狼の食餌、喰われる凡人
すぐさま海原の世界に音が戻る。
ゴリっ、ばきん。ぼきん。
その音は海原の意識を闇から引っ張り上げる。
後頭部を強打し気絶していた海原の短い幸運は終わる。
「はっ?」
音はまだ鳴っている。海原の身体の中で。
熱い痛みが脳みそをぐしゃぐしゃに掻き回した。
「あああああああ?!」
「ごおる♪」
ぼきん。
海原にとっての不幸は割と頑丈だった事だ。もし気絶したままならこんな痛みと恐怖は味わう必要はなかった。
視界がぼんやりと元に戻る。
仰向けの体制、ひっくり返されたのだろう。
四肢から駆け上る痛覚信号、鼻にこびりつく酷い獣臭。
ぱき、ぼきん。
海原は自らの状態を視覚でも理解した。
はあ、はあ、はあ。
右膝と左膝がまるで折りたたまれるように此方を向いていた。
いや、その方向には曲がらんだろ。
呑気な足の裏が見える。まるでサンドイッチのように海原の脚の膝は半ばから折り曲げられてーー
「う、わああああああ!?ああああああああああああああああああ、げぶっ?!」
膨らむ胸を太い足に踏みにじられる。黒い体毛の狼だ。
鉤爪がシャツの上から皮膚に突き刺さり、赤いシミが広がる。
こいつ、コイツら、コイツらが俺の脚を!
「ごおる♪」
鳴き声、期限の良さそうな声。
海原は右手に違和感を感じる。
血走る目で右手を確認、右肘を白い狼に噛み付かれていた。
その場に伏せをしながらまるで骨ガムを噛む飼い犬のようにその狼は海原の右肘に噛み付いていてーー
めろ、やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ。
「やめっーー」
「ごおる♪」
ぼきゅん。
白い狼が海原の右肘を噛み潰した。まだ繋がっているのが不思議なくらいだ。
当然。
あっ。
激痛。脳に駆ける。
「ぶえっ」
痛みにより、胃の中身が逆流する。たらふく飲んだ水と胃液が口から溢れた。
「うおん」
海原を片脚で押さえつける黒い狼が海原の口から溢れた吐瀉物を臭い口を開いて舐めとる。
ザリザリした舌が海原の首元の皮膚の一部を剥いだ。
叫び、すでにそれは人の出せるモノではない。餌が最期に放つ断末魔、海原は泣き叫んでいた。
しかし、それすら狼の化け物達においてはBGMに過ぎない。
海原の血を舐めとり、満足そうに鼻をくんくん鳴らしながら互いに餌にのしかかりコミュニケーションを取る。
や、やばい、マジでこれはやばい。
死に片脚を突っ込んでいる、海原はそれでも必死に考える。
何が出来る? てか身体痛、痛、痛痛痛。
思考が痛みにより阻害される。
哀れ、凡人には酔いの恵みはない。あるのは濃密な死の予感。
海原はほんの少し受け入れ始めていた。
自分はどうやら人間としては死ねないようだ。
このままコイツらに餌として消費され、骨まで舐めとられるのかも知れない。
樹原をどうにがこうにかするとかそんな次元じゃない。
これ、こんなのが俺の終わりなのか?
こうして物事を考えている間にも海原は泣き叫んでいた。痛みで頭がおかしくなりそうだ。
同時に不思議な疑問が生まれた。
なぜ、俺はまだ死んでいない?
足を潰され、右手も潰された。
鉄パイプは何処へやら、目の届く範囲にはない。
生殺与奪の権利はこの化け物どもにすでに奪われている。
なのに、俺がまだ生きているのは何故だ?
まさか、コイツら俺を嬲りながら喰い殺すつもりか?
苦しめた方が肉が柔らかくなるとか。
海原は想像しうる最悪のケースに気が遠くなる。
ダメだ、ダメだ! 何弱気になってる、海原善人。生き残れ、考えろ、諦めるな。あのクソ野郎を、俺を騙したクソに落とし前をつけさせるまでは
「死ね、ねえ…… まだ、死ぬわけには行かねえ」
言葉は勇気に変わる。
海原の瞳に生気が、僅かに戻る。餌のまま終わるわけにはいかないと海原が奮起した。
その時、現実が海原の耳に届いた。
「オオーーーン」
「オオオオーーーーン」
海原の胸元を抑える黒い狼、白い狼が同時に遠吠えを始める。
高く高く、何処までも届くようなその声。
まるで、海原にはその声が呼び声のやうに聞こえた。
オオーーーン、オオーーーン、オオオーーーーーン
オオーーーーーーーーーーーーーーーーーン
返事が返って来た。
やまびこのように辺りの至る所から。
「……は、はは、ははは」
海原にはその意味がわかった。
なるほど、いたぶって殺すとかじゃなかった。
逃げないようにする為か。
大家族の晩餐って事ね。
参ったね、どうも。
海原はもう。笑うしかなかった。
ご覧頂きありがとうございます!
宜しければ是非ブクマして続きをご覧下さい




