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第1話 休暇

 ピラリピラリと音が聞こえる。柔らかい様で多少の鋭さを持っているその音は、俺の怠慢な全身の感覚を少しずつ覚醒させていった。

 首筋から入ってくる冷んやりとした風は、全身を心地よく刺激しているのと同時に、右頬の辺りに独特な温もりがあるのを気づかせてくれた。

 俺は口を一の字にして息を吸いながら徐に体を起こし、音が聞こえる方に体をそらした。


「ん、やっと起きたんだ。おはよう?」


 重たい瞼の隙間から強い光が差し込んでくる。俺は一回目を右手で塞ぎ、首をぐるっと一周回した。ツンとした臭いが鼻に入ってくる。

 またやってしまった。


「俺何時間寝てた?」

「んー...」


 数秒の無言が続いた。俺はその間に眉間を人差し指でトントンと数回叩き、右手で頬を摩った。ツンとした臭いが少しだけ強くなる。


「3時間くらいかな? いつもよりだいぶ長かったね。教授も皆んなも帰っちゃったよ」

「そっか。またやっちったなぁ...」


 俺はまた大学の研究室で寝ていたらしい。実験の途中だというのに、スベスベの黒い机の上に突っ伏しながら、顕微鏡の隣で力尽きていた様だ。

 視界がだんだんとクリアになる。外はもう日が暮れ始めていて、黒机の表面は少しオレンジがかっていた。俺の後ろの椅子に座っているそいつの白衣も染まっていて、少し申し訳ない気持ちになった。

 輪郭が確かになったその顔は、いつものように冴えなくて、でもいつもよりも何かおぼつかなかった。


「ごめん、作業遅らせちゃって。また残ってやっていくから先に帰ってていいよ」

「いや違くて、なんかさ...」


 その男は左手で長髪の癖っ毛頭を前後に擦った後、黒縁メガネに隠れた小さな目をさらに細くして今度は顎を摩りだした。


「お前疲れてるよ、多分。」

「そうかな? 純粋に寝不足なだけだと思うけど」


 カタカタ聞こえる。

 そいつの手元を見てみると、黒机の上に乗っている大きな学問書を指先で叩いていた。


「めっちゃうなされてたぞ? うーうー言ってさ、病人みたいだった。今の体調は?」

「マジかよ...いや、全然普通だけどな。なんなら気分いいよ? 学費を大量に浴びながらお昼寝するのは気持ちいぞぉ」

「ふーん...」


 「はぁ」と一回ため息をつき、首を傾けてきた。コイツにはいつも世話になっている。同じ研究室の仲間で、学部1年の時から一緒におり、困った時は互いに助け合っていた。コイツ経由でテストの過去問を貰ったり。コイツの課題を写したり。コイツのつてでバイトを始めたり。

 あれ? 互いに...助け合って...ん? いや、コイツに彼女が居るのは俺が紹介したからだ。互いに助け合っている。うん、そうだ。

 だけど、流石に今回は迷惑をかけ過ぎているのかもしれない。体調を回復させて実験に支障が出ない様にする。これがコイツに負担をかけない最善の方法だろう。


「あぁ、分かった。何日休みもらっていい?」

「潔いね、よくぞ言ってくれた。そうだなぁ...」


 そういうと、サムズアップをこちらに向けながらスマホをいじり出し、予定を確認し始めた。

 この日は記念日だの、この日は彼女とデートだの、基本的に彼女中心の週間予定を説明しつつ、こちらに時折ニヤケ顔を見せてきた。


「なんかキモいぞ?」

「んなこと言うなよ、傷つくぞ。まぁ、そうだな。大体5日くらいかな? あんまり焦んないで、兎に角ゆっくりしてきてくれ。そっから馬車馬の如く扱うからさ」


 それから少し喋った後、俺らも家に帰ることにした。

 片付けを終えて部屋を出ると、俺らを担当している教授がちょうどこちらに向かって来ていたので、休みを貰う旨を伝えた。


「そうかぁ、確かに羽鳥最近疲れてそうだったしな...」


 教授は独特な白髪混じりの縮毛をさらにくるくると指先でいじり出し、小さく頷いた。


「よし、いっぱい休んでこい! やっぱり人間は体が資本だからな」

「ありがとうございます。5日後には復活するので、それからは頑張ろうと思います。それでは失礼します」


 俺は軽くお辞儀をして、ロッカーの方へ体をむけた。


「あ、そう言えば。最近森林浴が流行っているらしいぞ? 体の疲れが取れるだなんて噂でな。試してみたらどうだ」


 また教授の方へ顔を向けると、いつもの優しい顔をしながら軽く頷いていた。

 この温かい研究室に入ってやっぱりよかっただなんて、今更ながらに思う。




__次の日



 平日の昼間、電車内の長椅子の端に座りながら、俺は辺りをぐるっと一周見渡した。時間が経つにつれて人が降りていき、気がつけばこの車両には俺1人だけになっていた。

 最寄り駅からたった一本。県を二つ跨いで向かう先は、少しマイナーな観光名所である万葉山だ。

 標高が大して高くなく、ピクニック気分で自然を満喫出来るとのことだったので、運動が苦手な俺にはもってこいだと思った。

 高校時代に使っていたジャージに、あまり履き慣れていないスニーカーを履いて、リュックは通学用の物を選んだ。

 電車に乗ったばかりの時は少しばかり浮いていたが、今となっては気にする人もいないのである。


 後5駅、余りに暇なのでもう一度森林浴について調べてみる。


_____________________


『今話題! 森林浴の健康促進効果』


皆さんは『森林浴』をご存じでしょうか?


最近、テレビやネットで話題になっている『森林浴』。健康に良いとは聞きますが、一体どんな効果があるのでしょう。


そこで皆さんに、人体に与えるメリットを5つほどピックアップしてお教えしようと思います!



1.自律神経のバランスを整える。


ストレス社会と呼ばれる今、自律神経の管理は......



______________________



 このサイトは昨日三回くらい読んだ。ここに書いてある森林浴のメリットはどう考えても今の俺に足りないものばかりであった。

 最近物凄く疲れていた。研究は確かに大変なのだが、休みが無いわけではないし、寝る時はしっかり寝れているのだ。だけど、何故か頭の中のモヤが取れず、ずっと疲労を感じていた。


 俺はこの森林浴に少しだけ期待を持っている。完全とまでは行かないが、ちょっとは回復してくれるのではないだろうか。不思議な力が働いてくれるのではないだろうか。そんな理系院生の風上にも置けない考えが、頭の片隅に存在している。


 そういえば、今日行く万葉山にはどんな景色があるんだろうか。余り調べたことがなかったな。


 ん、なんだこれ?

 俺が検索しようと打ち込んでいると、関連ワードにはこんな文字が出てきた。



『万葉山 行方不明』

『万葉山 児童失踪』


『もしかして:万葉山 神隠し』


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