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ユダヤの福音書  作者: ユダ・カーナ
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ユダヤの福音書 第二章

マタイによる福音書5章17節から18節まで。

1イエスが弟子と民衆の前で語られた。「誰でもどうでも良くなる事はあるものなのです。ただし、その状態になっても、それを守っていきなさい。

2それは自分の為になるのだから、吐き出さず、自分の中で完結しなさい。すなわち、自分自身の為の事なのです。

3自分を愛しているのなら、それなりの事をしなさい。これが律法の完成であり、自分の為だけの法律なのです。

4自殺と殺人を思い留まりなさい。殺すという行為自体、人の舌にのぼりづらい卑近な行為なのです。

5はっきりと「殺してはならない。」律法書にある為ではなく、それもありますが、人間の本性の信念として、殺すという行為は妥協の産物です。

6だから、殺してはいけません。

7殺すと時間が止まり、戻らなくなります。時間が止まるという事は反省すべき空間にいるという事なのです。生かして時間を進めさせなさい。相手はある意味の合わせ鏡の自分で、殺すという行為は自分をも殺す行為なのです。自分自身を殺すのはなお悪いです。

8「姦淫してはならない。」と律法書には書いてあります。

9つまり、正義を全うする為だけにそれをゆるしてはいけません。戦争は時代ごとのものなので、ぼちぼちなのですが、正義の為の強姦を放置する支配者の国は滅びます。

10ただの強姦よりもなお悪く、正義は強姦ではなく、強姦は正義ではありません。一緒くたにするのは、国が滅びても仕方がない公私混同です。諦める事も肝心です。二律背反の正義と強姦とは、両立しません。

11だから、決してゆるしてはならず、自分もしてはならないのです。

12「盗んではならない。」と律法書には書いてあります。

13ですが、お金を得る機会を盗む事も盗みです。つまり、目を盗む事は後ろめたい事ですから、法の番人である公の機関の者達が罰しなくてはなりません。

14必ず盗んだものは元に戻されなくてはなりません。

15わたしが律法や預言者を廃する為に来た、と思ってはなりません。廃する為ではなく、成就する為に来たのです。

16よく言っておきます。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画も廃る事は無く、ことごとく全うされます。

17律法は自分にとっての都合の良い道具ではありません。

18自分にとって都合の良い解釈をしたり、相手に配慮して都合のいい解釈を並べる事は本人が歪曲者です。

19その人は律法を曲げているので、裁かれの日に裁きの前に人前に出る事を避けます。

20見なさい。裏切者ですら、堂々としているではありませんか。

21その裁かれの人々は、律法と罪両方に仕えているので、どっちの側に付いても中途半端で意気地が無いのです。

22裁かれの結果は分かっているのに、想像もしません。その人は神を欺いているので、恐ろしくて、立ち上がれない意気地無しなのです。

23彼らは月が満ちなくなった高齢の老女の様に、内が閉じていて、これが正しいと思ったなら、それを社会に押し付ける改竄かいざん者でもあります。

24だから、あなた方はそれを離れ、何かやっているという程度にまで、離れて感想なさい。わたしに従う者は、わたしをつかわした方こそ、正しいと信じているのです。

25離れるべきものを見定めなさい。それは悪にて、つまらないものです。」

26イエスが語り終えられ、聴衆はざわめいて、何かとうわさをしあったものである。もちろん、イエスについての有る事無い事についてである。

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