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ユダヤの福音書  作者: ユダ・カーナ
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ユダヤの福音書 第三章

信仰は完成するのか?

1ユダヤという名称についてをイエスが語られる。

「知っての通り、ユダは族長イスラエルの子の名前で、ヤは~人という意味です。

2それについては今更、異存もないでしょう。

3しかし、ユダという名前はユダとヤを裂く名前なので、何かと中途半端です。

4ユダヤという名前はある意味で完成されたものなのです。しかし、あなた方は知っています。ユダ族こそ、王にふさわしい王族の血を引いている事を。

5だから、やはり、ユダヤではなく、ユダが完成されたものの名前とも言えるのです。皆ダビデを知っており、彼が王だった事を「聖書」で見知っています。

6だから、今更、ユダヤという完成された民を否定する者はいません。否定出来るのは、今はローマ皇帝か、ローマ上級市民の言論だけでしょう。

7しかし、時代がのぼり、ローマ帝国への不満が高まるにつれて、完成された民を盛り上げていこうとする動きが高まるでしょう。それは、逆風となり、ユダヤを滅ぼすでしょう。その時になってやっと、ユダヤは否定されるのです。

8ユダヤとローマは今日まで共存関係を築いてきましたが、しかし、明らかに、ローマに支配される形で第二神殿をも血の繋がらないヘロデに明け渡してしまいました。ヘロデはローマの支配は受けるが、ユダヤの支配は受けないというスタンスに基づいて、毎日、安穏に暮らしていました。

9ですが、その事等について、今更、行動する事もないでしょう。皆、反抗心だけは持っていますが、行動する者はいません。しかし、押さえつけられた反抗心はやがて、爆発し、戦争を引き起こすでしょう。

10その時になって、自分の本心を知り、ローマの支配に心の抵抗を覚えているおのおのの心を認知するでしょう。その時になってやっと、形になるので、それまでは、ユダヤ民族の本心は隠れているでしょう。

11隠れなくては、どうして、ローマの本心から逃れる事が出来ましょう。ローマの本心は敵を殲滅する。ローマ市民を守る。という様な事を繰り返し言っています。最終的には国と国は本心対本心のぶつかり合いです。

12その事について、存外にローマの本心は素直です。

13その素直さが強国ローマ帝国を立たせているのですから、その純粋さが純粋であればある程、強国になって、世界を支配するのです。

14不純であればある程、こじんまりとして、想像も出来ないならば、それ以上の領土的発展はないのです。

15かつてのユダ王国は本心において、唯一神信仰を一定限保つ。神に言い逆らわず、付かずびず。という様な事を言っていました。だから、ユダ王国は神に基盤を持っていたのです。しかし、それだけでは神はそれを良しとはされませんでした。

16神に従順であればある程、その国は強く、それは神々でも同じ事です。

17たとえば、ローマはギリシャ神話を元として、ローマ神話というものを持って来ていますが、やはり、元がギリシャ神話ですから、神々と神々、奥が浅く、相対している神だとは言え、とてもではないが、聖書には取り入れづらいのですが、ローマ人は純朴じゅんぼくにそれを信じています。彼らが強いのは、ひとえにその信仰のゆえなのです。たとえ、神々と言っても、信仰が純粋なら純粋な程、思いの強さにて、精神的に鍛え上げられた兵というのは、純粋な強さになるのです。

18その信仰はギリシャから来て、たとえば、アルテミスからディアーナ、ゼウスからユーピテル等の様に、神々だとは言え、あつい信仰によって、守られています。そこにローマの強兵があるのです。

19一部の神々の信仰者によって、神々への信仰がすすめられ、やはり、信仰は良いものだ。とローマ市民が思うまで、信仰は続き、そのシステム化された無機的な神話によって、ローマ市民の幸せがその神話のすべてに繋がって来るのですから、私達にとっては何と、愚かな信仰でしょうか?私達は「聖書」によって信仰を一応は完成し、ユダヤ民族によって、それを共有していますが、語る内容いかんによって、その信仰は試され、しかも、神によって、計られます。計る神はすなわち、有機的な方法を取るので、ローマ神話とは違って、システムではなく、良心によって、それらは計られ、良心によってのみ一応の信仰の完成を告げ知らせられるのです。良心は十三次元を統べる神にとって、都合がいい位置にあり、良心は一側面だけで言うなら神ですが、しかし、多面的に見ると神ではありません。

20それは良心は五次元上にあり、しかも、その下の四次元上の時間と繋がりがあります。

21時間を管理下に置く神がいわば、良心の神なのであって、それは絶対的な者ではなく、相対的な者です。良心の反対に悪心というものがありますから。人間はその良心によって、信仰の完成度を計られ、罪の有る無しを検知するのです。

22いわば、信仰というのは、完成を見ないソロモンの第一神殿の様です。つまり、信仰はいわば、完成しない事が花であり、神に繋がる唯一の鍵ですから、まず、完成自体、エノクやエリヤの様に取られる事によって、その完成を見る事が出来るので、天に昇るのが神に完成を告げられる信仰者なのです。信仰者は完成を見ない飽くなき夢です。ですから、ユダヤ民族に伝えられる信仰を守り、伝えていきなさい。

23いわば、つかわされた私は信仰の完成者なのです。すなわち、ユダ+ヤのユダヤの完成者とも言えるでしょう。」

24聴衆はおのおの、納得し、そのユダヤの完成者であるそのイエスを先生と呼ぶ事に決めた。弟子達もまるで先生の様である。先生と呼ぼう。と思った次第である。

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