コールサイン
「生きてる?! マルス、今田井中が生きてるって言ったのか?!」
海原はマルスの声に激しく反応した。狼の化け物を退けたのち、変わり果てた田井中を見つめ呆然としていたところに響いたマルスの声。
それは確かに、彼の生存を知らせるものでらいて。
'ポジティブ より詳細なバイタルチェックの為、彼の心臓に耳を近付けて下さい。貴方の聴覚と同期して心音を確認します'
海原は言われた通りにすぐ田井中のそばにしゃがみこみ顔を傾けて胸へ耳を当てる。
海原には何も聞こえなかったが、
'宿主との'聴覚同期開始、集音率を調整開始、感度を小動物レベルに変更'
マルスの声が響く。と、同時に海原の耳が新たなる音を拾った。
とくん、とくん、とくん。
小人が太鼓を叩いているような小さな音が確かに聞こえた。
心臓が動いている、つまり生きている……
海原はバッと身体を起こし、目をまん丸にして呟く。
「動いとる…… 、嘘じゃろ。なんでーー」
両腕、両脚を引き千切られてまだ生きている……? 血すらもう出ていないのに?
海原は改めて、田井中の様子を確認した。
トレーニング用のハーフパンツは裾がペラペラになっている。本来あるはずの脚がないからだ。
上に羽織っていたパーカーは両腕ごと両袖が消えている。まるで鋭利な刃物で一瞬のうちに斬り飛ばされたようだ。
田井中の目は開かない。一見すれば生きているはずがない様子。でも、彼の心臓はまだ鼓動を奏でていた。
'ポジティブ ヨキヒト、彼の状態を把握したい。傷口を確認してみてください。貴方の視覚情報を基に解析を試みます'
「……了解」
海原はそのまま覗き込むように田井中の腕の断面を確認する。すぐに目を見開いた、
「なんだ、こりゃあ」
異質、想像していたのは赤い血肉がまろび出たグロテスクなものだったが現実は違う。
赤黒い鋼鉄のような何かが断面を覆っているる。ほかの腕、両足、全て同じものに覆われてある。
よく見るとその断面は固形化しているにもかかわらずたまにどくり、どくりと胎動していた。
「血を止めてんのか……?」
'ポジティブ どうやらそのようですね。貴方の視覚情報から状況を解析すると、彼はなんらかの方法により四肢からの出血を防いでいます。失血による死亡をそれにより避けたのでしょう'
海原のつぶやきをマルスが肯定する。信じられない出来事だが、実際に目の当たりにしてしまっている。
まったく、なんて日だ。
海原は浮いてしまいそうな思考を必死に繋ぎ止めながらマルスへ問いかける。
「マルス、田井中が生きているのはわかった。だがこのまま放っておいて大丈夫なのか?」
'ネガティブ 心音は未だ微弱、脳波もはっきりしていません。状況分析…… おそらく彼は死んでいないだけで重度の失血状態にあります。このままでは衰弱が進み、いずれ生命活動は停止するかと'
マルスからの無慈悲な現実の告知、海原は下唇を噛んでマルスへ言葉を放つ。
「っ、どうすればいい? 教えてくれ、マルス。田井中を助けたい。こんなところで見殺しには出来ない!!」
四肢を無くした人間を生き残らせる方法など海原が知る由もない。むしろ、まだ生きている方が不思議なくらいだ。
こんな、こんな寂しい、訳の分からない死に方をさせるわけには行かない。
田井中は子供で、海原は大人だ。
この終わった世界の中で得難く大事な仲間である。
海原1人ではどうする事も出来ない。彼は凡人でその手が掬えるものはとても少なかった。
だけど、今海原は1人ではなかった。
'ポジティブ 安心して、ヨキヒト。貴方は1人ではない。民間人の命を守る事はアメリカ軍人としても当たり前の事です。貴方の願いは私と貴方で叶えましょう'
海原の身体の中には、ソレが居た。奇妙で歪なもう一つの生命体が。
'シエラチームサバイバルガイド、参照。四肢に多大なるダメージを負った者の救命策、検索開始……… ケース該当、シエラⅢの治療例と合致。対応策選定、オペレーション作成…… 完了'
平坦に響くマルスの言葉、海原には出来ない事をマルスが担う。
'ポジティブ おまたせ致しました、ヨキヒト。眼前の少年をシエラチームの救助対象、αと認定。これよりαの救助、救命を目的とした短期オペレーションの概要を貴方に伝えます。受領される場合はその意思を示してください'
「よく分からんが、答えはYESだ。協力する、田井中を生かすぞ」
'ポジティブ 宿主からの肯定を確認。短期オペレーションの名称を自動作成……… オペレーション名ランダム作成完了。現時刻よりαの救助、救命を目的とした一連の作戦行動を、オペレーション・アイアンブラッドと呼称'
マルスの言葉を海原は黙って聞いている。目の前で倒れる田井中を見つめる。何があったのか、誰にやられたのか。気になることは多数ある。しかし、今はそれを気にしている場合ではない。
田井中を死なせるわけには行かない。必ず生かす。それが生かされた俺の役割だと海原無意識に自覚していた。
'オペレーション・アイアンブラッドへの参加表明を受諾。シエラチームとしての作戦行動である為、民間協力者である宿主、ウミハラ ヨキヒトの暫定的なシエラチームへの参加を提言。統合システム、及び合衆国本隊への通信開始…… エラー'
マルスの言葉がつらつらと続いていく。まるで何かの手続きを踏んでいるようだ。
'タイムアウト、通信途絶。本隊、及び統合システムからの指令受諾が不可能な為、規定によりシエラチームリーダーの指令を最大レベルに設定……、プロトコルエラー、シエラリーダーの死亡記録を確認。次点、シエラⅠからの指令を最大レベルへ……、エラー'
シエラⅠ…… 聞き覚えのある単語を海原は聞き流す。
'シエラⅠのMIAコードを確認。指令レベル不在の為、強制進化促成寄生生物兵器プロトコルに従い、当機による自己判断を自己了承。ウミハラ ヨキヒトの戦闘効率評価開始……、クリア、臨時促成メンバーの規定値、C +を認定'
マルスの平坦な言葉が終わる。海原はその言葉を待つ。白い砂原にまた緩い風が吹き始めた。
'おまたせ致しました、ヨキヒト。全ての手続きが完了。オペレーション・アイアンブラッドへようこそ。作戦行動中に貴方にはコールサインが与えられます'
「コールサイン? 部隊の識別名か? ゲームで知ってるぞ、それ。メビウスとか、ガルムとか、スペアとか……」
海原が若干テンションをあげながら指折り、自らの知っているコールサインの例を挙げる。
'貴方のコールサインはシエラ0です'
マルスの声が海原に届く。シエラ0、あの女アリサ・アシュフィールドと似たような名前。
海原はその言葉を聞いた瞬間、四肢に力が満ち始めるのを感じた。
'ヨキヒト、いえ、シエラ0。これよりオペレーション・アイアンブラッドの概要を説明します。宜しいですか?'
マルスからの言葉、海原は指折るのをやめて小さく頷いた。
「シエラ0、了解。それ、早く始めようぜ」
'了解、シエラ0。端的に説明するならばオペレーション・アイアンブラッドは救助対象αに造血作用、及び回復効能のある食物を与え続ける事です'
「うお、思ったより頭悪そうな作戦! だが好きだぞ、マルス。そういうシンプルなのは」
海原がパチリと指を鳴らす。
'お褒めの言葉をありがとう、シエラ0。視覚情報から得た彼の年頃だと血液の生産は大腿骨に依るものが大きいです。大腿骨のほぼ全てを失っている彼にとって、血液の生産は困難を極めます'
「それを補う為って事か。いいねえ、シンプルだ。食って治すって事か」
'ポジティブ アビスにはこれまでの医療常識を根底から覆す物質が多数隠されています。事実、前回の作戦行動ーー、禁則事項ーーにおいては同様の対処によりシエラⅢは右腕欠損から復帰しました'
「再現性があるって事か? それはいい。始めよう、マルス。もうグダグタ考える時間が惜しい。田井中には何を食わせればいい? 奴らの肉か?」
海原はポキポキと指を鳴らす。やる気は充分にある。身体には疲れが残っているが、今はもうどうでも良かった。
'ネガティブ 衰弱状態にあるαではまだ肉類は消化出来ない可能性があります。まずは植物由来の素材の供給から始めましょう。ここから近い地点に、果実類の群生地を記録しています。まずはそこへ急行しましょう'
「わかった。……マルス、田井中はここへ置いて行って大丈夫だろうか?」
海原は田井中を見つめて言葉を紡ぐ。いつ怪物が現れるか分からないこんな場所に置いていくのは……
'αはひどく損傷しています。運ぶ事は彼にダメージを与える事になるので推奨出来ません'
「俺がいない間に襲われたらーー」
躊躇う海原に向けてマルスが鋭い声を放つ。
'現時点では周囲に敵性存在の反応はありません。そして時間がありません、シエラ0。A soldier respects his speed.貴方が最速で食糧調達を終えて、ここへ戻ってくる。怪物種が集まる前にね、それが現時点でできる最優の方法です'
マルスは言葉を言い切る。海原は頭を掻きながら諦めたように息を吐いた。
「お前、たしかにアメリカ製っぽいな」
'褒め言葉として受け取りましょう。シエラ0'
海原はそのあとすぐに、マルスの指示する方向へ向けて走り始めた。
その足取りに迷いはなかった。
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