Act.1
私の人生は割と波乱万丈だったのではないか。
もうすぐこの世と別れを告げなければならない時が近づいて、私はそんな事を考えるようになった。
元領地に終の住処として小さな別荘を建てた。
人の訪れないそこは静かで良い。
最近はすぐにウトウトしてしまう程、体力も落ちた。
息子夫婦に家督を、フォーサイス家の権利全てを譲ってから、思い返すのは昔亡くした娘の事ばかり。
あれは、……私以上に波乱万丈だ。
あれの瞳が王家の黄金色に生まれついたのが、あれの運の尽きだろう。
リリーが、私の妻が王の姪でなければ、何としても隠し通したのに。
アーサー王と同腹の姉姫の娘。それがリリーだった。だから彼女の出産に王は顔を見に来たがった。臣下として拒絶する訳にもいかず、見舞いを受けた。息子アルバートの時は何事も起こらなかった。アルバートは私そっくりに生まれたから。だが、娘は……グレースは、リリーの血が色濃く出た。リリーの母親の血……王家の血の証、黄金の瞳を持って生まれた。なまじ、我がフォーサイス家にも王家の血が流れていたからかもしれない。だが、我がフォーサイス家で黄金の瞳を持って生まれた者は後にも先にもグレースだけだ。
アーサー王はグレースを見て狂喜した。あの子を抱き上げ瞳を見て『余の跡継ぎとする』と宣言した。冗談ではない。ロックハート王家にはレオン・アンドリューという立派な王太子が存在する。我が娘を苦労すると分かっている地位になんて就けたくない。
『分かっているだろう、宰相よ。レオンに世継ぎは望めない』
声を潜めてのその発言は、私と陛下、そしてレオンだけの秘密だ。
『この子を……グレースを叔父上様の、陛下の跡継ぎに、ですか?』
寝台からリリーが心配そうに訊ねる。
陛下はグレースを懐から離そうとしない。まるでそのまま王宮に連れて帰りそうな……。
と、突然、今まで大人しくあちこち見ていたグレースが激しく泣き始めた。
『陛下……叔父上様、グレースを、此方に』
リリーが両手を差し出す。
泣き続けるグレース。
陛下は渋々、グレースをリリーの手に渡した。グレースはリリーにあやされても泣き止まない。
『お乳かもしれません……アビゲイル様……』
リリーのその声に、私は陛下を促して部屋から退出した。
正直、助かったと思った。
その場だけだったが。
アーサー王は執拗にグレースを欲しがった。だが、王宮にはレオンの息子が居る。大々的に発表された王国の跡継ぎの存在。黄金の瞳を持たない王子。
幸い(私にとっては不幸な事に)、グレースは女子。将来2人を婚姻させれば、外聞的にも不都合なくグレースを跡継ぎに出来るのでは? と提案すれば、代父となり名付けをしたいと言い出した。どんなに些細な事でもグレースに関わりたいのだと理解した私は、陛下のその案を呑んだ。
本当はリリーに因んで花の名を与えたかったが、『フェリシア』というセカンドネームは意外と娘に合っていると思った。
あの時は、ただ将来娘が女王の地位に潰されないように、不幸にならないように、祈るばかりだった。『フェリシア』という名は、悪くなかった。
「お目覚めですか? 大旦那様」
執事の静かな声が聞こえた。
窓の外は夕陽が傾いている。
部屋の中は薄暗く、暖炉に薪がくべられ火が灯されていた。
「オースティン」
「はい、大旦那様」
「お前は……私に仕えて……長いな……」
「はい。──もう 40年、お傍に」
そうだ、元々はグレースに付けた。幼い頃から諸外国を渡り歩くあの子を案じて……お目付け役だ。あれが居なくなって、私付きの執事にした。
「あれを……覚えているか? ……レックスを……」
首を傾げる執事。
「いや……ポール・フェイス、と名乗っておったか……」
途端、執事は顔色を変えた。
「いいえ、大旦那様。そのような者、当家に仕えた記憶も記録もございません」
はっきり私に否と答える様は、彼の心情が言葉通りではないと伝えてくる。
思えば。
かの者を連れ帰ったのは、まだ幼かったグレース。身元不確かな者を傍に置くことに苦言を呈したのが、このオースティンだった。
グレースは、その頃はまだ少女と呼ぶに相応しい年齢だったが、あの子はもう既に女王の風格で我を通した。あの瞳で睨まれたら、臣下は従うしかない。私もその瞳に従った。
グレースは自分付きの侍従としたあの者に、自由裁量を与えていた。
使用人など『はい、ご主人様』と答える以外、特権を与えてはいけないものだ。命じた事以外をすれば叱責するのが当たり前の時代に、あの子は部下に、自分で考え、行動するよう教えていた。
今の世なら。
共和国となり貴族という特権階級が解体された今ならば、それも良いだろう。
あの子は時代の先を行き過ぎたのだ。
自分で考え行動した侍従は、自分の仕えるべき主人の足を掬った。
泣きながら『こんな事になるなんて』『申し訳ありません』と繰り返す侍従の声を思い出す。
どこに隠し持っていたのか、翌日には短刀で首を突いた死体となって発見された侍従。遺体は森に投げ捨てた。
「お前の……妻も、あれに……仕えてた者、だったな?」
「── 仰る通りにございます」
「子は……いるか?」
「はい。倅は旦那様に……アルバート様にお仕えしております」
「もう……職など……自由にしても……良いのだぞ?」
「いいえ、大旦那様。倅は自分の意思で、今の職に就いております。ご心配には及びません」
ならば、いいか。
もう、親に決められた道を何も考えず進む時代ではない。自ら考察し自ら選択し自らその責任を負う。そんな時代なのだ。
あの子が、我が娘グレースが、私にそう教えた。
「少し……眠る…………話すだけで……疲れるようになった……」
執事は黙って私に羽根布団を掛けた。
また、昔の夢を見るかもしれない。
とても幸せで
とても悲しくて
とても悔しくて
とても愛しくて
とても懐かしくて
さて
どの夢を、見るだろう、か……