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外はもう明るくなっていた。すぐ下に見える道を慌ただしく自転車を漕いでいく人間が見えた。
あとからあとから人間がひとつの方向へ向かっていく。歩いている者もいるし様々だ。朝の通勤風景とかいうやつだ。
武蔵は倒れ伏し、オレはこうして下の世界を眺めている。そして人間は人間でその日その日のサイクルをこなしていく。別に武蔵が死んでもこの世界が変わるわけではない。オレが死んでもやはり世界が変わるわけではない。世界からコウモリとやもりが一匹ずつ減った…というだけだ。
オレはミャーゴの気配に気を付けながら別のねぐらを求めて下へ降りていった。
庭の所まで来て雨どいの裏側にへばりつき、じっと辺りの気配を探る。ゴソゴソっと動く気配がしてそちらを向くとアジサイの茎の根元にクモの巣があり、一匹の蛾がかかっていた。巣糸がからみもはや絶望的である。なんならあのクモの糸がからんだ蛾を武蔵に与えてやったらどうだ?オレにはデカ過ぎるエサだがやつにはちょうどいいに違いない。
しかしやつに食物を与えればやつは復活しやがてオレを狙うだろう。――それでもいいのか小次郎!――結局オレはその蛾を武蔵に運んでやる事にした。この事がいずれ我が身を滅ぼすことになるだろうがオレは今の気持ちを優先させる事にした。
なぜならオレはずるく生きたくなかったのだ。明日オレが死ぬことになってもこの事で自分の気持ちに悔いは残るまい。幸いにしてクモは巣にいなかった。あまり明るくない日影になる所なのでエサも取れなくてどこかへ移っていったのだろう。オレはミャーゴに見つからないように雨どいを伝ってその蛾を運んだ。オレのからだぐらいもある大きな蛾だった。時折羽根をバタつかせてあばれるので、落としそうになる。そいつを頭でもって上に押し上げたのだ。
武蔵に食物となる蛾を運び終わって一息つけばもう昼も過ぎたようだった。今夜の食事タイムの為に今は寝ておかねばならないので、さきほどのアジサイの茎の近くにあった大きな置き石の裏側にもぐりこんだ。オレの特技はいつでもすぐにでも眠る事が出来る事だ。
武蔵は一応オレに感謝の意を示したが、かといって”オレを食べようと思わない”などという事は一言も言わなかった。オレもこの件でやつに恩を売ったなどと思っていないし自分の気持ちさえ満足すればいいのだ。
『この辺りでどうだい?お父さん。』
ふと目覚めたと思ったら例の坊主の声がしたからだった。いつもの事だがこの坊主には毎度悩まされてしまう。
「フン!また何かしようってのか?今度ばかりはそう簡単につかまったりするのもか。」
オレは坊主には見えない大石の下でグッと胸をそらせて言ってやった。どうやら今夜あたりに何か起こりそうだ。それまではまた眠っておこう。