愛してる?! そんなバカな!!
平和が取り柄のパックス王国。
魔獣は友好的だし、魔王は良い取引先だし、周囲を海に囲まれて外敵の脅威もないパックス王国はものすごく平和ボケした国である。
しかし、そんな国でも騒動のタネはある。
それはこの国の第四王子と公爵令嬢と不毛な戦いだった。
「だから! 氷魔法の氷中花こそ最適と申しておりますでしょう! 暑い日々の中、氷の冷ややかさはまさしく癒しです! 子供たちが喜びますわ!」
「ふざけるな! 氷魔法なんぞ地味じゃないか!ここは炎魔法で大花火をやるのがインパクトもあって楽しいだろうが! 子供は派手なものが好きなんだ!」
生徒会室で怒鳴りあう男女は眉間にしわが寄り、ギラギラと怒りに燃え、大変醜悪な顔をしていらっしゃる。
だが、彼らは絶世の美女で名高い公爵令嬢アルデラと国一番の美形と言われるディアント王子である。
同じ年頃でつり合いも取れる家柄ということで、アルデラは婚約者候補筆頭であった。だが、王子と令嬢は「絶対に嫌だ!」と常に豪語し、王家も公爵家もほとほと手を焼いている。超絶平和であることと、王子が第四王子であることもあり、「年頃になるまで待とうじゃないか」と王家側はのんびりしているため、公爵家も「陛下がそうおっしゃるなら」と生暖かい目で見ている。
他の国なら「王子の婚約者ゲットのチャンス!」とばかりに他の令嬢が群がりそうだが、長い間の平和ボケのせいで権力闘争すらめんどくさくなった貴族たちは「領地が豊作ならそれでいいや」くらいの感覚で王子に興味はない。
美形なディアント王子に心を寄せる令嬢はいなくもないが、
「会食のセッティングをしていただきましたけど、アルデラ嬢の話ばっかりでものすっごく詰らないものでしたわ。お父様。やっぱナシで」
とげんなりした表情で諦める。
なにしろ、ディアント王子は「アルデラに興味はない」と豪語しつつ、彼女の演奏会には変装して必ず見に行くし、「婚約者としての義理だからな!」と誕生日にはアルデラの瞳と同じ色の宝石をあしらった髪飾りや、首飾り、ドレスを送っている。侍従に任せるだけじゃなくて自ら購入しに行くのだから、相当な心の入りようである。
「あのアホはまだアルデラ嬢に難癖をつけているのか。愚弟が申し訳ないな」
密偵から連絡を受けた王太子ゲルンドは苦笑して最愛の妃に謝る。
「いいえ。こちらの愚妹こそディアント殿下に失礼を働いてしまい、申し訳ありませんわ。いまだに癖が直らなくて……」
困った顔で笑うデルミーア嬢こそアルデラの姉である。
普段はいい子のアルデラだが、ディアント王子が関わると急に怒り出す。「わたくしはあの方に嫁ぎたくありませんわ!」と始終騒いでいるくせに、ハンカチにせっせと刺繍しては「義理ですので差し上げます。既製品ですけどオホホホ」と贈る。
ディアント王子が剣の試合に出るとなれば、変装して観戦し、怪我をしたと知れば血相を変えて薬を手あたり次第購入し、差出人不明の薬を王族に届ける愚行を犯すのだ。
「今日の喧嘩の内容は何だ?」
「はい。慰問予定の孤児院で何かしらサプライズをすることになっております。魔法は子供受けが良いので魔力量の多いお二人に院長がお願いしたところ、お二人が役割の奪い合いを始めてしまって……」
密偵はため息を吐く。
「魔法を使うと威力に比例して心身すり減りますからねえ。魔力を持っていない院長は知らないのも無理ありませんが」
デルミーアは苦笑する。
「おおかた、相手に負担をさせまいと考えているんだろうが。生徒会室での乱闘はアホ極まりないな」
「アルデラは末っ子で両親ともに甘やかしてしまいましたから」
デルミーアは色々と思い起こす。
年の離れた妹でデルミーアも思いっきり甘やかしてしまった。父母も年取って生まれた子供が可愛いらしく、ホイホイ言うことを聞いてしまったのも悪かった。
「それを言うならディアントもそうだ。父上と母上は厳しいが、俺たち兄弟が甘やかしてしまったからな」
父母が厳しい分、優しくしてあげようと三人の兄がそれぞれ動いた結果、甘やかされたワガママ王子に育った。
「だが、このままでは二人のためにもよくない。一つ罠を仕掛けようと思う」
きらんとゲルンド王子の目が光る。彼はお茶目なお兄さんだった。
「あらまあ殿下。悪い顔してましてよ?」
ウフフと笑うデルミーアも悪女の顔をしている。
■
王太子夫妻から御茶会の招待を受けたディアント王子は不機嫌そうな顔で会場に向かった。
「休日だというのにアルデラの顔を見なければいけないとは!」
そう溢すディアントの手にはジュエリーケースが握られている。お茶会が決まった瞬間、国一番の宝石店で購入したものである。侍従は冷ややかな目を送るが本人は気が付いていない。
アルデラも同じく、
「まったくお姉さまったら! わたくしがディアント王子を嫌いなことを知っているくせに……!」
とブツクサ言いながらお手製の焼き菓子を大事そうに抱えている。お茶会の知らせを受け取った瞬間、質のいい小麦粉を買いに走り、当日は六時起きで朝から作り上げたのである。
シェフが「作りましょうか?」と申し出たが、ギロリと一にらみで退散させた。心優しいシェフを泣かせた彼女は悪役令嬢を名乗って良いかもしれない。
天邪鬼な二人はそれぞれ別の入り口から入り、待ち構えていたデルミーアの侍女に案内されて茶会室に入った。
……はずだった。
いつのまに眠っていたのだろうか。
ディアントは重い瞼をゆっくりと開く。
視界に映ったのはどこもかしこも白い壁で自分が座っているソファ……そしてきらきらと光るシルバーブロンドだ。
二人掛けのソファにディアントは婚約者と二人きりで腰を掛けていた。
愛しい人の姿にディアントの心は浮き立つ。
まだ夢の中に居るのかと思いながらも、ついつい「覚めないでくれ」と願ってしまう。
白い肌、つんと小高い鼻、引き結ばれたピンク色の唇。
愛らしい婚約者が小さく寝息を立ててディアントの肩に体を預けている。
「こんな夢を見るなんて俺は浅ましいな……」
彼女を嫌っているように見せているが、ディアントはアルデラに恋をしている。正直に言えば彼女と結婚したいし、自分が幸せにしたい。だが、好きな人だからこそ、王子の妃という重責を彼女に背負わせたくなかった。
アルデラは自由奔放に生きてこそ輝ける人だ。
自分のわがままで彼女の人生を縛ってはいけない……ディアントはそう考え、くっつけようとする周囲の圧力に反発した。
アルデラも「ディアント王子と結婚なんか絶対嫌」と言うので、ディアントは顔で笑って心で泣いて、アルデラを嫌う振りを続けた。
だが、いい加減そろそろ限界である。
なんど涙を呑んでアルデラに背を向けてきただろうか。
ディアントはどうしてもたまらず、寝ているアルデラの髪を一房掬う。
「夢だから」と自分に言い訳し、触れるだけのキスを落とす。
「アルデラ。大好きだ。初めて会った時から俺は君に心を奪われている」
自分で驚くほど甘い声が出た。
言った後で顔が熱くなるが、紛れもない本心だ。
火照る体にのぼせそうになりながら、ディアントは髪をやさしく下ろした。
そのとき、か細い声がディアントの耳に届いた。
「……あの、わたくしもです」
尊大な声でもなく、凛とした声でもなく、消えてなくなりそうなか弱い声だった。
だが、それはディアントの大好きな声色で……。
「ア、アルデラ……? 君、起きて……?」
どもるディアントの肩に体を預けたままのアルデラはこくんと頭だけを動かした。
「わたくしも、ディアント様のことが好きです……よ」
消えそうな声だが、はっきりとディアントの耳に届いた。
もっと聞きたくてディアントはアルデラの右肩を掴んで引き寄せた。体を正面に向けさせたとき、アルデラの真っ赤に染まった顔がディアントの瞳に映る。
「これは夢……かな。いや、夢でもいいんだ。君と心を通わせることができたのなら」
「わたくしも同じですわ。たとえ夢でも……」
アルデラは天にも昇る気持ちで声が上ずった。
初めて姉の紹介でディアントに会った時、なんて精悍な人なんだろうとアルデラは見ほれた。話す言葉は堂々として、おとぎ話に出てくる騎士のようだった。
アルデラはすぐに彼の虜になったが、思いを伝えることはなかった。
というのも、ディアントから挨拶を受ける姉を見て、
「彼には可憐んで可愛らしい方がお似合いだわ。そう例えばお姉さまのような……」と姉の強かさを知らないアルデラはそう考え、ディアントに興味がないふりをした。
さらに、姉が遠慮しないように「わたくしはディアント様とウマが合いませんわ」と嫌う演技をした。
そのくせ、ディアントがアルデラを疎んでいると父母の話を盗み聞きしたときアルデラはショックを受けて寝込んだほどの入れ込みようである。
しかし、自分で選んだ道だと己に言い聞かせ、姉とディアントの幸せを祈りつつ、新たな自分の人生を模索した。
添い遂げられなくても、彼らの力になるような職につければいいと考え、アルデラは精力的に動いた。親も姉も協力してくれた。
しかし、まさか姉がディアントではなくゲルンド王子と結婚するとは思わず、驚いて問い詰めると、「あら、あなた聞いていなかったの? お茶会で顔を合わせたのは私とゲルンド様、あなたとディアント様の相性を見るためですわよ。アルデラったらディアント様以外目に入っていなかったのね」と呆れられた。
今更そんなことを言われても、今更どんな顔で「お慕いしています」と言えばいいのだろうか。それに姉以外にも気立ての優しい令嬢は他にもいる。やはり身を引こうとアルデラは態度を変えなかった。
ところが、王命でディアント王子とアルデラの婚約が決まった。
驚くアルデラに父は「断り切れなくてなあ」とどこか微笑ましい顔で言う。
アルデラは人の気も知らないで……と悔しいのと、恋心が痛いのとでたまらなかった。
アルデラは父にコーヒーをぶっかけて「余計な真似をしないで下さる!? わたくしはディアント殿下なんて大っ嫌いなんですから!!」と念を押した。
だが、婚約解消に至らなかった。
しかし、婚約を継続しても溝は埋まることはなかった。
ディアント王子が自分を嫌っているのは自業自得なのでしかたがないと受け入れたが、それでも悲しかった。
だからといって志を捨てる気にはなれず、ディアントが新しい婚約者を見つけてきても、すぐに引継ぎができるよう手引書をいくつも作り、優秀な人材を確保してトップが変わってもうまくいくように手配した。
一番重要な心の準備はうまくいかなかったが、その時が来れば笑顔で悪態をついて別れよう。
アルデラはそう心に決めていた。
クッキーを作ったのも、「あいつは嫌いだったがクッキーはうまかった」と少しでも彼の記憶に残りたい、アルデラの悪あがきである。渡せなかったが。
「ここにクッキーがあればお渡しできるのに……」
アルデラは夢が作り上げたディアントを見上げて泣きそうになった。
夢の中のディアントはとても優しくてアルデラの欲しい言葉を次々とくれる。
「アルデラの作ってくれたクッキーか。とても美味しいんだろうなあ。ここが夢なのが悔やまれるよ。俺も……君の瞳をあしらった宝石をプレゼントしたかったな。さすがに夢の中まで持ってこれない」
ディアントは悔しそうに顔を顰める。
「嬉しいですわ。たとえ夢でもディアント様からそんな言葉を聞けるなんて……」
アルデラは涙ぐむ。
ディアントは愛しさがこみ上げてアルデラをぎゅっと抱きしめた。
「い、いたっ……」
「ああ、すまない……?!」
何かかたい音がしてソファに何かが落ちる。
「まあ、殿下の紋章入りの小袋……?」
アルデラが驚いたように叫び、ディアントは目を丸くした。紋章入りの袋の中は対の指輪が入っている。彼女に渡したいと思いながらも、渡せずにいるものだ。
「さすが夢だ。どこまでも都合がいい……」
ディアントは笑みが浮かんだ。どうせならこの夢を最後まで楽しもう。
震える指で袋を開け、取り出した指輪をディアントはアルデラと自分の指にそれぞれ嵌める。
「愛している。いつも君に言いたかった」
ディアントは言いながら泣きそうになる。
これは夢で、この言葉も現実のアルデラには届かない。胸の痛みに顔を顰めるとアルデラも同じ顔だった。
「嬉しいですわ。とても嬉しい……なんて幸せな、そして残酷な夢なんでしょう」
ぽろぽろとアルデラは涙をこぼす。
同じ悲しみを抱えるディアントも同じように顔を顰め、慰めの言葉の代わりにアルデラを抱きしめた。
華奢な体の体温が伝わり、ディアントはアルデラの存在を実感する。
そう、体温を感じるのだ。
それだけではなく、涙の温かさも、自分の心音も、どこからともなく聞こえるかすかな笑い声も。
「……アルデラ」
「……な、なんでしょう」
ぐずんと涙ぐむアルデラは愛らしいが、ディアントの意識は別のところにいっていた。
「兄上、そこにいますね?!」
ディアントが叫ぶと、外で音がした。
「……ブォッホ」
噴き出す声は間違いなく愛すべき兄弟のものである。
「もう、ゲルンド様ったら音を立てないでと申し上げましたのにずっと笑っていらっしゃるんですもの。もう少しでキスくらいまで行くと思ってましたのに!」
柔らかな……だが少し怒ったような声はアルデラの姉、デルミーア嬢のものである。
「お姉さま!? ということはもしかしてこれは夢ではなくて……?!」
アルデラがあわててディアントから距離をとるが、時すでに遅く白い壁……のように見えた分厚いテントは取り外され、指輪を付けたディアントとアルデラを囲むようにゲルンドやデルミーアはおろか国王夫妻に公爵夫妻、侍女侍従、学友や親せき連中……はては教皇まで出席していた。
テントが取り外された場所は以前、ゲルンドとデルミーアが結婚した大聖堂である。王族の結婚はここで行うのがしきたりである。
そしてよくよく見ると二人以外は皆礼装に身を包んでいる。
「えーオッホン。お集りの皆さん。準備はよろしいですかな。このわたくしイケメンデス三世の名においてお二人の結婚式を執り行います」
教皇は白い紙を取り出して呆然としているディアントとアルデラの前に掲げた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。結婚式だって? そんなもの聞いていないぞ!?」
「そうですわよ!! 勝手にそんなことをしないでくださる!?」
二人は大慌てで文句を言うが、デルミーアがさえぎる。
「あら。でもこれを逃せばまた元通りの生活ではなくて? お互い素直になるというのなら仕切り直してあげてもよくてよ?」
上品な笑いでデルミーアは煽る。
「言っておくが、ここに集まっているのはお前らの被害者だ!! 何年お前らの悲恋ごっこに付き合わされたと思っている。いい加減に覚悟を決めて認めろ。お前らは相思相愛だ!!」
ゲルンドが妻の援護射撃をする。息ぴったりの夫婦である。
大好きな姉と兄にばっさり言われ、二人は言葉に窮した。
お互いをチラチラと見つめる。
いつまでたってもチラチラするだけの二人に温和な教皇がいきなり叫んだ。
「お二人はぁー! 愛をー! 誓いますかぁー!!!!!」
とっさの質問に二人はびくっとした。
だが動かない。
長年の習慣と思い込みは恐ろしいものがある。演技とはいえ相手を詰っていたのは事実。今更愛を叫べない。
動かない二人に教皇は残念そうに項垂れた。
「そうかあ。わしはお二人さんの結婚を祝福したかったんじゃがのう。結婚したくないものを無理にくっつけるわけにはいかんから、この結婚証明書は破棄するかの。もう二度と再発行できんが」
しょんぼりと肩を落とす教皇は紙の真ん中を両手で持ち、びりびりと破き始める。
真っ青になる二人は大慌てで手を伸ばした。先に叫んだのはディアントだった。
「な、やめろ!! やめてくれ!!! 俺はアルデラが好きなんだ!!」
「わたくしも!! わたくしもディアント様をお慕いしているんですの! ですからそれは破かないで!!!」
飛び出た本音を聞いて教皇はにっこり笑う。
「よし、それじゃあ結婚式をするとしようかの。ああ、ちなみにこれは誰のサインも書いていない結婚証明書じゃ。安心せいよ」
いっひっひと教皇は笑い、アルデラとディアントは口をぽかーんと開いて脱力した。
後日、仕切り直して結婚式が行われたが、夫婦となった二人は今までのことを互いに謝り続け、兄と姉に「いい加減にうっとしい!!」と怒られるのであった。