ph135 自主練にて
トレーニングルームの白い壁に囲まれた空間。
私はその中央で松明のような杖──冥界の松明を握りしめていた。
私と対峙するように立っている渡守くんは、冥界の槍を肩に担ぎ、挑発的な笑みを浮かべている。
「ンじゃまァ、お手並み拝見といこォか、影薄サチコちゃん?」
渡守くんの言葉を合図に冥界の松明を構えると、間合いを詰められ、槍の穂先が目の前に迫る。
私は瞬時に松明を振りかざし、槍の軌道を逸らした。
しかし、一撃目を防いだからとて安心は出来ない。勢いはそのままに、続けざまに繰り出される連撃。
私は、軽い切り傷を負いながらもなんとか凌ぎ、次の一手を必死に考えた。
渡守くんとまともに戦ったらダメだ! 近接戦は分が悪すぎる! 攻撃するなら、せめて隙を作らないと!
松明の炎をマナ操作で強く輝かせ、渡守くんの目を眩ませる。彼の動きが鈍るその瞬間を狙い、松明の先端を突き出したが、渡守くんはすぐに体勢を整え、槍を回して弾いた。
「ンな小細工じゃァ俺は止めらんねェぜェ!!」
再び槍を構え、渡守くんは私に向かって突進してくる。
さらに速くなった動きに、私は防御するのが精一杯だった。それでも諦めずに松明を地面に突き立て、炎を放つ。
青黒く輝く炎が螺旋状に広がり、渡守くんを捕えようと襲いかかるが、渡守くんは構わず大きく跳躍し、炎の壁を突き破ってきた。
「これで終めェだァ!」
空中から私目掛けて落下してくる渡守くんは、槍を持っていない方の手で私の肩に触れた。重力と自重の力を利用して地面に押し倒すつもりのようだった。
今までの私ならば、このまま無様に背中を地面に叩きつけられただろう。けれど、そうはさせるかと、伸ばされた渡守くんの腕を掴みながら体を捻り、逆に渡守くんの背中を地面に叩きつけてやった。
驚いた表情の渡守くん。私は素早く彼のお腹の上に乗り、杖の先端を彼の顔の横に突き立てた。
「油断大敵、ですよ」
確信する自身の勝利。やっとの思いで掴んだ初白星だと、自然と笑みか浮かんだ。
「それはどォかな?」
「え」
しかし、渡守くんは悔しそうな顔を一切見せず、すぐさま横に突き立てられている杖を引っ張り、私の重心を傾かせた。
そのまま私の服を掴みながら素早く動き、私と渡守くんの体勢が入れ替わってしまう。
完全に動けなくなった私に向かって、渡守くんは満足そうに笑った。
「ハッ! 詰めが甘めェんだよ! 詰めがなァ!」
油断大敵はどっちだ? と見下してくる渡守くん。悔しいが、自分の敗北を認めざるを得なかった。
しかし、追い討ちをかけるように「テメェが俺に勝つなんざ1億年早ェ」と余裕の表情で挑発してくる渡守くんに苛立ち、思わず負け惜しみのような言葉が溢れた。
「……マッチの戦績は私の方が上ですけどね」
「あァ゛!? ンな訳ねェだろ! 俺の方が勝っとるわ!」
「いいえ。73戦中、私は42勝してます。圧倒的私の勝ち越しです」
「ふざけんな! デタラメ言ってんじゃねェぞ!」
「出鱈目じゃないです。ちゃんと数えてましたもん」
嘘だ。嘘じゃないという子供染みた口論がエスカレートし、ついには取っ組み合いの喧嘩になった。
至近距離で胸ぐらを掴み、額をぶつけ合いながら睨み続けること数秒。トレーニングルームの扉が開く音が聞こえ、自然とお互いの意識が音の方へと移った。
渡守くんと同じタイミングで顔を動かし、扉の方を見る。すると、タイヨウくん、シロガネくん、ヒョウガくんの3人が立っていた。
ヒョウガくんは、私たちの姿を見て、何か言いたい事があるのだろう。金魚のようにパクパクと口を動かし、体を震わせていたかと思うと、堰を切ったように大きな声を出した。
「き、貴様あああ! 影薄に何しっ──」
「おっ! お前らも自主練か?」
顔を真っ赤に染め、私たちを指差しながら声を荒げていたヒョウガくん。その言葉を遮るように、タイヨウくんの明るい声が響いた。
「そうだよ。私、戦闘が苦手だからさ、渡守くんに相手してもらってたんだ」
渡守くんに退いてもらい、服装を整えながら起き上がると、タイヨウくんが笑顔で駆け寄って来た。
「そっか! 俺らも訓練しに来たんだよ! な! 二人とも!」
「へぇ、そうなん──」
「おやおやおやァ? ヒョウガくんはァ、なァにを言いかけてたのかなァ?」
聞こえた声に嫌な予感がし、後ろを振り替える。
すると、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている渡守くんの姿が視界に入り、反射的に引き攣る口角。
「俺らはァ、ふっつーに訓練してただけだぜェ? なのによォ、ヒョウガくんはァ、どォんな勘違いをしちゃったのかなァ?」
「俺は、別に……何も……」
こら、やめなさい。私も何となく気づいてたけど、あえてスルーしてたのに……。
そもそもの話、あれだけ顔が近ければ、キスしてると勘違いしてもおかしくはない。ヒョウガくんの位置からだと尚更だ。
完全に私の偏見だが、ヒョウガくんは好きな子と手が触れるだけで、真っ赤になるタイプのピュアっ子だと思っている。
だから、そういうネタで弄るのはやめなさい。可哀想でしょうが。
「渡守くん、その辺に──」
「そォんな真っ赤になっといて、何もねェ事ァねェだろォ? 俺ァ学がねェからよォ、そのお利口な頭でェ? 何考えてたか教えてくれよォ。優等生くゥん?」
「ええい! 黙れ黙れ黙れぇええええ!!」
「ヒャーッハッハッハッハ! どォしたァムッツリくんよォ!! 狙いがおざなりになってんぜェ!! 分っかりやすい動揺だなァ!!」
しかし、私の静止は間に合わず、拳銃と槍で激しい戦闘を始めた二人。目にも止まらぬ速さで行われる攻防に、止める事を完全に諦めた。
そのままジト目になって傍観に徹していると、タイヨウくんのデッキが輝き、アグリッドが飛び出した。
「子分! 子分! 早く特訓するんだゾ!」
「わっ! アグリッド!?」
アグリッドはタイヨウくんに抱きつき、タイヨウくんの気を引く為か、頭をグリグリとお腹に押し付けている。
「アフリマンを倒すんだゾ! オイラもっともっと強くなるんだゾ! もっともっともぉぉぉぉぉっと強くなって、オイラがみんなを守るんだゾ!!」
「……そっか! じゃあ俺は、お前よりも、もっともっと強くなって、アグリッドを守るぜ!」
「子分を守るのはオイラなんだゾ! 親分は子分よりも強いんだゾ! だから子分を守るんだゾ!」
「じゃあどっちが強くなるか勝負だな! 親分!」
「負けないんだゾ! 子分!」
お互いの拳をコツンとぶつけ、笑い合う2人。そんなタイヨウくんとアグリッドの可愛らしいやり取りに、後方で行われている激闘も忘れ、心が温まった。
こういうのって、いいよね。微笑ましいというか、何というか……とりあえず、胸がほっこりする。
私が温かい目で二人の様子を見ていると、タイヨウくんが「おーい! 早く特訓しようぜ!」とヒョウガくんに声を掛けていた。
タイヨウの言葉に、ヒョウガくんは、苦虫を噛み潰したような顔になりながらも、銃をカードに戻す。
そのまま、真っ直ぐとタイヨウくんの方へ向かった……と言いたい所だが、何故か私の元へと早歩きで近づいて来たので、なんだなんだと、一歩だけ後退った。
「お前もお前だ!」
突然の飛び火。
ヒョウガくんの鋭い声が響き、私は責められている理由が分からず、キョトンとした顔になる。
「あんな奴と二人で自主練など! 何を考えているのだ!!」
ヒョウガくんは渡守くんに人差し指を向けているが、その鋭い視線は、私にしっかりと固定されている。
「お前には危機感というものがないのか!? 奴のせいで、お前がどんな目にあったのか忘れたとは言わせんぞ!!」
ヒョウガくんは、私の行動が軽率だと叱咤する。
タイヨウくんの突拍子もない行動を叱る時と同じような雰囲気で詰められ、あ、これは長くなりそうだと身構えた時、ズシリと肩に重みを感じた。
横を見ると、いつの間にか渡守くんが、私の肩に体重をかけるように肘を置いて、憎たらしい笑みを浮かべていた。
「なっ!? だっ……、貴様! 影薄から離れろ!!」
「おいおい、今度は嫉妬かよ。ほんっと、面倒臭ェな」
渡守くんの挑発的な声が響き、私はもう勘弁してくれとため息をついた。
この男、本当にヒョウガくんにだけは無駄に突っかかる。
ヒョウガくんも、渡守くんだけには過剰に反応を見せ、まるで油を注がれた火のようになるのだ。ここまでお互いを意識してるとなると、一周回って仲良いんじゃないかとさえ思えてくる。
「ま、どォでもいいけどォ? サチコちゃんはァ、ヒョウガくんよりもォ、俺の方がいいってよォ?」
面倒だと言いつつも、ヒョウガくんを挑発し続ける渡守くん。彼の言動から、完全に私を巻き込む気だと察し、自然と浮かぶ青筋。
ヒョウガくんを挑発するためなら、態とらしいスキンシップもお手のものってか?
言っとくけど、お前の私への好感度がミジンコよりも小さいって知ってんだからな。
お前らがどこで喧嘩しようが興味はないが、私を巻き込むのだけはマジでやめろ。これ以上続けるなら、先輩の前でお前に熱いハグ決めるぞコノヤロウ。
「ふざけるな! 貴様が勝手につきまとっているだけだろう! 影薄! 本当のことを言え! 心底迷惑しているとな!!」
ヒョウガくんが怒りを込めて叫ぶが、渡守くんは余裕たっぷりの態度を崩さない。
「付き纏われてんのは俺の方だってェの。今日だってコイツから言ってきたんだぜェ? 二人っきりで訓練したいですゥってなァ。そォだろォ? サチコちゃん」
「二人は仲良いんだな!」と、純粋に笑うタイヨウくんは完全に無視するとして、ヒョウガくんは間に受けるなよ。渡守くんの性格を知っているなら、いい加減ただの悪い冗談だって気づけよ。
あとシロガネくん。「君、趣味悪いもんね」じゃないんだよ。何だよその確信に満ちた言い方は。それ、絶対クロガネ先輩のことを指して言ってるよね? 心外にも程があるわ!
別にクロガネ先輩みたいなのが好みとかじゃないから! あれはガチで付き纏われてんだよ!! 完全に突き放さなかった私も悪いが、あそこまで執着されるなんて、普通は思わないだろうが!!
「影薄!」
「影女」
二人が私を呼び合う声が重なり、私の中で何かがプツリと切れた。
「あぁもう! いい加減にして下さい!!」
私が声を荒げると、二人の口論が止まった。私は二人をギロリと睨みながら言葉を続けた。
「確かに、私の方から渡守くんに声を掛けたよ。それは事実」
「なっ!? そんっ、……次からは俺に言え、こんな奴に頼らなくとも、お前の訓練には俺が付き合う」
渡守くんには、大気のマナのコントロール練習に付き合ってもらっているのだ。これを頼めるのは彼しかいない。
でも、この事情を知らないみんなが、私と渡守くんが一緒に行動していたら不審に思うだろうと、あらかじめ用意していた言い訳を口にする。
「ヒョウガくんは、手加減するから嫌です」
私がヒョウガくんの提案をピシャリと断ると、ヒョウガくんの表情が一瞬で凍りつく。
「私が気づいてないとでも? 普段の訓練で、ヒョウガくんが私を傷つけないように配慮してるのなんて、とっくに知ってたよ」
彼は優しい。特に、一度でも懐に入れたモノは、身を挺して守ろうとする。きっと、彼のその性分は、過去に大切な人を失った経験によるものだ。
だからこそ、訓練とはいえ、彼の中では仲間を傷つけるような行為はご法度なのだろう。でも、その優しさは、私の成長の妨げとなる。
「私が渡守くんにお願いしたのも、彼なら遠慮なく攻撃してくれるからだよ……七大魔王の戦いが迫っている現状で、君の優しさに甘えるわけにはいかないんだよ」
私の戦闘技術はダントツで低い。みんなに追いつくためには、躊躇いなく武器を振るってくれる、彼の厳しさが必要不可欠なのだ。
だからこの言い訳は、本音も交えている。
ヒョウガくんは私の言葉を聞いて、一瞬目を伏せる。その瞳には、明らかな動揺が浮かんでいた。
「……すま、ない……だが、俺は! ……お前を、傷つけたくないんだ……」
うん、知ってるよ。ヒョウガくんだけじゃない。戦闘においては、タイヨウくんも、あのシロガネくんですら、私相手には手加減している。
それは、彼らの強すぎる正義感ゆえの行動なのだろう。でも、それでは強くなれない。
彼の言葉は、消え入りそうなほど小さかった。ヒョウガくんが何を言いたいのか、痛いほど分かる。けれど今の私は、情に流されている余裕はなかった。
「ヒョウガくんのその気持ちは嬉しいよ。でも私は、どうしても強くなりたいんだ」
言いながら、私は彼の方を見据えた。ヒョウガくんの表情が苦々しく歪んでいくのを見て、胸の中で罪悪感がじわりと広がる。
「そう、か……」
ヒョウガくんの拳がぎゅっと握りしめられる。それが彼の心の中の葛藤を表しているようで、更に胸が痛んだ。
彼の善意を無碍にし、息が詰まりそうだった。気まずい雰囲気が流れ、何を言ったらいいのか分からない。このまま嫌な静寂が続くかのように思われたが、渡守くんが肩をすくめ、つまらなそうにため息をつく音が聞こえ、その沈黙が崩れていった。
「あ゛ー、……ったく、ドイツもコイツもくだらねェ」
彼の声には、不機嫌さが隠しきれない様子で滲んでいた。
渡守くんはパッと私から離れたかと思うと、こちらを振り返りもせずに、トレーニングルームの出口に向かって歩き出した。
「貴様! まだ話しは終わっていない!」
「うっせェなァ、テメェらのくだらねェ会話に付き合う義理はねェ」
渡守くんは扉が自動で開いた瞬間、ほんの一瞬だけヒョウガくんの方へと視線を向けた。しかし、本当に興覚めしたのか、何も言うこともなく、そのまま部屋を出て行った。
「……あー、行っちゃった、ね」
何だか妙な雰囲気になり、私はその場の空気を和らげようと、少しだけ笑ってみせたが、ヒョウガくんの眉間にはまだ深い皺が刻まれていた。
彼は渡守くんが去った方向を鋭く睨んでいる。
「……影薄、奴のことをあまり信用し過ぎるなよ」
ヒョウガくんの疑心に満ちた声。本当に渡守くんに対しての信頼がないどころか、マイナスだなと思う。
渡守くんは皮肉屋だし、言動がいちいち裏があるように見える事が多い。だから、ヒョウガくんの気持ちも分からない訳ではない。
でも、彼は意外と約束を守る律儀な奴だし、不器用だけど、面倒見がいい所もあるから、そこまで警戒しなくても良いんじゃないかと思う。
まぁ、こんな風に私が渡守くんを擁護する言葉を口すれば、ヒョウガくんの渡守くんに対する不信は、更に深まりそうだ。ならば、何とかヒョウガくんが安心できる言葉ないかと、口に出す言葉を慎重に選ぶ。
「分かってるよ。渡守くんの性格も、彼のやり方も……まぁ、上手いことやってるから、そんなに気にしなくて大丈夫だよ」
ヒョウガくんの表情はまだ険しいままだった。けれども、彼が私の言葉を受け止めようとしている様子も見える。
「……分かった。けれど、お前が危険にさらされるようなことがあれば、必ず俺に知らせてくれ。約束だ」
ヒョウガくんの、強く芯のある声に、私はあえて軽く頷いて応えた。神妙にすると、より空気が緊迫してしまうと思ったから。
「うん。ありがとう、ヒョウガくん」
私がそう言うと、ヒョウガくんは少しだけ表情を緩めた。私の返事に、彼も少しは安心したのかもしれない。
これでもう大丈夫だと安堵したのも束の間、アグリッドくんの無邪気な声がまた場の空気を凍らせた。
「……やっぱり、サチコと白いのは仲いいんだゾ?」
アグリッドくんは可愛らしく、コテンと首を傾げる。
「今の流れで、どうして僕が出てくるんだい?」
シロガネくんが半ば呆れたようにアグリッドくんに問いかけるが、その声にはわずかに苛立ちが混じっている。
おいおい、今度はシロガネくんに飛び火かと、冷や汗をかいた。
「だから何でシロガネが怒るんだゾ? 白いのとサチコが仲良しの何がダメなんだゾ?」
「おおおお落ち着けよ!? な? シロガネ!」
タイヨウくんが慌ててシロガネくんをなだめようとするが、シロガネくんは冷静さを失っていないものの、どこか鋭い視線をアグリッドくんに向けたままだ。
「タイヨウくん、大丈夫だよ。僕は十分落ち着いてるから」
「目が笑ってないんだよ!」
タイヨウくんの言う通り、シロガネくんの笑顔という名のポーカーフェイスは崩れ去っていた。
シロガネくんの手が優美にアグリッドくんの頭をつかみ、優美さの欠片もない力でアイアンクローをかけるのを見守りながら、本当に私のこと嫌いだよなと、彼の私に対する嫌悪を再認識した。
「い、いたいんだゾおぉおぉぉ! オイラ、シロガネなんて言ってないんだゾ!! 白いのは白いの! なんだゾおぉおお!!」
「だから、白いのって僕のこ──」
「シロガネくん、少し落ち着いて下さい」
しかし、アグリッドの必死な訴えから、私は小さな違和感を抱き、シロガネくんの行動を言葉で制した。
「アグリッドくん、もしかしてだけど……白いのって渡守くんのこと?」
「そうだゾ! 白いの! なんだゾ!!」
私の問いかけに、アグリッドくんは素直に頷く。
彼は人を髪の色で呼ぶことが多い。だから、白いのとは渡守くんの白に近い銀髪を表していたのではないかと思ったが、その憶測は正解だっだようだ。
しかし、同時に深まる未来に対する謎。
「もしかして、なんだけど……未来で私と渡守くんって仲がいいの?」
ユカリちゃんの未来視による発言。アグリッドのやっぱりと言う言葉。
未来はあくまでも可能性の一つだと言われても、気になるものは気になるのだと、溢れてしまう疑問。
「……よく、分かんないんだゾ!」
しかし、アグリッドくんの答えに肩透かしを食らってしまう。
「オイラ、未来のサチコの事、全然知らないんだゾ。未来でサチコとあったことないんだゾ」
「会ったことないって……じゃあ何で──っ!」
私はもっと詳しく聞き出そうとし、その瞬間に言葉を飲み込んだ。
アグリッドがアフリマンの事を話そうとして、苦しんでいた姿が蘇る。彼が未来について話すことが、どれほど大きな負担を伴うのかを思い出したのだ。
「大丈夫だよ」
私の言葉が不自然に止まると、私の様子に気づいたシロガネくんが、静かに口を開いた。
「天眼ユカリの力を借りて、アグリッドくんの誓約を緩和させている最中だ」
「え」
「彼の未来の記憶は重要な情報なんだ。アイギスがそれを見す見すと逃すわけないだろう。天眼ユカリの未来視だけでは不十分だからね」
シロガネくんが言うように、アグリッドくんの知っている未来の情報は、私たちにとって非常に価値のあるものだ。
けれど、その情報を引き出すことはアグリッドくんにとってもリスクが伴う。シロガネくんが特訓に参加できなかったのは、この作業に集中していたからかと、初めて知る情報に驚いた。
同時に、あの五金総帥がそんな重要な情報を野放しにする訳ないかとも納得した。
「前と違って多少は話せるようになってるよ」
シロガネくんが続けた言葉に、これで遠慮せずに聞けるなと安堵しながら、アグリッドくんと視線を合わせるようにしゃがむ。
「アグリッドくん。君は、未来で私と会ったことがないのに、どうして私と渡守くんが仲良いと思ったの?」
私の問いに、アグリッドくんは少し考え込んだ後、素直な口調で答えた。
「ユカリも、タイヨウも、ハナビも、みんな言ってたんだゾ!」
「みんなが?」
「オイラ、白いのとあんまり話したことないんだゾ……白いのも、あんま話さないんだゾ。いっつもこーんな顔して、1人でいたんだゾ」
アグリッドくんは、渡守くんの顔を表すように、自分の手で目を吊り上げさせた。
「でも、オイラ気づいたんだゾ。白いの、いつも同じ時間にいなくなるんだゾ。だから、オイラ聞いたんだ。ユカリに白いのどこ行ったんだゾって……そしたら、ユカリが悲しそうな顔でサチコちゃんの所だよって言ってたんだゾ」
悲しそうな顔、だって?
「サチコって誰なんだゾ? って聞いたら、ユカリの大切な友達って言ってたんだゾ! ハナビも悲しそうな顔して友達って言うんだゾ」
アグリッドくんの言葉に、じわじわと心を侵食していく不安。
「オイラ、ユカリとハナビの友達なら会いたいって言ったんだゾ。でも、そしたらダメだって言われたんだゾ。白いのしかサチコに会えないって言われたんだゾ」
二人の悲しそうな顔。渡守くんしか会えない。情報は少ないが、10年後の私があまり喜ばしい状況でない事は分かる。
一応、渡守くんが定期的に会っているならば、死んではいなさそうだが、何故渡守くんしか会えないのかが気になる。
ユカリちゃんの発言から、私と渡守くんは、そういった仲ではなかったみたいだし、余計に分からない。
どんどん深まる謎。何も分からず、未来への不安ばかりが増していく。
「渡守くんしか会えないの? どうして渡守くんなの? 決まった時間に会いにいくのは何故? 私は……どうなっているの?」
「し、知らないんだゾ。みんな、教えてくれなかったんだゾ……」
「そっか……」
「! ……でもでも! みんな、サチコの事いっぱい教えてくれたんだゾ! マッチがすっごく強かったって! タイヨウは優しい奴だって! ヒョウガも頼もしい奴だって言ってだんだゾ!! ハナビとユカリは──」
アグリッドくんは、私の暗くなった雰囲気を察してか、明るい声でみんなが教えてくれたと言う私の話をして、励まそうとしてくれていた。
健気な小さな竜の姿に、少しだけ心の翳りが消える。
今は未来のことを考えるよりも、目の前の課題に集中するべきだと、自分に言い聞かせ、心の中にあった不安を無理やり振り払った。
「……ありがとう、アグリッドくん」
未来に対する不安はある。でも、今は目の前の目標に向かって進んでいくしかない。それが、最悪な未来を回避する方法であると、アグリッドくんの世界での私にならない道だと信じて。
「サチコ、大丈夫か?」
「3人とも、特訓するんだよね?」
私は心配するタイヨウくんの声を遮りながら立ち上がる。
「私も混ぜてもらっていいかな?」
そう何でもない風に装いながら言うと、タイヨウくんはそれ以上追求する事なく、「おう!」と返事をしてくれた。