に見せることを極度に嫌う。
その相手が私──いつか殺すと豪語した相手であるならば、なおさらだろう。彼のプライドがその状況を許さない。
ユカリちゃんやエンラくんの方がマシだと言っていたのも、既にある程度彼の事情を知っている可能性があると考えれば納得できる。
「クソがっ!!」
渡守くんは結局、舌打ちをし、悪態をつきながら部屋から出て行った。
ドアが閉まる音が部屋に響き渡り、私は置いていかれるのではと内心で焦る。
急いでその背中を追おうと体を扉の方へと向けるが、総帥に呼び止められ、足を止める。
「貴公が、渡守センのマナを浄化しようとしていることは知っている」
そして、五金総帥から放たれたその一言に、肝が冷えた。胸が強く締めつけられるような感覚が全身を駆け巡る。
渡守くんのマナの浄化について、総帥に知られているとは夢にも思わなかった。誰にも気づかれないよう、最新の注意を払っていたつもりだったが、総帥の目を欺くことはできなかったようだ。
彼はどこまで知っているのだろうか……まさか、大気のマナのことまで把握されているのではないかという不安が頭をよぎり、冷や汗が背中を伝う。
「渡守センのマナが浄化されることは、我々にとっても利益となる。貴公が渡守センの過去を知ることは、マナを浄化するための鍵となるだろう。それを踏まえての人選だ」
五金総帥の機械的な声が、私の胸に重く響いた。
「心してかかれ」というその一言が、まるで全て知っていると言われているように感じてしまう。
視線を下げる私の心中は、戸惑いと不安でいっぱいだったが、それを悟られまいと努めて冷静さを装った。
私の行動が、どこまで総帥に知られているのかは分からない。しかし、今後はさらに慎重に行動する必要性があるのは確かだと、私は静かに「分かりました」と答え、その場を後にした。
「さ、さ、さ……寒い!!」
アイギスの転送魔法陣でネオ北海道まで転移した私たちは、フレーズヴェルグで飛行可能地点まで移動し、そこから果てしなく続く山道をひたすら歩き続けていた。
10月の北海道は、思っていた以上に冷え込みが厳しく、吐く息は白く、霧のように立ち上る。
自身の体を撫でるように通り抜ける冷たい風が、まるで骨の髄まで凍らせるかのようだ。
周囲に立ち込める霧は、どこまでも冷たく、木々の間からわずかに差し込む陽光も、まるで力を失ったかのように薄明かりとなり、苔むした地面を淡く照らすだけだった。
道が険しくなるにつれ、不安定になる足場。時折、小石に足を取られそうになるが、渡守くんの歩調は一度も緩む事なく進む。
渡守くんは、いつもの軽口も言わず、無言で歩いている。
彼のこの態度も、今から向かう場所のせいだろうか? そうは思っても、彼の事情を知らない私は、何も言えない。気の聞いた言葉ひとつ、思い浮かばなかった。
ただひたすらに、黙々と歩き続ける彼の背中を見失わないよう、必死に追いかける事しか出来なかった。
そうして歩き続けること数時間。
木々の切れ間から時間と共に忘れ去られたかのような、不気味な洋館が姿を表す。
実際に見る洋館は、映像で見た時よりも、更に不気味さを増していた。
重厚なレンガ造りの外壁は、苔や蔦に覆われ、あちこちがひび割れ、崩れ落ちそうな箇所が見受けられる。
かつては美しく輝いていたであろうステンドグラスの窓は、今ではほとんどが砕け散り、風が吹くたびにガラスの破片が微かに揺れ、かすかな音を立てていた。
渡守くんは無言でその場に立ち止まり、洋館をじっと見上げる。
冷たい風が彼の髪を揺らしている。そして、その瞳には、この場所に対する嫌悪感と、かすかな哀しみが混じり合っているように見えた。
「ここが……」
自分の声が震えているのを感じる。風にかき消されそうなほど小さな声だった。
ここが、渡守くんがかつて過ごした場所かと、彼の隣に立ちながら、同じように見上げる。
彼の黒く染まったマナの原因が、この場所で過ごした経験によるものだとしたら、彼は今、何を思っているのだろうか。
辛い記憶が無理やり呼び起こされているのではないかと、心配になる。
──やっとあの地獄から抜け出したのに! 俺の人生こっからだったのに!!──
あぁ、嫌な光景を思い出してしまったなと、瞳を閉じる。
そうだとしたら……きっと、私には想像できないものなのだろうな……。
そう、私の胸の奥で過去に渡守くんが発した言葉が、重く、深く、心の中に沈んでいった。
閉じた目を開くと、渡守くんが門の側に立っていた。
重厚で錆びついた鉄製の門は、半ば開いた状態で風に揺れ、軋む音が嫌な音を立てている。
渡守くんは無言のまま、その重々しい扉に手をかけ、ゆっくりと押し開けた。
扉の軋む音が、静寂の中で一層大きく響き渡る。
扉の向こうには、さらに暗く冷たい空間が広がっていた。薄暗い廊下がどこまでも続き、どこかで水滴がぽたぽたと落ちる音が響いている。
その音が、無人の館の中に残る唯一の生命のように感じられ、恐怖心が湧き上がる。私は深く息を吸い込み、胸に手を当てて心を落ち着ける事に努めた。
「おい」
すると、渡守くんが、何してんだと叱咤する様に私を呼ぶ。
一瞬躊躇したものの、彼の冷たい声に背中を押され、私は意を決しながら門の敷居を跨いだ。
薄暗い洋館の中に足を踏み入れた瞬間、冷たく重い空気が全身にまとわりつき、まるでこの場所そのものが私たちを飲み込もうとしているかのような感覚が押し寄せた。
廊下を進むたび古びた木の床が軋み、遠くから聞こえてくる水滴の音が、静寂を一層深める。
ふと、視界の端に異様なものが映り込み、私は足を止めた。
床に転がっているのは、壊れたオブジェだった。人間の形をしているようにも見えるが、その姿は酷く歪んでおり、頭部は欠け、全体がくすんだ金属でできている。
錆が浮いていて、その表面には見覚えのない奇妙な紋様が刻まれていた。
そのオブジェの異様さに、私は背筋がぞくりとしたが、なぜか目を離すことができなかった。
不気味でありながらも、どこか惹かれるものがあり、ついその形状をじっと見つめてしまう。
心の中では嫌悪感を抱いているはずなのに、まるでそれに囚われたように、思わず手を伸ばしてみたくなる衝動が湧いてきた。
「……この、紋様……」
自分でも気づかないほど小さな声で呟く。
手を伸ばしかけたその時、背後から刺すような声が私の動きを制した。
「触んな」
振り返ると、渡守くんが険しい顔でこちらを睨んでいた。
その目つきは鋭く、警戒心が滲んでいる。彼はそのまま私を見据えながら、呆れた様に言い放った。
「ガキみてェに何でも触るんじゃねェ。ここにあるもんは、ただの飾りじゃねェんだ。下手に触ると、ロクなことにならねェぞ」
その言葉には冷たさがあったが、彼の言うことに理があることは理解できた。
ローズクロス家が関わっている以上、この場所には何が潜んでいるか分からない。何より、ここで過ごした渡守くんの忠告だ。尚更従った方がいいだろう。
「……そう、ですね。すみません、軽率でした」
私は特に反発もせず、渡守くんの言葉を素直に受け入れ、小さく頷いてその場を離れることにした。
渡守くんの後に続いて進む廊下は、先ほどよりも一層暗く、重く感じられた。ここには一体どんな秘密が隠されているのだろうか──その思いが頭を巡りながら、私は次の一歩を慎重に踏み出した。
歩き続けること数十分。
渡守くんは無言で先を進み、私はその背中を見失わないように一歩一歩慎重に歩を進める。
やがて、彼が一つの部屋の前で立ち止まった。
扉がきしみながら開かれると、そこには一見何の変哲もない、荒れ果てた部屋が広がっていた。
古びた家具が埃をかぶり、壁にはひびが走っている。窓は板で塞がれており、光はほとんど差し込まない。冷たい空気がよどんでいて、まるで時間が止まっているかのような感覚が押し寄せた。
「……ここに、何かあるんですか?」
私は思わずそう呟いたが、渡守くんは一切の反応を見せず、部屋の中央へとスタスタと歩いて行く。
彼の歩調には、確信めいたものが感じられた。まるでこの場所をよく知っているかのように、迷いなく進んでいく。
渡守くんが立ち止まったのは、何の変哲もない床の上だった。
普通の目で見れば、ただの古びた木製の床に過ぎない。しかし、彼はそこに何かを感じ取っているようだった。私はその様子を黙って見守りながら、彼の行動を注意深く観察した。
渡守くんは、深く息を吸い込むと、ゆっくりと右手をかざした。
彼の手から黒いマナが少しずつ放たれ、床に向かって注ぎ込まれる。
その瞬間、部屋の空気が一変した。
冷たく重い気配が、さらに濃密なものへと変わり、まるでこの場所が目を覚ましたかのように感じられた。
床にかざされた渡守くんの手の下で、ぼんやりとした光が浮かび上がり、黒いマナが床板に染み込んでいく。次第に、床に奇妙な紋様が浮かび上がり、緻密な模様が幾何学的な形を描き始めた。
それは、まるで生きているかのように動き、螺旋を描きながら広がっていく。
その様子を見た瞬間、私ははっとした。
黒いマナに反応した? もしかして、この浮かび上がった魔方陣は、黒いマナを感知して初めて発動するのではないのだろうか?
それに気づいた私は、なぜアイギスがこの地下の存在を見つけられなかったのか、ようやく理解した。
アイギスのメンバーには黒いマナを持つ者はいない。唯一の例外であるクロガネ先輩も、当時は黒いマナを上手く扱うことができなかったのだろう。だからこそ、この場所は隠されたままだったのだ。
渡守くんは無言のまま、黒いマナをさらに注ぎ込む。すると、魔法陣が一層輝きを増し、その光は部屋全体を包み込んだ。
床がかすかに震え、やがて中央の部分がゆっくりと音を立てて開き始めた。
床が開き、現れた階段はまるで地下深くへと続く闇の穴だった。その開口部からは何も見えず、ただ黒々とした暗闇が広がっている。
私はその闇をじっと見つめ、何かが潜んでいるのではないかという不安が胸を過った。
「……真っ暗で、何も見えませんね」
渡守くんは無言で階段の入り口を見下ろしている。私も地下に何が待ち受けているのかと、恐る恐る目を凝らして暗闇を見つめたその時──
暗闇が、微かに動いた。
「……え?」
一瞬、目の錯覚かと思ったが、暗闇の中で確かに何かがカサカサと動いている。その音が、何とも言えない不快な感覚を伴って耳に届く。
私は目を凝らして暗闇を見つめ直した。そして──
「ええええっ!? うそでしょ!!」
その正体を認識した瞬間、思わず叫び声が口を突いて出た。
地下への階段を埋め尽くすように無数にうごめいているのは、まさに「黒光りする奴」──その数はあまりにも膨大で、暗闇すら見間違えるほどだった。
「いや、なんっ……こんなん聞いてませんよ!!」
私は頭を抱え、咄嗟に足で地下への扉を勢いよく閉めてしまった。
あまりの数にパニックになり、シリアスな空気は一瞬にして吹き飛んだ。
しかも、一瞬だったが、奴等が微弱のマナを纏っている事にも気づいてしまった。
つまり、奴は奴の姿をした精霊という事だ。つまり、今回の歪みから人間界に干渉した精霊は名前も口に出したくない程悍ましい姿をした精霊という可能性が高い。
私はここに来た時とは違った理由で心臓がバクバクと早鐘を打ち、息が荒くなった。
「何してんだテメェ!」
渡守くんの怒鳴り声が背後から響いた。振り返ると、彼は明らかに怒りを抑えきれない様子で私を睨んでいた。
「無理無理無理無理! あんなの絶対無理です!」
私は必死に扉を押さえ、渡守くんが再び開けようとするのを全力で阻止しようとした。しかし、渡守くんは容赦なく力強く扉に手をかけ、私の制止をものともせずに再び開けようとする。
「いい加減にしろや! 遊びじゃねェんだぞ!!」
「分かってます! 分かってますけど!!」
これが重要な任務である事は分かっている。けど、流石にあの数は無理。
地下に入ったら最後、あの悍ましいイニシャルGが全身を這うだろう。想像すらしたくもない。本当は、この扉に触れるのすら嫌なのだ。
「別のルートでいきましょう! ほんと、一生のお願いです! コレだけは勘弁して下さい!! なんでもしますから!!」
「グダグダ言ってんじゃねェ! ここ以外に道はねェんだよ!」
「なんでですか! 悪の組織なら他の脱出経路ぐらい作っとくでしょ普通!? 司法の力なめてんですか!?」
「知るか! 俺に言うな!!」
お互いに肩で息をしながら睨み合うこと数秒。渡守くんは面倒臭そうに、片手で前髪を崩しながらため息をついた。
「……俺のマナも黒い。テメェが心配している事ァ起きねェよ」
一瞬、私は渡守くんの言っている言葉を理解できなかった。しかし、すぐにハッと気づき、目を輝かせる。
そうだ。黒いマナは、レベル2以下の精霊を寄せ付けない。
クロガネ先輩のドス黒いマナには負けるが、渡守くんのマナも黒いのだ。不自然に此方に近付いてくる事もなかったし、あの精霊は見た感じレベル1ぐらいに見えた。
もしかしたら渡守くんのマナは、レベル1の精霊を寄せ付けない程度には強いのかもしれない。
「分かりました! では行きましょう!」
「何してんだテメェ!!」
私が渡守くんの背中に乗っかり、おんぶを強要すると振り落とすように体を揺らされた。
「ちょっ! やめて下さい! 落ちたらどうするんですか!」
「落とそうとしてんだよ!!」
私は渡守くんの背中に引っ付き、落とされないように必死に抵抗する。
渡守くんの黒いマナの効力がどれほどの範囲なのか分からない現状、なるべく近くにいたいのだ。彼のマナの範囲外に出てしまったらなんて考えたくもない。
何より、奴が蔓延る空間を歩ける自信がない。絶対に無理。というか、本音としては入りたくすらない。
でも任務の為だと我慢する私を誰か褒めてくれ。
「離れろや!」
「いやです! 絶対に離れません! 死が二人を分つまで絶対に離れませんよ!!」
「勝手に気色悪い誓い立てんな! 今すぐ死で分かってやろうかテメェ!!」
「上等ですよ! やれるもんならやってみろですよ! 意地でも離れてやりませんからね! トイレの中までついてってやるから覚悟して下さい!!」
「例えが生々しいんだよ!!」
終わりの見えない押し問答。しかし、ついに盛大なため息をついた渡守くんが折れてくれた。
君のそういう押しに弱いところ、素敵ですよ。わりと今はマジで。
渡守くんは最後に、「途中で落ちても拾わねェからな」と念を押されたが、私は何度もコクコクと頷いて、彼の背中にしがみついた。
地下の扉が開く音が聞こえる。同時にカサカサと不愉快な音も重なった。
今だけは自身のマナコントロールの良さを呪いたくなる。この力のせいで、目を瞑っているはずなのに、奴らの数が、位置が全て分かってしまうのだから。
私は、絶対に落ちてたまるかと、渡守くんにしがみつく腕に力を込めた。