はじめの1、残り2999
「う、おお、おおおお?」
びきり。びきり、びきり。
海原は自らの両腕に目を奪われる。腕まくりした両腕は肘の辺りから露出している。
元々筋肉質だったその腕に明らかに異変が起きていた。
びきり。
血管は今にも飛び出してしまいそうに浮き出て、皮膚に皺が寄っている。呼吸のたびにびくり、びくりと両腕が震える。
「お、おい。マルス、これ何が起こってんだ?」
震える己の両腕を眺めながら海原がマルスへ問いかける。痛みはない、それが不思議なくらいに今、海原の両腕は様子がおかしかった。
'安心して、ヨキヒト。バイタルチェックに問題は有りません。 PERKシステムは順調に貴方の身体に適用されつつあります'
「わからん、簡潔に答えろ」
'ポジティブ 進化です。貴方のDNAコードに干渉し、貴方へ牙を与えています'
ダメだ、こいつ。言葉は通じているが話は通じていない。
海原は舌打ちしながら、見る見る間に変化していく己の腕を注視する。
皮膚の色は変わってはいない、ただ指の皺や手のひらの皺が消えて行っている。
指先は鋭角に、爪はそのまま。よく見ると腕の産毛が抜け落ちて来ていた。
'ポジティブ PERKシステム 浸透完了。免疫機構への影響無し。バイタルチェック…… 異常無し、体内ブルー因子、安定。ホストへの PERK適用は無事に全ての行程を完了しました'
「うお」
進化は完了した。今、海原 善人はいつのまにか無理矢理に己の枠を外されていた。
本来であれば、海原善人の奥底には何も特別なものなどなかった。もし、彼にも特別や才能があったならばすでに、奈落はその才能を見出していたはずだ。
彼の友人、鮫島 竜樹がそうだったように。
だが、海原善人はどこまで行っても凡人、大凡なる人だった。例えその精神性が常人より外れたものであったとしても、海原 善人という存在にはなんの特別なモノはない。
そう、彼には何もない。その枠の中、枠が外されようとも何もないはずだった。
「こりゃあ…… 腕が……」
だからこそ、これは借り物だ。偽物で借り物で本物にはなれなかったものだ。
〆PERK ナンバー 0005 鉄腕〆
鉄の如く、海原の両腕は変化した。それは単純な変化だった。
外観は特に変わった事はない。いつもの自分の両腕。しかし、確実にそれには変化が起きていた。
海原は無意識に両手をこすり合せる。普段から乾燥気味の両手からしゅり、しゅりという皮膚と皮膚がこすれあう音がなるはずだったがーー
ぎゃりん、じゅりん。
まるで、ナイフとナイフを強く擦り合わせたような摩擦音が鳴る。
「硬い……」
擦れ合わせた両手、そこから返ってくる手応えも違う。
人が鉄に触れた瞬間にその硬さがわかるように、海原はその手応えから己の両腕の尋常ならざる硬度に気付いた。
手のひらを握りしめる。
しゃりん、しゃりん。
鉄と鉄が囁くような音が手のひらからなる。握りしめるとかなりの反動を指に感じる。痺れた手を無理やり動かしているような奇妙な感覚。
海原はしばらく動作を確認するように、手のひらをぐー、ぱーと握ったり、広げたりする。
その動きはどこかぎこちない。
例えるならばマジックハンドのおもちゃのようなぎこちなさ。
「硬すぎるせいか?」
'ポジティブ その通りです、ヨキヒト。 PERK 鉄腕は、その名の通りに貴方の腕の結合を鉄並みの強固さに変異させます。そのかわりに身体の持つしなやかさは一部、失われる事になります'
マルスの声に海原はもう一度、己の腕を眺めた。どうやら変異しているのは肘までの前腕部までのようだ。
マルスの言う通り、関節まで硬化したら動きを阻害するのだろう。その辺は調整してくれているらしい。
「は、はは…… まじかよ。凄えな、マルス」
'ネガティブ これはたしかに私の能力による進化ですが、貴方の協力なしには起き得ない奇跡です。ヨキヒト、私と貴方が揃えば強力です'
海原は半笑いになりながら、腕を振って見る。
ブン、と力強く空気を切る音が心地よい。この感覚を海原は知っている。
田井中に作って貰った武器を振り回す時と同じ感触だ。命に届きうる凶器が空気を裂くように、海原の腕は空気を薙いでいた。
海原善人は牙を、力を手に入れた。それは己のモノでなく借り物で、偽物に過ぎない。
しかし、関係あるだろうか。これからのその偽物の力に斬り裂かれるモノにとってはそんな事はどうでもいい事だろう。
偽物だろうが、本物だろうが、どうでもいい。使えれば、振るう事さえ出来ればそれでいい。
得てして、凡人の振るう力とはそのようなものである。
「これが、俺の牙…… 俺のたった1つの力」
海原は両腕を掲げて、力を込める。ビキリと答えるように腕が文字通り鳴った。
この力でここを生き抜く、この力で樹原を斃す。
俺の手に入れた、たった1つの牙でーー
'ネガティブ それは違います、ヨキヒト'
「あ?」
いつになく、テンションの上がって心中ではしゃいでいた海原に気付いてか、マルスがそれを遮るように声を掛けた。
なんだ、割とテンション上がってたのに。
「なんだ、マルス」
'残り2999個です。ヨキヒト'
「……なに?」
2999? なんの数字だ?
海原は首を傾げて、体の中に棲まうモノへ問う。
するりと声が海原の頭の中で鳴り響く。
'ネガティブ たった1つではありません。 PERKシステムには残り2999個の獲得可能 PERKが存在します。理論上、貴方が怪物種を殺し続ければその全ての PERKが使用可能になるはずです'
「……マジ?」
'ポジティブ 貴方が私と共にあり、青い血を狩り続ける限りはそれは可能です、人間の進化を促す、それが私の兵器としての役割でもあります'
2999。
今、マルスは残りこんなのが2999個も残っていると言い切った。冗談みたいな数字だが、マルスが嘘をつくメリットがない。
海原は今更ながら、己に起きている奇妙な事がとんでもないレベルの事なのではないかと感じ始めていた。
'プランBです、ヨキヒト'
「なんだと?」
'貴方はプランBを選んだ。苛烈で凄絶な茨の道を選んだのです。私はその選択を尊重します。貴方の生存の手助けに尽力します、だから'
マルスが一度、言葉を区切る。海原は口を挟まずにその言葉を聞いていた。
'だから、ヨキヒト。生きる為に強くなりましょう。怪物種を狩り、青い血を集めて下さい。そうすれば私と貴方はどこまでも強くなる事が出来る'
強くなる、か。
今まで生きてきてその事を深く考えた事はなかった。
だが、海原の心の何処かにはそれを求めるものがあったのかも知れない。
あの日、学生時代。自らよりも優れたるもの、つまり自分より強いモノ達の光に海原は焼かれた。
自分は特別ではない。強くないという事実を突きつけられ、割と簡単にそれと向き合って受け入れた。
自分は特別ではない。強くなれない。
海原1人ではそうだった。
でも、今は?
今は違う、海原は今、奇妙な生き物と協力関係にある。
今なら、違うのかも知れない。
人生に生きる意味など必要ない。ほんとにそうなのだろうか?
鮫島は言った、今のままじゃあ勝てない。
アリサは言った、生きる意味を探せ。
この力となら、マルスとならあの日諦めたモノをもう一度、探せるのかも知れない。
海原は己の腕に力を込める。ビキリ、ビキリ。
よく見ると硬くなっている部分の皮膚はわずかに様子が違う事が分かる。
うっすらと皮膚の至るところに、正方形のアザのようなものが浮き出ている。それは肌の色と同化している為に分かりにくいが、確かにそこにあった。
「それは……いいな。そうしよう、マルス。生きて、生きて生き延びて、強くなろう」
'ポジティブ 賛成です。強くなれば、生きていれば私のプロトコルサードにも近付ける気がします。ヨキヒト、改めてこれからよろしくおねがいします'
握手のように差し出された言葉を海原は握り返す。
「ああ、宜しくな、マルス。さて、これからどうする?」
'ふふ、ヨキヒト。忘れたのですか? 何故私が貴方の最初の PERKを鉄腕に選んだと思いますか? さあ、張り切って怪物種95号の解体を始めましょう'
オウ……、そういやそうだった。
海原は、空腹感を思い出した。 PERKが起こした影響にテンションが上がり忘れていたが、割と今は予断を許さぬ状態だったのだ。
'ポジティブ シエラチームサバイバルガイドによる怪物種95号の摂取を始めましょう。我が宿主よ'
どこか楽しそうなマルスの声に海原は、覚悟を決めて小さくため息をついた。
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