寄生生物と凡人生存者
'ネガティブ 言語学習システムを日本語へと変換中。該当ワード、たいぎぃ、検索…… エラー、データベース内にたいぎぃという言語を確認出来ず。当機……いえ、私にとっての未知と判断'
耳元、頭の中で声が響き続ける。海原はのろりとその場に仰向けに倒れ込んだ。
砂の感触が妙に気持ち良い。
'ネガティブ ホスト。たいぎぃが私のデータベースに有りません。これは私にとっての未知です。ホストへ対して、たいぎぃの情報開示を求めます'
「え、あ、うん。なんて?」
'ネガティブ たいぎぃとはどういう意味なのでしょうか? 貴方の生存にそれはどういった影響を与えるのですか?'
どうやら囁き声はたいぎぃの意味を教えろと言っているらしい。
海原はこの幻聴のような囁きにどう反応して良いか本気で迷っていた。
迷った結果、
「あー、あれだ。面倒くさいとかやりたくないとか、どうしようもないとか、そーいう感じ……か?」
'ポジティブ なるほど。複合的な意味を持つスラングのようなものなのですね。感触します、ホスト。新たなる知識を私は手に入れました'
「いえ、どーもどーも」
海原はそのまま寝転んで、上を見上げる。霞のようなものが広がり、頭上がどうなっているのかはよくわからない。
目を凝らすと、相当高い位置に天井のようなものがある。そこから突き出ているのは、木の根?
とにかく尋常ではない光景がそこには広がっていた。
「えー、もうブチたいぎぃじゃん。なんなんだ、この状況は」
思わず、言葉が漏れ出る。
いつもならただの独り言として終わる呟きも
'ネガティブ たいぎぃを確認。ホスト、私でそのたいぎぃを解決するお手伝いはできませんか?'
今は違う、まさかの返事が返ってくるのだ。海原は自分になにが起きたのか一切分からない。
「あー、サンキュ。大丈夫だ、言って見たかっただけだ」
'ポジティブ 了解しました。貴方の生存のサポートをするのがわたしの重要プロトコルです、お役に立てることがあればなんなりと提案して下さい'
耳に響く声はまるで知能すら感じさせる。海原は次第にこの声が幻聴ではないのではないかと感じ始めていた。
「……もしかして、マジで幻聴じゃないのか?」
海原の呟きに、再び囁き声が反応する。はい、その通りですと返ってくるその声。
「お前は…… お前は誰だ?」
海原はその声に問いかける。この時点で海原はその声が己の妄想で作り出された幻聴じゃないかも知れないと訝しんでいた。
'ポジティブ 自己紹介が遅れました。私はM-66 、強制進化促成寄生生物兵器、コードネーム、マルスです。はじめまして、新たなるホスト'
つらつらと幻聴……らしきものが海原の質問に答える。
海原は知らない、強制進化なんとか兵器などそんな名前聞いた事がない。海原の知らない事を海原の幻聴が答える。
なんだ、この状況は?
俺は頭がおかしくなったのか?
海原は眉間を人差し指と親指で握って揉み込んだ。
'ネガティブ 貴方のメンタル、および脳に異常な電気信号の配列は見られません。シエラⅠの脚も完全に結合完了しています。細胞性拒絶反応、及び液性拒絶反応の兆候は確認出来ません、貴方は至極健康体です。ホスト'
海原の胸中、声に出していない思いにまでこの声は返事を返す。よく聞いていると耳元で囁かれるというよりは、頭の中で鳴り響いているような……
海原はんんっと咳払いして、それから自分のいつのまにか生えている左脚を見つめた。
「……待て。シエラⅠの脚ってどういう事だ?」
声の言葉の内容に海原は思わず、声を上げた。今、何か聞き捨てならない事を言われたような。
'ポジティブ そのままの意味です。貴方の左脚は怪物種により食いちぎられ欠損しました。生存の為にシエラⅠの左脚を元に再生させました。既に貴方の既存DNAコードに書き換えている為に太さ、長さも右脚に準じたものとなっております'
「いや、まったく意味が分かんねえ…… 他人の脚をどうやってーー」
'エラー 機密情報保護。情報開示の為にはクリアランスレベル、ブルーが必要です'
すらり、頭に響く言葉はそれきり黙る。取り尽く島もない。パスワードを連続で間違え続けたATMのようにその先の言葉を紡ぐ事はなかった。
海原はもう一度自分の身体を確認する。
両の手足は全て健在、傷一つない。スラックスの左脚の膝の部分は裂かれており、靴下も靴も左脚だけ、ない。
白いシャツは赤い血や青い血がこびりついており、所々が裂かれて穴が空いている。にもかからわず身体に傷は見当たらない。
食い千切られておやつにされていたはずの左手の指で、同じく噛みちぎられていたはずのくちびるを撫でる。
痛みはない。僅かに乾燥したいつもの自分の唇だった。
眠気、そう、あの死の予感にも似た強い眠気や倦怠感もいつのまにか消えている。
感じるのは寝起きの直後の気だるさのみ。
海原 善人の身体は、完全に治癒していた。
「……ありえねー」
今日一日だけで数々のデタラメに直面してきた海原だったが今回のはとびきりだ。
食いちぎられた左脚が生える?
そんなわけない。それはいくらなんでもあり得ない。
例え、化け物が地上を歩くようになっていても。例え、魔法としか思えない奇妙な力をもつ人間がわんさかいるのだとしても。
「いや、ナイナイ。これはない」
あたりを見回すと、生々しい狼の化け物の死体が数頭転がっている。
温度すらまだ残っていそうなその死骸は海原に先程まで起きていた事が夢ではないと突き付けてくる。
のそり、海原が立ち上がる。
化け物の死骸、その中にとある見慣れたモノを見つけたからだ。
それは海原の、この状況が夢なのではないかという現実的な考えをクソのように嘲笑うものだった。
合成プラスチックや、ウレタン、ゴムで作られたソレ。海原の履いていたスポーツシューズはどうやら奴らの口に合わなかったらしい。
血塗れのスポーツシューズが落ちている。
ひょいとソレを持ち上げると、シューズ以上の重さを感じる。
「……たいぎ」
まだ、中身が残っていた。
血塗れのスポーツシューズの中に、断面がたらりと光る左脚の甲が残っている。
海原はスポーツシューズを摘んだまま、無意識にその中に手を突っ込み己の左脚の甲を掻き出す。
靴下包まれた、横幅の太い甲。
ああ、まじかよ。
どう見ても俺の左脚じゃねえか。
ぼとりと落ちるのは人間のパーツ。千切られただけでここまでおぞましく見えるものか。
海原はそのまま、スポーツシューズを履く。よく、馴染む。
寸分の狂いもなくスポーツシューズと新しく生えていた左足はフィットした。
地面に落ちた血塗れの左脚。海原はそれをもう一度見つめて、それからスポーツシューズの紐を結びなおした。
そのままポツリ、呟く。ゆるく吹く風に向かい海原は口を開いた。
「……ホントにお前が脚を生やしたのか」
'ポジティブ その通りです。信じられないのも無理はありませんが、貴方が瀕死の状況から息を吹き返したのは事実です'
「……お前は俺の中にいるのか?」
海原は問う。すんなりと、いつのまにか海原にはもうその声が幻聴であるとは思えなくなっていた。
'ポジティブ 貴方と私は脳幹、神経細胞、臓器で繋がり合っています。プロトコル69により、シエラⅠと貴方の粘膜接触の際に貴方の体内と結合致しました'
「とんでもねー女だな、オイ」
海原は顔を抑えて天を仰ぐ。
なるほど、少しづつ辻褄が合っていく。
「生かすってのはこの事かよ。アシュフィールド」
海原の身体の中にはナニカが間違いなくいる。今、海原にわかる事はそれが自分を救った事と、アリサ・アシュフィールドと名乗る奇妙な女から渡されたものであるという事だけだった。
海原は疑問を投げかける。独り言でない。己の身体に住まう確かに知性ある存在に向けて。
「……お前は俺の味方か?」
'ネガティブ 質問の意味が正確に理解出来ません。貴方と私は肉体的にほぼ同一個体と呼んで良いほどに結合しています。貴方は私で、私は貴方です'
'貴方が貴方の味方である限り、私は貴方の味方であり守護者であり、貴方自身です。ホスト'
海原には今の状況が1割も掴めていない。友と別れ、化け物に殺されかけ、超越した存在に助けられた。
そして、気付けばいつのまにか身体の中には訳の分からないナニカが住み着いている。
なんの冗談だ、これは。
海原はくく、と小さく笑う。
……理解は出来ない。納得も出来ないし、受け入れる事も出来なかった。
だがそれでも、1つだけ海原にも分かる事があった。
アリサ・アシュフィールドは海原との約束を守ったのだ。
生かせという願いを彼女は齟齬なく叶えた。
脚をなくし、腕を潰された海原が今、こうして五体満足で生き残っている。
「まあ、もうそれでいいや」
諦めや疲れにも似た感情を伴い海原は己の受け入れがたい現実を認識した。
生かせと言って、生きることが出来たんだ。
ならば、己はそれを履行しなくてはならない。
海原はこの夢や冗談のような事実を受け入れる事にした。
そうだ。さっき見ていた悲しい夢。あの中でとても懐かしい人間に会った気がする。
そいつとの、約束がある。
「なあ、オイ」
だから、海原は己の中に居るモノに話しかける。
'ポジティブ なんでしょうか、ホスト'
「それだ。そのホストっていうのは俺のことか?」
'ポジティブ その通りです。軍に所属していない貴方にはTACネームや、コールサイン、フォネティックコードが存在していません。なので貴方の呼称は暫定的にーー
「海原だ」
'はい?'
思ったよりも人間的な、驚いたような声が響く。
「ホスト、じゃねえ。俺の名前は海原 善人だ。宜しくな、マルス」
'ポジティブ 覚えてくれたのですね。私の名前を'
「名前を呼ぶのは相手を個人として認める第一歩だ。お前の事はマルスって呼ぶ。それがお前の名前なんだろ?」
海原は思う。あの時、アリサ・アシュフィールドが言っていた言葉、あの子と仲良くーー 海原にはあの子が誰を指すのか、ぼんやりと理解出来ていた。
「'ポジティブ 了解しました。では貴方の事はなんと呼べば?'
規則的な声に、歌のようなリズムを海原は感じる。少なくともこの存在には、マルスには感情らしきものがある。
「名前ならなんでもいい。ただ、そうだな。アシュフィールドは、シエラⅠは俺のことをヨキヒトって呼んでたっけ」
'ポジティブ でしたら私も彼女に倣い、そう呼ばさせて貰います。ホスト、改めヨキヒト、これから末永く宜しくお願いします'
「ああ、宜しくな。マルス。助けてくれてありがとう」
'ポジティブ 貴方の生存は私のプロトコルファーストに登録されています、当然のことをしたまでです'
海原はマルスとの会話を楽しむように耳を傾けていた。
「プロトコル?」
'ポジティブ シエラⅠより設定された私の存在意義です'
'プロトコルファースト、新たなるホストを生かせ'
'プロトコルセカンド、新たなるホストと共に在れ'
'プロトコルサード、生きる意味を探せ、生き残れ'
海原の頭の中で、マルスが語り続ける。それは海原の命の恩人が設定していた約定にも似た、マルスの存在意義。
海原には分からない。何故彼女はそうまでして自分を助けようとしていたのか。
'ポジティブ 以上が私に設定されてあるプロトコルです。兵器として私にはこのプロトコルを実行する義務があります'
「生きる意味を探す兵器か……」
海原のつぶやきはマルスに届く。
'ネガティブ やはり兵器には必要のないことでしょうか? 私には彼女が何故、このプロトコルを設定したのかを理論的に理解することがまだ出来ません'
どこかトーンの落ちたような声になりつつ、マルスが語る。
「いいや、俺はそうは思わない。ロマンだな。マルス、そして奇遇とも言える。俺もちょうどお前と同じで、それを探して居るところだ」
'ポジティブ その言葉を聞けて良かった。ヨキヒト、貴方とはうまくやれていきそうです'
そうか、と小さく海原は呟く。頰に当たる風が気持ち良い。どこから吹いているか、何故地下に風が吹くのか。
何一つ分からなくても、風は風だ。こうして海原の頰を撫でていく。
きっとそれが重要なのだ。
海原は己の中に住まう正体不明の奇妙なヤツに意識を向ける。
こいつもきっとこの風と同じ。
海原は立ち上がり、マルスへ話しかける。
「さてと、まあぶっちゃけ何一つわかんねえけど、味方ならそれでいい。こうして生き残れたんだ。力を合わせて頑張ろーぜ」
'ポジティブ 貴方のその姿勢は賞賛に値します。ではさしあたり、プロトコルファーストの継続を提案致します'
「えーと、プロトコルファースト……」
'ホストの、ヨキヒトの生存です。貴方の身体は私との結合や、四肢の再生による消耗により致命的な栄養欠乏状態に陥りつつあります、まずはその解決から始めましょう'
海原は首をかしげる。マルスの言わんとすることの要領がイマイチ掴めなかった。
'ポジティブ 貴方に必要なのは血肉となる鉄分、タンパク質、及びビタミン類です。ちょうどその全てを備えた食物が至近に存在しています'
ん? なんて?
海原は首を傾げたまま固まる。とても嫌な予感が身体を覆っていく。
'怪物種95号は一部生鮮なモノに限り、生食が可能な部位が複数あります。安心して、ヨキヒト。私にはシエラチームが遺した情報を元に調整したサバイバルガイド機能が備わっています'
たらり、だらり。海原はマルスが何を言いたいのかがなんとなくわかってしまった。
背中を滝のような汗が流れる。
「……何が言いたい?」
'ポジティブ、プロトコルファーストに基づき周囲に存在する怪物種95号の肉の摂取を提案します'
生きることとは辛い事と理解している海原にも、受け入れがたい辛さはあった。
これを、生で?
目の前には食欲をそそらない青い血に汚れた怪物の死骸が散乱していた。
その光のない、開かれた瞳と海原の目が合う。
海原はここに来てようやく自分がどうしようもないサバイバル環境に置かれている事を思い出した。
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