田井中VS樹原
「ゔえ」
空気と共に、赤い血が口から漏れていた。流れる景色の中、影山が人生最期に見た光景は、目をむいてこちらに手を伸ばす、田井中 誠の姿だった。
ああ、田井中くんってそんな顔もするんだ。知らな、かったなーー。
あれ、身体に力が入らないや。何があったんだろう。
そうだ、先生。先生は無事なのかな?
あ、流奈ちゃん。ぼくーー
手を伸ばした先、影山の足元を照らす光の中に、不自然に蠢く影が手の形を象る。
五本の指が成形される寸前で、その影はほつれるように消えていった。
ばちゃり。
力をなくした膝が、いとも簡単に崩れ落ちる。
どろり、どろ。影山の身体中に空いた穴から赤い血が零れ落ちて、黒い泥に混じった。ドロドロの赤い血はすぐに黒いぬかるみに飲み込まれて消えていく。
「ぇ……」
「影山君、君とのここまでの会話はとても有意義だった。ありがとう、僕に君の力を教えてくれて、本当にありがとう」
労わるような優しげな口調。樹原勇気は崩れ落ちた影山を見やりながら言葉を紡いだ。
「君は良い生徒だった。好ましいとすら思っていたよ、君の素直さはね。だが、君の力は危険過ぎる。僕の正体に辿り着く可能性がある恐るべき能力だ。予定通りここで、始末させてもらうよ」
樹原は血を流しながら身体中を痙攣させる小太りの少年を見下ろし続けた。
影山は一度、びくんと大きく身体を痙攣させ、それから先はもう動く事はなかった。
「苦しんではいないはずだよ。影山くんは本当に良い生徒だったからね、せめて楽に逝ってくれたら良いんだけど」
樹原は自らが手を下した少年の亡骸を見下ろしながら言葉を紡いだ。
うじゅる、じゅる。
樹原の右手から伸びる影山の身体を何箇所も貫いた細い触手のようなものがびくり、びくりと胎動する。
喉、心臓、頭、腰骨、鼻、右目。
おおよそだいたいの急所をそれが刺し貫いていた。触手の濁流に飲まれ、影山は波にさらわれた子供のようにその身体を押し流されながら、身体を穴だらけにされていた。
全て、一緒の出来事だったのだ。
「あ……」
呆然と、呟く田井中。伸ばした手は結局なにも掴むことはなかった。
「誰にも見られないように始末する予定だったんだけとね。予想外だよ、田井中君。君がここまで出来る子だとは正直思っていなかった。能力は素晴らしいものがあっても、君自身という人間はそう、大したものではないとたかをくくっていたみたいだね」
樹原は髪をがしがしと掻きながら、田井中を見つめた。
「反省しなければならない。この雑な段取りは全て僕の見通しの甘さが原因だ。次に活かす事にするよ」
淡々と樹原は言葉を紡ぐ。右手を引き抜くように動かすと、影山の身体を刺し貫いていた触手がスルスルと縮んでいき、樹原の肘に吸い込まれるように消えていった。
「っ影山ぁ!!」
田井中は短く叫ぶと地面を蹴って、うつ伏せに倒れた影山めがけて走り始める。
「おっと、無駄だよ。もう、死んでるから」
樹原が制すように手のひらを田井中へ向ける。どろり、手のひらの中心から再び影山を貫いたものと同じ黒い先の尖った触手が伸びた。
「ホット・アイアンズ!!」
叫びに呼応するように、先ほどまで田井中が触れていた地面から伸びていた杭のようなものが地面から射出される。
走りながら田井中がひょいと首を右に傾ける。その後ろのスペースから田井中によって操られた杭が追い越すように伸びていく。
どちゃ。樹原の手から伸びた触手と田井中の杭が正面から激突し、互いに潰れ合う。
「へえ、流石」
意外そうに呟く樹原を尻目に田井中は影山の元へたどり着いた。
「おい! 影山! 目を開けっ……、っ、くそ!!」
田井中は影山に呼びかけた。しかし仰向けに抱き起こし、その傷の様子を見た途端、悔しそうに声を荒げた。
そのあまりにも痛ましい傷跡は生存の望みを容易く打ち砕いた。野球ボールサイズの風穴が身体に何個も空いている。向こう側が見えそうだと田井中は感じた。
黒い泥と赤い血が混ざり合うシャツの染み、後頭部から右目に突き抜けている傷、眼球の抜けた黒い眼窩の淵から涙のように赤い血が垂れている。
対照的に、残った左目は安らかに閉じられていた。そこだけ見れば、たまに警備チームの拠点で見ていた影山の寝顔、そのままだ。
でも影山勉は、死んだ。眠っているのでない。もう起きる事はない。
一目みて田井中はその事実を理解した。
呆気なさすぎる。田井中の目の前で一瞬で影山はその命を奪われていた。
田井中と影山は特別仲が良かった訳ではない。
むしろ田井中からすれば、世界がこうなるまで影山の事なぞ知りもしなかったし、知り合っだ後も影山には怖がられていると気付いていた。
ボクシングで有名な生徒と、特に何もない普通の生徒。2人の異なる存在は平時の世界では交わる事のなかった縁だ。
決して2人は仲が良い訳でも相性が良い訳でもなかった。田井中は影山がどんな映画が好きなのも結局知ることはなかった。
だが、それでも、
「……よくもーー」
影山勉はーー
「よくも、俺の……仲間を…!!」
影山勉は、田井中にとって誠の大切な警備チームの仲間だったのだ。
この終わった世界で、力無くともみんなの為に立ち上がった勇敢な誇るべき田井中の仲間だった。
今、その仲間が目の前で殺された。
田井中が力を人間に対して振るうのにこれ以上の理由はなかった。躊躇いが怒りによって焼き尽くされる。
仲間を奪った男に向けて、田井中の力の奔流が踊りかかる。
既に、田井中はこの奇妙な暗い空間に広がる泥の成分を解析し終えていた。
ホット・アイアンズ。世界にあまねく凡ゆる金属を己の意のままに操る田井中だけの特別な力。
その力は、奈落に蔓延る黒い泥の支配権すら有していた。
即ち、この黒い泥はホット・アイアンズの効果対象、未だ人類が獲得していない金属の一種。
田井中は無意識にそれを理解していた。
「ホット・アイアンズ!! ぶちのめせ!」
田井中は慟哭とともに地面にこぶしを叩きつける。ホット・アイアンズの力が世界に作用する。
力は泥を伝わり、樹原の足元にてその効果を発揮した。
「ぶっ潰す」
樹原の足元の泥が爆発するように盛り上がる。天井部分にまで届くのではないかと思わんばかりの高さ。
「……想像以上だね、これは。奈落に干渉出来るなんて。まさか、君も彼女の声を聞いたのかな」
樹原がその盛り上がった泥に挟まれるのを防ごうと両手を真横に伸ばしてーー
「死ね、キハラ」
パチン。
田井中が両の手を勢いよく合掌する。小気味好い音が空間に広がり、同時に樹原を挟み込むようにホット・アイアンズにより操られた泥の壁が閉じた。
ぷち。
隙間なく、泥の壁は閉じる。間に挟まれた樹原は跡形もなくプレスされている事だろう。
とじ合わせた手をゆっくりと田井中は開いていく。僅かに手のひらが小刻みに震えていた。
田井中は始めて、人を殺した。
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