ケレスさんって?
この街に来てから3ヶ月ほどが経った。
りんごの収穫期も終わり、肌寒い風が吹き始めた。
この世界の1年は俺が元いた世界と同じく12ヶ月で、今はちょうど12月で今日はシリウスさんの見立てで大雪が降るとの事。
りんご農園は冬の間は次に芽吹く次期を見越して剪定作業というものを行うらしい。枝が無造作に伸びるのを防ぐのが主な目的で、枝切り鋏で形を整える為に行うと。
俺は午前中だけ業務に入り、背中に背負子(薪とか運ぶ時に使う木の枠で出来たランドセルみたいなやつ)を背負って落ちた枝を集めて回る。
木単体も大きいし土地も広大だから途方も無い作業だ。
大雪が降るって言われてるしおやっさん達の身を案じたところ「自然に負けてちゃ農家なんてやってられんぜ!」と威勢よく返された。フラグに聞こえてしまう。
「はぁ、疲れたぁ」
午前中業務が終わり背負子を起く。小屋の近くで焚き火をしている場所に腰を下ろし、霜焼けた手を火にかざして温める。
「ひぃ〜、さみぃさみぃ!!」
「あ、おやっさん」
「おうヴィア、お疲れぃ。いつにも増して真っ赤だな」
「おやっさんは逆に真っ白だね。どうしたの、玉手箱でも開けたの?」
「タマテバコ? 何の話か知らんが、ついさっき間違って池に落ちちまってな。髭は凍りつくし肌はブルーベリーみてえになっちまうしで堪らねえよ」
「うわあ気をつけなよ、いい歳なんだから……」
「まだまだ現役だわい。ったく、ほれ」
おやっさんはポケットをゴソゴソと漁ると、中から缶の飲み物を出し投げて寄こしてきた。
缶には写真やイラストなどはついてなく、文字だけで淡々とその内容物が記されていた。
「ありがと。キノコスープの缶詰?」
「おぉ、腹減ってるだろうと思ってな。てかお前、いつの間に文字読めるようになったんだ?」
「家の人に教えてもらったんだよ。まだ勉強中だけどとりあえずアル文字は全部覚えた」
「へぇ、ここに来てまだ1ヶ月だろ? 頭良いんだなあお前さん」
「んー、シリウスさんにも言われたけどそういう訳じゃないんだよな。元々別の文字は書けるから、法則みたいのは絡めれば簡単というか」
小屋からちょっとした鍋を持ってきたおやっさんからそれを受け取り、ボトルの水を注ぎ入れておやっさんの缶と一緒に温める。
後から合流した同業者さん達と一緒に揺らめく炎を見つめる。なんだか眠くなってくるな。
「やばいぞ。このままじゃ眠っちまいそうだ」
「眠いなら小屋で寝てきた方が良いですぞ。鍋はワシらが見ときます」
「そーでっせ。ラテルさんの缶詰は食わないんで安心してくだせぇ!」
「おめえらそう言って毎度毎度俺の分の缶詰をつまみ食いしやがるじゃねえか。くそっ、おいヴィア」
「ふわぁ……ぁい?」
「お前も眠いのか、外で寝ると風邪ひくぞ。じゃなくて、なんか書いてくれよ、お前の知ってる文字で」
おやっさんがそう言って細い木の棒を俺に渡してきたので、俺は焚き火の横に『はんぺん』と書いた。
「……………………なうちう?」
「ぱらしらじゃないか?」
「おめおつですかね」
「全部外れっす。何語だよ」
「違うのか! 似てるだろ、何となく!!」
「本当になんとなくじゃん。横の棒のあるなしでしか判断してないじゃん」
「まさか外れるとは……!」
「あんたに関しては明らかに同じ文字が2つ入ってるのにおめおつって答え出すのおかしさしかないからね」
「これ同じ文字なのか!? ヴィアちゃん字汚ないよ!」
「指がかじかんでんだもん。てかほか2人が読み取れてんだから読み取れよ……」
「これ、なんて書いてあるんだ?」
「はんぺん」
「なんだそれ?」
「分からない。なんかの練り物?」
「自分でもよくわかってないもんを出題するな」
「パッと浮かんだのがそれなんだもんよー」
などと雑談を交わしている内に鍋がいつの間にやら沸騰していた。
いい感じの時間になったので鍋を焚き火の上から地面に移動させ、Y字の太い枝を使って缶詰を上げる。
「あちちっ」
パカッ、と缶切りで缶を開けると中のキノコスープの匂いが鼻腔をくすぐった。
おやっさんもおやっさんで自分の缶詰を開けて美味そうに腹を鳴らせていた。
従業員達はそれを見るなり足早に小屋の中へと退避していった。なんだ、自分の分の食べ物はあって話に来ただけか。
「ほい、スプーン」
「ありがとー」
「食ったら空き缶と一緒にそこら辺に置いといてくれ。こっちで片しておく」
「ぅん? ……っ、わかった!」
「おいフーフーせずにいきなりパクりってまじかお前。熱くないのか?」
「めちゃくちゃ熱いけど俺なんか熱いの得意なんだよね〜」
「火傷するなよ」
ん〜、クリーミーなスープにキノコの食感が合わさってとてつもなく美味しい〜。食レポとか出来ないわ〜。冷えた体に暖かいスープ、黒胡椒? のスパイシー感もあって体がポカポカだわ。
缶詰を食べ終え、言われた通りに座っていた場所に置く。おやっさんは先に食べ終えておりタバコに火をつけていた。
懐かしいなあタバコ。もう1ヶ月以上禁煙してるのか、人が吸ってるのを見ると吸いたくなる。見た目がこんなんだから絶対吸えないが……。
「じゃあ今日は帰ります。お先に失礼しまーす」
「おう、ご苦労さん。体壊すなよ」
帰路につくと、少しずつ雪が降り始めた。
街は色とりどりの装飾が成され、冬にあるという祭りの準備でどこもかしこも人で賑わっていた。
前住んでいた世界でもクリスマス前にはこんな光景が街に広がっていたのを思い出す。
この世間が浮ついてる感じ。好きなんだよな、こういう人が集まって何かをしようとしてるの。
「背後が隙だらけだよん」
もぎり。
実際はもっと柔らかい感じだったが、突如背後から接近した何者かに胸を鷲掴みにされる。
ちなみに俺はぺったんこだ。同年代に比べたらあるかもしれないけど、世間からしたらぺったんこだ。
「リーシャさん、やめましょう? いきなり胸を触るの」
「ふふふ、日々こうして揉むことで育乳しなければならないからね。やめないよ」
「女に生まれてこれて本当によかったっすね、あんた」
まあ背後からいきなり胸を揉んでくる女の人なんてリーシャさんくらいしかいない。
彼女もどうやら午後は非番で、オマケに今日は屋敷でシリウスさんが人を呼ぶ用事があるらしく、居たら邪魔になるとの判断でウィンドウショッピングしながら暇を潰していたらしい。
「って事は俺もまだ帰れないのか。その用事って何時頃までなんですかね」
「本格的に雪が降り出したら自動人形も使えないし、19時頃には終わるんじゃないかな? それまでお茶でもしよっか。奢るよ」
「いいんですか!? やったあ!」
「あ、一旦渋ってみたりはしないんだね。速攻ノリノリなんだ」
リーシャさんの言葉に甘え2人で喫茶店に入る。
時刻は15時を少し過ぎた所。13時には業務を終えたから1時間以上おやっさん達と話し込んでいたらしい。
「ふぅ、すっかり冬だねえ」
コートを脱ぎながら対面に座ったリーシャさんが言う。外と店内の温度の差で体が火照ってるようで、ほんのり肌が朱色に染ってて色っぽく見える。
俺も防寒着を脱ぐと、リーシャが「きゃあ! ほんのり赤くなってるヴィアちゃんえっちだわ!」と言ってきた。口に出してる彼女の方がワンランク上のようでなんか悔しい。
「それにしても不思議よねぇヴィアちゃんって」
「? 何がですか」
「前に銀行強盗に襲われた事あったじゃない? その時にヴィアちゃん、結構危ない状態ってお医者さんに言われるくらいの怪我を負ってたんだけど、3日足らずで今の綺麗な体に治っちゃって。最近その時の事少し思い出したんでしょ?」
「ああ、なるほど」
2ヶ月ほど前だったろうか、リブレティアって街で口座を作ろうとして、間が悪く銀行強盗に襲われたって話。
どうやら俺は頭を強く打ったらしくそれからしばらくその日から数日前までの記憶がすっぽり抜けていたのだが、最近朧気ながらもそれらを断片的に思い出せるようになってきたのだ。
恐らくシリウスさんから聞いたのだろう。あの日の前にシリウスさんに文字を教えて貰って、ついでに色々話をしたのを最近思い出して、それでしばらく疎遠だったシリウスさんと久しぶりに喋るようになったから。
「記憶が戻ってきたのも喜ばしいし、ヴィアちゃんもこの環境に慣れてきて、心を開いてきてるし。お姉ちゃんは涙が出そうなくらい嬉しいよ」
もみもみもみ。ふむ。涙が出るなら拭うのは瞼であって、胸を揉みしだくという行為に繋がりはあるのだろうか。ただのセクハラだろうな。
「心は別に、最初から開いてますよ。家に置いてくれたの、めっちゃ助かってますし」
「うっそだぁ〜。ヴィアちゃん、最初に会った頃はいつも仏頂面か警戒心を隠しきれてない顔をしていたよ? それが最近になって朗らかになってきて。もうっ、可愛いんだから!」
「んにゅぅ〜〜、、ひょっへつみゃまないひぇくだひゃい(んぐー、ほっぺつままないでください)」
「ほっぺたぶにゅってされてるのに意に返さず意見してくるの可愛い〜〜〜っ飼いたい〜〜!!!」
(飼いたい?)
なんだろう、最初から割とそうだったと思うけどこの人、俺の事人間扱いしてなくない? ハムスターとか犬猫に対する扱いと同等なんだよな。
「てか、ファクティさんもここの生活に慣れた? とかって聞いてきたような。女性陣はみんな世話焼きなんですかね」
「え、ファクティに? えーなにそれ羨ましい! あの子私には一切話しかけてこないし話しても反応しないんだよねー!」
「セクハラの度が過ぎたとかじゃないですか? あ、すいませーん」
「あの子には何もしてませーん! 初め会った時ついこの五指が胸に埋まっちゃったくらいですー」
「やってんじゃねえか、100それでしょ。あ、サンドイッチとカフェモカください」
「私はエスプレッソをお願いします。はあ、もう1回あの大きくて柔らかい完成された巨乳に手を埋めたい……」
「こーわ。帰ったらファクティさんに言っときますね。リーシャさんが胸もごうとしてるから気をつけてって」
「それは虚偽! 嘘で突き放すのは良くないわよヴィアちゃん!! 隙あり!!」
真正面から目にも止まらぬ早さでリーシャさんの手が迫り、俺の両頬に手が置かれる。
隙、無いはずなんだけどな。思いっきり見てたし。何度目だろうか、身体能力差で強引に隙ありされるのは。
「あれ? リーシャにヴィア。こんな所で会うなんて奇遇だね」
「あら、アルじゃん。あなたも午後暇してるの?」
「うーん、そんな感じ。隣いい?」
「ああ、ちょっと待って」
荷物を窓側に置き席をつめて隣にアルが座れるスペースを確保する。
「この3人が家以外の場所で揃うのは珍しいよな」
「この3人というか、屋敷の人と外で過ごすのはあまりないかも」
「アルはしばらくヴィアちゃんと一緒だったじゃない。羨ましいわ」
「あはは。珍しいといえば、リーシャが休み取れてる事自体が相当レアだよね」
リーシャさんは1度騎士の証明に必要な物を失ったとシリウスさんが言っていた。
それを再発行してもらい、聖剣選抜とやらの資格を失っても尚騎士団の前線を張る部隊の指揮をしているらしく、多忙極まる身だ。早朝を除くと彼女の姿を見た事は1度もない。
「今年の寒波は例年以上って予報士さんが言っててね。結界維持を担当する魔術師さん達の負担を考えるとこの時期は一旦休みを取った方がいいって、上の指示でね」
「魔術師?」
「おや、ヴィアは魔術師に興味があるのかな? 魔術師になるなら、ヴィアの歳なら弟子入りが1番早いかな。今更学園に通うのは遅いだろうし」
「いや……」
別になりたいというわけではないが、この不思議な世界でやっと"それらしい"単語を聞いたのでつい反応してしまった。
魔術師。魔術。
魔力という概念があるのだからどこかで存在はしてるのだろうと思ってはいたが、それらしいものを見る機会は少なかったので実在を疑っていたのだ。
文字を覚えてから足を運んだ書店で『魔術学』『魔術資格』などというジャンルの本棚があるのを見た時は内なる興奮を抑えきれなかったが、内容を読み込むにはまだ不十分な程度しか文字を覚えていなかった。
「その、魔術師って人はそこら辺にいたりはしないのか?」
「? 魔術を扱える人自体は沢山いるけど、それを専門としてる人はあまりいないと思うよ。工房に篭ってるか戦場にいるかで、こんな平和で何も無い場所にいたらすることが無い」
「へぇー」
「興味あるなら私が直々に知人の魔術師に弟子を取るようお願いしてみようか? 騎士団所属の魔術師になればお給料もガッポガッポよ」
「ほぇー」
お給料ガッポガッポかあ……。いいなあ、それ。
でも魔術師ってなりたいと思ってなれるものなんだろうか? 俺、色んな不思議体験をしてきたけど未だに魔術とやらには半信半疑だしな。
使える気が微塵も起きない。
「ずーっと気になってたんだけど、アルとヴィアちゃんってお互いの事どう思ってるの?」
アルを混じえて3人で雑談し、注文した物が来たのでそれを食べる為に一時会話を中断した後、そのような話題がリーシャさんによって切り出された。
どう思ってるのか。
どう答えるのが正解なのだろう。リーシャさんが求めているのは明らかに『恋愛』系のトークだ。にんまりと笑う彼女の意図を汲むのは容易い。
リーシャさんの要望通りにそれっぽいハッキリしない答えを出して場を盛り上げてもいい。だが、アルは言動所作こそ大人びているものの中身は年相応の少年である。
俺は可愛い。
そんな俺が含みのある言い方をすると、勘違いしたりテンパったりするんじゃないだろうか。
シンプルに自分に自信ありすぎるって感じの独白だが、前に胸チラした際には面白いくらい顔を赤くされたのでこの憶測は的外れでもない気がする。
「普通に歳の近い妹って感じだと思ってるよ」
「世話焼きな弟って認識ですかね」
ほぼ同時に俺とアルは答えた。
そして互いに顔を見合わせる。アルは顔こそ笑顔だが謎の圧力を感じる。
「ん? ぼくが弟なの? 違うよね、君の身の回りの世話や仕事先を探したのはぼくなんだよ? 明らかにぼくは兄だと思うんだけど」
「いや見た目は思い切り俺のが年上だし」
「歳だけが上下関係を決めるわけじゃないよね? それにぼくはもしかしたらヴィアより年上かもしれないし、見た目だけで判断するのは良くないと思うよ。やったことを評価するべきだよ」
「アルってまだ11歳くらいだろ。俺14歳くらいだもん。一目瞭然だろ」
「だーかーらー! そういうのに捕われるんじゃなくてやったことを見て判断した方がいいでしょって! ぼくは君に色んなことを教えた。ぼくの方が兄だろ!」
なんかやけに突っかかるな。そんなに気にすることなのか、どっちが上の兄妹だかって。
なんか一人で白熱させるのも申し訳ないから合わせて口喧嘩してやろうと思い反論を考えていたらリーシャさんの手が伸びてきた。
「可愛い〜〜!! どっちも子供なのにどっちが上に見られたいかで言い合うの可愛いなあ〜〜〜」
「ちょっ、リーシャ!? 離して……! ヴィアの顔、近いからっ!」
アルが必死に抵抗しようとするが、もう無意味なことを知ってるので俺は特に何もしなかった。
リーシャさんによって首に手を回された俺とアルは抱き寄せられる形で机の上に身を乗り出した状態になっており、互いの頬がくっつきリーシャさんの胸元も合わさることでとてつもない熱を生じていた。
周りから見たらとんだ変人達だ。しかしこうなったリーシャさんは止められない。
「ちょっ、ヴィア!? なに悟ったような顔でぼーっとしてるの、引き剥がすの手伝ってよ!」
「無駄だよ。もう10回以上このホールド食らってるもん。引き剥せる可能性すら見えた事ない」
「だからといって、その、顔が当たってるよ!? 男の顔が、いいの!?」
「いいよいいよ、別にそんなのどうでも」
「良くないよ!!?」
「きゃあああ赤くなってるアル可愛い〜〜〜!!!」
甲高い声を上げたリーシャさんにまたいっそう強い力で抱きしめられ、いよいよ呼吸が苦しくなってきた。
そんな最中、リーシャさんのコートのポケットが淡く光っているのが見えた。
「あの、リーシャさん」
「んー? どうしたの、ヴィアたん」
「そのコートのやつ、なんか光ってますよ」
そう指摘すると、リーシャさんは俺らを解放しコートの中から羽根ペンを取りだした。
「ほんとだ、連絡があるみたい」
「連絡?」
リーシャさんは鞄を開けると、その中からメモ帳を取り出して机の上に置いた。
机上のメモ帳の上にさらに羽根ペンを置くとそれは自立し、リーシャさんがペンを離すと勝手にそれが動き出した。
誰も触れていないのに独りでに動き何かを綴るペン。やがて動きを止めると、リーシャさんはメモ帳に記された言葉に目を通し、そしてメモ帳を仕舞うとコートを着て出る支度を始めた。
「リーシャ?」
「近くで事件が起こったみたい。強盗殺人。しかも集団」
「! そこに向かうの?」
「えぇ。どうやら犯人グループはまだ近くにいるみたいだから被害が拡大する前に抑えないと」
それまでデレデレした顔でロリショタをこねくり回していたとは思えないようなキリッとした顔をして、リーシャさんは立ち上がった。
「これお代、私の分も払っておいて」
「わ、分かりました」
「ああそれと、いい機会だからさっきの魔術師の件、連絡しておくよ。それじゃあ」
と言い残すと、リーシャさんは素早く店内から出ていった。
アルはリーシャさんが去った後の対面の席に座り直し、先程ついカッとなってしまったと頭を下げた。もちろんそんなに気にしてなかったので別にいいよ、返し普通の雑談を始めた。
アルの家族の話、俺の家族(だった人達)の話、未だに1度も屋敷に帰ってこなかったらジストール・ユリウッサという騎士の話、シリウスさんの話、ケレスさんの話、ファクティの話、リーシャさんの話。
ほとんど他の人の話が割合を占めているが、それらを語るアルはとても生き生きとしていて、本当に屋敷に住む全員が心から好きなんだな、と思えた。
或いはアルはそういう人種なのかも知らない。繋がり全てを尊べる、誰からも愛されるような優しい人。
俺もアルのようになれたらと、彼の話を聞いてる最中いつの間にかそんなふうに思い始めていた。
「あ、そろそろ暗くなってきたね。もう帰る?」
「そうだな、早く帰ってケレスさんのご飯が食べたいわ」
「あはは、たしかに。でも走ると危ないからね」
「分かってるわ! なんか今日子供扱いしすぎ!!」
「あははは、ついからかってみたくなっちゃって。ヴィア、怒ったり拗ねたりすると可愛いからさ」
「んなっ!?」
気色の悪い事を言われたのでつい変な声を上げてしまった。
焦ってそそくさと会計を済ませて外に出る。すると急に冷たい風が頬を吹き抜けた。
心無しか全身火照っていたのが冷やされ、直前のテンパリようが制御された。何照れてんだ、ショタ相手に。ショタコンか俺は、アホらし。
「もう結構降ってきてるね、いつもより暗いや」
「そうだね。早いとこ帰ろうぜ」
「うん」
アルと一緒に、手を繋いで暗い道を歩く。
若干吹雪いてるせいで街灯の明かりが普段より狭まっていて全く頼りにならない。なるのは記憶とうっすら見える建物のみだ。
屋敷は街の中のさらに王都側にある。今まで居た喫茶店は街の中心にほど近く、平時は歩いて20分ほどの距離だ。
雪と風に足を取られている現状だと、到着までその倍はかかると考えてもいいだろう。
「はぁ、はぁ、ヴィア、大丈夫?」
「えー? なにー?」
「ああそっか、雪で聞こえないか」
何かを言っていたがよく聞き取れず大声で何かと問うと、アルは耳打ちで「大丈夫?」と聞いてきた。近いわばか、さすがに驚くわ。
大丈夫と返しまた歩く。
なんか登山家にでもなった気分だ、道は若干の坂で雪と風に晒されて。時々凍りついた時点で靴が滑って転けそうになるのなんかスリリング感も相まって雪山を昇ってるかのような気分だった。
「もう少しで、屋敷に着くね」
「あぁー、寒い寒い。早くケレスさんのご飯が食べたいな」
「ん? ……うん、そうだね?」
何故かアルは俺の言葉に違和感を含ませて返した。何かおかしな事言っただろうか。
やがて屋敷に到着し庭を抜けて扉を開ける。
すると、いつもとは異なる屋敷の様子が目に映った。
「あ、れ? こんな時間なのに灯りがついてない」
そう、屋敷が真っ暗だったのだ。
普段ならこの時間帯は必ず食堂や中央の階段がある空間には灯りがついていて、扉を開ければその灯りが目に飛び込んでくる。
今日はやけに暗く、そして静かだった。
「なんだ? 誰も居ないのかな」
「……待って。違うよヴィア、これは」
気にせず屋敷の中へ入ると後ろから何かを察したアルが背中越しに言った。
しかし、それが示す意味に関しては目の前に映る光景を見たあとだと全く頭に入らなかった。
「人の、体?」
眼前にあったのは、頭部が損壊していた人間の死骸だった。
それが人だとすぐに理解出来たし、死んでいる事も受け入れはできる。ただ、現実感を伴って理解してるかと問われたらノーだ。
初めて見る惨たらしい生の死人。頭以外の部位は綺麗だけど、頭には大穴が開いており辺りには脳が散らばっていた。
何者かがこの人の脳を掻き出したかのようにしか思えない惨状だった。
「ヴィア、大丈夫? ヴィア!」
「っ! はあ、はあ、はぁはぁはぁ、うっ!」
アルに背を叩いてもらう事で現実感に引き戻されると、忘れていた呼吸を取り戻すために過剰に息を吸って噎せてしまった。
噎せたついでに胃の内容物が出そうになるがそれは何とか我慢し、ひとしきり咳をした後深呼吸をする。
「アル、これって」
「こんな街中で魔獣が現れるはずもない、殺人だよ。人の手による」
「殺人……」
「しかも犯人は多分複数だ。食堂に4人、階段上に1人廊下に2人の死骸があるのを確認してきた。数人は戦闘経験がありそうな身体をしていて、個人で殺れる数でも質でもない」
「……助けを呼びに行った方が」
「電話回線が生きてたらいいけど、電気をつけても反応しないってことは恐らく電気も電話線も絶たれてる。本格的に吹雪いてきて外には出れないし、助けを呼ぶのは無理かも」
淡々と告げるアルの言葉に、今更ながら恐怖が込み上げてきて膝が震え出す。
アルはそんな俺を見ると柔らかく微笑んで「大丈夫、ヴィアはぼくが守るから」と言ってくれた。
そんな事言うから余計に怖くなって動けなくなってしまった。
「とりあえず一緒に行動しよう。ぼくも一応剣を習ってるから、近くにいてくれた方が守れる。というか、今のヴィアを1人にはしておけない」
「ご、ごめん……こういう状況には慣れてなくて」
「いい事だよ。これからも出来れば慣れないように生きてほしいな。とりあえず屋敷のみんなが無事か確かめよう」
アルが剣を抜き、体の前に刃を持つ構え方をしながら進んでいく。
情けないことに武器のひとつも持てない俺は、アルの裾を掴んでついていくことしか出来ない。
「シリウスさん、ファクティ、リーシャ、誰か、出来れば全員生きててほしいけど……」
「ケレスさんは? ケレスさんも数に加えろよ……」
歩きながら呟くアルの人員に、毎日料理を作ってくれたケレスさんが入っていなかった為指摘する。
アルは一瞬立ち止まり、そして再び歩き出した。
「アル?」
「あのさ、ヴィア。さっきも思ったんだけど、そのケレスってのは誰のこと?」
「えっ」
何を言っているんだ? アルはまるでケレスさんを知らないかのような反応を示した。
「ケレスさんはケレスさんだろ! 毎日ご飯を作ってくれてる使用人のケレスさん! さっきだってケレスさんのご飯が食べたいねって2人で言い合ったじゃんか!?」
「知らないよ。静かにして、敵に囲まれたらさっきの人みたいになっちゃうよ」
「……」
確かに恐怖で少し声を出しすぎてしまったと思うが、しかしおかしいのは明らかにアルだ。あんなに身近な人物を事件が起きた程度で忘れるわけが無い。
「ぐっ! おのれ貴様!!」
「……っ! シリウスさん!!」
「えっ、わっ!?」
誰かと誰かが争うような声音と音が聞こえて来た途端、アルが突然走り出すので裾から手が離れてしまった。
アルが走り出した勢いにより俺は前のめりに倒れる。
「アル!? ちょっ、待って!!」
「ごめんヴィア、シリウスさんが誰かと戦ってる!!」
「やだ、置いてかないで!! アル!!」
叫び声も虚しくアルは廊下の闇の向こうへと消えていった。
1人残された俺には武器も力もない。こんな状況で襲われたら確実に為す術なしだ。
俺はすぐ近くの扉を開ける。そこは確か、地下室に行く為の階段がある部屋だった。
部屋の中にある灯りは棚にあるロウソクくらいで、火をつけなければ真っ暗だ。
時々窓の外で吹雪にも関わらず雷が鳴り、その光によって室内が照らされる。
「ぁう」
「!?」
部屋の隅で体を丸めて固まってしばらく待っていたら、アルともシリウスさんとも異なる声が聞こえてきた。
その声は女の声で、聞き覚えのある声だった。
「バー、ちゃん」
その声は、ファクティの声だった。
「ファクティ、さん?」
「あぁ、そぉにいたんぁ」
「ファクティさん! あの、死体が!! シリウスさんとアルが誰かと戦ってて、それで!!!」
「ぁえ?」
見知った人物の登場に安堵し状況を説明しようと顔を上げ言葉を紡いだ。
当たり前に、この視界に、ファクティの姿が入った。
「いだぃよぉ、やぁよぉ、だすぇて、ばーちゃぁん」
「ひっ!?」
ガリガリガリガリガリガリ。
ファクティは爪を立てて自分の顔面を引っ掻いていた。
肉は抉れ、鼻は落ち、眼球が剥き出しになり、顔の中心を掘削するようにただガリガリと音を立てながら自傷していく。
「ファクティさん!? なにやっぅあっ!?」
その行為を止めさせようと組み付こうとするが、余った方の腕で容易く払い除けられるとファクティは壁に歩み寄り、顔面を引っ掻きながら頭を大きく振りかぶった。
「やめっ」
「ああぁぅぃぎぎぎあぇ」
ドシュッ、ゴギリ。
2つの音が鳴り響いた。
既にぐじゅぐじゅに肉を荒らされたファクティの顔面に手が埋まった水気を含んだ音と、手首が内側に折れた音。
ファクティの体はそのまま仰向けに倒れ、倒れたあとも自分の顔を抉り出した。
もう既に人の声は発していない。元より面倒くさがりすぎて発音しきれていなかったが、今は人語ですらない呻きをあげている。
そして、両手を使って顔を掘り始めたファクティは頭の中から豆腐のようなぷにぷにした欠片を両手いっぱいに握り引っ張り出すと、金切り声のような断末魔を上げて動かなくなった。
赤い血と、赤い血に沈む赤い髪。
くすんだ青紫色の瞳が乗っかった眼球が転がり、俺の目と合った。
「……はぁ、はぁ、はぁ、は、ぁ、あ、うっ、ぅあ、あ」
今度こそ上手く呼吸が出来なくなり過呼吸状態に陥る。
苦しくて物事が考えられない。何をするべきだとか、誰がどうなったかだとか。
もうただ気持ち悪い。怖い。逃げたい。でも体は動かないし目の前の『人だったもの』から目を離せられない。
『これが私ら悪魔がやっているゲームってわけさ。こういう事をこれからするわけ、分かった?』
どこかで声が響いた。
子供のような大人のような、頭がボーッとするせいでちゃんと声質が伝わっていないが、恐らくこの事件の犯人と思しき者の声だ。
そいつはケラケラと笑いながら、動くことの出来ない俺の目の前に落ちているファクティの死骸を足で踏んづけた。
亡骸を嗤い、汚し、壊していく。
俺にはただその光景を見ていることしか出来なかった。