迷える子羊
不愉快だ。
飛竜に跨り空を往く竜騎士隊。
隊長であるリトルヴァーチェ卿が、彼女がいない場合は副隊長であるセシウス・ガルニエ卿が先頭を飛びその背後を扇型に展開して移動するのが竜騎士隊の基本移動陣形。
ガルニエ卿が先頭にいる時、隊内番号6番である俺は目の前にガルニエ卿の姿が見える位置となる。
「飛竜って意外と大人しいんですね」
「空の旅に慣れてないやつを乗せると、動揺が伝わってもっと暴れるんだがな。空の旅は初めてじゃないのか?」
「あはは、この程度で怖気付いてたら上は目指せないので」
「大層なこと言うじゃないか! ここ数年で珍しいくらい骨のある奴だな、隊長が気に入るワケだ」
ガルニエ卿と気安く会話を交わしているのはアル・クリンド。俺が何年足掻いても越えられなかった壁をあっさり越えた新兵。
クリンドはリトルヴァーチェ卿に頼まれて、竜騎士隊の手伝いをする形で今任務に同行することとなった。
更には、副隊長であるガルニエ卿とも準備の合間に手合わせをしてもらうという行為をやってのけ、気安く同じ飛竜に乗せてもらうなど厚顔無恥も甚だしい行動を取る始末。
前例ないそれらの行動にガルニエ卿は気に入ってるようだが、それが余計に気に食わない。
「なに睨んでんだよルザ」
「いや……」
「クリンドの事だろ?」
隣を飛ぶ騎士に話しかけられる。態度には出さなかったつもりだが、どうやら俺の心中は周りに漏れているらしい。
「あいつ、新入りのくせに生意気だよな」
「……あぁ」
「そう強ばんなよ、お前と同じような事を考えてる連中は少なくねえんだ。現に俺だって同じように考えてる、あいつは先輩に対する敬意が足りねえ」
「……」
俺に話し掛ける騎士、ビル・バルディーナは竜騎士隊の中で最も騎士たろうという規範からかけ離れた精神性の人物だ。卑怯だし狡猾だし嫉妬深く、その癖に執念深さとは縁遠く自分に都合が良ければすぐに尻尾を振る。
こういった小狡い小心者は別段珍しくもないが、そんな人間に「自分と同じ」と距離を詰められて言われるのは心外だ。
だが、思っている内容に間違いはないから否定は出来ない。
それに彼が言う通り、今俺達と同行している竜騎士隊の面々の恐らく3分の1の人間はアル・クリンドに非好意的な感情を抱いているのは確かだ。
俺だけじゃなく皆がそう思っている。ガルニエ卿だって心の内ではクリンドを疎く思っているかもしれない。
「なあ、1つ考えがあるんだが乗らないか?」
「考え?」
「あぁ。あのクリンドに痛い目見させるんだよ」
「騙し討ちやケルベロスと遭遇した時の囮に使うのは賛同しないぞ。騎士の誇りに傷がつく」
「馬鹿。俺らがなにかするってことは副隊長の指揮から離れた行動を取るって事だぞ。独断で他所の新兵を使い誤って危険に晒しゃ始末書どころの話じゃない。逆だよ逆」
「逆?」
「俺らだけでケルベロスを討伐するんだ」
「なに? それは無理がないか? 変異種なんだろう、件のケルベロスは」
「所詮頭が多いだけの犬っころだろ。原種と違って炎を吐くわけでもなし。それにな、お誂え向きな物も調達してるんだぜ」
ビルは俺の方へと飛龍を寄せると、何かが入っている小包を触らせた。感触は固く球状で、上下すると僅かに中で水音がする。
「なんだこれ」
「柘榴。ケルベロスが苦手とする果実だ」
「ケルベロスに弱点があるのか、初耳だ。どうやって手に入れたんだ?」
「最近知り合った魔術師の嬢ちゃんに情報と共に頂いてな。原種じゃないケルベロスは小ぶりだからこんなの用意する事もないが、本格的な個体の退治ならあった方がいいだろ? どうこの実が作用するのかはわからんが、弱点という事だし使わせてもらうぜ」
「……しかしなんで弱点が柘榴なんだ? 特に毒性があるわけでもなし」
「何故かは分からんがそこは魔術師の知恵だ、なにか特殊な作用を起こすんだろう。ケルベロスは柘榴を嫌う。また、歌を聴くと動きが活性化し日光を浴びると魔力が増幅されるらしい。だから、強大なケルベロスを確実に退治するには他の音が響き渡らない暗所で柘榴を食わせると良いと、その魔術師は言っていた」
「初耳だ……まあ弱点を知る必要も無いくらいの魔獣だしな」
ケルベロス。通常は3つ頭の生えた犬型の魔獣。
現在多く発見されているのは大型犬程度のサイズしかなく知能もそこまで高くない、炎は吐けないしむしろ自分達の頭に怒り噛み付いているような魔獣が多く脅威度はそこまで高くはない。
上記の個体は新種に分類される。原種は新種の数倍巨大で炎を吐いたり知能が高かったりするらしいが、重力の変動や環境変動によって地球に住める土地が無くなった結果、ほぼ絶滅したらしい。
しかし魔獣は魔力を喰らい世代の枠組みを越えずして進化、変容する生き物である。
時々原種に近いケルベロスや、今回のような全く異なる進化を遂げたケルベロスが見つかる事もある。
だがなんにせよ、知能も脅威度も低い下級の魔獣が相手となると、やはりリトルヴァーチェ卿の我々に対する見方には思う所が出てきてしまう。
そんなに俺達は信用に欠ける程度の戦力しかないのだろうか。
そんなにアル・クリンドという男は突出して優れているのだろうか。
「ま、こいつは使えば例え想定外の能力を持ったケルベロスだろうと敵じゃねえ。俺とルザと、ほか数名の協力者だけで討伐しちまってそれを記録、報告しちまえば俺らの評価はうなぎ登り。逆にクリンドは同行しただけで何もしなかった、あいつの力など必要がなかったと隊長にアピール出来る。どうだ?」
「どうだって。別に良いと思うが、それがあいつに痛い目見させることになるのか?」
「あぁ。ああいうタイプの奴は実は新兵には珍しくない。自分の力を大きく見積ってる馬鹿だ。そういう奴は、自分が属していながら何も出来なかったという事実を募らせれば自壊する。プライドの高さが仇になるのさ」
ビルの語り口には、まるで自分がそうであったかのような感情が乗っていた。無力感、確かにそれは強さを追い求める者にとって一番の敵であろう。
「地上に降りたら拠点作成の段階で抜け出して縄張りを調べておこう。作戦決行は索敵隊を編隊するタイミングだ。どうせ俺らは番号が連なってるし同じ隊に編成される、同じ隊になった奴らには作戦を共有して協力者を仰ぎ、別の隊になった連中には隊長とクリンドの足止めをしてもらう」
「分かった。そういう作戦なら何も問題は無い」
唯一あるとすれば標的の脅威度が未知数だという事だが、そここそが本題だ。むしろ簡単に倒せるような雑魚だと評価に関わる点数の稼ぎにならない。期待値は低いが、隊長方が想定した強さよりも遥かに厄介な個体であることを願おう。
ケルベロスの潜むという森の付近にあるメリコ村に降り立ち、村民に話をつけて飛竜を縛り留めさせてもらい拠点の仮組みを作成する。
予定通りビルと他2名の騎士達と共に本隊と別れ、森へ入る前でまた各々が行く方向を変え、落ち合う時間を決めて別れる。
1人森の中を歩く。人の住む村の近辺の森なのだ、結界術式は当然張られていて、夜であろうと獣や魔獣に襲われることは滅多にないだろう。だが油断はしない、問題の変異種ケルベロスとやらと遭遇した際に結界が機能するかの保証がない以上、一息で撤退できるよう退路の確保は怠れない。
「ん?」
森に入り少し歩み入ったところで木の付近で佇んでいる人の姿があった。
背丈は150程。数羽居る鳥に自身の服を摘ませ、若干浮く事で手が届かない位置にある枝に手を伸ばしランタンのような物に手を加えていた。
「そこで何をしている」
「ひゃわっ!? あいたっ!!」
声を掛けると魔獣が飛び去り、吊るされていた者は地面に墜落した。
ぶつけた尻を擦りながら立ち上がる。おそらく十代半ばから後半の少女。俺の存在に気づいた途端彼女は俺から隠れるように木の後ろに回った。
「あー、ええと、そこで何をしていた? 君はメリコ村の子供か?」
「子供とは失礼な! ボクはいい歳した大人です!」
「そうか、それは悪かった。それで、何をしてたんだ? こんなところで」
「み、見回りと結界の確認です」
「ほう、と言うと君は夜警か。ご苦労さまです」
「ど、どうも……」
夜警の仕事をできるような年齢には見えないが、若く見えるだけか。何にせよ、それが仕事だと言うのなら怪しむことも無いだろう。
「あ、あの」
「ん?」
「あなたはここで何をしているのですか。その、こういった場所に夜出入りするのは、危ないので……」
「身を案じているのか、ありがとう。でも俺は騎士だ、君と同じように夜警も業務の一環でね」
「騎士様ですか。で、でも、なんでこんな村に、騎士様が?」
「ただの定期警備ですよ。……あ、そうだ。夜警や巡回は我々でしますので、我々がこの村にいる間は外出を控えてください」
詳細な事を話して村民を脅かすのは良くない。村民が混乱すれば避難誘導やメンタルケアで人員が割かれて予定が狂う恐れがある。余計なことは告げない方がいいだろう。
「て、定期警備の予定は、通年通りならまだ2ヶ月ほど先です。何かあったのですか……?」
「え? いや……」
「う、嘘は良くないです。正直に教えてほしいです……」
あれ? やけに鋭いな、この人。
夜警と言っても何の訓練もしていない民間人だろう。ただの思い付きでそう言っているだけで、なにか心当たりがあるわけではないのか?
「予定が前倒しになる事だってあります。ミクドレア騎士団全体で調整等が入った時は特に。なので、そう怯えることもありませんよ」
「嘘は良くないと言っているのです……騙せるとでも思っているのですか……?」
「何?」
「ひぅっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!」
女性は控えめに俺の発言が虚偽であると伝えると、すぐさま畳み掛けるように謝罪を連呼した。
明らかに何かに脅えてる様子だ。この森で何が起こっているのかを予め知っているかのようだ。
「あの、大丈夫ですよ。本当に気にするようなことではないんです。ただ村から出無ければそれで」
「ケルベロスの弱点は熱です。それと、毒に対する耐性が低いので毒も有効です……!」
「……もしかして、我々の目的は最初からわかっていたのですか?」
「いえ、今知りました。ボク、使役術師ですので……」
使役術師。
鳥獣や虫といった人間以外の生物。魔力量の少ない生物を術式によって契約、使役する魔術師。
なるほど、先程鳥に自身を浮かばせていたのはそういうカラクリか。納得の理由だ。
そしてこちらの目的がバレたのも、恐らく村や森にいる騎士の話を聞いた動植物を通じて得た情報なのだろう。
「ケ、ケルベロスは頭が多いだけで胴は1つ、分裂はしないので群体と捉えるより個体として扱ったほうがいいです。あと、毒性のある物ですが例えばトリカブトとか、そういうのを上げると、弱らせることも出来る、です!」
「情報提供は有難いのですが、何故そこまで詳しいんです? ケルベロスの生態なんてまだ未解明な部分がほとんどだと言うのに」
「魔術師が得意分野の研究するのは当然の事です……」
「魔獣なんか使役出来ないだろうに、そういうのも調べたりするんですね〜」
どうにも手広い研究意欲だ。だが、おかげで有用な情報は手に入った。
毒に弱いか。生物ならある種当たり前だが、魔獣は逆に毒が通用しないのが多い。今回もその情報を知らなければ毒を持っていくことは無かったし、これは予想外の収穫だな。
「情報提供ありがとう。しかしここからは我々騎士の仕事だ。目的が分かっているならどうか、村から出ずに避難していてほしい」
「は、はい、わかりました」
握手を求め手を差し出すと、女性はジッと俺の目を凝視し恐る恐る手を握り返した。
「俺はルザ・ガストン。君は?」
「な、名乗る程の事はしてないです……しがない村人Aくらいの認識でいいです」
「そうか? ……まあいいか。何か困ったことがあればあったら気軽に騎士にルザは居ないかと言ってくれ」
「初対面の人をファーストネームで呼ぶのはあまり……」
「ならガストンは居ないかって言ってくれ。なんにせよ礼がしたい、気軽に頼ってくれ」
「……はい」
少女はフードを目深に被ると、俺の横を通り抜けていった。
……?
すれ違った瞬間、腹に押し付けるようにして何かを握らされた。
見ると、手にはなにか鈍く光る石のようなものがあった。
指で撫でると仄かに熱を感じる。自然由来の魔素が固まって出来た魔石、という物質に似ている。
だが、自然物というより人工的に形が整えられていて手によく馴染む。魔石は魔石でもなにか特殊な細工がされているのは手触りでわかる。
「これは?」
「お守りです。お仲間さんが傷ついたり危なくなったりしたら投げてください。妖精の再生能力を利用した治癒の魔石です。……ケルベロスは、爛れた皮膚を治癒されると神経が敏感なせいで逆に動けなくなるので」
「治癒の魔石……聞いたことがないが。希少な物じゃないのか? いいのか、俺なんかに渡して」
「ぜ、全然良くないです! 製作コストも労力も馬鹿にならないし……。でも、村民に危険が迫ってるなら仕方なくです」
少女は今度こそそそくさと立ち去ってしまった。その後ろ姿が、なんだか物凄くかっこよく見えた。希少な物まで託してくれるし、なんか気前の良い人なんだ……!
実の所、完全な独断で動こうとしていることに後ろめたさを感じているところがあった。
だが、俺に魔石を託し、情報を共有してくれたあの女性と、あの女性がそこまでして守ろうとしたメリコ村の村民の為にも、一刻も早く脅威を退治すべきだ。それが出来てこそ騎士の本懐、こんな所で足踏みをしている場合じゃない。
「ふぅ……よし」
俺は気合い新たに、深呼吸をし頬を叩いて自分を鼓舞し結界の外へと足を運んだ。