変わる足音
「進捗はどうだ? 兄弟」
合流時間が近づいたので拠点に戻ると、端の方で荷物の整理をしていたビルに話しかけられた。
「ダメだ、さっぱり空打ち。そっちは?」
「俺の方も成果なし。他の連中も、それらしき影どころか足跡、糞、よだれの形跡すら見なかったらしい。ケルベロスの変異種ってのが本当にいるのか疑問死してる奴も多い」
「これだけ大規模な移動をしたんだ。誤報では無いと思いたいが」
「話通りの巨体なら森の中と言えど形跡を隠すのは難しいだろ。ここまで音沙汰ないと誤報の方を疑っちまうぜ」
「日光を浴びて活性化するならそもそも物陰に隠れるような性質でもないだろうしな」
「……そこなんだが」
ビルは不意に顎に指を置き、何か違和感に気付いたかのような顔つきに変わる。
「どうした。ビル」
「いや、ケルベロスは日光を浴びて活性化するって、考えてみるとおかしくないか? と、探してる最中に思ってな」
「おかしい? 魔獣だからか?」
「そんな安直な事じゃなく。魔獣でも竜種や魔性植物のように日光を弱点としない種は普通に存在するだろ。そうじゃなくてよ」
「……? どういう事なんだ、教えてくれ」
説明をビルに求めると、彼は近くにあった荷箱に腰を下ろし、紙とペンを取り出して別の荷箱を机代わりにして絵を描き始めた。
「ルザ、お前実物のケルベロスを見た事はあるか?」
「無いな」
「俺は何度かある。ガキの頃は魔獣の生活圏に近い場所で暮らしてたからな」
ビルの故郷は確か、ミクドレア王国の中でも特に魔獣の発生件数の多い谷の真上にあったという貧しい村だ。
人類と亜人の戦争の際に亜人が人類側に進軍するために作られた廃材と鉄塊の継ぎ接ぎの大橋。その入り組んだ隙間や溝、でっぱりにはかつての戦争で戦犯として国から通報されたり死刑宣告をされ、逃げてきた者が居を構え暮らしていた。
居場所を無くした過去の退役軍人が暮らす村。違法建築と犯罪者が暮らす法の通用しないスラム砦。それがその無名の村の通称だった。
そこで育ったビルは事細かに記憶の中にあるケルベロスをスケッチしながら、口頭で説明を加えていく。
「奴らは大体、皮膚がこんな感じに首から腹にかけて爛れてめくれ上がってる。火属性の魔力を持つが、それを体外に排出する器官が未発達でなまじ強力だから御しきれてないんだろーな。魔獣に珍しくない、環境に適応しようとして魔力に適応しきれなかった失敗進化型だ」
「ふむ」
「で、だ。常に火傷を負っているような生物が日向に体を晒せるかっていう単純な疑問だ。紫外線を長時間素肌に浴びれば日焼けするし痛むだろ。おかしな話じゃないか? それで逆に活性化するって言うのは」
「熱を火属性の魔力に変換できる、精霊のような体質なんじゃないか?」
「精霊が魔力の影響に適応出来ない肉体を持つか? アイツらは間違いなく物質的な肉を持つ生物だろ」
「……そうだな。とすると、奴らが太陽の光を浴びれるような場所に居るという前提は改めた方がいいか」
事前に用意していた森と村とその周辺が書き込まれた地図の写しを広げ、今日探索した範囲の日向にあたる部分を黒く塗りつぶす。
「火傷を負っている生物が何処にいくのか。大抵は湖の畔などの水場や洞穴、洞窟で体を冷やすだろうな」
「俺が知ってるケルベロスはよく崖のでっぱりの下や鉄に体をくっつけて冷やしたり光を避けていた。ま、どちらにせよ森の中に潜んでるんなら日向にいようが日陰にいようが大差ねーんだけどさ」
「日陰、か」
確かに森の中なら樹木の葉により直射日光はある程度防ぐことが出来る。だが、そうは言っても場所によっては全く葉が日傘の役割を果たしてない場所や、風の揺れによって光が漏れることもあるだろう。
光が弱点だとしたらその僅かな光でさえも嫌うはず。木々の下よりも、やはり洞穴などの中に隠れている方が自然なのだろうか。
「ビルが聞いた情報に誤りがある可能性も考慮して、洞穴や洞窟らしき場所があったらそこも調べた方がいいいな」
「それで本当にケルベロスを発見した場合、あの魔術師が言ってた話のどれが間違っててどれを信用すればいいのかを考えなくちゃならねえな」
「そうだな。また後で改めて情報を整理しよう」
ビルにその情報を吹き込んだという魔術師が何者かは分からないが、説明に頷ける補足がない以上はあまり過信して視野を狭めるのは危険だろう。
ビルは粗暴だがこういう時ばかりは素直に提案を飲んでくれる。
他にも、柘榴が弱点という情報と歌を聴いたら活性化するという情報の精査もしたい所だが、ふと俺の方からも報告したいことがあったのでそこで一旦こちらも情報を提示する事にした。
「そう言えば、俺も魔術師の女性に会ってケルベロスに関する情報を得たんだが」
「なに? 魔術師の?」
「ああ。ほら、動物とかを操る使役術師とかいう。ほれで、その人によるとケルベロスの弱点は熱で毒も有効らしい。今行った考察に沿った情報だと思って出させて頂いた」
「なるほどな……」
「? どうしたんだ?」
ビルが何やら考え込むような仕草を見せる。
顎に指を置き、目を瞑り、「んー?」と唸りながら、何かを思い出そうとしているのか、はたまた違和感を感じて思考しているのか。
「なんだ、その反応は」
「いや。このメリコ村に魔術を使える人間がいるのか、って思ってな」
「1人や2人魔術師としての教養がある人間はいるだろう」
「んーにゃ、おかしいな」
ビルは腕を組み、そしてまた再び考えるような姿勢を取りながらもはっきりと断言した。
「ルザはこの村の成り立ちを知ってるか?」
「成り立ち? 知らないが」
「だろうな。マニアックな事件オタクかよっぽど真面目な情報屋じゃなきゃ頭の片隅にもないような話だ」
「何の話をしているんだ〜?」
「げげっ!? ガルニエ卿!?」
話の途中で村の人と会話を交わしていたガルニエ卿が拠点に戻り話に混ざろうとしてくる。顔はほんのり朱に染っており、吐息からは酒気を感じた。ほろ酔い状態だ。
「なんだよ混ぜろよ、こんな所で2人でコソコソしやがって〜怪しいぞ〜?」
「いやいや、そんな気になるような話はしてないっすよ、ホントホント!」
「気になるかどうかは俺が決める! さあ話してみろビル。お前の軽口はこういう所で使わなきゃ宝の持ち腐れだろ〜?」
ガルニエ卿がビルの顔面を手で鷲掴みにする。ミリミリミリと音が鳴ってる、上機嫌なのに暴力に走っているのは普段ビルが公務中に不真面目な態度を取っているからだろう。
ビルが俺に助けを求め手を伸ばす、巻き込まれたくないのでそれを躱すと、いよいよビルは音を上げ「分かった! わかりましたわかりました話すから離して!!」と言った。
完全に猫の口で話を聞く姿勢になったガルニエ卿が荷物の上に思い切り腰を下ろす。
「よし、話してみろ。どんなコソコソ話をしていたんだ?」
「え〜、と……」
チラッと目線を送られる。解読不能のアイコンタクトも兼ねて。何も伝わっていないが、こんな状況で目配せしてくるのは大抵助けてくれと、代わりに何とか言ってやってくれというメッセージを送っているに違いない。
「あ、えーと、その、実は俺達、先にケルベロスを探し」「あ! いやいやいやそのぉ! あのぉ! ええっとですね!!」
この際正直に答えるかと思いたって暴露しようとしたところ、ビルが急に大声でそれをかき消してきた。
話の邪魔をされたガルニエ卿は気分を害したようで手がビルに伸びるが、そこでビルがさらに言葉を続ける事で彼は再びアイアンクローされる事を回避出来た。
「実は2人で最近ヤった女の話をしてたんすよ!」
「!?」
「なんかルザがこの村の子にさっき誘われて1発しっぽりハメたったぜみたいな事言ってて!! だからいいなどんな子だったんだっつって情報を共有して、あわよくば俺も後でヤれたらいいな〜とかフレンドになってくれないかな〜とかそんなくっっっっだらない話をしてただけなんで!」
「おい!」
「元はと言えばこいつがいきなり逆ナン自慢してきたのが切っ掛けなんで! 俺は話を合わせてただけっす!! まじでまじで、だから真に叱るべくはルザ・ガストンにあるとわたくしは思う所存にこざいます!!」
「売りやがったな貴様!!!」
ビルの胸ぐらを掴もうと伸ばした手が空を切る。彼は既に逃げ去る姿勢が整っており、もう走り出す1歩手前だった。
「って、ガルニエ卿寝てるわ」
「……」
奴を捕まえるのは一旦やめにしガルニエ卿に事の説明を改めてしようと思った所で既に彼が眠りについているのに気づいた。
心の底から肝が冷えた、公務中に淫行を行ったなど余裕で処罰レベルの愚行だ。耳に入っていたらその場で何発も殴られていた可能性は低くない。
「はは、は、なんだ。寝てるのか、良かったなルザ」
「ほんとにな」
「ほぐぅ!? ご、ごべんて……」
1発腹に重たいのをかまし、場所を改めて話を再開する。
ガルニエ卿は巨漢なので動かそうにも体が重く、仕方ないので毛布をかけて放置してある。くまの置物と勘違いされそうだが、まあわざわざ片付けようと近づく者もそう居ないだろう。
「で、話の続きなんだが。村の成り立ちがなんだって?」
「あ? あぁ……くそ、加減しろよ。あー、メリコ村は厳密には村じゃないんだっつー、そういう話だ」
「自然村か行政村かみたいな話か?」
「全然違う、ただの集まりか村かの違いだ。俺の生まれ故郷みたいなもんだよ。人はいるが国の管理下にはないからミクドレアの法は適用されないし行政も何も無い」
「ほう? それがなんだと言うんだよ」
「その状態がもう20年近く続いているんだよ」
いまいちピンと来ない。だからなんだというのか。
20年近く村と認定されてないスラム街のようなコミュニティ。それがそんなに珍しいか?
ビルの生まれ故郷だって戦争後に放棄されてから人が住み着いておよそ半世紀経つし、似たような場所はいくつもあるはずだ。
「ここまでちゃんとした、村らしい機関が機能してる場所なのに村として認められてないのはおかしいだろって話だ。他のスラムとは違って、誰もがこの内部で職らしい職に就いている。外部とのやり取りも行っているし商いも盛んだ」
「ふむ……確かにそう言われるとおかしいな。この村はごく自然と普通の村と変わりない。それ程村内の決まり事がしっかり定められてるんだろうな」
「そこだ」
ビルは拠点の仕切りを腕で少し空けて俺に外の様子を見せた。
「具体的に人口がどれくらい居れば村として認められるかは分からないが、村として公式に認められないのには理由がある。それとこの場所が村として機能しているのには、密接な関係があるって話よ」
「どういう事なんだ?」
「まず、この村の村民は外から来た人間を基本的に村民として迎え入れない。元いた村民の直径のみで維持されているコミュニティだ」
「……ほう?」
「だから実の所ちゃんとした村のルールやらは外の人間には一切知られてないが、一子相伝のコミュニティである以上は昔からあるルールを今でも使っていると考えるのが自然だよな」
「そうだな。それが?」
「この村はそもそも、ある事件によって出来た村なんだよ」
「事件……何だそれは」
「ルザは『黒山羊の会』って名前の宗教団体を知ってるか?」
もったいぶって出したその『黒山羊の会』という単語には、微かに聞き覚えがあった。
「1世代前のミクドレアの前線騎士団が解体に追いやったという新興宗教か」
「そうだ。そして、それがこの村の前身でもある」
「前身?」
「この村は元々『黒山羊の会』が拠点を置いていた土地だった。先輩方が解体し有力者はほとんどが処刑されるか逃亡し行方不明になって組織は壊滅。そしてこの村の人間は、全員が『黒山羊の会』の下の信者やその子孫って事なんだよ」
「そう、なのか」
「ここでおかしな話がある」
「ふむ?」
「ここの人間が全員カルト教団の信者だってんなら宗教に傾倒するような性質の人間の集まりってことだ。有力者は全て姿を消した、そんな環境下で魔術の腕をどうやって付けるってんだ?」
「……それが違和感か?」
「そうだろ。考えてもみろ」
イマイチ要領を得ない俺にしびれを切らしたのか、ビルは紙を取り出し一つ一つ出た情報を箇条書きで記しながら話を続ける。
「世界規模の信者数を持ってたり歴史を持ってたりする、一般の人も理解を示しそうな大きな宗教は別にして、だ。ぽっと出の新興宗教なんかは実態が分からない以上考える頭がありゃ入信を断るのがほとんどだろう。信者を集めるには心になにか疾患や弱さを持つターゲットを見つけ、指導者や幹部と本人に絶対的な力の差や開いてみせることで導き手としての技量を見せる必要がある」
「力を持つように見える人間からの救いの手を差し伸べようとする甘言は、拠り所を求める人間の判断力を鈍らせるってやつか」
「ああ。で、魔術は本人の才覚、魔力コントロールの鍛錬、環境の条件などが複雑に入り交じる特殊技巧だ。使う者に絶対不変な序列は生まれ得ないしそもそも使える時点でそいつは格闘家や学者や俺達騎士と精神性は違わねえ。そんな奴が易々と新興宗教にハマったりすると思うか?」
確かにそうだ。生半な鍛錬では『魔術師』という資格は取れない。
彼女は使役術師を自称し、事実動物を操って見せた。それは道具や外付けの術式に頼っていたものではなかったし資格のない魔術使いにはできない芸当だろう。
「先輩方が見逃すような下っ端の地位の信者に魔術をろくに扱えた人間がいるはずない。魔術師が居ない狭いコミュニティで魔術師は生まれない。そういう事だ。大体、魔術師を組織に引き入れたら内部で派閥を作って輪を乱したり力を利用して教団の資金を奪うって思考に至る可能性があるだろ。そんな事が起きてたら村として再興できるほどの貯金も資源も残らないはずだ」
「なるほど……」
やっとビルの抱いた違和感に理解が追いついた。なるほど、このメリコ村に魔術師が居るはずがないと、その理由まで合点がいった。
俺から理解したというのを肌で感じ取ったのか、ビルは「ニブチンだよなーお前」と言いながら1つため息をついた。歳上じゃなかったらもう1発腹に行ってただろう。
「ついでに『黒山羊の会』が何故解体されたのかも補足しようか?」
ビルが「オカルト色の強い話になるが」と含みを持たせた言い方を付け加える。
内容をチラつかされると気になるので「頼む」と言う。彼は紙に新たに絵を描きながら説明を始めた。
「奴らは黒山羊の神とやらを信仰していて、信者の肉を摘み千切った物を聖贄と呼んで祭壇に溜め込んで、中身が腐ってグチョグチョになるとそれを捏ねて角に見立てて信者の額に貼り付けたり黒い毛に見立てて全身に纏ったりしたらしい」
「なんだそりゃ、気味の悪い話だな……」
「肉は腐れば黒くなる、だから黒山羊なんだろうな。信仰する神の姿に自分らを似せることで神に付き従う飼い山羊となり祝福を受けようとしてたんだと」
髪には黒いヤギの頭に人型の胴体がくっついた異形の生物の絵が描かれていた。なんとも気味が悪い絵だ。
「でも、なんでそんな組織に前線騎士団だなんて大仰な戦力が投下されたんだ? 聞く話によると、まあカルト教団だなって感じはするが、人死には無かったんだろう?」
「そんなもんあったに決まってるだろ」
何を言ってんだこいつ? という調子で返されてついズリ転けそうになる。あるならあると先に説明してくれ。
「自分らを神の姿に似せるありがちな儀式の他に、神降ろしとして人間そのものを使った儀式も行ってたんだよ。人身御供ってやつだ」
「やっぱりあるのか、そういうの……」
「ああ。しかもその犠牲者も手段もやばいから王都が動いた。いいか? 奴らは神を霊体のような物だと定義していて、この世に降ろすには依り代となる存在が必要だと考えたんだ」
「依り代ってなんだ?」
「入れ物だよ。神様を入れる容器、着ぐるみみたいなもんだ」
「嫌な予感がするな……」
「で、だ。その儀式には依り代となる人間の他に、前述した聖贄を要した。図解しながら説明するとだな」
しばらく机の上に置きっぱなしだったビルの指が動き、神にツボのようなものが描かれる。
そのツボの中に蹲る某人間の絵が描かれる。某人間の大きさはツボの半分にも満たないほど。そして、某人間を上から埋めるように、ゴロゴロとした黒丸が描き加えられていく。
「まず儀式用に作った巨大な入れ物に依代となる人間を入れ、そこに人の肉のみを詰め込む。臓器と皮膚と骨を除いた新鮮な肉だ。しかし入れ物は大人が10人ほど入れるほど大きく、肉だけを詰めるとなると相当な量になる。その詰め込む肉を捧げる為に、儀式ごとに2、30人の信者の命が消費された」
絵で指し示す通りだった。
中の人間は、入れ物の中で肉の海に溺れる。
地獄でしかない、何でそんなもので神を呼べると思うんだろうか?
「で、依り代にはその入れ物の中で666日生きてもらい、最期の一日目に死んでもらう。そうして儀式は完遂ってのが、組織の言う神降ろしってのの実態だ。ま、成功例は一度たりともなかったらしいが」
「当たり前だろ。何で666日も? 何を食べて何を飲めって言うんだよ」
「そりゃ中に詰められた肉を食って血や腐り汁を飲んで生き長らえてたんだろうよ当人達は。666ってのはその教団内で大切にされてた数字みたいだな」
吐き気すら催す話に気持ち悪くなると、ビルが笑いながら「悪ぃ悪ぃ」と言って水を差し出してきた。
普段女や酒や娯楽の話しかしないと言うのに、なんたっていきなりこんな話をするのだろう?
というかこの任務が始まってからビルの様子がおかしい。いつにもなく任務の遂行に拘ってるし、情報を持ちすぎている。そして洞察力がある。
俺はビルにこそ違和感を感じたので、率直にそれを問うてみる事にした。
「なあビル、なんでそんなに詳しいんだ?」
「んぁ? なんだその目、何を怪しんでるんだよ」
「怪しんでるというか、色々変だ。ビルにしては情報を持ってるし指摘も鋭い。普段は周りの指示を仰ぐかサボるかしかしないだろ」
「はーん? そんなキャラ変してたか、やっぱ俺演技とか下手なんかねぇ」
「何っ!?」
口ぶりから偽物かあるいは洗脳かと思い距離をとると、ビルは「いやいやそうじゃなく」と両手を振り、戦う気は無いとアピールしながら弁解する。
「演技とは言ったが俺は俺だよ。ただ、この村にはちょっとした思いがあってな」
「思い?」
「俺の親父は『黒山羊の会』の人間だったって話だよ。俺も本当に幼い頃はここに居た……らしい。母親が俺を連れ出してあの谷に連れてかなきゃ、俺もここの村民だったって話さ」
「そ、そうだったのか? ……いやにしても、今した話もビルが産まれる前の話だろ? 今年19なんだから、ビルはその教団があった頃には産まれてないはずだ、なんでそれなのにそんなに詳しく知ってるんだ。親に教えられたのか?」
「親が教えるかよそんなこと。騎士団に入りたての頃、教団解体に参加した先輩にいびられながら教えこまれたんだよ」
「……すまん、気に触るような事を聞いてしまったな」
「別に気にしてねえ。ただ、どうせこの村の人間は正気じゃねえしとっととこの場から失せたいってだけだ。深い理由はねえ。それに、アル・クリンドの真面目そうな面して実は性根が良くなさそうな所とか俺をいびってきやがった先輩に似ててイラつくんだよ。だから、あいつに手柄を寄越す気がねえのも事実だ」
そこまで説明すると、ビルは立ち上がり髪をクシャクシャにしてゴミ箱に捨てると近くの原まで歩いていく。どうやらこの村の宿を借りる気は無いらしく、テントで寝るとのことだ。
「ルザ、お前が会ったとかいう使役術師はどんな格好をしていた?」
「ローブ姿だったな。シルエットが華奢だったから中は軽装か、裸に近い状態だったのかもしれん」
「在り来りでわからねえが中が裸かも知れない女か。滾るな。じゃあ明日、出来れば夕方頃に暇を作ってくれ。その使役術師に尋問を仕掛けよう」
「尋問!? しかし……」
「ルザ。おかしいと思ったことには確認を取るべきだろ。真面目ぶるのも良いが、堅物なだけが良いわけじゃねえんだぜ。じゃあな」
テントを広げ中に入ると、ビルはそれっきり何も言わなかった。
1人取っていた宿までの道を歩きながら見上げる。黒い穴のような月が、まるで俺を見下ろすように空に張り付いていた。
この村の過去と取り巻く空気。まだ村民に妙なところは見られなかったが、少しずつ顔を出し始めた違和感。
本当に上に報告せず、独断で行動を取っていい案件なのだろうか?
「……」
俺は服の中に締まっておいた、使役術師の女性に貰った魔石を取り出す。
夜空の星々の光を反射して煌めくそれに何か怪しい力は感じなかったが、しかし。この村で魔術師が居るという違和感、それが頭の隅から抜けることはなく必然的にこの魔石にも疑惑の目を向けてしまう。
「……雷」
手の中の魔石に魔力を込める。これが仮に属性を持つ魔石だったのなら、魔素の割合に変化を与えることで結晶化した表面は簡単に綻び内部の魔素が外に漏れ出すこととなる。
その時の魔素の働きがもし治癒以外だったとしたら。そう考え俺は森の近くまで歩くと適当な木に軽く傷を付け、魔力を流した魔石をその木の根元に置いた。
変化はない。
魔石関連に関しては白か。
……流石に杞憂だったか?
宿までの道に戻ろうとしたその時。
背中に突如凄まじい熱と衝撃波を受け、俺の体は軽く宙に浮いた。
振り向くと、そこには先程まで元気に生い茂っていた木々が一瞬にして焼け焦げ焦土と化している空間が広がっていた。
「火の……魔石?」
あまりにも一瞬すぎる熱の膨張。火災現場などで起こるバックドラフトにも似た現象が背後で起こったと分かる傷跡に、いよいよ俺は1つの結論に至る。
「あの魔術師は黒だな……」
元より怪しかったが完全なる黒だと決した。ここはビルの言う通り、明日は使役術師の女性に尋問をかけさせていただこう。
ケルベロスと関係があるにしても無いにしても、彼女が行った事は我々に対する明らかな攻撃行為である。もし皆がいる所で魔力を行使していたら……そう考えただけで熱された背筋が冷たくなる思いだった。