第2話 万葉山
『万葉山女児失踪事件』
1999年8月7日
千葉県西部の万葉山にて、当時4歳の女の子、佐竹朱理ちゃんが両親とハイキングをしている際、両親が目を離した数秒の間に行方が分からなくなった。
同日の夕方に両親は警察に捜索願いを提出した。千葉県警は当初、事故を前提とした捜査を行なっていたが、半径数キロの捜索をしたにも関わらず一切事故現場が見つからない為、事件性も考慮した捜索に切り替わった。
隣県の警察、近くの住民らも協力した大規模な捜索が行われたが、朱理ちゃんに関わる痕跡は一切見つかっておらず、2022年現在は捜査が打ち切られている。
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俺の降りた駅は、一言で言い表すのであれば心地の良い田舎であった。無人で出入り口は一箇所しかなく、その奥にはすぐに田園風景が広がっていた。
俺はついさっきまで弄っていたまだ冷たいスマホをポケットにしまい込み、少し早歩きで改札を抜けた。
7月中旬、日本の日差しは針よりも鋭く肌に突き刺さり、外に出るものを拒んでいる様であった。
でも俺の背筋はまだ冷んやりとしていて、バス停まで歩く為の冷却材としてうまく働いている。でも、やっぱりむず痒い。
はぁ...少しウキウキしていたのに、なんだか縁起の悪いものを見た気がする。
バス停は駅からそう遠くはなかった。駅と少し大きな道路を挟んで、簡易な屋根と質素なベンチを携えたその空間は、地元の人が手入れをしているのか、綺麗なものだった。
座っていると、間もなく大きなバスが現れた。俺はリュックを胸に抱えてバスに乗り込み、1番後ろの席に腰をかけた。
このバスもクーラーがよく効いている。所々に座っている地元の人と思われるご老人達は、皆んな気持ちよさそうにうたた寝をしていた。
俺も着くまで寝ようか...
「おい兄ちゃん、旅行かい?」
斜め前に座っているお爺ちゃんが話しかけてきた。寝ている様な細い目をしているが、口元は緩んでいて優しそうな表情をしていた。
「あぁ、万葉山にハイキングをしに来たんですよ。自然が豊かで綺麗な場所だと聞いたもので」
「そうかい、そうかい」
お爺ちゃんは同じ優しい表情のまま数回コクコク頷いた。
「熱中症には気をつけなよ。最近危ないからね」
「ありがとうございます。気をつけます」
俺の周りには優しい人がとても多い気がする。こう言う厚意をしっかり大事にしたいなって、いつも思っている。
「あぁ...それとだね...」
「はい?」
「あまり奥には行っちゃダメだよ、持ってかれちゃうからね。本当は1人で行くのは危ないんだよ」
「え、あぁ...はぁ...」
そう言うとお爺ちゃんはまた前を向き、振り返ってくることは無かった。
30分ほどバスに揺られると、俺の目的の場所に着いた。その頃にはバスには俺以外残っておらず、バスが出発すると同時にまた1人になってしまった。
少し寂しいので、スマホを開いた。案外電波は立っており、困ったらスマホを使えば良いみたいだ。
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< 3 樋口司
(万葉山着いたのか?)13:45
14:10 既読 (今着いた、誰もおらん)
(そりゃ平日の昼間だからな
まぁ、良い感じの景色あっ
たら送ってくれよ )14:10
14:11 既読 (おけ)
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何気に昨日の実験後もコイツは俺のことを心配してくれている。彼女と長続きする理由も段々と分かってきた。
気遣い出来る男がモテる。メモメモ...
それにしても人が居ない。山の中だからか他の場所よりも涼しいのだが、なんかじめっとしていて陰鬱な雰囲気である。
まぁ、体を動かせば気分も乗ってくるのかもしれないが。
俺は少しずつハイキングコースへ歩みを進めることにした。少し進んだ先には神社があった。この山は神社に管理されていると聞いたのだが、想像よりも立派なものであった。
本殿はとても大きく厳かで、周りの青々しい木々と融和しており、どこか自然の神秘的な物を感じた。
でも、なんだかやっぱり陰鬱としている。
さらにどんどん奥へ進んでいくと、コンクリートだった地面は土へと変わり、本格的な登山になってきた。
周りの植物の様子にも変化があり、緑の色はより深く、生い茂る勢いはより強いものになっていった。
寒い。さっきまで涼しいだけだったのに、震えるほど寒い。
俺はリュックの中に入っていたウィンドブレーカーを取り出し、急いで身につけた。
大して標高も高くなく、その上麓は死ぬほど暑いと言うのに、こんなことってあるのだろうか。さっきの話の先入観からか、なんだかきみが悪い。
__タ...タン...
ん、なんだ?
__タ...タンタン...
足音? 動物かな。
そう言えば鹿が居るとかなんとか。田舎にはよく居る様だけど、思えば俺は野生の動物は見たことがなかった。
怖いけど、でもやっぱり少し気になる。友達との話のネタにもなるしな。
_タンタンタンタン
こっちかな? そんなに急な斜面でもないし、少しくらい道から外れたっていいか。
__タンタンタンタンタンタンタンタン
音がでかくなってきた。でもこれ、本当に動物の足音か? なんか、無機質な音な気がする...
__タンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタン
「は...? え...? 」
気がつけば俺は深い森の中にいた。自分の来た方向も分からず、周りにあるのは巨大な枯れかけた木々達だけである。さっきの青々しい景色とは似ても似つかない、不気味な雰囲気になっていた。
「何処だよここ...なんで俺はあんな音に...」
__タンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタンタン
「あぁ...あぁぁぁ...」
謎の音は俺のことを囲い始め、どんどんと大きくなっていく。
すると突然その音達は光へと変わり、俺の四方を塞いだ。それは魔法陣だった。
その光は瞬く間に強いものになっていき、それと引き換えに俺の意識は遠のいて行った。