ユダヤの福音書 第六章
ユダについての記述。
6
1後に裏切り者と成るイスカリオテのユダはイエスに仕え、度々、逐一、こういう談話をした。
「主よ。一体何があって、あなたが“平和の君”として、聖書に出て来るのですか。」
2「私は王として、エルサレムに入りますが、それは大洪水の後の様に穏やかです。
3というのも、私はローマと戦争するのではなく、祭司等むつかしい話をする訳でもなく、むしろ、自由にして、その後の事は父のおっしゃるがままで、導かれるがままなのです。
4というのも、私はどうしても磔になるでしょう。しかしながら、私はただで敵の手に渡される訳では有りません。道連れにひとりの男を引き込むでしょう。
5それがあなたなのだとすれば、私は敵に成るべき人間を弟子にしている事になります。しかし、殺気立つ事はありません。あなたは時が来るまでは普段はおとなしい羊の様な男ですから。」
6「少なくとも私には裏切る気持ちは有りません。あなたにより近しい友人だとも思っていますから。」
7「あなたは一弟子にも関わらず、私との談話を好みます。あなたは本心では平和を望みますが、サタンの心で私に臨みます。あなたは私に近しい様に、サタンにも近しいですから。行き過ぎた生きた者というのは、自己判断に迷い、縛られた方がいい事も有るのです。
8生ける神も責任というものに縛られていて、契約を果たして、自由になる事で始めて生きる事に生きるのです。生きる重みを感じる事で初めて得られるものも有りますから。」
9「では生ける者はすべて、責任を持った方がいいのですか。」
10「すべからく、生ける者は生きた分だけ、重圧に耐えるべきなのです。あなたは耐えきれない程の重圧を与えられるでしょう。しかし、何だかんだで、世界はあなたを迎え入れるでしょう。
11しかしながら、この世界はあなたを満たしません。あなたは十字架を背負い、私の後継者として、千年の間生き続けるでしょう。その間に書いてもらいたいのが、「ユダヤの福音書」です。
12あなたが完全に伝説である福音を述べ伝えれば、それをあなたの福音として、ユダヤの福音として、世界は受け入れるでしょう。ならば、あなたはもはや、福音記者です。
13あなたが書く事を人々は心の中で繰り返し繰り返し、読み、善性にいたく感心するでしょう。イエス・キリストという人物がどの様な幻想に染まるのかを後代の本読み達は体感するでしょう。
14すべて福音は、私から出る言葉を介した神の片鱗なのです。その片鱗をどうやって魅せるか。そこに努力を重ねるべきなのです。どうやって書くかよりも何を書くかが重要なのです。
15現実のノンフィクションよりも優れたフィクションはいくらでも有ります。ノンフィクションはノンフィクションでも、聖書の様な作品も有ります。ノンフィクションが優れているという思い込みは聖書によって打ち立てられます。
16しかし、実はフィクションに事実が紛れ込む事は、天使伝説等に良く有る事なのです。この様に、フィクションはフィクションであっても、神について描けば、フィクションも事実性においてノンフィクションに打ち勝つという事は実に良く有る事なのです。事実としての聖書は堅実で、おおよそ、事実性において勝るものはありません。同じ様に「ユダヤの福音書」も事実と真理性において、多くの本の上に立つでしょう。」
17ユダはそれを受け入れた。こうして、「ユダヤの福音書」が書かれる事になったのである。