継ぎし軌
第64回ミクドレア騎士団入団試験。
2年置きに王都で行われる王国最大の騎士団、ミクドレア騎士団の下級騎士になる為の催しである。
ミクドレア騎士団には、王国の外部の地域、他国や人の住まない地などに足を運び王国にとっての危険因子を討伐する前線騎士や、王国の治安維持に務める警備騎士、外部からの敵が侵入した際に率先して戦闘を行う守衛騎士など様々な部門に別れている。
そのいずれかに属するにはまずミクドレア騎士団所属という肩書きが必要となり、開催される度に様々な国から試験資格を持った希望者が王都に集いその数は平均して1000人ほど。
毎年下級騎士として迎え入れられる人数は300と決まっている。
実施される試験は第一試験と第二試験のみであり、現ミクドレア騎士団の各団の副団長と団員が精査し合否をその場で決める。
第一試験、『演武』では、騎士として最も基本的な技能である「武器の扱い、及び戦闘技術」を測られ、ここで大凡の入団希望者は落とされる事となる。
武器の持ち込みは自由で所持していなければ剣、槍、弓、手斧、盾等を貸し出される。
より早く、より正確に、それらが評価基準になるのはもちろんのこと。武器使用において並行思考が可能な思考領域を持つか、武器の破損や変形に際し柔軟に対応できるか、攻撃と回避の優先順位の理解を出来るか、などが評価基準に加わる。
実戦前提とした目で審査されるため、武芸者と言えここを通過できるとは限らないのだ。
演武を無事通過した先で待つ第二試験。それは『模擬戦』である。
演武により試験者を200人から300人程まで減らされ、残った試験者同士に模擬戦闘をさせ最終合格者を決定する。
アル・クリンドは第一試験を難なくクリアし、控え室にて自分の武器の手入れを行っていた。
4年の歳月をかけて負の感情を原動力に鍛え上げられていた彼の腕は、試験管を務めた団員も目を見張るものがあった。
彼が控えているのは試験者の中でもより優れた実力者を集めた区画にあるが、その中でも特に彼は注目を集めていた。
アルの対戦相手は生半可な者には務まらない。
実力を図る試験である以上双方がある程度の手を尽くさなければ勝てない相手を置くのが最適だが、アルの実力は同試験者達の中で頭がひとつ抜けていた。
誰を対戦相手にしたところで真っ当に戦えば恐らく無敗である。ならば、搦手をぶつけるのが定石か。
そういった思惑の末、アルの対戦相手が確定した。
「号令はない、相手が模擬戦場の線の内側から入った時点で試験開始だ。どちらかが『降参』宣言をするか戦闘続行が不可能とこちらが判断した場合試験が終了となり、合否がその場で申告される」
「分かりました」
試験官の指示を聞き、体を温めること10分。準備運動も終え、万全のコンディションに仕上がったところで、対戦相手が向かい側の入場口から現れた。
「……なっ!?」
現れたのは少女であった。
淡い水色の髪と、それとは正反対にくすんだ黄色い瞳を持つ青白い肌の少女。少女はアルに気付くと破顔し、直前に嬉しそうに大口を開ける。
中のギザギザの、ノコギリのような歯が見え再び懐かしさと違和感がアルを襲う。
「アル! アルじゃん久しぶり!! 私だよ覚えてる? ヴィア!!」
そう、ヴィアである。彼が11歳の時に短い期間だが共に過した亜人の少女。
「や、やあ、ヴィア。久しぶり。……全く変わらないね、昔と」
「へへ、だろー?」
ヴィアは、アルが15歳になったということを加味すると少なくとも17歳以上で無いとおかしい。もし当時のヴィアが発育が良すぎただけだったとしても確実にアルより歳上である。
にも関わらずヴィアの姿は四年前と全く変わらない14歳ほどの姿であり、目に付く変化と言えば少し髪の色が昔に比べ深くなり、目の色が彼のよく知る色に戻ったという程度。
そこでアルはもうひとつ気付く。ヴィアの服装は異様なのだ。
装飾が施されたフード付きのポンチョ。その下には肘や膝程までが隠れるサイズの肌に密着するものを着ている。
それらの服装は魔術師には珍しくないものだ。ポンチョは魔術使用の際の魔力の過剰な移動や漏れ出しの回避を目的とした魔力抑制の術式が込められているのが主だし、下の肌着は魔力をより効率よく全身に送る為の物である。
しかし、通常であれば魔力を送る効率化を図り身につける物は手足の先まで布が続いているはずだ。彼女はそれが関節の位置で止まっている。
そもそも初級魔術師になることで騎士団に入団するということ自体は珍しくないが、魔術師とて身体能力は求められる。
通常であればアルや他の試験者同様の戦闘服に身を包むべきだ。
ヴィアは動きやすさはあれど、近距離戦闘には不向きな服装をしている。魔力は手先に行き渡らないため魔力の伝達速度は1度関節の位置で減速するし、ポンチョで流れを制御した所で持ち味を完全に殺しているのだ。
「ヴィア、確認してもいいかい?」
「んー? いいよ」
「君は魔術師、でいいんだよね?」
「うん。去年に初級魔術師の資格手に入れた免許持ちの魔術師だよ」
「その……衣装は、自分で?」
「自分で? ってなに。服は自分で選ぶだろそりゃ」
「……」
憮然とした態度に、アルは明確な苛立ちを覚えた。
最善を尽くさず、ただ気まぐれにこれがオシャレだからといった程度の意識で服装を選びヴィアは2年に1回の入団試験に参加したのだ。
姿があの時と変わらないままだとか、久しぶりに会ったし話をとか、そんなの今のアルにはどうでもよかった。
許せなかった。自分と同じ気持ちで生きていたはずの彼女が、そんな軽い気持ちで騎士になろうなどと驕っていたのは。
……と、アルは勝手に1人でヴィアの意思を曲解しているが、ヴィアはアルと同じく優秀成績を収めている。
魔術師が騎士の試験を受け優秀成績を収めるのはごく稀であり、それ相応の『武』を魅せるほどの実力もあるのだ。
その早とちりを御する程の余裕を、アルは持ち合わせていなかった。
何よりも真っ直ぐに憎しみと向き合った彼には、観察力はあっても洞察力が無かったのだ。
「そうか、なるほどね」
かくして、戦が始まる。
先に動き出したのはアルだ。自身の持ち武器である槍を片手で構え、ヴィアに刃先を向ける。直後にアルの姿は消え、一気に距離を詰めた突きがヴィアの喉元へと向かう。
(手加減はする、でも容赦はしない)
確固たる意思で復讐を誓い獲得した、槍の一突きを極めることで再現に成功したリーシャの神速だ。
初動から最高速、爆発と違わない踏み込みにより風の加護を纏う必殺の一撃。
ただ戦意を喪失させればいい。実際突かなくとも、力の違いを見せつければいいのだ。
つまり初めからアルにその槍を当てるつもりはなかった。体に当てるための攻撃の目測が手前にズレている、という事である。
その僅かなズレが神速に乱れを生み、刹那の踏み込みを破綻させた。
「舐めてる?」
「っ!?」
拳がアルの顔面に突き刺さる。
ヴィアもアルの動き出しから同時に動き出していた。そして彼が目測を見誤り姿を現した途端、ヴィアはその槍をグルンと上半身を捻じることで躱して内側に潜り込み、思い切り顔面を殴ったのだ。
凄まじい速度はそれ相応の質量と衝撃を兼ねる。アルは殴られた衝撃により顔面から数メートル背後に吹き飛び、殴った本人であるヴィア自身も手首が折れ曲がり骨にヒビが入った。
ヴィアは手首をはめ直し、ヒビの入った部分を握り、手をグーパーグーパーして調子を確かめる。
特に異常はないようだ。今の一撃で負った負傷は一瞬にして治っていた。
「アル」
ヴィアがアルの名を呼ぶ。顔を見上げると、淡く光る騎士団支給の剣を握ったヴィアがそれを振って手に馴染ませていた。
「久しぶりだからって手心とか加えなくていいよ。私、結構本気で騎士団入るつもりだからこっちも手加減しないし。殺すつもりで来てみ」
「……分かった、後悔しないでよ」
正々堂々とした挑戦状。臨戦態勢。アルの腕に力が篭もる。
立ち上がると再び突きの姿勢をとる。今度は寸止めではない、確実に肩を穿ち戦闘力を大幅に削るつもりだ。
そこで首や心臓、頭を狙わないのは昔馴染み故か。しかし、心の内にまだ好ましい感情がある相手を殺しに行かないのは甘さに見えて有効的だ。
命を刈り取ろうすると人というのは雑念や手の力の抜けが入るが、殺さぬ前提での制圧ならば余計なことを考えず遂行できる。命さえ取らなければ、人はいくらでも誰に対しても非情になれる。
「行くぞ、ヴィア!」
2度目の突き。地面が剥がれ、大穴が空き、遅れて音が周囲に爆発し凄まじい風の刃を纏ったアルが肉薄する。
狙うは肩、少し動けば肩狙いの攻撃など躱すのは容易い。だが、亜音速にも迫る速度の物となるとそれはまた別だ。
既に迫っているソレを躱すのに必要な速度は超音速以上となり、肉体にかかる負荷は僅かな運動量であったとしてもダイナマイト数個分にも値する。
前提として生身の人間には躱せず、躱せた所で肉体は自壊。そんな攻撃を放ったアルに対し、ヴィアの取った行動は躱さないであった。
ズドッ。
ヴィアの肩を槍が突き刺す。
リーシャの突きは今以上の速度を剣で行っていたため着弾した時点で周囲にソニックブームを起こすほどの衝撃を与えたが、貫通力に優れた槍は周囲に衝撃波を放たず、そのままヴィアの肩を貫通し背後の壁に大穴を空けた。
「捕まえた」
ヴィアはそう言って自分の肩を突き刺す槍を持つアルの腕目掛けて剣を振るう。
「っ!」
すんでのところで躱し、アルは再びヴィアに刺さった槍を掴み引き抜く。しかしヴィアは引き抜こうとするアルの動きに合わせて前進し、そのまま腹を突きに行く。
身を捻って回避したアルは槍を諦め距離をとる。
「痛くないのかい? 肩から槍が生えてるけど」
「生やした本人がそれを言うかよ。挑発だとしたらいまいちピンとこないわ」
「ははっ、男口調は昔のままなんだね。一人称が変わってたから女性らしくなったのかなと思ったけど」
「公の場だと俺って言うと違和感を持たれて指摘される事が多いからな。私って言うように意識してたら慣れたよ」
「そっか、いいね。似合ってるよ」
「!? な、何言って……」
予想外に動揺し隙を作ったヴィアに再び距離を詰め、隠し持っていた剣を抜きながら腕を狙い切りつける。
下からの斬撃は上から剣で払われるが、回転力を殺さずに切りつけるとヴィアは完全に振り下ろした状態なので防御が間に合わない。下がって躱すも全ての斬撃を軌道の延長として乗せる剣戟によりアルは一切の隙も生まず、ヴィアは一方的な防戦を強いられる。
ヴィアは咄嗟に肩から槍を引き抜きアルの足を払う。軌道のズレた剣先はヴィアの髪を浅く斬り、剣戟はそこで止まる。
続くヴィアからの攻撃。体勢を崩したアルに剣を振るうがお留守番状態になっていた槍を掴まれる。力勝負になったヴィアはそこで槍の破壊に思考を移し、自身の指を5つの刃へと変えることで握っていた槍の刃近くの柄を切り刻んだ。
そして攻撃を継続するが、転がって回避され再び二人の間に距離が空く。
「随分頭が回るね、ヴィア」
「そっちこそ。巧いね、アル。武器の扱い方」
「それこそこちらのセリフだよ。言葉が悪くなってしまうけれど、魔術師がここまでぼくの動きに着いてこれるとは思わなかった」
「それは、まあ、わけがあると言うか」
単純な話、ヴィアには死への恐れどころか負傷の恐れすら薄いのである。
通常の兵士であれば踏み込んだ際のカウンターや思わぬ一撃を警戒するために自分の動きと相手の動き両方に意識がいき、結果集中力が半々となってしまう。
しかしヴィアは自分の負傷をあまり考える必要がなく、かつ師匠であるリューゲルによるしごき(魔獣の群れに投げ出されたり犯罪者狩りに付き合わされたり)といった経験により相手がどこを狙って攻撃したがるかの予測を立てる能力がかなり育てられている。
命を懸けた本当の意味での実戦という意味ではヴィアはアルを大きく上回っており、その差は実力差を埋めるに相応しい物だった。
恐怖故の過剰な警戒がなく、予測と適切な注意力が備わっている彼女はアルの動きがある程度手に取るようにわかる。
圧倒的な巧さや術技を加味した上で、彼女の総合的な戦闘継続力はアルに拮抗していた。
勝負を決めるのでなく勝負について行く、そんな能力に長けたヴィアはアルの試験相手としてこれ以上無いまでの適役である。
「アルの事は師匠から聞いたよ。剣と槍の両方使う風変わりな人だって。それで実力は副団長とも引けを取らないから、借りに試験で当たったら武器を潰すのを優先した方がいいってね」
「その師匠って人の教えが、ぼくの動きに着いてこれてる理由?」
「さあ、そこを教えたらそれを込みで考えた攻撃を取ってくるでしょ。だから教えてあげな〜い」
切迫した空気感だと言うのにヴィアは笑い混じりにそう言った。アルとの再会はそれほどまでに彼女に嬉しさを抱かせたようだ。
釣られてアルも一瞬頬が緩みかけるが、しかしそこをぐっと耐え剣を両手で持ち構える。
彼の戦闘スタイルは槍主体と剣主体により異なり、槍が動の型だとするならば剣は静の型。より精密で無駄の省かれた物となる。
ギィィンッ。
と、金属音が鳴り、弛緩していた空気が再び引き締められる。
アルの一振。踏み込みからの斜めに軌道を描く見事な一撃はヴィアの切り上げによって上へと逸れるが、彼の切り替えしは風の抵抗を受けず空を滑るムササビのように素早く切り込まれる。ヴィアはやはり攻めに入れず最低限の動きで剣を扱い防御する他ない。
ヴィアに対し、というか普通の人間に対しアルの剣は一手多く打ち込まれる。
力の方向、風による抵抗や剣の材質による癖を彼は読み取り、最も滑りやすい様に剣を振るうことで鞭のようにしなやかに動く。
槍を使用していた時のように圧倒的攻撃力を持つ訳では無いものの、隙のなさと手数の多さはどんな相手であれ驚異を与える。
「くっ、くそっ! まじで雨みたいな攻撃しやがって」
「喋ってると舌噛むよ」
苦し紛れに剣戟を防ぎながら愚痴をこぼすヴィアに対してアルはどこまでも余裕だった。
リューゲルの読みでは彼は副団長クラスと言っていたが、それは得物を2つ持ち実力が制限されている時の話である。
剣だけを持ち舞う彼の姿は団長クラス、その候補になってもおかしくはないくらいに完成されている。
「剣、貰ったよ」
「あっ!」
剣戟に次ぐ剣戟で剣で受ける手が痺れていたヴィアの足が踏まれ、離れる事が出来なくなったことで頭を守るしか無くなった彼女の剣が思い切り切られた。
鈍い金属音を上げ剣はヴィアの手を離れ地面を滑っていく。武器のないヴィアに対し剣を持ち体力に余裕のあるアル、一見すれば勝負ありの場面。
アルだってもちろんそのつもりである。だが油断はしない。それが功を奏し、ヴィアからの奇襲は回避される。
「剣」
そう呟いた瞬間に振るわれた腕を、アルは反射で剣で斬る。普通ならそこでヴィアの腕が血切れとんでしまうが、そこで聞こえてきたのは聞き慣れた金属音であった。
ヴィアの腕の、肘から先の部分が刃へと変容していた。
ギリギリギリ、と刃同士を合わせている状態になった両者は互いの顔を見る。
「へぇ、変身魔術かな。やけに変わった物に変身してるけど」
「どんな解釈をしてくれてもいいけど、気をつけなね」
「うん?」
「もう1発、痛いのいくから」
「ぐぅっ!?」
ヴィアの腕の剣への変容が解け、アルの剣が思い切り彼女の腕に沈み込む。
それでいい。
ヴィアは笑うとそのまま腕を硬質化させアルを捕まえた状態にし、逆側の腕を大槌の形に変容させ思い切りアルをぶっ叩く。
あまりにも突然の未知の現象にアルは理解が追いつかず、回避を取ろうにも腕がヴィアと同化しているのを忘れていたため気を取られ、攻撃を許してしまう。
「ごめん、やっぱ嘘! このままもう1発行くわ!!」
肩を打ち込まれたアルにもう一撃が襲い来る。
が、それが命中する前にアルは体を倒しヴィアの右腕に絡みつくと、全身を使って肩をへし折り捻りきった。
「がぁぁあっ!?」
「ふぅ、何とか剣は取り返した」
「取り返したって……くそぉ」
この試験は最悪命を落とす事だってある、そんな物だ。腕をねじ切られる事だって、往々としてあるのかもしれない。
「ヴィアの能力はまだよく分からないけど、流石に代償もなしに無くなった腕を再生出来たりはしないよね」
「……どうだろね」
「出来ないさ、この腕がなきゃ。そうだろ?」
アルは千切ったヴィアの腕を掲げてみせる。ヴィアの肉体は魔力であり、例えどこが分断されようが他の部位で補ったりまたくっつけることで再生は可能だ。
だが、腕丸々1本を失ったりした場合、再生に必要となる魔力として腕1本分肉体から供給しなければならない。
既に肩に空いた大穴を補っており、右腕1本を再生させるとなると見た目が変わってしまうほどの魔力を消耗することとなる。
この試験を受ける資格は『15歳以上の男女』である。ギリギリ15歳に見えなくもない容姿をしている彼女が魔力を再生に回した場合、今よりさらに幼い姿になってしまうのは必至である。
資格を満たしてないと判断されれば、仮に戦いに勝ったとしても試験自体は無効になる。安易にコストの高い肉体再生に魔力を回すことなできない。
とりあえず出血を抑えるために傷口のみを塞ぎ、ヴィアは隻腕のままアルに向き合う。
「続けるのかい? 片腕を失ったら、常人なら降伏すると思うけど」
「致命傷じゃないしもう痛くもないからな。戦いにくいだけで戦えるさ」
「……ごめん、ヴィア。君のこと少し誤解してた」
真っ直ぐ見据えた目で自分を射抜くヴィアに対し、アルはようやく彼女の本気を認め改めて構え直す。
それは、今までの様子見の形ではない。本気の斬り合いの形。アルの呼吸が僅かに聞こえる虫の音のように鋭くなり、その眼に、気配に、威圧感が増幅される。
「……っ、本当はもう少し話していたかったけど。本気になっちゃったか」
「うん。ぼくは勿論、きみももう遊びの時間は終わりって顔してるよ」
「出来れば最後までお遊び程度のやり合いで終わりたかったけどね」
そう言い終えるが早いか、ヴィアが大地を思い切り蹴る。
身体強化の、倍掛けの倍掛けの倍掛けの倍掛けだ。通常であれば地雷に等しい衝撃に足が弾け飛ぶが、ヴィアにとってそんなもの関係ない。無くなったならまた生やせばいい。
爆発的な速度で目の前に現れたヴィアの左腕が巨大な鉤爪へと変容しアルの頭を狙う。アルは思い切り上体を逸らしてそれを躱す。
躱されて行き場を失った鉤爪を地面に刺し、進行のベクトルを無理やり捻じ曲げたヴィアが足を巨大な斧へと変容させる。
今度こそアルは剣を使って防御するが、その最中に斧の刃の表面が高速で回転する刃に変容する。
ギャリリリリリ! とけたたましく鋼が削れる音が鳴り響く。凄まじい振動がアルにかかり押され気味になるが、彼は足元にあったヴィアの腕を蹴って顔に当て、僅かに出来た隙を付き背後へと下がる。
「ははっ、やるね、ヴィア!」
一方的にそう言い、返事をしようとするヴィアを無視してアルも跳躍し斬撃。ヴィアは顔に当たった腕をくっつけ、背中が地面に落ちる前に接近し直してきたアルの斬撃を硬質化させた足で受ける。
背骨を除く全部位がどれだけ破損しようが生命活動に支障のないヴィアだが、アルはそんな事情を知らない。その上で彼の剣は骨など易々と両断してしまうものなので、再生能力持ちと言えども彼の攻撃を受ける事は出来ない。
「ぐぁっ! いてぇなあ!!」
「くっ、うぁっ!?」
背中が地面に落ち、足でアルの刃を受けている以上身動きが取れない。
ヴィアが右腕を刃に変え振るうとアルは剣を使ってそれを弾くが、その瞬間に硬質化させた足を刃に変容させ思い切り蹴りあげる。
「厄介な、能力だな」
アルが右目を手で押えながら言う。
ヴィアの放った蹴りはアルの顔の右目の線を薄く切っただけに終わったが、しかしこれにより彼の右目は封じられた。
視覚での感覚になれた者が視界を半分失えば、その運動性能は著しく低下する。
しかしヴィアは度重なる負傷への再生手段と身体強化により魔力を大幅に失っており、両足を再生した場合両腕は再生出来ないという所まで消耗していた。
「勝負あり、と言いたいところなんだが」
と、二人の間に割って入ろうとした試験官だったが、しかし割って入る前に立ち止まってしまう。
アルは睨み、ヴィアは笑い、しかし互いに闘志は微塵も尽きておらず、近付くだけで空気が震えるような重圧がそこにはあった。
間違いなく両者とも試験官より強かった。彼だって立派な騎士団員だが、この2人はそんな程度ではない。
猛獣の間に何も持たずに割って入ってタダで済むわけが無い。そんな当たり前の恐怖を、試験官は感じ取ってしまったのだ。
「…………あー、降参、降参です」
誰も手が出せない一触即発の空気を破ったのは、両腕を失ったヴィアだった。
彼女がそう言うとアルも剣を下ろした。
「試験官さん。私、降参します」
「え? ……うん、その体なら、そうだろうね」
「はい?」
ヴィアは何言ってんだこいつ? とでも言いたそうな顔をすると魔力を惜しみなく使って自分の両腕、不完全な両足、及び全身に着いた細かい傷を修復していく。
反動により、10歳ほどの子どもの姿になってしまう。
「なっ!? 子供!? きみ、もしかして今まで大人の姿に変身して……」
「違います違います、てか降伏するからそーゆーのももういいでしょ」
「ま、まあ、それもそうなのか?」
「アル、ちょっと」
「ん? ……子供っ!?」
「そのくだり終わったから! 来て!」
遅れて子どもの姿になったヴィアに驚くアルを無視して手を振って来るように合図する。
アルが彼女の元へとやってくると、ヴィアは地面に腰を下ろし正座の状態になってから自身の膝をポンポンと叩いた。
「え?」
「膝枕したげる。おいで」
「はあ!? な、なに言ってるんだい? というかその姿は!? きみ、本当にヴィアなのかい!?」
「本当にヴィアだし姿はほら、質量保存の法則的なやつだよ。いいからほら!」
無理やりアルの手を引き、彼に膝の上に頭を乗せるよう強制する。
渋々ヴィアの膝に頭を乗せるが、子供の膝であるために範囲は小さく安定しているとは言えなかった。
ヴィアは手で隠しているアルの顔の傷を見ようとする。すると彼は「いいよいいよ、これは君との戦いで出来た、名誉ある傷だから」と言って彼女の手を払い除けた。
「名誉ある傷? いいのか、顔に出来た傷は残りやすいんだぞ」
「? うん、いいよ。ここまでやられたのはあの夜ぶりだし、いい教訓になる。ヴィア、強くなったんだね」
「アルは強い所じゃないわ……じゃ、こっち治すわ」
そう言ってヴィアは先程自分が打撃を与えたアルの腹を見るために服を捲る。
腹に大きな青アザが出来ている。ボコっと隆起した部分は、骨折で、彼はあばらを何本も折れた状態で動き回っていた事になる。
見た目での凄惨さはヴィアが勝っていたが、実際受けたダメージの深刻さはアルの方が上である。
「ヴィア? 何するんだい?」
「治療。こう見えても魔術師なんだよ、私」
「知ってるけど。治療魔術なんて覚えたんだね」
「似たようなもんだよ」
そう言ってヴィアがアルの腹に手を翳すと、その手が一瞬にして液状化する。
ヴィアの手だった液が腹に零れていく。流石にアルはその光景を見て動揺するが、ヴィアはお構い無しにその行為を続けた。
「あ、これ完全に折れて分断してるのか……」
「ヴィア?」
「我慢してな、アル」
「ぐぅっ!?」
突如、逆側の手が鋭利な刃物になりアルの腹を突き刺した。アルは暴れるが、ヴィアは大丈夫としか言わない。
ヴィアはアルの腹を縦に裂き、横に裂き、中にあるあばらを指掴んで引き抜く。
「何してるんだお前!!」
異変に気付いた試験官が止めに入る。が、ヴィアはあばらを摘出し終えた腕を銃のような形に変容させ試験官に向ける。
彼は騎士であり銃について最低限の知識はある、そして戦闘も見ていた。それがもし、アルとの戦闘中で見せたヴィアのチェーンソーのように機構まで再現されたものであったら。
「近付くな、これは治療だから邪魔されたら困るんです」
「ち、治療だと……安心しきった所を襲ってるようにしか見えないが」
「アルは私の大事な家族なんです。そんな事しないわ」
言っている最中にヴィアの手だった液がアルの腹に浸透すると、彼の腹の中で響いていた鈍痛が嘘のように消えていった。
摘出の為に裂いた傷も、邪魔だからと断ったあらゆる組織が結合し、元の通りに再生していく。まるでヴィアのように、アルの負った傷もあっという間に元通りだ。
「はい、終わり」
「えっ」
「もう痛くないでしょ?」
「……うん、痛くない、ね」
「よしゃっ!」
ヴィアは腕を人の形に戻し、アルに膝枕をしたままルンルンと鼻歌を歌った。
アルはなんでそこまで上機嫌なのか、と疑問符を浮かべていた。
「ねえ、アル」
「なに?」
「結果聞いたら、少しだけ時間もらえない?」
その時の気配の変わりよう、というか、違和感というか。
ヴィアの赤い目がアルを射抜く。アルの背筋を何かがゾッと走り、つい彼は本能的に、1歩後ずさりした。
数年のブランクがあった為今のヴィアをアルは知らない。だが、その瞬間のヴィアはあまりにも女性的で、乙女のようで、アルの脳裏に気味の悪い記憶がそこで想起される。
どんよりとした血の匂い。不愉快な嗤い声。全身の裏側を虫が這うような感覚。
好きだった人の首。自分に跨って無理やりキスをする少女。
淫靡な顔と甘い吐息。瞳の奥で揺らめく炎のような物が迫り、顔を食い破られるんじゃないかという恐怖。
気持ち悪い。
「ごめん、今日は、時間ない」
アルはそう言うと、すぐに立ち上がった。
「アル、それなら明日とかは……」
「ごめんヴィア、ぼく医務室行かないと。ここで会えたって事はいつかまた出会えると思うし、その時ゆっくり話そう」
とだけ言って、アルは逃げるようにその場から去っていった。