打ちのめされたあと
「試験落ちたんだってねー」
入団試験が終わり、結果を聞いてとぼとぼ家に帰った矢先にそんな言葉をリューゲルに飛ばされた。言われたくないセリフ上位にくい込むようなこと平然と言うな。
ハムと目玉焼き、レタスを乗せ挟んだサンドイッチを渡される。ソファに腰を下ろすと続けて話しかけてきた。
「どっちで落ちたの? 第1? 第2?」
「第2。対戦相手にストレート負けしたわ」
「あちゃ。やっぱり魔術師が鍛えても本職の騎士になるよう鍛えられた相手には勝てないよね……」
「いや、そういうんじゃないと思う。アルが強すぎるだけだよあれは」
「アル? アル・クリンドくんのこと?」
「そう」
「うわ、今回の大目玉と当たったんだ! そりゃ運が無かったですねぇ」
と、口では残念そうに言っているがリューゲルは笑顔だった。何かを喜んでいる様子だ。
「なに笑ってんだよ。弟子が試験に落ちたら励ますもんだろ普通」
「愛弟子が試験に落ちたのは勿論残念だけど、でもまた次の試験まで一緒に過ごせると思うと嬉しくもあるんだよねぇ」
「ロリコンかよ」
「ロリ? よく分からないけど。それに、何もそう急ぐこともないじゃないか。君の肉体年齢はまだまだ若いんだ。全然焦るような歳じゃない」
「……」
実年齢が定かじゃないからこその励まし方だが、別に将来の身の安定について心配しているわけじゃないんだよな。
騎士を志している理由はリューゲルには話していない。聞かれもしない。
魔術師の弟子になった者の多くは魔術師になるが、そうじゃないとしても魔術はこの世界における最もオールマイティな技能であり、魔術師の資格を持つというのは就職において大きなアドバンテージとなる。
特に騎士や魔獣退治業者、探検家や聖職者といった幼少期から必要な過程を踏んででしかなれない職業にもなれるチャンスがあるため、リューゲルにとっては騎士を選んだ俺の意思も興味を示すほど珍しくは無いのだろう。
「励ましてくれるのは嬉しいけど焦るよ。これでまた差が開いちまったんだもん」
「差? 誰かと競走でもしてるのかい?」
「俺が一方的に比較してるってだけだけど。……でもこのままじゃ駄目だ」
現状の俺はリーシャに程遠い。
俺が騎士を志すのは、偏にリーシャ・アクベンスと同じ道を往き越えたいという意志から来るものだった。
この世界に来て、変なゲームに巻き込まれて居場所を失った俺に残ったのは復讐や恐怖でなく、力への渇望だった。
力さえあればもう怖い思いをせずに済む。悲しい思いをせずに済む。
リーシャは強さという一点において、今だに俺の目指す到達点に近い。
あの夜、リーシャは悪魔に殺された。でも悪魔の方が強かったわけじゃない。あの強さは真っ当な人間が目指すソレじゃない。
俺は人として、リーシャのような強い人間になりたいのだ。
「なるほど、リーシャさんのように強くなりたいと」
サンドイッチを食べ終え、くつろいでいたリューゲルが「懐かしいなぁ」と言いながら引き出しを開けた。
ガサガサと何かを探し、また別の引き出しをあけ、そんなことを繰り返す。
「昔、リーシャさんも同じような事を言っていたよ」
「同じようなこと?」
「そ、ヴィアさんと同じようにね。私は絶対エルダインさんのように強くなるんだって。まあ彼女は試験は一発合格したんだけどね。……あっ、あった!」
リューゲルが引き出しの中から何かを見つけ見せてきた。それは一枚の写真だった。
写真にはズラっと騎士団の団服を着た男女が並んでいた。
写真の真ん中にはどこかの王家の紋章のような模様が刻まれた鞘に差さった剣を地面に突き立てている壮年の男性がいる。
「これは?」
「これはジストールさんが聖剣に選ばれ、剣聖の資格を得た日に撮った写真だよ」
「ジストールさん……」
よく聞く名前だ。しかし実物を見た事がなくどれがその人なのか分からない。
「ちなみにジストールさんの横にいるのが当時のリーシャさん。騎士になったばかりの頃だからまだ見た目幼くて、団服に着られてる感があって可愛いよね」
「やっぱりロリコンなんだ」
「なんでそんなに冷たい一言を差し込んでくるんだろう。ヴィアさん、少し空気読むの苦手だよね……」
「うるさいやい。ん、なあ、この子はなんなんだ?」
俺は写真のある部分に指を指す。写真に写っている人は一人を除いて全員が団服を着ているのだが、一人だけ団服を着ていない人物がいた。
ジストールとリーシャさんの間、リーシャさんもこの中でなら若い方なのだろうが、それよりももっと若い子供がいた。5歳くらいの。誰かの子供?
「あぁ、その子はフリードくん。リーシャさんの義理の弟さんだよ」
「フリード……?」
「おや? ヴィアさんどうしたの? もしかしてどこかで会ってたり?」
「いや。……でも、リーシャさんの、義弟……」
知らないとも言いきれなかった。なんかどこかで聞き覚えがあるような。リーシャさんの義弟のフリードくん。うーん、どこだったっけな。
「このフリードって人、今何してんの?」
「リーシャさんの家を出て少しした後に騎士団に入ったって聞いたよ。流石に所属してる団がどれなのかまでは分からないけどね」
「へぇ、騎士に」
よく覚えてないけど、リーシャさんと一緒に過ごしたのならきっと立派な人間に育ってるんだろうな。てか、そういう人間なんだから騎士になったんだろうし。
「で、ジストールさんの肩に腕を回してるのがエルダインさん。騎士を目指すなら名前と顔は覚えておいた方がいいよ。魔術師としての騎士団所属を目指すなら、上役の中では1番顔を見かける頻度が多いだろうからね」
「そうなのか。騎士団長さんな……」
すごい人なんだな。肩書きだけで言えばジストールさんも凄そうだけど、団長という明確な地位の高さがわかる役職を持ってるのは凄さが体感できる。
「なあ。このジストールって人、今も騎士やってるんだよね。普段どこにいるんだ? 俺、名前はよく聞くのに会ったことがないんだよな」
「うん? ……あぁ、なるほど」
リューゲルが声のトーンを落とし頷いた。
「なんだよ?」
「ヴィアさん、前はアル・クリンドくんと暮らしてたんだよね」
「うん、それが?」
「いや、確認してみたかっただけ。深い意味は無いよ」
「深くなくても意味はあるだろ。なんだ確認してみたかっただけって、その心は?」
「……こういう時だけやたら聡いよね君」
はぁ、と1つため息を吐きリューゲルは椅子に腰掛けた。
写真を自分に見やすいように手に持ち、目を薄めながら厳かに口を開く。
「ヴィアさん、ジストールさんに何か思い入れとかはあったりする?」
「? 面識自体ないから特に」
「そっか。……今からする話は、今後アルくんには決して言わないでほしい」
リューゲルは口封じの前置きをすると、俺の目を見て返事を待った。
「わかった、言わない。秘密な」
「そ、秘密。まあぼくに口封じをしてきた当の本人であるリーシャさんは亡くなっているしそれを守る意味ももうあるか分からないけど、一応ね」
「はあ。それで? なんなんだよ、アルにしちゃいけない話って」
「うん。実は、ジストールさんは既に亡くなっているんだ」
…………えっ。
亡くなっている? いつから? そんな話なんて聞いたことないぞ、アルはあんなに帰りを待っていたのに、帰らなかった理由は死んでいるからだったってことなのか?
「亡くなったのはリーシャさん曰く君が屋敷に来る少し前。とある任務の帰り途中に正体不明の敵に襲われて、エルダインさんを逃がすための囮となって命を落としたらしい」
「え? でも、アルは今ジストールさんの家で生活してるって、五年前に」
「そう信じ込ませる必要があった。アルくんはリーシャさんが亡くなったことを気に病んでいたし、君の耳に入ればポロッと彼にも流れて更に追い打ちをかけてたかもしれないからね。だから両者を騙す為に大人は口裏を合わせたんだ」
「じゃあ、アルが居るのって」
「ジストールさんの友人であり師でもあるエルダインさんが管理する騎士舎の一室だよ。初めのうちはエルダインさんの保有してる別荘をジストールさんの家って設定してたけど、アルくんは騎士の心得を会得するために騎士舎に転居したんだって」
「そう、なのか」
そりゃあ家を空けているわけだ。既に死んでるだなんて。
アルはそれを知らず、ただ彼が仕事が忙しいからと信じ込まされてずっと生きてきたのか。
ジストールの話をするアルの様子は今だって覚えている。憧れを語る時の彼は心から嬉しそうに、まるで自分の自慢をするかのように胸を張って語っていたのだ。
今だって、アルはジストールが生きていると信じて疑っていないのだろう。だからあんな思いをしても、心が折れずに頑張ってこれたのだろう。
「……でも、そんな嘘をつくのってなんか嫌だな。バレたら恨まれそう」
「何でもかんでも包み隠さず教えるのが良い訳でもない。それに、君はその話をアルくんに振らなければまず嘘を付いていたってことにはならないし、そんなに気にしなくてもいいよ」
「……」
「隠し事をするのは心苦しいかい?」
「……いや、別に心苦しいとかじゃなく。ていうかむしろ」
と、そこで言いかけていた言葉を止める。
この肉体になってから度々、ドス黒い何かが胸の中を蝕んでいくような感覚を覚えるようになった。
それは初恋をした時の息苦しさや、何かを心待ちにしている時のワクワクに似ていて。でも、それを認めようとすると毎回俺の"何か"がそれを否定する。
緩みかけた頬を叩いて立ち上がり風呂に行く。
今日は色々と疲れたが嬉しい事もあった。気を抜いているとそれが表情に出てしまうので、俺はそそくさとリューゲルの目の前から撤退した。
「ふぅむ」
同居人がシャワーを浴びる音をBGMに、リューゲルは1人腕を組み思考していた。
彼の前にあるのは一通の手紙。
この世界では一般的な郵便配達の他に、空間転移という技術により個人個人の指定した場所に重要な郵便物を転送するシステムがある。
空間転移により受け取った封筒、宛名には『王宮魔術師リューゲル・ストレンド様』と書かれている。
王宮魔術師や王宮騎士といった、王族に程近い地位に仕えている者に対してその肩書きを加えた宛名が書かれた書類は、十中八九王族やその直属の人間が出す仕事の依頼等に限られる。
面倒事だと分かって開く気は一向に起きないが、しかし開かなければ立場上危うい。
「しかもリーズリットさんが差出人なんだもんな……接点ないのに僕に何の用なんだろうか」
リーズリット・アン・リトルヴォーチェ。聖剣を持つ最高位の騎士、4人の剣聖の内の1人である。
竜騎士という、飛行能力を持つ竜種に跨りミクドレアの空を見張る騎士団の隊長を務める人物。だがリューゲルとは直接の接点がなく、それが余計に彼の警戒を煽ることとなった。
意を決して封筒を開け中を見る。装飾の凝った便箋が出てくる。
便箋の数は2枚。1枚目を手に取り目を通す。
「……ヴィアさんの件か。ふむ」
「何見てんの?」
「ヴィアさん。なんか僕宛てに手紙が来てね」
手紙を読み進めていたらシャワーを浴び終え体を拭いた裸のヴィアが現れた。
王都にはドライヤーという製品はなく、髪を乾かすにはタオルドライか熱を生じる魔術やそれを利用した製品がドライヤーの代わりとなっている。
リューゲルの家にはドライヤーの役割を担う物品がない。ヴィアは元々現代人で、ドライヤーに慣れていたのと面倒くさがりな性格が合わさり髪を乾かすのはリューゲルの魔術を利用するという方法を取っている。
ジストールの屋敷にいた頃はまだ自分の事は全て自分でやっていたが、リューゲルも彼女の髪を乾かすのを面倒とは思わずむしろ積極的に行う為機にも留めなくなっていた。
「あ、アイスなくなってる」
「本当? 後で買い直さないとね」
「俺が行くよ。家出ないだろ?」
「うーん、場合によっちゃ外に顔を出さなくちゃだけど」
「いつ?」
「早ければ明日にでもね」
「ふーん」
尻尾で冷蔵庫の扉を開け、中を漁って飲み水だけ取り出したヴィアがリューゲルの前に座る。
彼女の首にかかったタオルを取ると髪の水気を拭き取りヴィアの髪に触れる。
頭を揉むようにして乾かされ微睡みかけるが、ヴィアは完全に意識が落ちる前にリューゲルに話しかけた。
「出掛けるのっていつの話なの?」
「ん? なに、事前に家空ける日を知っとく事で僕の所持品を勝手に持ち出そうって魂胆かな?」
「やらんわ。いきなり妄想癖炸裂させるじゃん」
「僕はこう見えて結構コレクターだからねぇ。弟子になった子に高価な魔書を盗んだ輩が過去にいたのさ」
「5年も一緒に住んでて今更そんなことしないよ……」
「その子も結構長い付き合いだったんだけどねぇ。ま、何ともなさそうだったからいいけど」
「へぇ」
ヴィアがウトウトと船を漕いでるのに気付き、手紙に書かれている内容に再度目を通す。
「話が逸れたね。詳しい日程は決まってないんだけど、出るなら今月中だと思うよ」
「んぅ? なんだそりゃ」
「それが、宛先は僕なんだけど、僕じゃなくてヴィアさんに用があるみたいなんだよね。差出人さんは」
「俺?」
髪を乾かし終わり、手を離され頭が自由になったのでヴィアが背後を振り返る。リューゲルは彼女の尻尾の先を指でつまんでクニクニと弄びながら応えた。
「そう。君、どうやら入団試験で騎士のお偉いさんのお眼鏡に適ったらしくて。是非とも君を騎士団に招きたく、その相談をしませんかって内容でね」
「そうなんだ、アルのサンドバッグになってただけだけど」
「サンドバッグになれるほど戦えたのなら注目もされるよ。アル・クリンドくんの事を知らない騎士はいないし、彼の強さは既に先の剣聖候補として上がってるほど。瞬殺されなかっただけで明らかに同期の中では抜きん出てるだろうさ」
「アル、すごいわっしょいされてるな。まるでラノベの主人公みたいだわ」
「らのべ? 叙事詩か何かかな? まあ、そういう目で見られても妥当なほどの能力を持ってるからね。それで、どうする?」
「え?」
「この手紙の内容。受ける? 直接家に訪問しに来てないってことは強制ではないだろうし、君の判断で行くかどうか決めていいよ」
あっけらかんとそう話されるが、そこでヴィアは考える。
「それ、行って受ければ騎士団に即入れるって事なのか?」
「だろうね。試験に落ちた優秀な人材をスカウトするって前例はちょくちょくあったみたいだし」
「騎士見習いとか言って雑用させられたりしない?」
「そこら辺は僕には分からないけど、君は従騎士の過程を踏んでいないわけだし、雑用をやらされる可能性は高いだろうね。試験自体には落ちているわけだし、そこで新兵と差をつけなきゃ合格者からの不平不満も出るだろうしね」
「じゃあやっぱりやだ。受けないし行かない」
「あれ、意外な返事」
条件だけで言えばかなりの高待遇だ。手紙には、新兵扱いにはならずとも、騎士団所属扱いにはなるので2年後の入団試験を受けずとも2年以内に新兵の内定を取る事は確立されていると書かれている。
しかし、ヴィアは再度その説明を受け、手紙に目を通した上で再び嫌だと言った。
彼女の意思は固い、そう理解したリューゲルも「分かったよ」とだけ言うと、便箋を取り出してきて申し出を拒否する旨の返事を書く。
ヴィアは既に寝掛けている。もしかしたら寝ぼけていて事を正確に理解出来ていないという可能性もリューゲルは推測し、念の為彼女の真意を問うことにした。
「なんで受けないんだい? この提案、入団志望者にとってはまたとない機会だと思うけど」
「雑用係にされたら自分の時間が減るだろ。そしたら魔術の練習も鍛錬も出来なくなっちまう」
当たり前のようにサラリとそう答えるヴィアに、なるほど、と合点がいく。
ヴィアは確かに、戦場に出向いた事がある人間が目を見張るほどの戦闘技術や能力を持つかもしれない。
しかし彼女の肉体は、その得意な性質のせいで鍛えて付けた筋肉は意味を成さない。魔力の循環速度の向上こそが身体能力や戦闘力に直結しており、それらを鍛えるに相応しい場所は間違いなく魔術師の元である。
ヴィアも魔術師の資格を持つが位は初級。五大元素の属性を持つ魔力のいずれかを性質変化させ、初級の魔力を使えるという程度の、言ってしまえば素人に毛が生えた程度の魔術師なのだ。
肉体の変容や修復はスイッチとなる行動を取れば魔力が勝手にやってくれる。その速度や程度を調整出来ない時点でまだヴィアの能力は不完全であり、そこら辺を考慮して彼女は申し出を断った。
実戦に出られるわけでもなければ戦闘技術を仕込まれるわけでもなく。ただただ騎士達に従事し補給の運搬と身の回りの世話をしているような時間は彼女にとって無駄としか思えなかったようだ。
「この2年で中級程度の魔術を扱えるようになったら一気に重宝されるようになる。頑張ろうね、ヴィアさん」
「……」
「ヴィアさん?」
返事の手紙を綴り終え、転移術式の用意を始める為に立ち上がろうとヴィアに話し掛けるが、彼女からの返事は無い。
椅子に座るリューゲルの膝の上に腰を下ろし、リューゲルの胴体にもたれかかっているため身動きが取れない。
「……ふむ、困ったな」
ヴィアはすっかり眠りに落ちていた。リューゲルに触れている小さな体が等間隔で動いており、眠っているとき特有の僅かな鼻息が聞こえてくる。
転移術式は発動時に発光する。今部屋には暖炉の火以外に光源はなく、使用したら確実に起きてしまうだろう。
リューゲルはヴィアを持ち上げソファに寝かせる。腰がゴギリと言って鈍い痛みが走るが声は出さず、慎重に毛布を持ってくると彼女に掛けた。